高縄屋敷博物苑「委細之記部(いさいの しるしべ)」
第三話みっつめ、しるすこと 「銭金の工面に悩む内、行事催事多き夏を企てるに就いて記す事」其の十二 結三郎と祥之助とのデェトを思い精介の麻久佐にひた走るに就いて記す事
第三話みっつめ、しるすこと 「銭金の工面に悩む内、行事催事多き夏を企てるに就いて記す事」其の十二 結三郎と祥之助とのデェトを思い精介の麻久佐にひた走るに就いて記す事
第三話みっつめ、しるすこと
「銭金の工面に悩む内、行事催事多き夏を企てるに就いて記す事」
「其の十二 結三郎と祥之助とのデェトを思い精介の麻久佐にひた走るに就いて記す事」
麻久佐の町は証宮離宮殿が出来る以前から神社仏閣が多くあり、それらの門前町として栄えてきた歴史があった。
大きな寺社の門へと続く大通りは町外れまで長く続き、端の方――町への入り口に当たる地区には、寺社から正式に認められていない露天商も多く出店している街路市があった。
ほつれ掛けた筵や傷んだ木箱を並べてそこに野菜や土産物等を置いた即席の店が連なり、活気はあるのかも知れないが雑多で何処かいかがわしい様な雰囲気があった。
そんな露店の並ぶ片隅――まだ麻久佐の町に入る手前の、頒明解化による町の整備の一環で街道沿いに街路樹が連なって植樹されている場所で、大柄な若い男と小柄な若い男の二人組が店の準備をしていた。
旅人や道沿いの住民への簡易的な食料確保として、昔から街道沿いには何かしらの実のなる木々が街路樹として植えられていた。この辺りには山桃と金柑が疎らに植えられていたが町の整備で多く植え足され、それらの列が夏の今は葉だけが青々と茂って涼しげな木陰を作っていた。
大柄な男が荷車から木箱や麻袋を下ろし、小柄な男が荷解きをして木箱や筵の上に品物を並べていった。
艶やかに光る茄子や胡瓜といった夏野菜が笊に入れられて小柄な男の手で並べられていき、一応は露天商らしい見掛けになった。
「兄貴―。これは何処に置いたらいいかなあー。」
少し丸顔の大柄な男は兄貴分らしい小柄な男へのっそりと近付き、手にしていた十数枚の錦絵を見せた。
「……ああ。寄越せ。」
口数少なく小柄な男は答え、大柄な男から錦絵を受け取ると木箱の上へと並べた。
麻久佐の寺社や離宮殿の風景を描いたもので、観光客が記念に買って行くのを狙ったものだった。
「おー、こんなトコで売るモンにしちゃあ、なかなか出来がいいじゃねえか。お前さん達が描いたのか?」
彼等の隣で既に販売の準備が出来てのんびりと座っていた初老の男が声を掛けてきた。
初老の男の方は西瓜を売っていた。
「ううんー。借金のカタに親分が取り上げたやつを、俺等が売れってー。」
「おい、余計なコト言うな。黙ってろって。」
のんびりとした口調で大柄な男が答えるのを、小柄な男は不機嫌そうに咎めた。
「ああ、俊蔵(しゅんぞう)親分のトコから金借りた絵描きが居たな。そいつのか。」
「へへへ……。まあ、そんな感じで。」
初老の男が一人納得するのを小柄な男は誤魔化す様な笑いを浮かべて頭を掻いた。
やや柔らかく細い質の髪の毛を短く刈り込んでおり、丸みのある大き目の耳と相まって何処か子猿を思わせる愛嬌があった。
何処か少し間延びした口調で喋り、二メートルに少し足りない位の背の高い大柄な男は鳶田喜三次(とびた きさんじ)。
小柄――と言っても喜三次と比べると小柄に見えるというだけで、決して背が低い訳ではなかったが、二人で行動する事が多いのでどうしても小柄な男という印象が強い兄貴分が鳶田八郎太(とびた はちろうた)。
同じ苗字で同じ村の出身ではあったが血縁がある訳ではなく、自称の名字を名乗っているのだった。
「さ、今日も稼がせてもらいましょうかね!」
明るく愛想の良い表情を取り繕い、ぱん、と手を叩くと八郎太は喜三次と共に売り物の後ろへ腰を下ろした。
ちらほらと街路樹沿いを歩く観光客の姿はあり、何人かは物珍しそうにあちこちの露店を眺めながら通り過ぎていった。
愛想よく笑いながら通り掛かる客に声を掛けた後、少し息をついていた八郎太の目は、見る者が見れば何処か荒んで淀んでいると判っただろう。
「兄貴―。今日も売れるといいねー。」
口下手で機転も利かないと、後ろに下がらせて座っていた喜三次が何が楽しいのかにこにこと微笑んでいた。
「そうだな。」
ぼそっと呟き返し、八郎太は軽い溜息をつきながらまだ少し遠くの麻久佐の町を振り返った。
道の向こう、寺社や家々の連なる向こう側に今や町の象徴の一つとなった証宮離宮殿の白亜の巨塔が夏の青空に聳え立っていた。
高く高く聳え立ち、その麓の有象無象の者達を睥睨するかの様な塔。
忌々しい様な気持ちや、塔目当ての観光客相手に精々稼がせてもらうさという様な気持ちが八郎太の中で入り混じり――それはいつも、憧れと苛立ちと惨めさとが割切れずに心の底で淀んでいるのを自覚させていた。
「あー、何か鳥だー。」
座ったまま空を見上げていた喜三次が見つけたのは近くの水田から飛んできた青鷺の様だった。
