第八話 巨大イグアナって、なに?

「お弁当を作ってきました。おいしくないという評価は受け付けません」

「……解った。神妙にいただくよ」


 屋上で隣り合わせに腰掛けて。

 私は彼へとお弁当箱を手渡す。

 生真面目な顔で、ゴクリと生唾を飲み込みながら、彼は包みをほどいた。

 蓋を開けて、第一声。


「普通だ……」

「梁井くん、いまのは失礼です」

「悪い。でも、ちゃんと人間の弁当だなって思って」

「私をなんだと思っているのですか」

「そりゃあ、怪獣だろう」


 それはそうだけれども……異常なものなんて入れてない。

 梅肉と大葉を鶏のササミで挟んで上げたもの。

 キュウリとマカロニ入りのポテトサラダ。

 プチトマトとブロッコリ。

 そして、卵焼き。


「我ながら立派なお弁当だと思います」

「うん、実際すごいよ」

「それは、食べてから言ってください」


 道理だと梁井くん。

 彼は「いただきます」と合掌し、まずは卵焼きに手をつけた。


「甘……くはないけど、出汁が利いてておいしい」


 やや胸を張る。

 もしも私が天狗型の怪獣だったなら、鼻をペしペし触っていたかもしれない。


「おいしい、おいしい」


 何かの機械になったようにお弁当をぱくつく彼は、やがて安堵の息を吐き出す。


「血が滴る肉が好きだって言ってたからさ、野上に呼ばれたときはそういうのを食べさせられるのかと思った」


 それで警戒していたのか。

 さすがにこれを靖子の責任にするのははばかられる。

 むしろここまで彼を連れてきただけ大金星。

 友達としては感謝の念に堪えない。


 お弁当は食べてもらえた。

 おいしいと思ってもらえた。

 けれど、どこかでもっとと考える自分がいる。


 芹ヶ野が指摘した、人間として生きる道。

 それにじゅんじるわけではない。

 訳ではないけれど。

 私は今、もっと彼と話をしたかった。


「梁井くんは、普段どんな服を着るのですか?」

「最近の話なら、ジャージ。スーツ作るときは動きやすくて汚れてもいい格好じゃないといけないし」

「出かけるときは、どうです?」

「制服一択だろ」


 迷いのない顔で断言する彼。


「制服はいい、人類が生み出した最高の衣服だと思う。冠婚葬祭かんこんそうさいのどこにでも着ていけるし、身分証の代わりにもなる上、人混みでも目立たない。最高だ」

「梁井くん」

「……どうした?」


 私は彼の手を取り、ウンウンと何度も首肯した。


「まったく同意見です」


 そもそも、人間は御洒落に全力過ぎる。

 爪を飾り立て、耳を飾り立て、衣服を着飾り、髪の色を染め、メイクを万全に決めて疲れないのだろうか?

