第四話 緊急事態って、なに?

 この世全ての無意味さを噛みしめながら、私は特別生物対策室を訪ねていた。

 定期カウンセリングではない。

 名指しでの呼び出しである。


 これ自体は、思い当たる節があるのでどうでもいい。

 けれど、私が行政から召喚されているにもかかわらず、のほほんと遊びに行ってしまった梁井くんが、どうにも恨めしくてたまらなかった。


 しかも、一人では無い。

 実相寺先輩と姪っ子さんと一緒なのだ。


 なんでも、駅前にある巨大ショッピングモールの改築が終わり、本日からリニューアルオープンされるらしい。

 そこでは限定グッズとして〝ティガーくん〟人形などが配布されるとのこと。


 男どもはそれでいいとして、姪っ子さんである由々実は大丈夫なのだろうかと考えて、あれは実相寺と同じ時間を過ごせるならなんでもいいのだったと思い直す。


 だから、やはりスポンサーである私が苦労しているときに遊び倒している梁井くんへのいきどおりがつのると、多分これはそういう話なのだった。


「喧嘩のひとつぐらい、しないの……?」


 実相寺は私を恋愛対象としてみている……らしい。

 よく解らないが、少なくとも靖子はそう言った。

 梁井くんだって、気がつけないほどにぶいわけじゃないだろう。

 なのに、なにも思わないのか?

 私が――


「待って」


 私が、なんだ?

 いま何を考えようとした?

 ……いくらなんでも、怪獣らしくない。

 頭を大きく振って、邪念を投げ捨てる。

 怪獣は無意味なことをしないのだ。


 大きく深呼吸をして、地下へと向かう。

 部屋に入ると、芹ヶ野が難しい顔で待っていた。


「秕海乙女くん、まずいことになりました。特生対へ小型怪獣出没の報が寄せられている。このままだと、近いうちに通報があった第二平和公園設営予定地の調査が実施されるでしょう」

「それが呼び出しの理由ですか」

「軽挙妄動は控えて欲しいと、あれほどお願いしたじゃないですか」


 確かにされた。

 そして、今回のこれに関しては、全面的に私が悪い。

 なにせ、憂さ晴らしのために怪獣として暴れたのだから。


 ……いや、そうなると悪いのは梁井くんではないだろうか?

 彼がもう少しフォローをしてくれれば――否、違う。

 マジで違う。

 そうじゃない。

 そう言う思考に引っ張られているから、ここ最近の私はおかしいのだ。


 ぜんぜん、ちっとも怪獣らしくない。

 だから怪獣でいようとしたのに……。


「わかりました。あの地区へは今後できるだけ近づかないことにします」

「そうしてくれると助かりますよ。僕にも出来る擁護と出来ない擁護があるから」


 まるで、これまで私を守ってきたとでも言いたげな口ぶりだ。

 ……実際、守られてきたのだろう。

 芹ヶ野や、パパ、ママ。

 多くの友人達が、私という異物を容認してくれたからこそ、今日がある。

 変わっているね程度で流してくれる気のいい奴らが、私の学友なのだ。


 だからこそ、思うところがあった。


「芹ヶ野博士」

「なんだい? ひょっとしてもっとまずい事後報告があるとか――」

「私は、人間になったほうがよいのでしょうか」

「――――」


 男が目を見開いた。

 芹ヶ野は一度口を開き、閉じて、もう一度開けて。

 今度は手で口元を隠す。

 その瞳に宿っているのは、理性と正論の葛藤だった。


 思い苦しい沈黙が流れた後。

 博士は、言葉を吐き出した。


「当然です」


 もう、その瞳に迷いはない。


「君は人間であるべきです。いいえ、既に人間なのです。わざわざ不幸を背負い込む必要は、ありません」

「不幸ですか。怪獣は、幸せの逆位置だと?」


 芹ヶ野は強く目を閉じる。

 あふれ出しそうな何かを押しとどめるように、あるいは飲み込むように。


「……愚か者の話をしましょう」


 目蓋を開ける博士。

 暗い、くらい覚悟が、その眼差しには宿っていて。


「怪獣が大好きだった、少年の話を」


§§


「少年?」

「そう、少年。彼は怪獣の玩具で遊ぶことや、自分でオリジナルの怪獣を作って絵にするのが大好きでした。どこかで聞いたような必殺技の設定とか、荒唐無稽な生態をイメージして笑っていたのです」


