第四話 彼氏って、なに?

「姫ってさー、オタクくんと付き合ってるのー?」


 靖子やすこからそんなことを言われて、私は飲みかけのイチゴミルクを吹きだしかけた。

 珍しくあちらから昼食に誘われ、中庭に出たところでの不意打ちである。

 え? マジで言ってる?

 ……何食わぬ顔でイチゴミルクを飲み下し、私はとぼけることを選んだ。


「酷い流言飛語りゅうげんひごですね」

「いっひっひー。姫はあたしの情報が嘘だって思うんだー」


 そうは思わない。

 彼女のデータはいつだって正確だ。

 けど、今回は間違っている。


「私と梁井くんは、なにもやましいことなんて」

「ねー、あたし、梁井玲司の名前なんて一回も出してないよー?」

「……靖子、嫌い」


 ぐしゃりと、手の中でイチゴミルクのパックがひしゃげた。

 学校一の事情通。

 目に見えない情報だけで生活を営んでいる娘。

 野上靖子の前で、隠し事が通用するなど、私だって思っていなかった。

 けれど、僅かひと月程度で露見するとは……。


「嫌われたくはないなー。姫とは今後も仲良くしておきたいし。うーん、この話、黙っておいてあげてもいいよー?」

「その代わりに、なにをしろというのですか……」

「脅迫されてる姫君みたいなムーブ、本当に似合うから駄目だよ」


 そういうものか。

 とかく、わざわざ彼女が話を持ちかけてきたことには意味があるはずだ。

 それも、他の誰も聞き耳を立てられなさそうな場所に私を連れてきている。

 なんらかの取り引きだと考えるのが自然だろう。


「でも、そっかー。梁井玲司ねー……」

「彼のことを知っている?」

「彼? 姫が男の人を彼って呼ぶの、初めて聞いた」


 そんなことは……たぶんない。

 パパのことだって、彼と呼んでいた、はずだ……。


「特別なんだね。大丈夫、梁井玲司本人には悪評なんてないよ」

「なぜ、そんな持って回った言い方を?」

「逆説を使いたいからかなー。姫はさ、もっと自分の注目度に自覚的になったほうがいいかもねー」


 それは、どういう?


「だって」


 彼女は眼鏡をクイリと押し上げ。

 たのしそうに笑いながら言った。


「誰にもなびかなかった学校一の美少女が、冴えないオタクくんと付き合ってるなんて、フラれた男子達にとっては絶対面白くないもんねー」

「――――」


 聞いた瞬間には、私はベンチから立ち上がっていた。

 手の中で石のように硬く圧縮されていたイチゴミルクのパックを、ゴミ箱へと投げ入れる。


「はーい、いってらっしゃいー」


 靖子に見送られるまま全速力――とはいかないので、可能な限り早足で二年三組へと向かう。

 もちろん梁井くんを助けるために。


 靖子の言葉が正しいのなら、彼はいま危機的状況にある。

 学校中の男子から袋だたきにされている彼を想像すると、どうしてだか胸が締め付けられるように痛んだ。

 おかしい、病気になど一度もなったことが無いはずなのに。


 いや、落ち着け、焦るな。

 猶予ゆうよはある。

 靖子が取り引きを持ちかけてきた時点で、情報は秘匿ひとくされており、だからこそ価値が高い。

 今のうちに梁井くんを確保、もしくは警戒するように伝えられれば、今後の危難は避けられるはずだ。

 だから、まずは急いで彼の元へ。


「――!?」


 そんな思いで廊下を曲がったとき、私は衝撃的な光景を目にした。

 ひと月ほど前に私へ話しかけてきたずぶ濡れ茶髪先輩――たしか、実相寺じっそうじとかいったか――が、梁井くんを窓際に追い詰め、多弁に話しかけていたのだから。


 そこから数分間。

 私の理性は、消失する。


「――――」


 ずかずかと二人へと歩み寄り、梁井くんの腕をむんずと掴む。

 なにか語りかけられたような気もしたが無視。

 そのまま一気に走り出した。


 校則なんてどうでもいい。

 彼を危険から遠ざけたかった。


「――海、秕海! どうしたんだよ!?」

「……っ」


 ハッと我に返ったとき、私と彼は学部棟同士を繋ぐ連絡通路までやってきていた。

 戸惑った様子の彼の両肩を掴み、私はまくし立てるように問い掛ける。


「何もされなかった? なにを言われたの? 痛いところは? メンタルヘルスはご入り用? 落ち着いて説明してくれる? ほら、ハウツー!」

「まずはおまえが落ち着け。なに言ってるか解らん」


 フーッと深呼吸。


「梁井くん、無事? あの男から、なにをされたのですか?」

「あの男? ……実相寺先輩か? いや、ぼくはただ、秕海と仲良くなるにはどうしたらいいのかって相談を受けて……」

「まさか、怪獣スーツのことをゲロった訳ではないでしょうね?」

「これでもリテラシーはしっかりしてる方で……あ」


 目を丸くする梁井くん。

 その視線は背後に向いている。

 嫌な予感。

 おもむろに振り返ると、茶髪男がいて。


「怪獣……いま怪獣と言ったな? 間違いない、そう聞こえたぞ!」


 鋭い目つきで、そんなことを訊ねてきた。

 ……まずい。

 世間の怪獣に対するスタンスは、あの大破壊を経験しても悪くはない。

 それはプラティガーが破壊のあと、ティガーライトという福音ふくいんを人類に与えたからだ。

 復興された後の生活が、以前よりもよくなったからだ。


 けれど、だからといって、怪獣をおそれるものがゼロになったわけではない。

 もしかするとこの男は、プラティガーによって酷い損害をこうむっているのかもしれなくて――


「俺は、じつは」


 しかし、そんな私の危惧きぐは。

 警戒は。

 ……まったく見当違いもはなはだしいものだった。

 なぜならそいつ、実相寺進治郎しんじろうは。


「特撮ヒーローが大好きなんだ! うぉおおおおおお! 俺も二人の会話に混ぜてくれ!」


 なんとも暑苦しい笑顔で、そんなことを宣言してきたのだから。


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