6 自分の存在位置
「錦戸大和って……あの?」
ホームズが訝しげに問うてくるが、俺には何がどういうことか全くわからない。アニーの方も同じ感想のようだ。
「え、どういうことですか? 俺はそれこそホームズさんなんかと違って、本当にただの一般人なんですけど……」
「僕もただの一般人だよ。でも、君は違う。僕の世界では君は漫画の登場人物だ」
「わ、私もそう。どんな作品だったかはちょっと覚えてないけれど」
「内容に関しては僕が覚えているよ」
ホームズが手を挙げるが、本当に意味がわからない。
「いや! 俺は本当に普通の一般人でしたし、ただ名前も知らないような難病で死んでしまっただけと言いますか」
俺の言葉にホームズは逆に言葉を詰まらせる。何か言いたげだが、それを言い出すことをためらっているようにしか思えない。
「……言ってもらって大丈夫ですよ。大体何が言いたいかはわかりますし」
その言葉にホームズは逡巡を見せ、口を開いた。
「彼女が知らないようだから、僕の口から。僕の知っている限り、作品の中で難病を患っている君が何者かに殺されるところからスタートする、そんな作品の“殺された難病の被害者”が君だったはずだ」
サーっという血の気が引く音が、まるで耳鳴りのように鼓膜の近くから聞こえてくる。が、その事実に俺は少しだけ安心の気持ちを持ってしまった。多分、こうだと思ったから。それがどう作用したかははっきりしないけれど、悪い方向に向かうとは思えない。
「気を確かに持って欲しい。僕は全ての結末を知っているけれど、それを君に話すほど薄情ではないから」
ゆっくりと肩に手を当てて、ホームズは俺が過呼吸にでもなることを予防するように深呼吸を促してくる。わかっていても、予測がついていても少し動揺してしまう事実だ。口に出したくはないが、それを口に出さなければこの先の会話が続かない、残酷な事実。
「いや、大体の想像はつきますよ。僕の……家族がやったことなんですよね?」
俺の返答は当たりだったようで、ホームズは苦虫を噛み潰したような表情をしている。ベッドに座っているアニーもまた、内容は知らないようだが大体のイメージがついたようで悲しそうな目を俺に向けていた。
彼らから見れば、俺は家族から邪魔な存在だと疎まれて殺された可哀想な少年。そう映っているんだろう。
「けど、多分お二人は勘違いなさっていると思います」
「勘違い?」
「俺は……殺されてもよかったんです。妹はこれから中学、高校って進学して行って、今の学力を維持できるなら良い大学に入れそうってことでしたし、兄貴の奨学金も俺が死ねば返しやすくはなったと思いますし。それに……多分僕が死にたがってたことを知ってて、父と母が殺してくれたんでしょうし。助かってるんですよね! だってこんな健康な体も手に入っちゃって」
自分の手を窓に向かって掲げる。脈動する血管は健康な血液を体内に循環させている様子をありありと俺の目にうつしている。それは俺があれほどまでに手に入れたかった“健康に生きる”というありふれて普遍的で、誰しもが持つことを許されなければならない権利の象徴だった。
「バカなことを言うもんじゃない!」
しかし、ホームズはそんな俺を大声で静止した。俺の呼吸が一瞬ぐっと止まる。これまでの人生で叱られたことなんてなかったから、それが初めてのことだったから。叱られるということは怖さと優しさに溢れていて、自分をこんなにも猛省に導くものだとは知らなかった。
「僕の知っている物語では、君のことを誰が殺したかは明らかになっていなかった。君が病気で死んでしまった可能性さえ示唆されていたんだ! 憶測だけでものをいうべきじゃないよ」
優しい、しかし物憂げな目を俺に向けたホームズは、何かを言いたげに口を開いては閉じることを繰り返す。
「大丈夫ですよ。ホームズさんには申し訳ないですけど、俺は本当にそう思ってるんです」
「うん。ただ、これは僕の想像だ。作中の中で語られていた描写に、僕が肉付けしただけの、ただの妄想だ。作品の中では君の家族が君の死で幸せを手にれていた。だけれど、それで、そんなことで手放しで喜んでいたわけじゃない」
ホームズの目に怒りが浮かんでいる。
「言ったはずだ。君は漫画の登場人物だって。漫画っていうのは、そもそも創作っていうものは何も起こらずに幸せなだけで終わるものじゃないんだよ。君が死ぬのはただの物語の序章に過ぎなくて、それ以降、君の家族は君の死を背負って生きていくんだ。それがどれほど苦しいことか、君はわかっていなければならない」
しっかりと俺を見据えながら、ホームズは言葉に芯をまとわせて言う。
「……すみません」
「いや、僕も少し言いすぎた。探偵としてあるまじき行為だね。反省だ。じゃあこれくらいにして、次はアニー、君の番だね」
アニーはホームズの言葉に「もういいの?」と呟くと、ベッドの上からは降りずに話し出した。
「改めて、私はアニー。アニー・ウィルクス。私は……」
「おいおい、“ソウイウコト”はこの屋敷の外でやってくれないか?」
突然の声は、部屋の入り口から聞こえてきた。
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