第二章 着ぐるみを作った日

第一話 落ち着かない怪獣心って、なに?

 一睡いっすいもできなかった。

 梁井はりいくんと別れ、帰宅してベッドに入り、気が付けば朝。


 もちろん、一ヶ月ぐらい不眠不休で動き回っても怪獣なので支障ししょうはない。

 ないのだけれど……どちらかといえば私は睡眠が好きだ。

 秕海乙女にんげんのしがらみを忘れられる時間を、尊いとすら感じていた。

 だから、どうして眠れなかったのだろうと、釈然しゃくぜんとしないまま登校することになる。


 県立南一ツ星みなみひとつぼし高等学校は、怪獣災害のあとに作られた。

 だからこれといった歴史はない。

 代わりに、形に囚われない校風と、風紀のゆるさが相まって、これを心地よいと考える生徒が多く集まっていた。


 かくいう私も、伸ばしっぱなしの頭髪に文句を付けられないからという理由でここへと進学した口だ。

 ワイヤーカッターでしか切断できないのだから、選択肢などなかったと言ってもいい。


「おはようさんだな乙女! うむ、聞きしにまさる美しい黒髪だ。体付きも鍛え上げられている、至高の均整きんせいに近い。美人だぞ!」


 そんな黒髪を、目の前の男がやたら褒めてくる。

 びしょ濡れの細マッチョだった。

 頭の上でバケツでもひっくり返されたのだろうか?


 教室の前で待ち受けていたそいつに、見覚えはない。

 私よりも頭二つ分高い身長、茶色い髪、着崩した制服から覗く小麦色の肌と引き締まった胸筋、これをいろどる無数のシルバーアクセ。

 記憶を辿たどるが、やはり思い出せない。


「俺は三年の実相寺じっそうじ進治郎しんじろう。はじめましてだが、気軽に進治郎と呼んでくれ。俺も乙女と呼び捨てにする」


 親切にも初対面であることを明らかにしてくれたため、応対を見知らぬ人モードへと切り替える。

 が、それでもびしょ濡れの理由がいまいち解らず首をかしげていると、男は豪快に笑ってみせた。


「このちが気になるか? じつは登校途中、川で溺れかけている猫を見つけてな。思わず飛び込んでしまったのだ」


 近くの川と言えば、浦上川うらかみがわの支流だが……冬場に飛び込むのは人間沙汰ではない。

 よくよく見遣れば、男は小刻みに震えている。


「おっと、猫は無事だ。動物病院へ預けてきた」


 なるほど、意味が解らない。

 人間にはときどき、こういうやつがいる。

 話の合わせようがない手合いである。


「ところで、連絡先を交換してくれやしないか? 俺は乙女と仲良くなりたい」


 重ねて理解できない言動を取りつつ、携帯端末を取り出すそいつ。

 そういえば……昨晩うっかり、梁井くんと連絡先を交換するのを忘れていた。

 このままだと直接顔を合わせるしか話す機会を作れない。


 けれど、学校で私が彼に近づくのはデメリットが大きい。

 私が困るのではなく、彼が困る。

 〝姫〟などと呼ばれている程度には、私は自分の影響力に自覚的だった。


「む? 聞こえているか、乙女。アドレスを――」

「結構です。興味がないので」


 きょとんとする茶髪の横を通り過ぎ、私は教室へ入る。

 追いすがろうとするので、そのまま出入り口のドアを閉ざす。


「珍しいねー、姫」


 友人である靖子やすこが声をかけてきた。


「あそこまでツレなくするなんて。どったの? 虫の居所でも悪い?」


 眼鏡の奥の瞳はニヤニヤと歪んでおり、状況を楽しんでいることは間違いない。

 数秒考えるが、メンタルは至って平常。


「いえ? なんともありませんが?」

「だよねー。むしろ機嫌は良さそうに見えるもん」

「別段よくも」


 よくもないと否定しかけて、思い付く。

 靖子は学校一の情報通だ。

 いざとなれば彼女に梁井くんのことを聞くのもあり……いや、駄目だ。

 邪推じゃすいされたくない。


 一旦思考を放り投げ、席に着く。

 すると、学友達が雪崩なだむようにして集まってきた。

 先ほどのずぶ濡れ茶髪について色々と質問されるが、もはやよく覚えていない。


「実相寺先輩は南一ツ星きってのモテ男だよ?」

「女子的優良物件度ではTear2ぐらいの」

「成績も優秀、とっくに進路が決まってて」

「スポーツも万能、優しくて寛容かんようで実家が太い!」


 楽しそうに話す彼女たちを適当にいなしていると、話題は自然に今日のトピックへと移行うつっていく。


 ドラマの女優がかっこよかった。

 新作のチークがおもったよりイケてない。

 流行りのスイーツが永崎ながさきにもようやくやってきて。


 などなど、さきほどまでよりはよほどマシな話題。

 事前に動画を倍速で見たり、まとめサイトをチェックしておけば、私でも愛想のよい娘を演じられる。

 適切に受け答えをして、あとは全部肯定するだけで、誰も秕海乙女が人間じゃないなんて思わない。

 たとえそこで、本当の意思疎通が出来ていなくてもだ。


 問題は、全てのケースで同じように振る舞った結果、私がクラスの相談役じみた地位に収まってしまったこと。

 女子同士が互いをランク付けするための試金石として、どうやら私は丁度いいらしい。


「姫ってば設定盛り過ぎの盛杉もりすぎ晋作しんさくだからねー、非実在青少年だよー」


 とは、靖子のげん

 お陰で〝格付け姫〟なる奇妙な渾名あだなを頂戴してしまった。

 男子連中は私を単に〝姫〟と呼んでいるらしいが……このあたりは私でも解る性差である。


「でも実相寺先輩、付き合っても長続きしないらしいし」

「今日からは全員で無視しましょ」


 ……いつの間にか話が一周して元に戻っている。

 ついでにくだんの茶髪が女子の敵になっていた。

 共通の敵を作る。

 これが彼女たちなりの団結方法でもあるらしい。

 感心するし、大いに学ぶものがある。

 人間とは、こういうものか。


 そんな愉快な学友達の輪に、靖子は入ってこない。

 かといって孤立しているわけでもない。


 むしろ誰とでも仲がいい。

 年下とも、年上とも、他校の生徒と、大人ともである。

 彼女は自分の立場というものを立派に確保しており。

 その処世術は、素直に羨ましく思えた。


 ひるがえって……梁井くんはどうなのだろうか?

 私が怪獣であることを隠し、人間として生きているように。

 彼も、私のように迎合げいごうして生きているのか。

 怪獣の話題を、人前ではつつしんんでいるのか?

 それとも――


 チャイムが鳴り、教師が入室。

 皆が散って席に着き、ホームルームが始まった。


 うーん。

 気が付けば彼のことばかり考えている。


 ……梁井くんと話がしたいな。

 そんなことを思いながら、私は一限目の準備を始めた。

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