閑話 特撮から学んだこと(2)

 本当に驚いたとき、人は悲鳴を上げることができない。

 ジェットコースターで叫べる人間は、その時点でストレスをコントロールできている。


 不意に起きた爆発。

 全身に衝撃波を受けて吹き飛ばされた人々は、ただただ唖然あぜんとしていた。

 そうして一拍あってから、誰かが呆然と呟くのだ。


「怪獣か……!?」


 ――と。

 張り詰めていた均衡きんこうが崩れる。

 人々が叫び、痛みに呻き、パニックに陥る寸前。

 ぼくと先輩は、同時に声を上げていた。


「「床に伏せろ!」」


 ハッとなったように、一同が床に這いつくばる。

 他県ならこういう真似は出来なかっただろう。

 だが、ここは永崎。

 未曽有の怪獣災害を体験した唯一の被災県だ。


 次の瞬間、爆風が頭の上を通過した。

 チキンを揚げていたフライヤーが燃え上がり、フードコートとこれに隣接する施設へ炎が走って行く。


 体感だが……これはおそらく怪獣の仕業じゃない。

 仮に怪獣が現れたことによる二次被害だとしても、重要なのは火の手が上がっていること。

 ぼくは、大声で告げた。


「火事だ! 床に伏せて、煙を吸わないようにして!」


 そう、どんなときだって重要なのは、まず現状を生き抜くこと。

 怪獣がいるかどうかは……そのあとだ。


「進治郎ちゃん……」

「大丈夫だ由々実。俺たちは、どうするべきか知っている」


 不安そうに縋り付く由々実ちゃんを、先輩は抱き寄せ。

 それからぼくを見遣った。


「非常時の対処、解るか先生」

「うん、大事なことは特撮が教えてくれた」


 頷き合って、即座にぼくらは行動を開始。

 まずは状況確認。

 火勢は強く、すでにフロア中に黒煙が満ちている。


「できるだけ頭を低くして、口元はハンカチなどで覆って」


 簡単な指示だ。

 誰だって実行できる。

 少なくとも、この県の住人なら。


「……壊れてるのか?」


 怪我人を集めつつ壁際の排気システムを操作するが、まったく反応がない。

 スプリンクラーも起動していない。


 考えられる線としては、電気系統が異常を起こしているか、そもそもシステムの構築が上手くいっていない、だろうか。

 となれば、ここに留まるのは非常にまずい。


「先輩!」

「脱出だな!」


 互いに考えていたことは一緒だったらしく、ぼくは階段へ、先輩は窓へと向かった。

 エレベーターは初めから考慮に入れない。万が一のリスクが大きすぎるからだ。


 階段は……駄目。

 階下は既に火の海らしく、炎が這い上がってきている。ここへ飛び込むのは、いくら何でも自殺志願だ。

 駆け戻ると、先輩が窓際へ人を集めていた。

 どうやら救命設備が使えるらしい。


「はっはー、滑り台だ」


 バルーンを膨らませて作る、緊急用の脱出滑り台。

 彼はこれを手際よく起動させ、外までの出口を作る。

 よし、これで逃げられる。


 ただ火災が強まれば、バルーンの耐久力を熱量が超えてしまう可能性はゼロではない。

 つまり、時間との勝負だ。


「みなさん、ここから出られます! 順番に、女性やこども、怪我人を優先してあげてください!」


 無言の首肯が返ってきた。

 これがパニック映画なら、我先にと他人を押しのける人間もいただろう。

 だが、そうはならなかった。

 誇らしさを感じる。

 これも、プラティガーのもたらした光の一つだから。


「両手を胸の前でクロスして、足から滑り降りてください」


 一人目を送り出し、二人目、三人目と後に続く。

 フロアにはまだ、五十人近くが残っており、火事は上階からも迫っていた。

 焦るなと自分に言い聞かせる。

 誰もが苦しいのだ。一人がパニックに陥れば、それが伝染しないとは限らない。どれほど経験を積んでいようとも、人間である以上、精神は無敵ではない。


 ゆっくりと、遅々として。

 ひとりひとり、可能な限り全速力で。

 ぼくと先輩は避難誘導を繰り返した。

 そして、ようやくほぼ全員を退避させる。


 あとはぼくと、先輩と。

 先輩にしがみついて離れなかった、由々実ちゃんだけ。


「先輩、先にどうぞ」

「駄目だ、ここは先生が」

「そうしなきゃ、由々実ちゃんが逃げられないんだ」

「――すまん!」


 彼は大きく頭を下げる。

 即断即決、本当に清々しい男だ。


「いくぞ由々実」

「進治郎ちゃん。ごめんね付いてきて……」

「話は生き残った後でいくらでもするさ。乙女ちゃんに謝るためにも俺は死ねん! 先生、ご武運を!」


 先輩がまずは由々実ちゃんを逃がそうと、バルーンへ載せたときだった。

 ミシリ――と、嫌な音が鳴った。


 ……正直に言えば、そこからのことはよく覚えていない。

 ただ反射的に、先輩と由々実ちゃんをバルーンの中へ突き飛ばし。

 ぼくも飛び込もうとした。


 だが、天井が崩落ほうらく

 瓦礫がれきと炎が降り注ぎ、行方ゆくえさえぎられる。

 さらに、何かが爆発。

 巻き込まれたぼくは、どこかへと吹き飛ばされて。


「――――」


 気が付けば、燃えさかる炎の中、ぼくは倒れ伏していた。

 意識を失っていた時間はどのくらいだ?

 一瞬か、数秒か、それとももっと?

 確認しようと携帯端末を取り出すが、機能しない。


 ここで、自分がまったく冷静ではなかったことに気が付く。

 そうか、粗悪品ティガーライトによる回路のショート。

 おそらくそれが、この火災の原因。


 だからこの場でティガーライトが組み込まれている機械は使えない。

 つまり、外部と連絡を取る手段がない?


 いや、考えろ玲司。

 こんな状況、何度だってシミュレートしてきた。

 怪獣映画ではよくあることだ。

 ゆえに日頃から備えてきたはず。


 無事だったバッグをあさる。

 取りだしたのはインカムと、ゴーグル。

 祈るように装着すれば、奇跡的に機能は生きている。

 骨董品のような機械だからこそ、この現状で使用に耐えたのだ。


 とにかく遠隔操作で自宅のPCを起動。

 そこからフィードバックされている携帯端末の情報を読み取り、助けを求めて――


「……秕海?」


 無数のショートメールが着信していることに気が付く。

 開封してみると、それは全て、ぼくの身を案じる秕海からのメッセージで。

 頭を掻く。

 この絶体絶命の状況で、こんなメッセージを送るのは、多分死亡フラグとかそういうものだろうけれど。


「悪い秕海」


 逃げ遅れた。


 そう返信した直後だった。

 一件のメッセージが、ぼくの元へ届く。


『いまから行く』


 不覚にも。

 本当に、無意識に。

 口元がつり上がるのを、ぼくは止めることが出来なかった。


 いっそう強まる火勢。

 立ちこめる煤煙ばいえん

 咳き込む喉と、ジリジリとあぶられて汗すら出なくなる身体。

 それでも諦めない。

 なぜなら――


「怪獣が、来る」

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