14 これからの生活

 しばらくして、ミーナが二階から降りてきた。

「とりあえず干し草をある程度積んで、上に布を被せただけの簡単なベッドを作ったから、一旦しばらくはそこに寝てもらう形でいい?」

「あ、はい。わかりました」

 窓の外はもう日が落ちそうになっている。開けた場所であるおかげか小屋の周囲は月明かりに照らされてそこまで暗さは感じないものの、それでもだんだんと小屋の中も暗くなり始めているのも事実だ。

「二人とも、先に水浴びしてきて。……あ、ヤマトくんはそういうの大丈夫な人?」

「……大丈夫、とは?」

 ミーナが投げてくる大きめの布をキャッチしつつ、俺は頭にはてなマークを浮かべる。

「いや、元々病気だったりしたら、冷たい水で体を拭いたりして病気になっちゃったりしないかなぁ……って」

「ミーナ、それは大丈夫だ。ワシの見立てが正しいなら、コイツの体は丈夫そのものだからな!」

 そうなのか。自分では計り知れないが、そう言われるのならそうなのだろう。ただ、それよりもお風呂すらしっかり入ったことがないのに水浴び程度で大丈夫なのかという不安がある。気温は寒くはない分そこの心配はいらないが、自分で体を拭くんだよな……。

 目線を下に逸らすと、大きくでっぱった腹が見える。この体にはまだ慣れていないのに、綺麗にできるだろうか。

「何考えてんだ。ほら、行くぞ。ミーナ、片づけよろしくな」

「はいはい」

 俺はムトに連れられて小屋の外に出た。中からは食器を片付ける音が聞こえてくる。

 元々着るものも羽織と褌だけだったムトは早々に全てを曝け出して泉の方に向かっていた。

「ん? 何してんだ?」

「いや、すみません」

 服を脱ぐ。それだけのことがうまく出来ない。いや、できるはずなのだが、要所要所で汗で体に服が引っ付いたり、そもそも体がうまく動かずに引っかかったりで時間がかかってしまう。

「そうか。そういえばお前、今日こっちに降りてきたばっかりなんだっけか?」

「ええ、まあそうですね」

 なんとかズボンを脱ぐことはできた。この体は体幹がなく、また重心の取り方もわからない俺はこれだけで何度かふらついていた。次はシャツを脱ごうとするのだが、こっちはこっちで腕に引っかかって脱ぐことができない。

「しょうがないな」

 ザバァと泉からムトが上がり、俺のシャツの裾を持つ。

「手ぇ上げな」

 言われるがままに万歳のように手を上に上げると、ムトはそれに合わせて裾を引き上げた。脱皮のように張り付いたシャツが体から剥がれ落ちる。

 俺の体はやっと下着だけになることができ、そこから先は逆にするりと脱ぐことができた。靴も靴下も、泉のほとりに揃えて置く。

 ムトは泉に戻り、俺もそれについていく。あまり気にしていなかったが、泉の透明度は凄まじく、浅い場所であれば水底を月明かりの中でも簡単に見ることができるほどだ。

 生まれたままの姿、と言うには別人の体すぎる自分の体が水面に映る。まだ見慣れない、別人の体。

 足先から水に浸かると、そこまで水温が低くないことに気がついた。

「冷たくない……?」

「ああ、この泉に流れ込んでる川の上流にちょっとな」

 原理を説明するのが面倒なのか、ムトははぐらかしながら布で体を拭っている。俺も真似するように全身を洗い流した。汗でベタついていた身体がさっぱりとしていく感覚は好きだ。

「他人に裸を見られることはそこまでためらいがないみたいだな」

 ムトがこっちをみてくるのを俺は気にしていなかった。それが疑問だったようだ。

「まあ、見られ慣れてますからね」

「そうなのか?」

「ええ。ムトさんが明石志賀之助として生きていた頃と違って、俺が生きてた頃って人が人を助ける仕事って言うんですかね。重病人を助ける仕事の人が居たんですよ。その人に体を拭くことだったりと手伝ってもらっていたんで、その時によくみられてたんですよ。真っ裸はあんまりなかったんですけど、それでも人に見られることくらいは慣れてます」

「ふぅん。まあワシも言っても見られ慣れてる部類の人間ではあったんだが、その年齢だったらまだ恥ずかしかったんだがな。時代の差か」

 その後、泉のほとりに置かれていた桶で頭から何度か水をかけられ、俺たちは水浴びを終えた。

「あ、そうだ。服もついでに軽く水で洗っとけ。ワシのもついでに頼む。お前の分の着替えとってくるから」

 濡れた体を拭いて、ムトは干してあった別の褌をしめて小屋の中に入って行った。俺は乱雑に脱ぎ捨ててある羽織を手に取り、泉でじゃぶじゃぶと洗う。それからシャツ、ズボン、下着、靴下と順番に自分の服を洗い、岸に建てられた短い桟橋に一枚一枚かけていった。

「アレは……」

 最後の一枚。ムトの残していったふんどしをどうするか。

 洗えと言われたなら洗うべきなんだろうけれど、正直あれを触りたくはない。なにせ少し……汚れている。

 が、洗えと言われて洗わないのは弟子としてどうなのだろうか?

 相撲部屋、いや、体育会系の人の話では、こういった命令は聞き入れなければならないというのが道理らしい。拒否しても良いとは思うが、この程度もできないのかと思われるのも少し嫌だ。

「……えいっ!」

 端の方を摘んで泉の中に引き入れる。幸運なことに水に流せば汚れもあらかた流れてしまい、そこからは汚いという概念もあまり感じなくなり、他の衣類と同じようにじゃぶじゃぶと洗ってしまった。

「あ、お前全部洗ったのか。汚くなかったか?」

 桟橋にふんどしを引っ掛けていると、後ろからムトの声がした。どうやら俺が全部洗ったことに驚いているようだ。

「まあ、これくらいはしないとなって思っちゃいまして」

「がはは! そうかそうか! ほら、さっさと上がって体を拭け。着るもんというか、ワシの羽織と腰巻き程度にはなるが……」

 ムトはそう言いながら羽織と布を差し出してきた。が、いくら太っているとはいえ俺の体格は小学生のそれでしかない。

 つまりどうなったかと言えば、羽織を着るだけでもうすでにそれだけで腰巻きも要らないほどに全身が隠れてしまったということだ。

「大きすぎて逆にちょうどいいですね」

 腰巻きを手に持ったまま、俺は羽織についていた紐を結ぶ。多分ムトにとっては胸元で結ぶものなのだろうが、俺のサイズでは腰で結ぶことができた。

「似合ってるな。ツレのガキに着物を着せた時を思い出す」

 顎を手で撫でながら、ムトは満足げに語る。

 実感のなかった明石志賀之助に師事するという事実が、ここでしっかりと形になって現れた気がした。

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