秕海乙女へ忠告した少し後

閑話 姫にちょっかいをかけるやつ(野上靖子視点)

 梁井玲司が狙われていると姫に警告した翌日。

 他ならないあたし――野上靖子は、その人物へと接触を図っていた。


 学校ではさすがに目立つため、行きつけの喫茶店へと招待すると、そいつは簡単に姿を現す。

 一見して、印象に残らない少年だ。

 身体の線は細く、とても痩せているがそれだけ。

 髪の長さも不潔に感じるほどではなく、顔色も悪くない。


 取り沙汰した特徴と呼べるものがない少年。

 あたし自らが話をするほど価値を見いだせない、どこにでもいる他人だれか

 それでもこの人物は、姫の側にいる。


 キョロキョロと入り口で店内を見渡しているそいつへ、手を上げて場所を示してあげた。

 ゆっくりとこちらにやってきた彼は、


「秕海の友達であってるか? そもそも話ってなんだ?」


 駆け引きもなにもない本題を、直球で投げてきた。

 ……ちょっとやりにくい。

 純朴じゅんぼくすぎだ。


「とりあえず座りなよー。喫茶店だし、注文もねー」


 そいつは席に腰掛け、数秒悩んだあと店員へと向かって、


「カレー、あります?」


 と、オーダーを飛ばす。

 あたしは視線を厳しくした。

 どうしてこの店で、一番あたしが気に入っているメニューがカレーだと解ったのだろうか?

 偶然か?

 それともまさか、こちらが香りのよいものを好んでいるところまで調べが付いている?


 だとすれば、とんだ食わせもの。

 やはり呼び出して正解の、要注意人物だ。

 調査の結果、彼の家業は非常に危険だ。出来れば敵には回したくないが……。

 などと、そんなことを考えているあたしのまえで。

 梁井玲司は届いたカレーセット用のスプーンを手に取り、


「やっぱりカレーだよな、緊急時にスプーンでジュワだ。両目に当ててもいい」


 言葉の通り、片目にスプーンを、もう片方の目を平手で塞いで見せた。

 ……驚くべき挑発である。

 この男、私が見えないものに価値を見いだしていると完全に理解しているのだ。

 でなければこの状況でこのような言動をする理由がない。

 なんて危険なやつ!


「改めて、おまえが秕海の友達であってるか? ぼくを呼び出してどうしたいんだ?」


 届いたカレーには手もつけず、両目を覆ったまま問い掛けてくる梁井玲司。

 私の顔色を見なくても心を見透かせるという挑発か?


 だが、問い掛け自体はどこまでも直球。

 こちらの内心を揺らしたいのがバレバレで、さすがに冷静さをあたしも取り戻す。


「たいしたことじゃないんだけどねー。梁井っちは姫のことどう思ってるのかなぁーって」

「姫? ああ、秕海ね。まだ憧れが勝ってるかな」


 そうだろうとも。

 姫にはカリスマがある。

 物資的な世界にとらわれず、人や事象をきつける強さ。

 あたしはそれを、高く買っている。


 十一年前、永崎を襲った怪獣災害を、あたしは知らない。

 丁度おばあちゃんちに帰省していて、他県にいたからだ。

 帰ってきたら焼け野原になっていた我が家を見て両親はたいそう嘆いたが、あたしは逆に重大な知見を得た。


 あらゆるものは、いつか壊れる。

 どんなものも、必ず失われる。

 あの日以来、野上靖子は形を持たないものにこそ価値を見いだした。


 即ち取り引き。

 あたしはす全ての取り引きを愛している。

 金銭の有無にかかわらず、それは無形の信頼によって成り立つ、この世で最も普及した約束事だからだ。


 約束はとうとい。

 反故ほごにすることが容易いからこそ、その遵守じゅんしゅに価値が生まれる。


 この信条のお陰で、人脈作りや電子素子の有利性に早く気がつき、たくさんの会社の社長さんや政治家と繋がれた。

 既にあたしの将来は約束されている。


 学校でも情報をやりとりして人脈を操作できているし。

 だからこそ、秕海乙女につきまとう存在を看過かんかできないでいた。


 姫は、あたしが出逢ってきた人々の中で、一番見えない輝きの強い存在だから。


 ゆえに、この男のことを知らなくてはならない。

 経歴や過去などではなく。

 いま、なにを考えているのかを。


「姫ってさ、危ういんだよね、薄氷はくひょうの上を歩んでいるって言うか、細い鉄骨の上をいつも命綱無しで渡ってるようでさー」


 これは本心。

 彼女のカリスマは、崩壊と常に隣り合わせだ。

 もっと厳密に言えば、姫がその気になれば、どんな関係性だって壊せてしまうだろう。

 それだけの強さがあり、多くの人間に愛されている。


「だから、誰かが支えてあげなきゃだよねーって思うわけなんだけど……君は、どう思う?」


 ……こっちは半分本当で半分嘘。

 姫は自己完結しているから誰かが支える必要なんてない。

 あの異端にして無敵の精神に手を貸すなどおごり以外のなにものでもない。

 それゆえに、孤高となる可能性をいつだって秘めているのだけど。


 あたしにはそれが解る。

 けれど、こいつにはきっと解らないだろう。

 さあ、どう答える?


