3 ここはどこ? 私は誰? わからないけど進む

 三者三様で戸惑った顔をしている二人と全く同じ顔を俺もしていたに違いない。そんな中、銀髪の男の子がこちらにこいと手招きをしていた。俺の右手側の部屋、そこに来いと言うことだろうか。

 俺と左の部屋にいた金髪の女の子は目を合わせて、恐る恐る廊下に出る。廊下に出たという行為が何かのブレーキを解除したのだろうか、俺も女の子もそそくさと手招きされた方に走った。が、体が重く、俺の後ろから走ってきたであろう女の子に追い越されてしまった。しかも、到着した頃には息も絶え絶えになってしまっていた。

 が、それが少し嬉しかった。人生で自分から息を切らすことなんて絶対にできなかったからだ。リハビリは体調が少しでも優れなければすぐに終わっていたし、それ以外で呼吸が苦しくなるなんて病気の時でしか起こり得なかったからだ。

「ゼェ……ゼェ……」

「大丈夫かい? 君」

 膝に手をついて呼吸を整える俺に、男の子は心配そうに手を差し伸べてくる。

「大丈夫です……それより、もしかして……」

 俺が何を言いたかったのか察しているようで、二人とも難しい顔をしている。

「とりあえず、自己紹介からしてみようか。君たちも同じ状況だって、僕の勘が言ってるから」

 男の子の方がそう提案した。

「とりあえずお互いに呼び合う名前だけでも知っておいた方がいいね。僕はホームズ」

「私はアニー」

「お、俺はヤマトです」

 自分の声とは思えないほど太い声にまだ慣れないが、それは他二人も同じようで、何か少し違和感を感じているような、そんな表情を二人とも浮かべていた。

「じゃあまず僕から詳しい自己紹介を……」

 そうホームズが言いかけた時、部屋の扉がバン! と大きな音を立てて開いた。

「坊っちゃん! 朝からなんですか騒がしい! 誕生日だからって……あら? 珍しいですわね」

 入ってきたのは後頭部で丸く髪をまとめた白髪の老齢女性メイドだった。

「とりあえず、三人とも本日はお誕生日なのですから、あまり暴れないようになさいませ」

 こちらが喜ぶと思っていたメイドは、ポカンとした俺たちの表情を見て不思議そうにしている。

「ありがとう。内緒の話があるんだけど、ちょっとだけ席を外してもらえないかな? 父上を驚かせたくて」

 まるで誰かが憑依したかのようにホームズが言うと、メイドは訝しげではあるものの「ではお部屋のお掃除は後にさせていただきますわね。三人とも、準備が出来次第ダイニングに行きますように」と言って部屋を出て行った。

「メイドなの? あの人」

 女の子が呟くが、俺は現在の状況がわかっていないのでそれに応えることはできなかった。

「まあ、十中八九そうだろうね。それでいて僕たちは何故か三つ子で、今日が誕生日なんだろう。外を見るにここは欧州のどこか、建物の形式から考えて中世かあるいは近世に近いけれど、そうなると矛盾……というかランプの形に違和感があるな」

 ホームズが独り言を呟きながら口元に手を当てて悩み始める。

 名前からして推理が得意なようだ。俺はあまりこういったことが得意ではないから助かる。

「うーん、まだ手がかりが少ないか。言われた通り、僕たちはダイニングに向かわないといけないようだね」

「でも、どこにダイニングがあるかはわからないわよ?」

 アニーが不安そうに言うが、ホームズは自信があるようで部屋の扉をゆっくりと俺とアニーを先導するように開いた。

 廊下には何人ものメイドや執事が歩いていて、忙しなく仕事をしていた。

 ホームズは自信がありそうにこちらに笑みを投げかけてくる。

「どこに行くかは彼らを見ればわかるさ。そこの執事は手袋が綺麗だ。基本的に手元は人がよく見る部分だ。だから、人の目にとまるような場所に行くときは手袋を綺麗なものに取り替えるはず。たとえば、“ご主人様”に会う時とかね」

 そう言いながらホームズは執事を追っていく。俺とアニーは互いに目を合わせて、彼についていきながらすごさに驚くしかなかった。

 ホームズはそれからも執事やメイドの様子、今いるところが屋敷であると仮定するなら、あるいはカーペットの皺などからも予測を立て、一つの扉の前で止まった。

 重い体と人生で初めてしっかりと歩くという行為で体力のほぼ全てを使っていた俺は彼を信じてついていくしかなかった。

「ここ?」

 アニーが問う。

「百パーセントとは言えないけど、多分ここだと思う」

ホームズはそう言いながら、扉を躊躇することなく開けた。

 扉の向こうは広い部屋で、中央に置かれたテーブルの上にはいくつもの豪華な食事が並んでいる。奥には三十歳ほどの男女と、今の俺やホームズよりも五歳ほど年上であろう男性が座っていた。

 男性は腕を組んで俺たちを睨みつけている。女性はその横で、俺たちの方を朗らかに笑いながら眺めていた。

 若い男は、椅子の上で俺たちを品定めするように眺めていた。その少し上がった口角が背筋を触られているようで、少し不快だった。

 そんなことを思っている俺たちを目の前にして、男性は嬉しそうに髭をさすっていた。

「ほう、今回の子どもたちは到着できたか」

「到着……? どういうことでしょうか?」

 ホームズが問いかけるが、男は聞く耳を持たない。

「まあ座りたまえ。我が息子と娘よ」

 俺はゆっくりと歩を進め、並べられた椅子のうち左のそれに座った。中央にホームズ、右にはアニーが座る。

 目の前の料理はどれも嗅いだことのないような良い香りを漂わせており、俺の腹がグゥと大きな音を立てた。

「ふふ、先に食事からの方がいいかしら?」

 おそらく母親である女性が笑って言った。

「良いんですか?」

「良いわよ。三人とも今日は誕生日なのですから、特に急ぐこともないものね。ねぇ? あなた?」

 男性は口を閉じたまま首を縦に振る。

 彼らが何を考えているのかはわからないが、そんなことを悩む暇はなかった。俺は今すぐにでも目の前のものに手を伸ばしたくて仕方がなかったからだ。

「いただきます」

 手を合わせてそう言うと、俺はまず手元にあったフォークを手に取って、俺は皿の中の肉を一つ刺した。香辛料だろうか、病室では絶対に漂ってこない良い香りが俺の鼻口をくすぐる。悩むこともないかと俺はそれを一口で頬張った。

 食事のおいしさはやる気につながります。なんてテレビで力士が言っていたことを、この瞬間に思い出した。

 病院食しか知らないにとって、初めての“美味しい”という感覚がその記憶を思い起こさせたのだ。食事が美味しいとやる気が出るという意味も、意義も、ここでようやくわかった。

 頬を涙が伝う。目の前に神が舞い降りたときの信者のような感動を俺はいま覚えていた。目の前に座る若い男がギョッとした顔をしていたが、こちらの事情を知らない人であれば確かにそうだろう。

 ホームズも食事を始めていたようで、美味しいと薄く呟く声が聞こえた。

「さて、本題なのだが」

 男性はこちらをしっかりと見ながら言う。それが少し怖くて、俺はすぐさま口の中に残っていた分も飲み込んでしまった。

 そんな俺とは逆に、ホームズは何も臆してはいなかった。それどころか、相手を睨んですらいる。

「どうやら、三人とも聞いてくれるようだな」

 男は組んでいた手を解いて、テーブルの上に置いた。

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