1-3 悔しい
「ねぇ、サクラちゃん」
「あ、すみません。そろそろ本題に移らなきゃですよね。ええと、まずは条件に合った場所をピックアップ……」
「もっと本音で話してもらって良いよ」
「…………え?」
いつまでも不安を抱いている場合ではない。
むしろ不安がある分、自分がしっかりとしなくてはいけない。そう思っていたはずなのに、乃衣の動きがピタリと止まる。
「あたしらって歳近いし、先輩とか関係なくもっと遠慮なく来てもらって良いから。そういう意図があってあたしらをペアにしたんだと思うし」
「それは……。確かにそうかも知れないですが」
「サクラちゃん、さっきため息吐いたでしょ? それって少なからず不安とか不満とかがあるってことだと思うんだよね」
「……それ、は」
梨那の言葉を否定しきれなくて、乃衣は視線を彷徨わせる。
その反応自体が最早答えのようなものだった。
「良いんですか?」
「うん、あたしこう見えてメンタルつよつよだし」
「じゃ、じゃあ……。私、猫塚先輩のこと……少し、苦手です」
「ふぅん。本当に少しだけ?」
「いや、その…………かなり」
若干梨那に誘導される形で、乃衣は本音を零す。
すると何故か、梨那は「ぷっ」と吹き出した。かなり苦手だと伝えたつもりなのに、いったい何がそんなに面白いのだろうか。
唖然としていると、梨那は乃衣の肩をバシバシ叩いてきた。
「いやぁ、普通に苦手ですとかそういう言い方をされるのかと思ったら、まさかのかなりって……! あー、面白っ」
「へっ? いやでもあれは、先輩が訊き返して来たからで……っ」
「お、良い感じに崩れてきたねー。あたしはその感じを待ってたんだよ」
「はあっ?」
いったい何を言っているんだこの人は、と叫ばんばかりに声が裏返る。――その瞬間、乃衣の中の何かが本当に崩れ落ちたような気がした。
緊張という文字そのものが消え去ってしまったような感覚。
幼馴染の遣都ほどではないにしろ、心の壁がこの一瞬で取っ払われたようだった。
「私、本当に猫塚先輩のことが苦手です。いっつもへらへらしてて、軽くて……。この仕事だって、旅行できるから選んだってだけに見えます」
「あー、確かにそれはあるよね。仕事で旅行できるなんて最高じゃん」
「~~~~っ!」
乃衣は声にならない叫び声を上げ、思い切り肩を震わせる。
軽い。軽すぎる。『未来聖地巡礼案内所』に入社して一年以上も経っているのに、この人は何もわかっていないのではないかと思ってしまった。
もっとアニメに込めた想いとか、それを聖地に繋げる大切さとか、ちゃんと考えているのだろうか?
「猫塚先輩って、今まで自分の選んだ場所が採用されたことってあるんですか?」
「んー、流石にまだないよ。何度かプロジェクトに参加にしてるけど、あたしも少し前までサクラちゃんと同じド新人だったからねー」
「……やっぱりこれ、無謀なんじゃないですか」
乃衣は無意識に唇を尖らせる。
今からでもペアを変えられないかと渚に視線を向けるも、静かに首を横に振られてしまった。どうやら梨那から逃げることはできないらしい。
「そんなの、やってみなきゃわからないんじゃない?」
すると、梨那がまた笑った。
愛嬌のある猫目と、ちらりと覗く八重歯。なのに声のトーンは落ち着いていて、ぐるぐると渦巻いていた乃衣の思考を停止させる。
「『花束とアンドロイド』に相応しい場所を見つけることも、サクラちゃんのあたしに対するイメージも、一緒に踏み込んでみなきゃ正解なんてわからない。サクラちゃんは不安でいっぱいかも知れないけど、ここは一つ……あたしのことを信じてみてよ」
黒紅色の瞳が心に突き刺さる。
気付けば乃衣は、後ろ手に隠した想いをぎゅっと握り締めていた。
――悔しい。
それが、乃衣の率直な感想だった。
全部梨那の言う通りなのだ。自分は確かに、梨那のことをイメージだけで語っていた。どうせそうなんでしょ? と決め付けて。勝手に苦手意識を持って。こんなの無謀だと逃げようとして。
未だに学生気分なんですか? と自分自身に問いかけたくなる。
「……はい」
震えを帯びた声で頷くことが、今の乃衣にできるやっとの行動だった。
声のボリュームは小さいし、様々な感情が渦巻いた視線はまるで睨んでいるように見えてしまうことだろう。
「よしきたっ、何かサクラちゃんとは上手くやっていけそうな気がするよ」
なのに梨那は嬉しそうに笑っている。
あぁそうか、彼女は自分の先輩なのか、と。
そんな当たり前の現実が心の真ん中を突き刺してくる。自分の姿はあまりに情けなくて、滑稽で、子供じみていると思った。歩み寄ってくれている彼女に対して、自分も近付けば良いのに。心の何かが邪魔をして上手く動くことができない。
だけど一つだけ、はっきりと言えることがある。
猫塚梨那。
乃衣にとって初めてのパートナーで、これから切磋琢磨していく相棒。
彼女と一緒なら、意外と何とかなってしまうのかも知れない。
渦巻き続ける不安の中にある微かな希望を見つめながら、乃衣はうっすらと微笑みを浮かべていた。
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