病弱な俺の転生先は侯爵家の【クソデブ】三男坊でした〜相撲好きなので実質チートな上に、師匠は最強の推しなので異世界でがんばります〜

青月 巓(あおつき てん)

序章 不健康な眠りと健康的なおはよう

1 始まる時はいつも、苦しみからの解放だ

 咳が漏れるように喉から出る。痛い。裂けるように痛い。夜中に目覚めた俺が最初に感じた感情は、昨日、一昨日、それ以前、何度も夜中に感じたものと同じだった。

 これまで何年と咳と付き合ってきたが、この痛みは慣れることはないと常々感じていた。生まれた時から名前もわからない難病を患い、極端に体が弱く、苦しみが現状以下の状態になったことはない。なり得ない。こればかりはしょうがないものだ。

 手で口元をぬぐうと、窓から入ってくる月明かりで手が真っ赤に染まる。枝のような指に血液が絡まると、食べたことがなくテレビで見たことのあるイチゴのスイーツを想像する。そうしなければ痛みや鬱屈とした感情を抑えきれないからだ。

 喀血した理由は、ここ最近患った肺炎のせいだ。それまでは痛くとも血は出てこなかったのに、ここ最近は喀血してばかりである。

 血に濡れていない方の手でナースコールを押すと、パタパタというリノリウムの床をスリッパが叩く音が病室に近づいてくる音で、俺はこの苦しみがもうすぐ消えると安心した。

 病室にきたナースは大和の点滴を取り換え、俺の頭を撫でる。

「まだ十七歳なのに、大変ね」

 ナースがそう呟くが、俺は返事ができなかった。喉の痛みもあったが、他者からの憐れみが嫌いだったからだ。できることならこの撫でる手も振り払いたかったが、そんな体力すら俺の体には残っていなかった。

 結局その夜は点滴が効いたのか、ナースが去ったあとそのまますぐ眠りにつくことができた。

 気がつくと、まぶたの向こう側は明るかった。苦しい夜をこえ、苦しい朝がやってきたのだ。喉の痛みは浅くなっていたが、その分夜にはぼんやりとしていた自分がなにもできない人間だという無力感が肩にのしかかってくる。

 介護をしてくれる病院のスタッフに肩を支えてもらわなければ立てないような体で、これから先の人生何ができるだろうか。

「いっそ死んでしまえば楽になるのかな」

 必死に看病してくれている家族の前では言えないが、一人になると常に考えてしまう。もはや流動食を超えて水のようになっている朝食を摂り、俺はテレビの電源をつけた。

 民放はニュースが流れているが、世間に出られない俺にとっては何も変わらない。いっそこの病院ごと爆破されてしまえば、とも思えないのは、どうしても他の病人を巻き込みたくないという最後まで残ったお人よしな感情のせいだろう。家族にも迷惑をかけられないため、死にたいとは思いつつもあまり安易に死ぬ方法も取れない、惨めな感情だ。

 ザッピングを流しつつ、結局いつものチャンネルに落ち着いた。大相撲チャンネル。相撲のことだけを毎日放送しているチャンネルだ。アマチュア相撲の大会の様子や力士のルーティン、時期によっては相撲の取り組みを生放送している。

 ちょうどその時間は過去の名勝負を放送しているようで、すこし画質の荒い画面で相撲をとっている力士の姿が見てとれた。

 俺は相撲が好きだ。詳しいルールも、それがどのようにできたかも知らない。だが、わかりやすくて、そして尚且つ自分では到底辿り着けない境地にいる力士の人たちがかっこいいと昔から思っていた。

 体格が大きければ大きいほど有利というわけではないところもまた、魅力の一つだと語る人もいる。確かにバランスの問題や、自重で倒れてしまうことも多いだろう。近年ではそういった体格の大きな力士、いわゆるアンコ型の力士が勝ち星を上げる率も低くなり、筋肉で絞られたソップ型の力士の勝率が上がっているという話もある。

 だが、俺はそれでも体格の大きな力士の方を応援してしまう。それは自分の骨ばった体からの逃避でもあった。

「あ、また相撲見てるね」

 病室の入り口では、ナースのお兄さんがこちらを笑って見ていた。時間は十一時。いつの間にか午前の運動の時間になっていたようだ。

 ナースのお兄さんは近づいてくると、俺に肩を組ませてゆっくりと立ち上がらせてくれた。そのまま病室に置かれた体重計に乗せられる。かろうじてまだ自力で立っていることはできるが、もうすぐそれもできなくなるだろうなと自分でわかるほどにその足はふらついていた。

「四十キロ切ってるね。頑張って増やしていこうね」

 メモリを見たナースのお兄さんは何かをバインダーに書き込むと、俺を車椅子に乗せた。

 午前の運動。病院の中のリハビリ施設で、お兄さんの手を借りながら歩く練習だ。とは言っても歩けるようになるためにではなく、少しでも体の筋肉を増やそうということからやっていることだ。

 三十分ほどリハビリをつづけ、午前の運動はおわった。病室に戻ると、その日は珍しく家族が全員揃っていた。父さん、母さん、妹、兄貴。全員が病室に座って待っていたのだ。聞けば、運よく全員の休みが被ったらしい。妹はまだ幼く、これからレストランでハンバーグを食べることを嬉々として語ってくれた。妹の幸せそうな顔で、俺の苦しみも少し和らいだような気がした。

 母さんも父さんも俺に「気にしなくていいよ」と言ってくれた。入院費もバカにならず、兄貴の大学の費用も奨学金を頼っていることは知っている。が、両親も兄貴もそんなことをおくびにも出さずに俺を励ましてくれた。

 絶対回復する。そう言われるとなんだかもう死ぬまでこの苦しみは理解されないし、解放されることはないんだと思って、ただ俺は頷くことしかできなかった。

 家族が帰ると、朝と同じはずなのに病室はやけに静かに感じた。家族がお見舞いに来る時はいつもそうだ。

 またテレビをつけて、俺は相撲を見た。それしかできることがなかった。

 画面の向こうでは春場所の中継を行なっていて、まだ名前も知らないような力士が取り組みを行っている。

「今の決まり手は珍しいものでしたねぇ」

 解説がそう言っているが、何が珍しいのかは実際よくわかっていない。ぼーっと何年も眺めているだけで、俺は相撲のことを知っているわけではない。

 そんなことを思っていると、段々と意識が深く、深く落ちていく。病室に置かれた機械からアラームの音が鳴っているような気がする。

 うっすらと閉じる瞼の隙間から見えたのは、リハビリをしてくれたナースのお兄さんが手に持ったバインダーを落としてかけていくところだった。

 あぁ、死ぬんだ。いつもの意識が飛んでいく感覚とは少し違う感覚。毎日リハビリを手伝ってくれたお兄さんにありがとうって言っておけばよかったな。

 そんな後悔も束の間、俺は助かるんだという感情が身体中を包み込む。頬を撫でる涙の感覚が、自分が泣いていることを実感させた。

 妹、兄貴、俺と違って元気に育ってくれ。俺はそう願いながら、真っ暗な闇の中に意識を落としていった。

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