第二話 指の数は四本って、なに?

「こほん……事情が変わりました」

「!?」


 私は前動作なく地面を蹴り、梁井はりいなにがしへ急接近。

 その喉を掴んで、持ち上げる。

 少年はパニックになったように手足をバタつかせてくるが、どうでもいい。


「私のことを知っているのなら、致し方ありません」


 なにをするつもりだと視線だけで訴えてくる梁井某。

 私はつとめて平坦な声音で答える。


「記憶が飛ぶまで、ぶん殴る」

「ふ――ふざけんな!」


 怒っていた。

 少年は、激怒していた。

 理不尽に対して。

 そうして、たまりかねたようにこう言い放つ。


「四本だ」


 なにが?


「プラティガーの爪は、四本だ! おまえが着ていたやつみたいに五本じゃない! 足の指は四本、手の指も四本、界隈にてこれは常識。そんなことも解らないやつに、制裁せいさいされるいわれはない!」


 どこの界隈なの、それ……。


「他にも言いたいことがある。喉に視界確保用の空気穴を開けるな! 先人がこれを隠すのにどれだけの苦労をしてきたか……なにより、あの背びれはなんだっ」


 ……む。


「怪獣皇帝の背びれはなぁ、王冠なんだよ。皇帝である証し、空想全てをべる証明! 世界を見下ろす資格持つ王権そのもの! それをヘロヘロのダンボールとガムテープでくっつけやがって……ゆるキャラの〝ティガーくん〟だってもう少しマシだぞ、恥を知れ! おまえの怪獣からは、逼迫ひっぱくした存在感が微塵みじんも見て取れない!」


 王冠、よりによって王冠と来たか。

 だとしたら、私はとっくに戴冠式たいかんしきを済ませている。

 〝彼〟から受け継いだものはここにある。

 だから、冷静に言い返すことができた。


「……面白いこと言うのね。ええ、控えめに言って大爆笑」


 爆笑(真顔)というやつだ。

 もっとも、私が表情を変えることなど滅多にないが。


「あなたに、怪獣のなにが解るというの?」

「解るさ」


 反射的にくびり殺してしまいそうになるが、全力の自制心で押さえ込む。

 そんなこちらの努力を無視するように、少年はノータイムでまくし立ててきた。


「ウエハースのように高層ビルを噛み砕いてみたかった」


 ……なんて?


「建物や山を掴んだらぼろっと崩れてしまって、まるで砂山みたいだ……なんて感じてみたかった」

「あなたは」


 いったい、なにを言っているの?


「なにを言ってるのかって? 決まってるだろ。ぼくは!」


 少年は。

 梁井某は。

 確かに、告げた。


「ぼくは、怪獣になりたかったんだ」


 なぜだか解らない。

 もしかしたら理由なんてないかもしれない。

 けれど、事実として。

 その刹那、私の中で全てを燃やし尽くそうとしていた衝動が、しゅん……と消え失せた。


 代わりに、心臓が跳ねる。

 ……もちろん、その程度の不調はすぐに回復。

 反論する。


「怪獣……怪獣って、なに? こっちは人間でいるのに精一杯で、そこまで気が回らないっての」

「でも、おまえは着ぐるみを身にまとっていた。なんでだ?」


 それは、心と肉体の解離をなくすためで。


「生きづらい世界を、理不尽を壊したかったんじゃないのか……?」

「――っ」


 跳ねる、また心臓が。

 ドクドクとうるさい。

 バクバクと拍動が重ねられる。


 こんなにも心が騒がしいのは。

 怪獣衝動とは、別の想いがわき上がってくるのは。

 この胸に、背びれが突き刺さったあの日以来で。

 私は。


「ぎゃ!?」


 少年が悲鳴を上げた。

 どうやら、知らないうちに手を放してしまっていたらしい。

 けれど、今重要なのはそんなことじゃない。


「なぜ?」


 なにも知らない学友へと問う。

 どうして、私が怪獣になりたいなどと、愚か極まりない発想を持ったのかと。

 すると少年は両肩をすくめ、


「さぁね。ただ……」


 こう、告げたのだ。


「着ぐるみを着ていたときのおまえより、いまのおまえのほうが……ぼくには怪獣らしく見えちまっている、それだけなのさ」


 ……私が、怪獣?

