第五話 プールで感電って、なに?

 映像は白黒で、とても古いものだった。

 彼曰く、


「歴史的な大傑作。この作品がなければ、この国で怪獣という概念が広がることすらなかった」


 と説明してくれるのだけど、よく解らない。

 画面では俳優たちが沈没した船についてやりとりをしており、それは非常に切迫感に満ちているのだが、内容が古すぎるのと早口すぎてどうにも興味が持てない。


「怪獣が出るところまで早送りしましょう」

「しない」

「でも、目的は怪獣を見ることでしょ? 怪獣は無意味なことをしないのです。レッツ倍速!」


 この映画は、スーツのデザイン資料だ。

 ならば怪獣だけを見ればいいのではないかと効率的に考えたのだが、彼はやんわりと否定する


「映画は、腰をすえて視るものだよ。頭からケツまで、エンドロールの後の余韻まで含めて計算し尽くされた芸術なんだ。だから、飛ばさない」

「ふーん。でもそれって、時間の無駄じゃ」


 ないですかと言いかけて、言葉を飲み込む。

 画面を見詰める梁井くんの眼差しが、あまりにも真剣だったから。


「特撮だってそうだ。スーツだけじゃ完結しない。一つだけを追求しても駄目なんだ」


 違う。

 梁井玲司は、これまで付き合ってきた学友達と、根本のところで何かが異なっている。

 それは、いったい……。


「来るぞ」


 二十分を過ぎたところで、彼が声を上げた。

 ようやく主役が現れたのだ。

 山の向こうから顔を覗かせる黒い怪獣。

 けれど、それは一瞬で。


「これで終わり?」


 拍子抜けしてそう訊ねれば、梁井くんはニヤリと笑う。


「ああ、次の登場はもう二十分後だ。でもな、絶対テンション上がるぞ」


 彼の言葉は、はたして事実だった。

 再登場は劇的だった。


 海原が大きく盛り上がり、水面を突き破って現れる背びれ。

 大量の海水が叩きつけられて跳ね回るなか、黒く強固なウロコに包まれた尻尾が振り回される。

 ついに本土へと上陸した怪獣の、大咆哮一つ。


 ビリビリと画面内の全てが振動する。

 なるほど、たしかにすごい作品だと隣へ話しかけようとして。

 私は、目をみはった。


 魅入みいっていたからだ。

 梁井くんが、目元に涙すら浮かべて。


 真剣に、食い入るように画面を見詰め、感極まったように泣く。

 本当に怪獣が好きなのだと、いまの彼を見れば理解できる。


 世間からすれば、怪獣はあまり語りたくないものだ。

 それどころか、人によっては憎悪の対象ですらある。

 けれどこの偏屈へんくつな少年は、どこまでも真摯な情熱を〝彼ら〟に向けているのだ。


 羨ましい。


 ほんのひと刹那、胸中を走った感情に困惑する。

 プラティガーを筆頭とした怪獣たちに、私がコンプレックスを抱いているのは確かだ。

 けれど、どうしてそこから羨ましいなんてセリフが出てきた?


 戸惑っているうちに、画面の中の大怪獣は電車を壊し、電波塔をなぎ倒し、町並みを破壊していく。

 ぽつりと、そこで梁井くんが口を開いた。


「さっきの海から現れるシーン、昔だと感電してた」

「は?」

「初期の撮影で、海は大きなプールで再現していたんだ。けど、実際にスーツを沈めるものだから浸水して、口を開けるためのバッテリーが漏電ろうでん。中の人――スーツアクターさんが死にかけたことがあったらしい」


 なにか。

 なにか急に、コアな話を聞かされている……。


「いまの燃え上がった町並みから歩み出てくるシーンだって、怪獣の頭部に火が燃え移るってことがあったんだ。消火が大変だったって聞く」


 想像してみる。

 感電したり、燃え移った火を消したりするためにジタバタする怪獣。

 その中身である私。

 うーん……あまりに無様である。


「怪獣スーツには長い歴史がある。いまじゃ3Dが主流だけど、実写では試行錯誤の連続だった。そうしてこの映画は――この国で最初に怪獣作品を作った人は、本当にすごかった」


 どんな風に?


「ときの進駐軍が、本物の戦場で撮影した動画フィルムだって勘違いするぐらい、真に迫っていたんだ。いや、この言い方は正確じゃない。偽物の映像だと看破していながら、本物同然だと認めるしかなくなってしまった……それだけの実物感が、リアリティーがあったんだ。ぼくらが挑むのは、そんな領域だよ」


 映画を見終えて、彼はそう語った。

 もう画面を見てはいない。

 ジッと私を見詰めている。


 それは覚悟を問うているようにも思える視線であった。

 私に、あるいは自分に。

 本当にスーツの作成などできるのかと。


「君が作って、私が着るんでしょう?」


 なら。


「迷う暇なんてない。やりましょう」


 決然と告げれば。

 彼も、強く頷いてくれた。


「……ああ。ぼくらで生み出そう。ところで秕海、なにか気づきはあったか?」

「…………」


 困った。

 ほとんど彼の顔を見ていたなどとは口が裂けても言えない。


「……待って」


 違う、思ったことはあったのだ。

 彼の情熱と知識。

 間違いなくそれは、私を超えている。

 だったら――


「君の知識に私の感覚を載せるって言うのは、どうです?」

「……先達が作ってきた怪獣の形を、怪獣自身おまえの感性で再解釈するってことか? それをぼくが補助する?」

「そう。まずは背びれなんだけど、もっと尖った形になるはずです。君はあれを王冠と言いましたが……それ以上に武器なので」

「なるほど、その解釈はいいね、最高だ!」


 彼がベッドから跳ね起き、端末にデザインを描き始める。

 そう、こうやってはじまったのだ。

 私と彼の、怪獣をつくる日々は。


「あー……ところで秕海、ひとつだけ謝りたいことがある」

「なに?」

「大言壮語をぶっといて、大見得を切っておいてなんなんだが」


 彼は、頭を掻きながら。

 とても弱った様子で、こう告げた。


「スーツを作る予算、じつはぼく、まったく持ってないんだ」

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