「つまり、おまえはこう言いたいのか」


 梁井玲司が、両目のを外してこちらを見る。


「あいつにたくさん干渉してやれって」


 あたしは笑顔を浮かべるに留めた。

 すると彼は真剣な表情になって。


「あいつの友達であるおまえが、もっと秕海を支えるべきだって考えてるんだな?」

「男子はさー、女子がみんな仲いいって思う?」


 真っ直ぐな問いに、あえて明後日の答えを返す。

 もっと迷わせようと思ったのだ。

 事実、彼は困惑したような顔になった。


「人によるだろ。でも、よく一緒にいるなとは思うぜ。あれを仲がいいというなら、そうなんだろうけどさ」

「違うよー」


 あれはただの集まりだ。

 女子という巨大な団体があり、そこには見えないルールが存在し、ガッチガチにこちらを縛り付けてくる。

 異端者を許さず、同調こそをよしとする緩やかな戒律かいりつ、あるいは不可侵協定と呼べるもの。

 それが女子の団結の正体だ。

 姫は……あんまり解ってないみたいだけど。


「んー、本当に仲良くなれる相手って、学生のうちに片手で数えるぐらいしかできないんだよね、女子って」

「そうなのか」

「そうだよー」


 あたしは、姫とそんな関係でありたいと思っている。

 だから、目の前のこいつを試す。繰り返し、何度も。


 姫が。

 秕海乙女という絶対が。

 あんなにも……。

 あそこまでになってしまう相手が、悪党じゃないか確かめるために。


「だからさー、君は姫のことをいっぱい助けてあげてよ。姫って結構寂しがり屋だし、ショートメッセージでいっぱい連絡とって、毎日顔を見せてあげてさー」


 無論、これは全て逆効果。

 そんなことすれば、姫はたちどころにこいつを面倒だと思い付き合いを切り上げるだろう。

 表面上愛想がいい彼女だが、割と根は怠惰だから。


 ……そう、とどのつまり、あたしはこいつが姫に嫌われるところを見たいのだ。

 安心したいのだ。

 一番大切なものが誰の手にも渡らないと確信したいのだ。

 そういう……嫌なやつなのだ、あたしは。

 だから、


「とりあえず、今すぐメッセージ送ってみたらー?」


 やれ、梁井玲司。

 破滅の一歩を踏み出せ。


「それが、人間同士の心遣いってやつだよー」

「…………」


 彼は、あたしの言葉を最後まで聞き終えて。

 一言も、一切の反駁はんぱくもせず静聴して。

 突然、ニカッと笑ったのだ。


「え、なになにー?」

「たいしたことじゃない。ぼくにはちょっと、人間の心遣いってのは難しいなって思っただけだ」


 それは。


「どっしり構えてろよ、野上」


 梁井玲司は。

 こちらを真っ直ぐに見詰めて――思えば一度も視線を逸らすことなく――告げた。


「秕海は、大丈夫だ」


 え?


「こんなこと、ぼくに言われたくはないと思うんだが……秕海って、たぶん自分のことが好きじゃないだろ?」


 確かにそうだ。

 彼女は自己肯定感が低く、自責的な部分が多い。

 設定の過積載などと呼ばれても成立するのは、その矛盾を自分自身が嫌っているからに他ならない。


「でも、周りのやつとか、世の中の出来事とかをうらんだりしないじゃん。あいつは世界を否定しない」


 だって、彼女は強いから。

 自己完結していて、そんな必要なんてないから。


「もしもだぜ? 自分が大嫌いだったら、許せないぐらい己を憎んでいたら、きっと世界中の全部が憎くて不快でたまらなくなるんだ。壊すとかさ、遠ざけるとかじゃなくて、なくしてしまいたいって思うんだよ、自分ごとな」


 でもと、そいつは否定する。


「秕海はそうじゃない。それってさ……野上みたいに、あいつを心配してくれるやつがいるからだと思うんだよ」


 心配する。

 それは、見えない力だ。

 形を持たないけれど、確かに世界へ影響するもの。


「実際、野上はこんな風にお節介焼いてるんだろ?」


 そいつはなにも解っていなかった。

 こちらの言動を見抜いているわけじゃなかった。

 けれど、だからこそ真っ直ぐに。

 真摯に信じてくれたのだ。

 あたしが、秕海乙女を案じているはずだと。

 だから彼女はあんなにも強いのだと。


「だからさ、絶対大丈夫!」


 そういって、サムズアップをしてみせる彼。


「約束するよ、ぼくもなにかあったら、きっと手伝うからさ。だから、あいつが自分から助けてって言うまでは、自由にさせてやって欲しいんだ」

「……あー」


 参ったな。

 なんて眩しい。


「約束……約束かー。そんなこと、言われちゃったらさー」


 あたしの方が、ポンコツになってしまう。

 彼は本気なのだ。

 姫は本当に大丈夫なのだ。


 きっと秕海乙女を心配する必要なんてなくて。

 たぶん、このひとなら。


「……姫のこと、よろしくね」

「うん? おお」


 気が付けばカレーを食べ始めていた彼。

 あたしはなんだか可笑しくなってきて。

 声に出して、笑った。


「なんで笑うんだ?」

「んー、ご同輩をみつけたからかなー。君、じつは事情通でしょー?」

「……親のすねかじりなだけだよ。二人とも法の番人でね」

「それで真っ直ぐなんだねー」


 彼が清く正しいかどうかは解らない。

 けれど……。

 信じてみようと思う。

 任せてみようと思う。

 あたしの大事な親友を。


 だから、梁井っち。


「なにかあったらさー、あたし、相談に乗るよ。いっぱい頼ってねー」

「そりゃあ助かる。じゃあ、早速だけど教えてくれよ、おまえの電話番号」

「……いいよー」


 それは、怪獣災害を経て、初めて損得抜きで行うアドレス交換。

 敵だと思っていた人物と交わす――


 値千金の、やりとりだった。

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