36 月夜に想う死出の旅

 あまり考えていなかったが、こうやって見るとこの世界にも月があることに少し驚いてしまう。

 当たり前だが眼前に広がる景色には誰もおらず、広い芝生が続いているだけだ。そよ風のような夜風が頬を撫で、髪の毛を揺らす。

 ひどく疲れた気がする。睡眠は十二分に取れているし、空腹というわけでもない。ただ、情報過多によって頭の中が疲れたような、そんな気分だった。

 本当にムトは死んでしまったのだろうか。そんなことばかりを考えてしまう。レイラーニだけが言っていることではあるのだが、そのために裏どりをして本当にムトが死んでしまったのだという事実を突きつけられるのは嫌だ。

 それに、そんな嘘を言ってまで誰の何に得があるのかもわからない。つまりまあ、死んでしまったことは事実なのだろう。ゆっくりと涙が溢れ出てくる。

 俺がもっと強ければ、そんな後悔がずっと俺の背後に付き纏ってくるようで不快だ。

 涙が溢れてくるのに、それを止める術を俺は知らない。誰かが死ぬことなんて日常的にあった場所にいたはずなのに、誰かが死ぬことを知らないまま育ってしまったせいだ。喪失を知らずに誰かの手からこぼれ落ちた人間が初めて感じる悲しみはダイレクトに心を揺さぶってくる。

 ぎゅっと拳を握りしめる。魔物を殺すことにまだ躊躇いがないわけではないが、それでも誰かの命が奪われてしまうのであれば殺すべきだ。そんな邪悪な考えが俺の中に渦巻いてくる。

 安易に考えるべきことではないことくらいわかっているのに、生か死かの二択を世界は俺に迫ってくるのだ。今日の試験は召喚獣だとわかっていたから遠慮なく攻撃できたが、あれが本当に魔物でも俺はこれから気にすることなく攻撃していくのだろう。

「なーに悩んでるのかな?」

 後ろから知らない男の声が聞こえ、俺は咄嗟に涙を拭きながら振り返った。立っていたのは銀髪の青年。スーツのような服を身に纏い、胸にはロンギヌスのエンブレムが刺繍として描かれていた。

「あの、どちら様ですか……」

 見覚えのない青年は俺の質問に答えることなくツカツカと横に歩いてきた。

「本当に覚えてないかい?」

「ええ、全く……」

「へぇ、同じところで食事をした仲なのに?」

 同じところで食事、と言われてもそんな相手にこんな男がいた覚えはない。ムトと暮らしていた時には来客なんてなかったから……あ!

「え、もしかして、ホームズ!? なんで、屋敷で全員死んでて……」

「あはは、君が馬車に連れて行かれたあと、僕たちは僕たちで色々あったんだよ。って言っても僕は元々ある程度武術の心得があったから、先にこっちに来させられたってわけ。君がいるって聞いて走ってきちゃった」

「へぇ、すごいですね。俺なんてこの前来たばっかですし……その……」

 やばい。また泣きそうになってきた。

「あぁ、僕も昨日聞いたよ。気づかなかった自分を恥ずべきだ。本当に」

 ホームズのつけている手袋が擦れる音がする。

「それに……残念だったね。亡くなった人、君の師匠だったんだろう?」

 信じたく無いと思っていたことを突きつけられて、俺の目からまた涙が溢れ出す。

「あぁ! ごめんごめん。話変えようか。そういえばヤマトくんは今どうしてるの? 兵士になる……ためにはバインハルト侯爵の紹介状が必要だったはずだけど」

「あ、一応無理ってことになったんで、冒険者をやろうかなと」

 俺はこれまでの経緯を説明した。

「なるほど。それは確かに大変だ。それにしても三ヶ月の履修か……ちょっと待って」

 ホームズはそう言うと、耳に指を当てて何かを唱え始めた。魔法、だろうか。少し青白く指先が光っている。

「うん、連絡は取れた。あの講習、いわゆる子供向けのものだからなんとかなると思ったけど、案の定なんとかなったみたい」

「つまりどういうことですか」

「講習を受けなくてもCランクの試験が受けられるってことだよ。そういう風に僕が話を通した。今、まさに」

 ホームズはピースサインをこちらに差し出してくる。

「でも、どうやって……。それこそホームズさんなんかは今、そのロンギヌスでしたっけ。そんな立場だからある程度信頼はされてるでしょうけど、俺なんかは全然ですし、それにアニーがあんなことになったのになんで」

「あはは、それくらい僕が信頼されてるってことさ。それよりも、少し辛いだろうけれどそのことについて話してくれないかな。アニーって僕たちと一緒にこの世界に来た女の子だよね?」

 急に顔つきが変わったホームズに驚いたが、俺はゆっくりとあえて伏せていた部分を語り出した。

「なるほど。そういうことが。僕たちの方でも調査を進めていてね、ある程度犯人は絞れていたんだけど」

「犯人ですか……?」

「ああ、過去に同様の手口で魔王の配下が村をいくつも潰した事例が残っていたからね。その魔物は倒されたはずなのに、同じ手口が再発してこっちも混乱していたんだ。ただ、それにも説明がいく」

 顎に手を当ててホームズは考え込み始めた。

「とりあえず、まだ色々と推論の域を出ないから話せることは少ないんだけど……そうだね。彼女はもう人間じゃ無いと思ってもらった方がいい。次も君を狙ってくるかもしれないけれど、その時は遠慮する必要はない」

「人間じゃない……?」

「ああ。魔王直属の配下六人集の一人、人間道のキセル。いや、今は人間道のアニーか」

 魔王直属、だからあそこまで強かったのか。

「なんでそんなことを俺に?」

「いや、これから先彼女のことを知っている君を、彼女は積極的に狙ってくるかもしれない。その時に君が何か変な気を起こさないように、って思ってね」

 ホームズの銀髪が夜風に揺れている。その顔は少し心配そうだ。

「これからも少しずつ調査はしていくけど、ヤマトくんに話せることは少ないかもしれない。でも、君は安心して生活してほしい。魔王のことは僕達に任せて、君は第二の人生を謳歌した方がいい。そう思って今回話に来たんだよ」

 後ろから若い男の声が聞こえてくる。

「ホームズさん! そろそろやべえっす!」

 ホームズはその声に反応して踵を返すと、「じゃ! 頑張って!」と言いながら手を振って立ち去っていった。

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