5 ホームズは実在した!?
「ちょっと話がある。入っても?」
扉を開けた先に立っていたのは、ホームズとアニーだった。
ホームズの顔はやけに真剣で、満腹感でぼーっとしていた俺の頭も一気に覚める。
「良いですよ……?」
そう言うと、俺はホームズを中に招き入れた。
「で、どうしたんですか?」
「いや、少し心配になってね。君が一番なんというか、危ないと思ったから」
危ない……? 何の話だろうか。そんな雰囲気を察してか、ホームズは話し始めた。
「さっきの男の言っていたこと、わかるかい?」
「ええ、まあ……魔王を討伐がどうとか」
「正解だ。じゃあ君は何か、今の時点でできることはあると思っているかな?アニーに聞けば、彼女は一応独学ではあるがある程度の武器が使えるらしい。男性一人を相手取ったこともあるそうだ。僕も一応武術の心得がある。君にそれはあるかい?」
「あ、えーと……それは……」
「はぁ、やっぱりそうか」
ホームズは俺の部屋の椅子に腰掛けながら、話を続ける。アニーはソファの方に座るようだ。
「君は、多分僕やアニーの体に強い人格が移るためにあえてその……」
ホームズが何かを言おうとして、言葉を詰まらせている。言いたいことはわかる。
「太ってるってことですよね」
「そう、だ。気にしていないならいいんだけれど」
俺が告げると、それに安心した様子でホームズは笑った。
「そう、あの男は弱い体に弱い人格を移す。そうやって大幅に弱い個体を作り上げることで、強い個体をさらに強くしようと考えた……そう考えるのが一番妥当なんだよ」
なるほど。確かにそれならばなんで俺みたいな人間が異世界に生まれ変わったのかもなんとなく辻褄がつく。
「もちろん全く別の意味かもしれない。僕の推理なんて完全に証拠が揃うまでは当たらないことの方が多いからね」
深刻な顔をしてホームズは言う。
「そんなことですか」
「そんなこと、そうか。そう言い切れる君は僕なんかよりも本当に強いのかもしれないね」
「いや! 本当にそんなことって思ってるんですよ。どれほど太っていようと、どれほど動きが制限されていようと、俺はちゃんと呼吸ができて、ちゃんと食事ができる。それだけで十分嬉しいんです。……あの人はハズレって言ってましたけど、俺にとっては大当たりなんですよ。今」
「そうか。なら……なら良かった。もし今後助けが必要になったら呼んでくれ。いつでも助けに行くから。それに、君は本気で魔王討伐を目指さなくてもいい。僕とアニーにあの男は期待を寄せているのだからね。と言っても、ある程度は努力を見せないといけないだろうけれど」
優しい顔でホームズは言うと、俺をぎゅっと抱きしめた。誰かに抱きしめられたことなんて、何年ぶりだろうか。人の体温がここまで暖かく感じた抱擁は何年ぶりだろうか。これが夢ではないと深く願うほどに、その抱擁は暖かかった。
「ところで、詳しい自己紹介がまだだったね」
「あ、それ私も気になってました」
どうやらアニーもあまり何も聞いていないらしい。
「僕はホームズ。シャーロック・ホームズ。探偵をやっている。いや、いた、と言った方が正解かな。とある事件で犯人を追っている最中に高いところから落ちてしまって、死んだと思った。なのに、気がついたら今、全く違う人物になっていたわけさ」
シャーロック・ホームズ、読んだことはないけれど、創作の中の名探偵ということだけは知っている。さっきダイニングで名乗った名前は、本当に彼の本名なのだろう。
彼が自身をホームズだと自認している人物でなければ、だが。
「でも、シャーロック・ホームズって実在しない人なんじゃ……」
アニーも俺と同じような感情を抱いているようだ。
「ん? 不思議なことを言うんだね。僕はしっかりここに居るし、僕自身が僕をシャーロック・ホームズだと自認していることは間違いのない事実だ」
「でも、私の中のシャーロック・ホームズは小説のキャラクターで……」
「お、俺もそうだって聞いたことがあります。あんまり本は読めなかったんですけど、昔のロンドンでなんか活躍してた、みたいな……」
俺たちの発言にホームズは不思議そうに首を傾げる。
どうも明確に齟齬があるようで、こちらの話をホームズは受け入れ難いようだ。
「いや、僕は確かにロンドンで探偵をやっているけれど、僕と同じ名前の探偵が出てくる小説なんて聞いたことはないな……。とは言っても信じてはもらえないか。何か証拠を……そうだね、きみ、ちょっと良いかな?」
ホームズは俺を指さしてきた。
「なんでしょうか……」
「いや、ホームズの
ホームズがにっこり笑う。
「そうだね、君は多分、若くして難病だった。僕と同じであればそれが原因で死んだのか、あるいはそれ以外で死んだのか。そこは詮索しないけど、それは間違いないね。僕が心配している理由もそこだったり」
「な、なんでわかるんですか」
俺の動揺で女の子も間違ったことを言っていないということに気がついたのだろう。驚いた表情でホームズを見ていた。
「まず、さっきダイニングに向かった時だ。君は最初に腰のあたりで何かを掴もうとしていたね? まあそれだけで判断したわけではないけれど、あの高さのものを掴むのであれば、成人の身長に換算すれば歩行訓練に使われるリハビリ用のバーが考えられるね。もちろん杖なんかもあるけど、それなら体の重心は左右に偏る癖がついていてもおかしくはない。さっき走っている様子を見る限り、そんなブレは見られなかった。むしろ動き慣れていない、あまり走り慣れていない人の動きだ。これを合わせれば、歩行が困難な障害を抱えていた可能性がある」
立板に水を流すようにつらつらと捲し立てるホームズの推論に、俺も女の子も瞬きをするしかなかった。
「でも、走る前に何かを掴もうとする動作をする人ならたくさんいるんじゃない? たとえば……あんまり上手い例えじゃないけれど、リレーの選手とか」
「良い推論だねアニー。だけれどそれもあり得ない。短距離走なら走る時に地面にしっかりと足を着地させることがマストであるとされているし、長距離の選手なら安定を求めた走りをするはずだからあんなにも無駄な動きで走ることはない。どのスポーツでも同じことだね」
俺ですら知っているシャーロック・ホームズの名シーンがある。握手をしただけでワトソンが軍医であり、従軍から帰ってきたと判別したシーンだ。
今のホームズの語りはまさにそのシーンだった。自分の持ちうる最大限の情報をもとに、彼は俺の素性を当てて見せたのだ。
「すご……。ほとんどそうです。自分は難病で、今こんな体なのがあり得ないくらい骨と皮だけでした。相撲を見てたんである程度この体でも動けていた気がするんですけど、そんなことなかったですね」
「スモウか、日本のスポーツだね。僕もあの体幹の強さはバリツに取り入れたかったんだ」
完全に俺はこの男の子をホームズだと信じ切ってしまった。まあ、ホームズ本人ではなかったにせよ、彼と同じレベルの推理力を持っていることは確かだ。ならばそれで良い。
「あ、じゃあ流れで俺の自己紹介もしておきますね。
ホームズと違い、俺の名前なんて世間一般に知られているものでもない。ただの冴えない病気で一生を終えた青年だ。
そう思っていたのに、返ってきた反応は二人とも驚愕のそれだった。
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