24 これはただの始まりの一節
ゆっくりと時間が流れていく。目の前にはもう息をしていないメスのドラゴンと、ジタバタともがく子供のドラゴン。
「ミーナ、魔法を解除していい。あれはもうここから離れられん」
ムトが言うと、もがいていた子供のドラゴンの翼が自由になる。彼らは飛び立ちはせず、遠くで俺たちのことを眺めている。
「あれはまだ親と共生しなければならない年齢だからな。本能的にここから離れれば死ぬこともわかってるんだろうよ」
勝ったという喜びと、反撃をくらったという反省と、生き物を殺したという手の震え。そのせいで未だ立ち尽くしていた俺の横にムトが歩いてきて俺の頭を撫でた。
「よくやった。百点とは言わんが、十分な出来だ」
あぁ、そうか。不合格ではなかったか。
「ありがとう……ございます」
倒れ、地にふしたドラゴンを前にして、ムトはおもむろにナイフを取り出す。そして、鱗を一枚切り剥がした。
「これはお前がドラゴンを殺したことを示す証だ。無くさないようにもっとけ」
差し出されたそれを受け取る。きらりと光るそれは光沢があり、日の光を反射して真紅に輝いている。
「ミーナ! そっちはどうだ!」
「大収穫だよムトさん!」
後ろを振り返れば、ミーナがドラゴンの鱗を一枚一枚丁寧に剥がしていた。
「あれを街に卸せば、しばらく分の生活のたしになる。魔物から剥ぎ取ったもので、この世界で戦う奴らは装備を整えていくんだ。お前は自分が最終稽古を行っていたと思っていたようだが、それ以上の意味としてこれからどうやって生きていくかがこの稽古の意味だったわけだな」
殺す。それはつまり命を奪い取るということ。生きるからではなく、向こうがこちらに害があるから殺すということ。ただ、そのおかげで人々が助かり、そしてその先にはそれらで助かる人がいるということ。
納得していたようで納得できなかった部分が、すっと喉を通り抜けていく感覚があった。
「さ、戻ろう。あいつらもワシらが居たら警戒しっぱなしで弱っていくだろうからな」
遠巻きにこちらを眺めていた子供のドラゴンたちとドラゴンの死骸を残して、俺たちは帰路についた。
・・・
小屋に戻ると、テーブルの上には真っ白な布の束が置かれていた。
「これは……?」
「ん? 稽古が終わったからな。ワシからのプレゼントだ。本当はこういうものをまだまだ若くて未熟なお前にあげるわけにはいかないんだが」
そう言いながらムトが布を持ち、俺に渡してきた。それは見た目の割には軽く、しかし破れやすいようなものではない。
「新しいマワシだ。お前の今つけているあれ、もうボロボロだろ」
俺は外に干した自分のマワシを見た。確かにところどころほつれている。
「この世界にマワシなんてろくに売ってないからな。今お前がつけてるやつも常用してもいいが、破れた時に大惨事になる危険を鑑みたら新しくしとくのも良いと思ってな」
泣かない、そう決めていたのに、昨日寝る前にどんなことがあってもしゃっきりとした態度で終わりとしたかったのに、涙が溢れ出てくる。
「あーあー、泣くな泣くな」
俺の持っていたマワシをムトが受け取り、テーブルによけて俺を抱きしめる。水も浴びてなくて運動後の強い臭いを発している肌も、汗でベタついた毛並みも、不愉快だったのにいまは引き離せない。
涙を拭くように、俺はムトに顔を擦り付けた。ムトも抱き返されるとは思ってなかったのだろう。いつもと違い、しばらくじっと二人で抱きしめ合っていた。
「あの、良いシーンなのはわかるけど見苦しいからそろそろやめてくれないかな」
ミーナの一言に一瞬で恥ずかしくなり、俺とムトは離れた。
「あと、あんたらまだ今生の別れってわけじゃないんでしょ」
「あ、そうなの?」
「ん、いやまあ、確かにバインハルト侯爵にお前の稽古が終わったことを知らせんといかんのはある。向こうが国にお前を渡すわけだからな。あー行きたくねぇ行きたくねぇ」
なんだ、と思いつつ、俺は涙を拭いた。
「ま、それでももう私とはしばらく会えなくなっちゃうんだけどね」
ミーナは言う。
「そうだね。五年間ありがとう。ミーナ」
「あはは、やめてよそういうこと言っちゃうのはさ。こっちも泣いちゃうじゃん」
笑いながらもミーナの目には涙が溜まっている。
「さて、それじゃ日も暮れんうちに出るか」
「え、今日出るんですか?」
「残念だが、早い方がいいからな。荷物はまとめてあるぞ」
ムトが指を指した先には鞄が置かれていた。さっき渡された竜の鱗がアクセサリとして紐に繋がれている。
リュックサックのようなそれには模様が描かれている。ムトが言うには見た目以上の容量にするためのものだそうだ。開けてみれば確かに中には外見以上に物が入っていた。ほとんどが食料であったが、それ以外にも使えそうなものや着替えがいくつか入っていた。
俺はそれを背負う。せっかくだからマワシをつけて出立しようとも考えたのだが、流石に不審者すぎると言うことで服は着たままだ。
ムトは何も持たずに小屋の玄関に立っていた。
「待って」
出て行こうとする俺の肩をミーナが叩く。その手には大きな葉に包まれたパンが入っていた。
「どこかで食べて、元気つけてね」
「ありがとうございます」
そのまま別れの抱擁を交わそうとしたのだが、体からムトの臭いがするからと断られてしまった。最後までミーナらしいな、そう思いながら俺は小屋から出て、扉を閉めた。
「泣くな」
「無理だよ……」
ミーナの前で二度も泣かないと決めていたのに、最後の優しさでまた涙が溢れてくる。俺はそれを袖でぐしぐしと拭いた。
最後に、干していたマワシを畳んでリュックに詰める。何年もここにいたのに、こんなカバン一つで俺の荷物が収まってしまうなんて。
「じゃ、行くか。この森はな、入ることはできるが出るためにはワシと一緒じゃないといかん。逸れるなよ」
「何を今更」
俺とムトは森の中を駆けた。しばらくすると出口にたどり着く。見えたことはあっても、あえて踏み出さなかったそこ。そこに今日は、数年ぶりに踏み出した。
数年ぶりにみる木々の生えていない平原は森の中ほどの濃さではないが緑に茂っており、日の光を反射して眩しく光っていた。
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