 この十一年間、誰にも同意を得られなかったのに?

 両親でさえ、私を人だと断言したにもかかわらず?

 なら。

 君は、いったい。


「ぼくは、怪獣を求めてる」


 まるでこちらの内心を読んだように、彼が語る。

 人生観と呼ぶにはいささか歪んだ、青少年の主張を。


「世界ってのは理不尽で、どうしようもなく息苦しくて。だからいて欲しかったんだ。閉塞的へいそくてきに思える世界を簡単に壊せる存在に」

「それが、あなたにとってのプラティガー?」

「そうだ。で、秕海しいなみからは、なんだか近いものを感じた。もしくは……こう考えてる。おまえなら、怪獣になれるかもって」


 今度は、なにを言い出すつもりなのだろう?

 浮かび上がる疑問とともに私は。

 とても不思議だけれど、秕海乙女は。


 このとき、ほんのすこし。

 ちょっぴりだけ。

 わくわくしていたのだ。


 彼は、言った。


「ぼくには怪獣の知識があって、秕海にはたぐいまれなる身体能力がある。それを一つにできれば……きっとできる」


 私の脳裏に一つのイメージが湧き上がる。

 舞い散る粉塵ふんじんと霧のなか、逆光を浴びて雄叫びを上げる怪獣皇帝、プラティガーの姿が。

 彼が、拳を握りしめて語る。


「やってみないか、秕海? ぼくが作って、おまえが着る。最高の怪獣スーツを、一緒に作らないか?」

「正気?」

「ああ、コスプレして深夜のスラム街をうろつく女子高生程度にはな」

「……なにそれ、くだらない」


 彼が目を丸くした。

 呆けたような顔でこちらを凝視してくる。

 その瞳の中に映る私は。


 驚くべきことに、微笑んでいた。


 怪獣になってから、本心から笑えたことなど一度もなかった私が。

 かすかに、けれど確かに笑っていて。


 ――ああ、悪くない。


 頬を染めてこちらを凝視している彼に。

 まだ座り込んだままの彼へ。

 私は、そっと手を差し出す。


 ビクリと怯える少年。

 また首を絞められると思ったのか。

 でも、違う。


「ほんと、くだらない。あんまりにもくだらないから……ええ、お慈悲で納得してあげます」

「え?」


 私の顔と、差し出した右手を何度も見比べる彼に。

 ため息をひとつこぼして、説明する。


「合意形成。握手は人間の代表的なサインでしょう?」

「……感謝するよ秕海! よろしくな!」


 喜色満面になって握手どころかクロスタッチまでしてきそうな彼をついっとかわし。

 その耳元に顔を寄せて、私はささやく。


「一つだけ、いまのうちに訂正しておきます」

「なんだよ?」

「私は、君――梁井はりいくんみたいに怪獣になりたいわけじゃない」

「……違うのか?」

「ええ、だって私は」


 甘く、とびきりに悪戯いたずらっぽく。

 ……そうできていたかは、あまり自信がないが。

 少なくとも、彼が私に今以上の興味を持ってくれることを祈って。

 そばに落ちていた瓦礫を拾い上げ。


「――とっくの昔に、怪獣なんだもの」


 グシャリと握りつぶしながら、大切な秘密を打ち明けたのだ。


§§


 私たちは、こうして出逢った。

 怪獣に憧れた少年――梁井玲司と。

 怪獣である少女――秕海乙女が。


 これは、現実に現れた怪獣を巡る物語。

 私という、ひとりのスーツアクターが生まれるまでのお話である。

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