 それは、まるで梁井くんのような。

 けれど、どこか違う人物像。


「彼はやがて、怪獣についてより学ぼうとしました。けれど当時、この世に怪獣は実在しなかった。だから空想の中に生きる生物をシミュレーションし、そこから現世で利益を還元できるようなモデリングの研究へと打ち込んだ。現在、空想生物学と呼ばれているものです」


 空想生物学。

 目前の博士が専攻し、そしてプラティガ-打破の切っ掛けとなった学問。

 では、これは。


「たくさんの怪獣をイメージし、彼はその生態を研究して、世間のために役立てようとしました。けれど……実際に世界へ現れたのは、破壊の化身だったのです。プラティガ-。夢にまで見た大怪獣。彼は……それを殺すための研究をしなければなりませんでした」


 理由は極めて単純。

 放置すれば、国が滅んでしまったかもしれないから。


 つまり、これは芹ヶ野牧彦の歴史だ。

 怪獣博士であるこの男のオリジンなのだ。

 しかしどうして、そんな話を私に?


「少年時代に憧れた怪獣は、世界を破壊する理不尽でしかなかった。彼は莫大な犠牲と葛藤の末に、プラティガーを撃滅します。手元に残ったのは、空しい栄誉と怪獣の亡骸なきがら


 博士はぎゅっと拳を握りしめ、それを弱々しくほどく。

 掴んだものがこぼれ落ちていくさまを、私は幻視する。


「せめて怪獣のイメージを改善しようと、そして失ったものを取り戻そうと研究に没頭し、夢のエネルギーにして技術革新を促す新物質を発見しました」


 ティガーライト。

 怪獣皇帝の福音。


「ティガーライトは世界を変えたのでしょう。いいえ、きっとプラティガーが変革のきざしを与えたのです。けれど、それで怪獣災害の全てが帳消しになるわけではありません。いいですか、秕海乙女くん」


 博士が、私の両肩へと手を置いた。

 睡眠障害を患っているのだという両目のクマは酷く。

 ただ、眼差しには祈るような色合いが浮かんでいて。


「怪獣は理不尽です。容易く人の営みを壊す災害そのものなのですから。だから――排斥される。どうか君は、君だけは人間でいてください。これ以上、奪われないでください。それが僕の、切実な願いなのです」


 一度強く肩を握り、そのまま博士はだらりと手を落とす。

 そこで、私はようやく気が付く。

 いけ好かないと思っていた目前の男が、随分と年老いていることに。

 実年齢よりも遙かに老衰して見える男は、繰り返すように言葉を吐き出す。


「人間でいていいのです、秕海乙女くん。それが君の幸せならば」


 解らなかった。

 その言葉へどう応じるのが正解なのか。

 怪獣としての衝動と、人間としての幸福を天秤にかけてどちらを選べばいいのか。

 自分がどうしたいのか、私には解らなくて……。


「――僕です。どうしました?」


 そんなとき、地下室に電話が鳴り響いた。

 即座に応じる博士の顔色が、さらに悪くなる。

 芹ヶ野は端末を起動し、テレビニュースを表示。

 ディスプレイに映し出されたのは――


「嘘」


 それは、炎上するショッピングモールの映像で。

 彼が。

 梁井くんが今日訪れているはずの場所が、紅蓮の猛火に巻かれており。


「大量の粗悪品ティガーライトが施設に導入された形跡があっただって!? 調査班は何を――そうか、再開発事業の費用削減で秕海重工とうちの二重チェックをすり抜けたのですね? ……とにかく、いまは人命救助を最優先するよう通達を!」


 通話を切り、慌ただしく身なりを整え始める博士は、私がまだいたことに気が付くと「すぐに帰りなさい」と告げる。


 けれど、そんな言葉は耳に入って来なかった。

 端末を取り出し、同じアドレスへと向けて、何度も安否確認のメッセージを送る。


 梁井くん。

 答えて。

 君は――


「――!」


 返信が来た。

 縋り付くように端末を操作して。

 私は、


『悪い秕海』


 さっと、血の気が引く音を聞いた。


『逃げ遅れた』


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る