 いや、当然疲れる。

 けれどそれが楽しく、可愛くて、格好いいことなのだ。


 誰かに見せるかどうかなど関係はない。

 ただ、その姿になることで、着飾ることで自分の気持ちが上がるかどうか。

 それが御洒落というものだと、これまで学んできた。

 問題は、私がそこに興味を持てないこと。


 もちろん、話を合わせるために勉強もするし実践もする。

 けれど本音を言えば、さして見分けが付いていないというのが実態だ。

 だからこそ、私も学生服を気に入っている。

 どこへ着ていってもフォーマルで、かつ丈夫であり、身分を証明できるから。


「制服なんてダサいって、みんな嫌がるけど、ぼくとしては安心するよ。なにせ、学生っていう大きなくくりで見てもらえるしね」

「まるで自分が異端者である……そう認識しているように聞こえます」

「どうだろう……今の時代、他人へ興味を持っている人間の方が少ないんじゃないかな? 相手がなんであれ、自分がよければそれでいい」


 それは、なんだか彼らしくない言葉に聞こえた。

 少なくとも出会ってから今日まで見続けてきた梁井玲司像とは合致しない。


「梁井くんも、他人のことはどうでもいいですか?」


 問えば、彼はなんとも言えない顔をする。


「答えは〝解らない〟だよ。考えたこともなかったし、こんなこと話した相手も、秕海が初めてだ」

「そうですか」

「そうだよ」

「…………」

「…………」


 無言になる私たち。

 なにかあったわけではない。

 彼がササミを口いっぱいに頬張っただけだ。


 穏やかな時間。

 私は……少し安心していた。

 自分を貫いているように見える梁井くんですら、どこかで生きづらさを感じているのだと、親近感のようなものを覚えてしまったのだ。


 ちょっとだけ座っていた位置を、彼の方へずらす。

 口の中のものを飲み込んだ梁井くんが、会話を再開する。


「ちなみに、秕海的には怪獣スーツ、あれは服に該当がいとうするのか?」

「しません。外見です」


 いて言うなら、あるべき姿になるための儀式といったところか。

 そういう意味では、こちらは誰かに見せることが主体となる。

 観測者がいて初めて、秕海乙女は怪獣としての尊厳を獲得できるのだ。


「なるほどなぁ。でも、別に秕海は御洒落が嫌いなわけじゃないんだろ? なんでも着こなせてるように見えるし……そう、前に一度見た私服、すげー似合ってた」

「区別しないからこそ、どの衣装も着こなすことが出来る。それだけです」


 場面に必要ならドレスコードは守る、気に食わない理由がないから。

 とはいえ、似合っていたのなら重畳ちょうじょうである。


「ふーん……ぼくもまだまだ怪獣の理解が甘いな」


 言いながら、再び卵焼きを口に運ぶ梁井くん。

 ふと、そこで彼が何かを思い出したような顔つきになった。


「そういえば秕海、こないだ貸した映画、どうだった?」

「……〝大怪獣、ニューヨークに現る〟ですか?」

「そう、あの映画さ、すっごく」

「ええ、あの映画は、すごく」

「傑作だったよね」

「Z級でしたね」


 うん? と首をかしげる梁井くん。

 硬直する私。

 彼があたふたと続ける。


「パニック映画としてよく出来てなかったか? 卵をぽこしゃか産んで増殖するあたりとか、すごく生物っぽい大怪獣で」

「怪獣? あれはイグアナです。巨大イグアナ。大怪獣の看板を背負うには荷が勝ちすぎます」

「それは解る、すごい解る。とくにミサイル一発でダウンするシーンとか、完全に」

「ええ、完全に」

「ご都合主義で」

「現実的で」

「「…………」」


 再び止まる会話。

 互いが間合いを計り始める。

 先に動いたのは、やはり梁井くんだった。


「怪獣がミサイルに負けるのは、ご都合主義じゃないか?」

「プラティガーですら連合軍に負けるのだから、そういうものでしょう?」

「じゃあ、あのブレスは」

「ブレスはしょぼいです」

「だよね!?」


 胸を撫で下ろしてみせる彼。

 まったく、なんともくだらないやりとりだ。

 空想の話で盛り上がって、一喜一憂して。

 話が噛み合わないと、相手に嫌われたんじゃないか、機嫌を損ねたんじゃないかと不安になる。


「本当、くだらない」

「……秕海はいつもそうだ、こういうときに笑うんだよな」


 彼が柔らかく眼を細めた。

 心臓が、トクンと跳ねる。

 私の口元は、知らないうちに小さな弧を描いていたのだ。


 体温が上昇する。

 プラズマ熱流が投射されそうなぐらい顔が熱くなって。


「梁井くん、私は」


 私は――


「おお! ここに居たのか、先生!」


 なにを言おうとしたか、忘れてしまった。

 なぜなら出入り口から見知った顔が、ひょっこりと茶色い頭を覗かせていたからだ。


「特撮トークなら俺も混ぜてくれ! 前にも言ったが、乙女ちゃんへ告白したのだって、挙動が特撮っぽかったからだからな!」


 実相寺進治郎が。

 私でも読める空気を無視して手を振っていた。

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