第六話 黙っていても伝わるって、なに?

 口を利かないというのは、我ながら子どもじみた考えだと思う。

 毎日のように土蔵――私たちの工房を訪ねてくる梁井くん。

 破壊衝動を再認知して以来、私は彼と言葉を、一切交わしていない。


 それでもスーツの製作はとどこおりなく進み、私は演技の指導を受け続ける。

 彼はこのことにまったく疑問を感じていないようで、一方的に解説や指導をして、空いている時間はスーツの改良と、それに関わる資料集めに奔走ほんそうしているのだった。


 繰り返すが、一言も喋っていない。

 なのに梁井玲司という少年は、こちらを気にかけるどころか、学校では実相寺じっそうじと談笑にふけったりしている。


 壊したい。

 揺らぎ、あふれ返りそうになる衝動。

 同時に、奇妙な炎が胸中に灯っていることにも気が付く。

 普段からずっと抱えている、怒りにも近いなにかは、ゆらゆらと不安定に瞬きながら、着実に私の内部をその色に染め上げていくのだ。


 あるいはこちらも、怪獣としての衝動だったのかもしれない。

 そんなことすら思い始めていたある日のことである。


 放課後、私は怪獣スーツを試着しようとしていた。

 幾つかの改良を施された初号スーツは、努力すればひとりでも着付けられるほどの発展性を獲得していたのだ。


 マスクをかぶり、三重になっている背中のファスナーを上げる。

 自分の外枠が正しい形になる、その全能感にも近い充足。

 チロチロとくすぶっていた衝動が、僅かながら収まってくれる。


 スーツ内部のマウントディスプレイを起動。

 事前に装着していたインカムを介して、梁井くんのPCにリンク。

 頭部に仕込んだ光学装置で、外部の映像を取り込み視野を確保。

 同時に外側から撮影中の俯瞰図ふかんずを見詰め、全体の現状を把握。


 大きく深呼吸。

 呼吸は肩と全身を使って。


 踏み出す。

 人の足が前へと出るようにではなく、骨格から違うものが地を蹴り、足の裏をしっかりと地面から離し、ももを上げて踏み出すように。

 ずしんと、幻聴が聞こえるほど重々しく。


 数歩繰り返し、首を左旋回させながらゆっくりと空へ向ける。

 同時に顎が開くように機械を操作。

 咆哮の代わりに、小さなモーター音が響く。


「――すごいや、秕海」


 突然、そんな声が聞こえた。

 入り口を見遣ると、こちらへ歩み寄ってくる梁井くんの姿があって。


「ひょっとしてめっちゃ練習し――た!?」


 衝動が、私を走り出させていた。

 私は彼へと突進する。

 本気の本気なら、分厚い鉄筋コンクリートの壁だってぶち抜ける突進。

 それを彼は、


「へぁ!」


 何を血迷ったのか受け止めようとした。

 着ぐるみの肩部へ両手を当てて、そのまま数メートルもズリズリと後退。

 けれど結局耐えきれず、頭から背後へと倒れる梁井くん。


「いっつつつ……」


 私に押し倒された彼が、顔をしかめる。

 サーッと脳裏が冷たくなった。

 胸中に、刺すような痛み。


 ああ、終わった。


 なにも解らないけれど、私はやってはいけないことをやってしまった。

 彼の息づかいが、マスクでへだてられていても聞こえてくる。

 そこに含まれるのは恐怖――


「いまのは真に迫ってたな!」


 などではなく、興奮に彩られたものだった。

 ……なぜ?


「怪獣の全力疾走は特撮の花だ。ぼくには見えたよ、踏みしめた地面から巻き上がる土砂の幻覚を」


 なぜ、君は。


「あの夜もこうだったな。ぼくはおまえを受け止めようとした。お約束なんだよ、怪獣の突進チャージこらえきれず相撲みたいに押し切られるシーンってのは。あれ、ずっとやってみたくてさ、今日は上手くいってめっちゃ嬉しい」


 どうして、梁井くんは。


「おまえのおかげだ、秕海。おまえが、すっごくがんばって怪獣の動きをマスターしてくれたから……いや、スーツを着ていても自在に怪獣そのものへとなれていたから、ぼくは夢を一つ叶えられた。ありがとう」


 笑っていられるの……?


 私は、ひとつ間違えば君に大怪我を負わせていたかもしれないのに。

 衝動に任せて荒ぶってしまって、とても危険なことをしたっていうのに。

 だというのに、なぜ?


『……なぜ』

「うん?」

『梁井くんは、いつも通りにしてくれるのですか……』

「変なこと聞くやつだな」


 ディスプレイに映る彼の顔は、とても不思議そうで。


「そんなのぼくが、おまえの友達だからに決まってるじゃないか。友達と遊ぶのは、楽しいだろう?」

「――――」


 ゆっくりと、私は起き上がる。

 それから、彼へと向けて手を差し出す。


「お、サンキュー」


 手を繋ぐ。

 怪獣と、人間が。

 初めての夜にはできなかったけれど。

 今度は、確かに。


『梁井くん』

「今度はどうした」

『スーツ、耐水仕様にしてくれてありがとう』

「おまえの気分次第では川とかに入るかもしれないし、プラティガーはやっぱり海から現れるものだし、当然だよ」


 そうじゃなくて、いまの私の顔を、見せなくて済んだから。

 だから、ありがとう。


『……それから、最近ずっと口を利かなくてごめんなさい』

「なんで謝るんだ?」

『……怪獣でも解る人間シリーズ。会話は人類にとって必須のコミュニケーションで』

「おまえは怪獣じゃないか」


 ……え?


「黙ってても充分伝わるよ。当たり前だろう? 特撮怪獣は全身の表情で語るものなんだから」


 それは、つまり。

 普段の私が。

 スーツを着ていない、心からの表情なんてほとんど作ったことがない私が。

 彼には内心のほとんどが、筒抜けであることを意味しており。


『殴ります』

「なんで!?」

『忘れるまで、殴ります!』


 私は両の拳を振り上げる。

 笑って逃げ出す彼が、思い出したように言った。


「そうだ、聞いてくれよ秕海。最近ずっと実相寺先輩と話しててさ。おまえとも相談したかったんだが」


 土蔵の中を逃げ回りながら。

 彼は楽しそうに、私を誘うのだ。


「怪獣ショーをやってみないか? ぼくら自身の手で!」


 この数秒後、私は梁井くんを捕獲し、気の済むまで演技のどこがよかったのか問い詰め。

 そして彼らの提案を受け容れたのだ。


 かくして、私は舞台に立つ。

 初めての、スーツアクターとしての舞台に。

 それはなんだか。


 じつに悪くない気分だった。

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