幕間 “生きる”ではなく“生かされる”意味を知ること

25 旅立ちの朝は土砂降りの雨

 バインハルトの屋敷までは馬車で数時間とかかる距離だった。つまり、今の俺とムトの足でも同じくらいである。もちろん疲労は溜まるが。

「ヤマト。お前はどうしたい?」

 突然ムトが話しかけてきた。

「なんの話ですか?」

「この世界での名前だよ。ワシは明石志賀之助であり、この世界ではムトだ。お前もそうやって本名を名乗らないのか、それともヤマトのままで通すのか。四股名でもつけてやろうかと思ったんだが、あいにくワシにはそのセンスもないからな」

「じゃあ、ヤマトで」

「あいよ」

 自分の名前に好きも嫌いもなかったが、ムトがずっとそう呼んでいてくれたから俺はこの名前が好きになっていた。

 そんなこんなで、だんだんと屋敷が見え始める。到着した頃には日も翳りはじめていた。もうすぐ夕暮れの時刻だろう。大きな門をムトは無造作に開き、屋敷の中に入っていく。俺もその後についていった。

「……なぁ、お前の知ってるバインハルト邸って、ここまできったねぇ屋敷なのか?」

 庭に入って開幕一言、ムトが発した。

「いや、そんなはずはなかった……と思います。もっと手入れされていて、綺麗だったはずです」

 バインハルトの屋敷の庭は、荒れていた。芸術として理解できないそれではない。ただ、ただ数年間放置されていたような荒れ方だ。

「人の気配もねえな。こいつはどういうことだ」

 ムトは屋敷の方を見る。俺にはまだわからなかったが、ところどころカーテンがほつれていることだけはわかった。

 侯爵、爵位の最高位を持つ男の屋敷で、そんなことが起こるはずがない。

「ワシもここに来るのはお前が弟子になった時以来だからなぁ……。あの時にバインハルト様に挨拶に行ったら、もう報告に来なくていいと追い返された」

 本当に期待されてなかったんだなぁ、俺。そのおかげでこんなにも良い親方に巡り会えたのだから、感謝すべきなんだろうけど。

 それにしても、本当に人がいない。ホームズもアニーも、もう出ていってしまったのだろうか。それでもバインハルトか、あるいは屋敷を管理する人物がいるはずだ。

 庭を抜けても、誰とも出会わなかった。

「ヤマト、一度戻るぞ」

「え、わかりました」

 言われるがまま、俺とムトは門の前に戻ってきた。

「お前、さっき渡したマワシあるだろ。あれつけろ」

「え、なんでですか?」

 ムトは屋敷の方をずっと見たままだ。

「わからん。が、確実に何か良くないことが起こってることは間違いない」

「だからってマワシをつける必要は……」

「いや、つけろ。あれには特殊な魔力のこもった糸が織り込んであってな、これまでお前がつけていたマワシと違って装着していたら装着者の能力分だけ、強くなるんだよ。お前の実力によっては甲冑を着た騎士のような堅牢さにもなる」

「……わかりました」

 そんなものをつけろと言うほどに、今の状況はおかしいと言うことだろう。俺はリュックを下ろし、中から真っ白のマワシを取り出した。すでに丁寧に四つおりにされている。

 見晴らしの良い場所でマワシをつけるために下を脱ぐのは少し恥ずかしかったが、そんなことを言っている暇はない。ムトの手を借り、俺はマワシを付けた。

「マワシ以外全部脱げ。それでやっとそのマワシは効力を発揮する」

 言われるがまま俺は全ての服を脱いだ。素足に当たる草の感覚がなんともくすぐったい。

 裸になった時は流石にあった恥ずかしさはただ、マワシだけになったら消え去っていた。慣れとは怖いものだ。この世界で普通に服を着るよりも長い時間していた格好だからこそなのだろう。

 ムトも羽織を脱いだ。下にはすでにマワシをつけていた。

「じゃ、行くぞ」

「はい」

 俺はリュックを背負い、もう一度屋敷の門をくぐる。

 わかってしまえば尚のこと、人がいないことは不気味だった。服が吸い取ってくれない分、じわりじわりと背中に汗が滲んでくる。

 庭を突っ切り、屋敷の扉の前までもう一度やってきた。

「開けるぞ」

「はい」

 ムトは扉に手をかけ、ゆっくりと開いた。

「うっ……」

 その瞬間香ってきたのは、もったりとした鼻にこびりつくような異臭。

 小屋で肉を腐らせてしまった時のような臭いが、何十倍も重く屋敷の中から漂ってくる。

 そして見えるのは、死体。死体。死体。

 死因もわからないほどに腐り落ちたそれらは、床に、階段に、手すりに、窓に、柱に、扉に、壁に、倒れ伏している。まるで何かから逃げようとしているような姿勢だ。

「なんだ……こりゃ……」

 ムトも戸惑い、言葉を失っている。

「あら? 生きている人間がいるはずがないのに、人間が、しかも変態がいるわね。珍しいことだわ」

 突然の声。驚いて俺とムトがバッと後ろを振り返ると、そこには変わった形のナイフを持ち、白目の部分が真っ黒で黒目の部分が真っ赤になった女性が立っていた。

 だが、その彼女の顔はどこか見覚えがある。

 どこだ。俺がここに来て会った、それも顔も理解できるような、それでいて女性の人物(?)。……そんなの、一人しかいない。

「アニー……?」

「あら、わたくしの名前を知っているなんて……もしかしてあなた、ヤマトかしら?」

「知り合いか?」

「俺がこの体に降ろされたとき、他にも二人男女がいたんです。そのうちの一人です」

「なるほどな。おい、この状況はどういうこった。魔王と戦うはずの人間が、なんでこんなことをしてやがる」

 ムトの毛が逆立つ。怒りをあらわにしたその様子は、隣で立っている俺ですら少し恐怖を覚えるほどだ。

「さあ、なんででしょうね? って言っても、ここで問答する気はないわ。それよりやることがあるの」

 アニーの姿がその瞬間消える。

「死んでちょうだい。魔王討伐候補サン?」

 気がついた時には、俺の背中にナイフが刺さっていた。

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