第六話 近くて遠いって、なに?

 夢を見ている。

 遠い昔の夢だ。

 秕海乙女が、人間でなくなったばかりの頃。

 怪獣と人間の狭間にいた頃の夢。


 真っ白な部屋に、幼い私が蹲っている。

 それを見下ろす自分がいる。

 だから夢だと解る。


 ここは……特別生物対策室の一室か。

 なるほど、芹ヶ野博士の言葉を切っ掛けにして、過去の情景を見ているわけだ。


 怪獣は無意味なことをしない。

 おそらくこれは、今後必要となる情報のアーカイブなのだろう。


 幼い私は泣いていた。

 いまの自分からは考えられないほど、当時の秕海乙女は弱々しく感情豊かだったからだ。

 突然怪獣になってしまい、人間ではない自分を受け容れきれず、カウンセリングに縋り付いた。

 同時に、それまでは立ち上がることすらままならなかった肉体の回復に戸惑いと喜びを感じた。


 両親には、どうしただろう?

 一度、間違いなく相談した。

 彼らは私が混乱しているのだと言い、ただ病状がよくなったことだけを喜んだ。

 お陰で、自分が怪獣になったなんて言えるわけがなくて。

 私は口を噤み、ひとり抱え込んだ。

 両親に心配をかけたくなかったから。


 思えば、非効率的な振る舞いである。

 もっと辛抱強く対話を試みるべきだったのかもしれない。

 二人は、どんな世迷い言だって受け容れてくれる人物だったのだから。


 幼い私は、まだ泣いている。

 次のカウンセリングを待っているのか。

 あるいは、もう一度受けたいと駄々をこねているのか。

 思い出せない。

 代わり映えのしない光景が続く。


 果てしなく長く感じた時間の末。

 やがて、変化が生じた。


 ひとりの少年が現れたのだ。


 幼い頃の私と同じぐらいの年頃の少年だ。

 その人物は、手に怪獣のソフトビニール人形を強く握っていた。

 変わらずに泣きじゃくる私を見かねたのか、少年は近づいてきて訊ねた。


 どうしたの? と。


 けれど私は答えられない。

 怪獣であるという事実は口止めされていたし、いまほど図太くもなかったから。

 秘密を知られたら生きていけないとすら考えていた……ような気もする。

 当時の時点で、私を止められる存在などいなかったのに。


 少年は幼い私の横へ腰を下ろし、もう一度、先ほどよりも優しい声で訊ねてきた。


 どうしたの?

 苦しいの?


 私は答えられない。

 ただ、怪獣が、とか、怪獣で、とか要領の得ない返事をするばかり。

 それでも少年は何かをくみ取ったらしい。

 手に持っていたソフビを掲げて、こう告げた。


「怪獣は、最高なんだ! ■■なんだよ!」


 熱心に怪獣の素晴らしさを語る少年。

 心を尽くして贈られる言葉。

 正確な文言は思い出せないが、語り口の熱っぽさは記憶にこびりついている。


 やがて私は泣き止んで、彼の言葉に聞き耽った。

 幼い私が、少年を見る。

 その顔には、どこか見覚えがあって――


「――――」


 目が覚めた。

 なにか夢を見ていた気がするが、思い出せない。

 あくびを一つして、私は着替える。

 学校に、行く時間だったから。


§§


 改めて言うまでもないが、秕海乙女は怪獣である。

 しかしして学校生活スクールライフは、人間として送らなければならない。


 これまでの人生を――あるいは怪獣生とでもいうべきか――相当上手くやってきたという自負はあった。

 でなければ、〝学校〟という社会からつまはじきにされていたはずだからだ。

 それでも、時折私は間違いを犯す。

 お陰でクラスメート達からは、


「お嬢様だから変わってる」

「受けてきた教育が違うんだ」

「格付けをする側だから……」


 などと散々なフォローをされる始末である。

 例えば、こんなことがあった。


 数学の時間、最小二乗法によって逆行列で正規方程式を解け、という問題が出題された。線形分布や誤差という概念を取り払えば、つまりは単純な計算式であり、私は直感的に解を導き出すことが出来た。

 出来たのだが……それがよくなかった。


 途中の数式を、一切証明することが出来なかったのだ。

 頭の中では演算を終えているのだが、ではどういうプロセスでそれが出力できたか――正規方程式をどう解いたのかが説明できない。


 これは要するに、怪獣としての機能を人間として翻訳できなかっただけなのだが、教師陣からは大変疑問に思われてしまい、いまだに私の数学のテストは減点が目立つ。

 おまけに試験では常にカンニングを警戒される始末だ。

 仕方がない、過程を必要としない回路が私の中にあるのだから。


 こんなこともあった。

 体育の時間である。

 身体測定で100メートルを走ったときだ。


 私は適当にだらけて、二番手ぐらいでゴールすればいいだろうと考えていた。

 しかし併走していた相手は陸上部で。

 スピードを緩めようとした瞬間「逃げるのか?」と視線を向けられた。


 そこは勝負の世界であり、であるなら手抜きなど許されない。

 私はほんの一瞬全力を出し、勝利を収め、周囲から喝采を浴びることになる。

 当の陸上部員は計測後、つかつかと歩み寄ってきて。

 これは恨み言でも言われるかと覚悟していたら、


「いいレースだった。でも、アタシ以外にはあんなやり方しないほうがいいよ。たぶん喧嘩になるから」


 と、皮肉げな笑みを浮かべていた。


 他にも、私は結構な頻度でポカをやらかしているらしい。

 らしいというのは、物差しスケールが自分とプラティガーしかないので厳密には判然としないからだ。


 最近など、怪獣スーツという外見を手に入れたからかついつい気が緩んでしまい、ひとりで一クラス分の机と椅子を運ぼうとして靖子やクラスメート達からたいそうなお叱りを受けてしまった。


「もー、姫ったらうっかりやさん。なんでも自分ひとりで背負い込まなくたっていいんだよー?」


 靖子はそう言うが、机の40脚やそこら、充分ひとりで動かせるのだ。

 ただ、さすがにこれだけ失敗を積み重ねてくれば、問題の根幹がどこにあるか、私にだって解る。


 つまるところ秕海乙女は、他人へ理解を求めることの重要性を認知できていないのだ。

 社会性を学んだ怪獣は、学んだつもりになっていただけなのである。


 そうして、振り返って思う。

 人として生きている怪獣がこうであるのなら。

 怪獣になりたいあの少年はどうなのだろうかと。


 梁井玲司。

 あの月夜の晩、廃墟で出逢ったときから何も変わらない彼は。

 こんなにも生きにくい世界で、どうやって折り合いをつけているのだろうかと。



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