2 極めて何か生命に対する祝福を感じる
バッと飛び起きた。嫌にリアルな夢を見て、身体中汗で湿っている。まるで死んでしまったような夢だ。確かに俺は病気で死にかけてはいたが、だからといってあんなにあっさり死ぬとは思えない。
ーー飛び起きた? 俺が?
この人生の中で、飛び起きたことなんて一度もない。ましてや、素早く動くことすらしたことがない。目を覚ます時は大体せきやその他様々な理由で呼吸が苦しくなった時か、あるいはそれを抑えるための薬で楽になった後の朝かどちらかである。
喉も痛くない。むしろ呼吸すると空気の通りは過去に類を見ないほど良い。まるであの苦しみは夢だったのかと錯覚するほど、今の俺は調子が良かった。
「てか、どこだここ……?」
見慣れない部屋だ。俺はさっきまで病室にいたはずで、移動したとしてもこんな場所にまで気が付かずに運ばれたとは思えない。何より、医療機械が存在しない中で、俺が生きられるはずがない。
そう思いながらあたりを見回す。豪奢な彫刻が施されたベッドに、さまざまな書籍が並べられた本棚。壁には戸棚があり、さまざまなものが飾られているのが見て取れる。
「うーん? 本当にどこだここ」
そう思いながら顎をさすって、俺はふと気がついた。自分の顎はここまで丸かっただろうか、と。こんなに自分の顎は柔らかかっただろうか、と。
いや、そんな日は一度もなかった。常にギリギリの栄養で生きており、脂肪などついたこともなかった己の体に脂肪がついている?
自分の手を見ると、昨晩の記憶が蘇ってくる。喀血した血液が指にたれている光景。その指は枝のように細く、骨と皮しかないようなものだったはずだ。だが、今のこれは違う。指の節ひとつひとつが空気を入れたように丸く、手のひらもシワひとつなくパンパンに張り詰めている。
目線を下にやれば、絶対にこれまでの人生で見ることができなかったほどに出っ張った腹と胸。足元なんて多分見れないのではないかと思うほどだ。
窓の反射を見れば、顔は今まで見た自分のどんな顔とも違うものだった。いわゆる外国人の顔といえば良いだろうか。うっすらとしか反射していないからあまりわからないのだが、髪の毛は金髪で短く切り揃えられており、目はしっかりと大きく開いている。
そして何より、結構太っている。頬にも詰め物をしたような肉のつき方であるにもかかわらず、まだ可愛らしい顔つきであると表現できるまでにおさまっているのが奇跡なほどだ。
顔つきは幼く、まだ十二、三といったところだろうか。俺がその歳の頃にはもう病院に通っており、同年代の知り合いなんてほとんど会ったことがなかったから平均がどれほどなのかはわからない。でも、明らかにこれは太り過ぎである。わんぱく相撲に出場すれば体重だけで良いところまでいけるのではないかと思うほどだ。
ベッドから降り、自分の足で歩いてみる。うん、間違いなく歩ける。これまでのリハビリとは全く違う、自重による歩きづらさはある。だが、言ってしまえばその程度なのだ。ふらつくこともなければ、数メートル歩いただけで息切れすることもない。走ることもできるし、しっかりと体が疲れを疲れと認識してくれる。
「はぁ……はぁ……なんだこの夢。はぁ……流石に理想すぎ」
そう口に出した瞬間、恐怖が襲いかかってきた。理想としている今が夢であると確認してしまえば、俺はここから現実に戻った時に絶望するのではないか。俺が見ている夢の中であったとしても、理想を知ってしまって俺は耐えられるのだろうか。
ベッドから降りなければよかった。こんな幸せを体感しなければ、俺はこれが夢であったとしても諦められたかもしれない。
そんな恐怖で俺の体が細かく震え始める。体の肉がつられて揺れる感覚が、これを夢ではないとゆっくり保証し始めてきてはいるが、こんな感覚夢の中なら作り出せても不思議ではない。
しかし、確認しないわけにもいかない。俺はゆっくりと手を頬に持っていき、つまんだ。痛みがなくとも絶対に悲しんだりしない。夢でもこんな体験ができたのだ。その幸運に感謝しよう。そう覚悟して、俺は指に力を込めた。
「いっっっっっっっっって!!!!!」
力加減というものをこれまで一度もしてこなかった俺の指は、全力で、しかも肉がたっぷりのつまみやすい頬をつまむ。その結果生じたのは、引きちぎられたと思うほどの痛みだった。
「え、夢じゃ……ない? つまりどういうことだこれ」
ほぼ百パーセント夢だと思っていた俺に、突然夢ではないという事実が突きつけられる。が、だからどういうことかという結論は出せない。
わざわざ整形手術をさせてまでドッキリを仕掛けるなんてことは絶対にあり得ないし、そうではなかったとしても、この体の軽さはまるで別人のそれだ。
本当にわけがわからない。
「確認する方法は……あるか」
俺は扉の方を見た。この部屋から出れば何かわかるかもしれない。そうでなくとも、この部屋でわかることなんて多くはないだろう。壁に並べられた本を読んでみるかとも思ったが、それほどまでに時間をかけようとは思えない。
窓はさっき見たが、この部屋は建物の三階かその程度の位置にあるようで、開けて飛び出すことなんてできるわけがない。
じっとりと手に汗が滲む。緊張もあるが、何よりもこれまでに感じたことのないほどの暑さがあった。窓の外は日光で明るく照らされており、初夏の暑さを思い起こさせるようだ。そんな時期でも俺は寒さを感じていたのに、今の体はそれを熱だと捉えている。
汗で少し滑るドアノブを掴み、俺は扉を開いた。
扉の向こうには赤いカーペットが敷かれた廊下が横に長く続いている。ゆっくりと顔を出すと、両隣の部屋からもまた、二人の子供が顔を出していた。一人は男の子で、もう一人は女の子だった。
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