第四話 理不尽の破壊者って、なに?

「世界が壊される瞬間を見た」


 梁井くんは、ゆっくりと語り始めた。

 それは十一年前。

 現実が虚構に敗北し、空想があふれ出した日のこと。


「あの日、ぼくは遊園地に行く予定だった。修学旅行でね……でも、それが本当に嫌でさ。人付き合いが、苦手だったから」


 拳を固く握りしめながら彼は告げる。

 自分は病弱であったのだと。


「運動なんてとても出来ない身体で、本と動画だけが友達で……両親とも、妹とさえ口を利きたいとは思えなかった。正直に言えば、世の中に萎縮いしゅくし、圧倒されていたよ」


 誰に対しても――怪獣である私にすら――おくすることがない彼が放つその言葉は、酷くチグハグに聞こえた。

 けれど、語り手たる梁井くんの身体は、制服の上から見ても解るほど細く、さらに注意深く観察すれば、弱々しさがにじんでいることも見て取れる。

 人間の区別がさほど付かない私にも理解できるほどに。


「だって、ぼくは彼女たちのお荷物だったから」


 お荷物。

 なにも出来ない自分への嫌悪。

 私が抱いた、怪獣諸先輩方へのコンプレックスとは異なる形の苦しみ。


「誰かと会うのが億劫おっくうだった。話をしなきゃ生きていけないのが辛かった。上手く立ち振る舞わないと失望されるのが苦しかった。そんな世界が、嫌いで、嫌いで、大嫌いだった」


 修学旅行は、彼にその全てを強要させる最悪の苦痛だったという。


うとんだよ、世界を呪った。理不尽だとなげいて、生きていても仕方がないとまで思い詰めた。学校が楽しいと言っているやつの神経が解らなかった。人と関わることの全てが最悪で、修学旅行は絶望というモンスターが大口を開けて襲いかかってくるようなものだった。文字通り、お先真っ暗だと思ったさ」


 その絶望は、彼の全てだったのかもしれない。

 梁井くんの全人生に相当するほどの苦難。

 けれどそれほどまでに深い絶望は。

 じつに容易く、消滅する。


「プラティガーが現れたんだ。怪獣皇帝は、あっと言う間に遊園地を更地に変えてしまった」


 永崎港から上陸したプラティガーは周囲一帯を崩壊させながら市街地中心部へと向かった。

 そのとき、彼のいた場所もまた、災禍さいかの現場となったのだ。


「みんな泣き叫んでた。かなしいと言っていた。でも、ぼくは違ったんだよ」


 違う……何が?


「救われたと、思った。修学旅行が取りやめになったからじゃない。みんなが泣いていたからでもない。目が合ったんだ」


 彼とプラティガーの。

 梁井玲司と、形を得た虚構の。


「見た瞬間理解した。絶望なんて粉みじんに砕け散った。ぼくが目の前にしたものの〝威力〟に比べれば、それは本当に些細なことだと思い知ったんだ。苦しみも悲しみも、容易く破壊される。それほどプラティガーは……絶大だった」


 ゆえに絶対などこの世にはなく。

 だからこそ生きる意味を見いだせたのだと彼は言う。


「……もっとも、後日そんなことをカウンセラーの先生に言ったら、大変怒られたけどね」


 青空を見上げながら、彼は笑った。


「怪獣とは災厄だ、怪獣とは理不尽な災害だって。それを好きになっちゃいけないと、あのひとは言った。けど……ぼくは反発して、どんどん怪獣が好きになっていった」


 なぜならば。


「プラティガーは、理不尽の破壊者だったから。閉塞へいそくした世界に風穴を開け、狭窄きょうさくしていた視野を押し広げ、理不尽を――ぼくが勝手に人生と等価値だと考えていた鬱屈うっくつを破壊する、完全無欠の怪獣皇帝だったんだから」


 彼は、怪獣からこう言われたような気がしたのだという。


「そんなのぜんぜん、たいしたことじゃないって。絶望ごとき、生きることを手放す理由にはならないって」


 無論、救われなかった人々がいる。

 未だに苦しむ人々がいる。


「彼らには申し訳ないと思う。それでも、怪獣に救われた人間も確かに存在するんだ。だからあの日から、ぼくは怪獣が大好きになった。プラティガーを必要として、再会する日を夢に見た」


 夢に見て。

 そして、探し回った。


「まずは自分がなろうした。けれどそれは出来なかった。次に都市伝説みたいなのを片っ端から当たったよ。あの夜もそうだ。廃屋に怪獣の幽霊が出ると聞いて、ぼくはスラム街へ向かって。そしておまえと出逢った。怪獣、秕海乙女と」


 そこまで一息に語ってみせ。

 彼は視線をゆっくりと下ろす。

 眼差しの中に、私が映った。


「梁井玲司にとって、怪獣とは何か。おまえはそう訊ねたよな?」


 確かに問うた。

 答えは。


「希望だ」


 輝いていた。

 彼の瞳が、命が、燦然さんぜんと。


「っ」


 なにかが脳裏で甦りそうになる。

 忘れている記憶。

 遠いいつかの宣言。


 でも、いまはきっと関係ない。

 重要なのは、目前の彼のこと。

 私はゆっくりと首肯し、梁井くんへと告げる。


「だったら、それを描けばいいでしょ」

「え?」

「怪獣が希望になる物語を、脚本ホンにすればいい。君が素敵だと感じたことを、ありのままにです」

「あ」


 梁井くんが目を見開く。

 その瞳が大きく揺れて。


「あ~! あー! そうか、うわあああああ!!」


 彼は叫んだ。

 バリバリと頭を掻いて。

 落ち着かない様子で、うろうろと歩き回り。

 そして、すごいスピードで携帯端末へと文字を打ち込み、企画書を作り上げていく。


 消しては書いて、書いては消して。

 けれど今度は後退することなく、真っ直ぐに、筆は駆け抜ける。


「出来た……」


 鉄柵に背を預け、屋上へとへなへなと座り込んだ彼は。

 こちらへ向けて端末をかざした。

 そこには『プラティガ-対ディストピア』の文字が刻まれていて。


「秕海、出来たよ! ありがとう!」

「お礼には早いでしょう? まだ完成じゃない」

「解ってる、ここからだ。ここから、はじめるんだ」


 昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響く。

 かくして私たちは動き出したのだ。


 怪獣が希望となる物語を作るために。

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