第二話 眠れないって、なに?

 街も草木も眠りに落ちる、静かな静かな小夜中さよなかに。

 私は、たまらず家を飛び出す。

 日中にあった出来事が、ずっと胸をざわつかせていたから。


 土蔵から、こんな時のために用意していたスポルティングバックをひっつかみ。

 長い下り坂を駆け抜けて、寝静まった町並みを飛び越えて。

 いつか来た場所へと辿り着く。


 廃墟街。

 第二平和公園が作られる予定のまま頓挫とんざした、この街の暗部。

 プラティガーの負債を一手に押しつけられた掃き溜め。


 他の区画が活動を止めていても、ここの住民達はまだ起きている。

 端末の高輝度ライトをかざしながら、瓦礫がれきを裏返したり、地面を掘り返したりしているのだ。


 ここはプラティガーが倒された場所。

 特別生物対策室によって、徹底的な遺物の回収が行われたいまでも、その残滓が稀に発見される。

 住民達はそれを加工して売り払い、日々の糧としているのだ。

 つまりは――生成前の粗悪品ティガーライトの出所である。

 だから、なんの呵責かしゃくも浮かばない。


 私はバッグを開けて、中身を取り出す。

 ゼロ号スーツをアトラクション用に改造した簡易版。

 それを身に纏い、道行く人々の前へとおどり出る。


 わっと悲鳴上げて逃げ散らかす男達。


 ……こんなことで溜飲りゅういんはさがらない。

 怪獣としての衝動が緩和されるわけですらない。

 どこまでも無意味で、むなしい行為。


「怪獣らしくない振る舞いすぎる……」


 小さく呟き、地面を蹴る。

 月面へと手を伸ばしながらの跳躍は、やがて重力へと引かれて落下する。

 地面へ背中から落ちて、大きな衝撃が走るけど。

 それは、胸中のざわめきを消してはくれなかった。


 私は、実相寺先輩に告白されたんだ。


「乙女ちゃん、俺にしておくって選択肢は――ないか?」


 フードコートで、実相寺はそう言い放った。

 同時に、梁井くんが靖子に抱きつかれ「ねー、あたしのものにならないー?」と甘言を投げつけられて。


 ……以前の私ならば、淡々と実相寺の手を振り払っただろう。

 梁井くんと靖子のことなど無視しただろう。

 けれど……できなかった。


「嫌です」


 苛立ちすら込めて、実相寺を突き飛ばす。

 男はスッと眼を細め、


「それは、他に意中の相手がいるからか?」


 などと、ごとを口にした。

 意中の相手だと?

 そんなものは、そんなひとは――


「誰かのものになるつもりはないよ」


 梁井くんが、靖子を丁寧に押し剥がしながら、困り顔で告げる。


「そんなのは窮屈きゅうくつだし……なによりぼくは」


 微かな揺らめきを帯びた彼の眼差しが、私を捉えた。


「怪獣が、好きなんだ」


 それで終わりだ。

 今日の出来事はこれでおしまい。

 私たちはその場で解散して、家に帰って。

 そして寝付けなかった怪獣が、こうやって暴れている。


 この心はなんだろう?

 楽しかった関係性の終焉を告げる終末おわり喇叭らっぱか。

 それとも、安堵のため息か。


 ……安堵。

 私は何に安心したのだろうか。

 彼が、梁井玲司が、誰かに奪われなかったことを喜んだのか?


 解らない。

 なにも解らなくて、ただ行き場のない感情があふれ出してくる。

 けれど……これ以上の無意味な行動を、私の中の怪獣は許さなかった。


 立ち上がり、帰途につく。

 怪獣スーツを脱いで。

 秕海乙女の姿に戻って。


§§


「お帰り、乙女」


 家に帰ると、パパが出迎えてくれた。

 どうやら先ほど帰ってきたところらしく、手には業務用の端末が握られている。


「こんな遅くまで、どうしたんだい?」

「やましいことは……」

「解っているよ。僕たちは君を信じている。ただ、案じているのさ、かつての君は病弱で……ああ、とても冷えただろう? ホットミルクでもどうかな?」


 パパに促されるままリビングへと入り、ソファに腰掛ける。

 差し出されたマグカップを受け取った。

 ……温かい。


「パパは、こんな時間までお仕事?」

「これでも大企業の社長だからね、じつは忙しいんだよ」


 ウインクを一つ、飛びきりの冗談でも口にするようにして、彼も自分用に入れたミルクへと口をつける。

 そのまま、彼は私の隣へと腰を下ろした。


「最近、よく遊びに来る男の子がいただろう? あの子が指摘したとおり、市場に粗悪品のティガーライトが紛れ込んでいてね」

「それが事故を起こしているって、特生対でも言っていました」

「芹ヶ野くんか……彼も君には甘いな」


 口元を緩めて、それからパパは少し思案するように眉を寄せた。


「再開発地区のことは知ってるだろう? あそこからは稀にプラティガーの組織片が発見される。これをベースに、違法な携帯端末や格安家電を作ってばら撒いている連中がいるんだ」


 そんなもの、利益としては雀の涙だろう。

 あるいは、そうしないと生きていけないほど困窮こんきゅうしているのか。


「組織的な犯罪ではないと、調査部は睨んでいるようだけれどね。ただ、この粗悪品入りの端末が厄介だ。ティガーライトの性質を覚えているかな?」

「共振と、発散」

「そうだ。粗悪品が正規品と共振すると、規定値以上のエネルギーを発生させてしまうことがある」

「まさか」


 怪獣災害が、もう一度起きるほどの?


「いやいや、そんな莫大な量ではないよ。せいぜい機器をショートさせるぐらいのものだ。ただ、安全性を考えれば、当然よろしくない。火事にでもなったら大変だ」


 ……スーツが以前ショートしたとき、似たようなことを考えた。

 確かに、安全とは言い難い。


「一番重大なことはね、乙女。この違法端末を購入した人間は、それが違法だと気がつけないことだよ。言うなれば、悪意のない電子兵器――爆弾のようなものだ」


 人がたくさん集まるような場所で、機械に誤作動が起きたら。

 それは、取り返しの付かないことに繋がるかもしれない。

 だから回収を急いでいるのだと、パパは言う。


 社運に関わる重要な話を、彼は躊躇なく私へと話した。

 それだけではない。

 こんな時間までふらついている娘を、叱責しっせきさえせず、ただ大きな信頼で包んだ。

 このひとは。

 私の両親は、間違いなく善人で、よい人の親だ。


「パパは、私のことをどう思いますか?」

「もちろん、自慢の娘だよ。愛おしくて愛おしくてたまらない、大切な家族だとも」


 ……そう、秕海乙女は愛されている。

 こんなにも大きな無償の愛を与えられている。

 けれどもそれは、人間・秕海乙女に向けられた愛情であり。


 考えてしまう。

 思ってしまう。


 自分がもしも、人間であったらと。


「乙女?」

「なんでもないです」

「…………」


 彼の肩へ頭を乗せ、体重をゆだねる。

 なにも言われなかった。

 ホットミルクを飲むだけの、夜更かしの時間が続いていく。


 このまま朝が来なければいいのに。

 そんな願いは、当たり前のように叶わない。


 翌日、私は彼らとの再会を余儀なくされる――

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