水田の虫や蛙等を食べているという印象がある青鷺だったが、意外と悪食で逞しく、烏に混じって町の住人の食べ物をかっさらったり、食べられそうなゴミを漁ったりしていた。
今日も町に食べ物を探しに飛んでいくのだろう――悠々と空を横切る青鷺の姿を八郎太は見上げながら、同時にいつか見上げた今の青鷺よりも遥か高く遠くの青空を飛ぶ鳶の姿を思い出していた。
ピーヒョロロ……と独特の鳴き声を空に響かせ、ゆったりと円を描きながら飛んでいたあの時のあれは、鳶の精霊だった。
「――……っ。」
憧れと苛立ちと、惨めさと。
軽く頭を振っていつもの思いを振り払い、八郎太はまた愛想笑いを取り繕った。
八郎太と喜三次は塔京から遠く離れた山奥の小さな村の出身だった。十二、三年程前に流行病で壊滅しかけた村から子供二人だけで逃げ出し、各地を転々としながらやがて塔京へと流れ着いた。
自分達の実際の年齢も判らず――今は多分、十八か十九か――麻久佐の町を縄張りにしているやくざ者の親分達の内の一人に拾われ、下っ端働きをしながらここ何年かは生きてきた。
だが――証宮離宮殿が出来て以降、定期的に行なわれる役人達による町の取り締まりによって八郎太達を拾った親分の取り仕切る組は無くなってしまった。
流石に証宮離宮殿――帝の離宮であり、また日之許国の頒明解化を支える重要施設が存在する町に犯罪者や犯罪者紛いの者達をのさばらせておく訳にはいかないと、麻久佐と帝居のある知代田の町は日之許で一番役人達が働いている町となっていたからだった。
八郎太と喜三次は逃げ出した先で別の親分に拾われ、またそれまでと変わらないやくざ者の下働きとして日々を生きていた。
役人達も全ての犯罪行為を事細かに見張って捜査をしているという訳ではなかったので、八郎太達の様な下っ端の連中の軽微な犯罪は、被害者にしてみればたまったものではなかったが、どちらかというと見逃されがちだった。
ゆすりタカリにかっぱらい、置き引き、空き巣。時々はそんな事をしながら、普段は麻久佐やその近辺の町外れで路上販売をして日銭を稼いでいたが、その商品は違法脱法問わずの手段で仕入れた物も多かった。
今日の売り物の錦絵は借金が払えなくなった絵描きから取り上げた物だったが、一応は法定通りの利息による取り決めでの借金だったので、それはまだましな方だった。
今日の茄子や胡瓜の方は郊外の村から盗んできた物を売っていた。その時々で「仕入れた」野菜や果物が八郎太達の売り物だった。
今日も精々稼がせてもらうか――。
「らっしゃい! あの証宮の塔の絵だよ。記念にどうですかい?」
八郎太は愛想笑いを取り繕い、寄ってきた観光客へとにこやかに声を掛けた。
◆
「大分賑やかになってきたわね。」
「そうねえ。でも、ほんと大っきな塔よねー。」
おかみさん達が疲れて無口になり始めた子供達の手を引きながら、近付いて来た白亜の巨塔や寺社の屋根を嬉しそうに眺めた。
町と町の間の田畑や民家の並ぶ場所を抜け、いよいよ証宮離宮殿の巨塔が目の前に迫る所へと結三郎達一行はやって来た。
大きく育った山桃や金柑の街路樹が道に涼し気な影を作っており、その下に筵や箱を並べた露天商達が商いを行なっていた。
「お、こっからもう街路市みたいな感じなんだな。」
体を鍛える一環としてリヤカーを引くのを結三郎から代わってもらった祥之助が、何を売っているのかと露天商達へと目を向けた。
「あ、あそこ西瓜売ってる。」
「こっちは夏ミカンだわ。」
政吉爺さんのところの孫娘の姉妹が露店の一つを指差してはしゃいだ声を上げた。
ここに来るまでに何度か休憩して水も飲んだりはしていたが、やはり夏の暑さに疲れて特に子供達は甘味のある水分を無意識に求めていた様だった。
「西瓜でよろしいですか? 良かったら皆さんに奢らせて下さい。私も少し喉が渇きましたし。」
麻久佐での飲食や何か急な事態に備えて、結三郎は今日は多めに金を持って来ていた。
西瓜の値札を見ると、こうした町外れの街路市にはありがちな高値という訳でもなかったので、一先ずは安心して買う事が出来そうだった。
「やったー!」
結三郎の言葉に子供達が一斉に歓声を上げた。
「え、いいんですか?」
「そんな、島津様の若様に奢ってもらうなんて。」
「いや、お気になさらず。」
良子や梅子が恐縮していたが、結三郎は笑いながら西瓜売りのところに行った。
隣は茄子や胡瓜、そして錦絵を売っていた。
「えーと、西瓜を大きなのを一玉……いや、一玉半かな。ここで切ってくれると有り難いのだが。」
結三郎が木箱の上に置かれている一番大きな西瓜の玉を二つ指し示した。
「へい。ようございやすよ。ここで食べて行ってもらってもいいですし。」
西瓜売りの初老の男は笑いながら答え、早速まな板と包丁を取り出して西瓜を切り始めた。
「やった! 島津の若様ありがと!」
「有難うございます。」
「カタジケナイでございます。」
中には少しふざけた調子で言う子も居たが、子供達は喜びながら店主から西瓜を一切れずつ貰っていった。
明春達春乃渦部屋の者達や親方、照安和尚、おかみさん達や政吉爺さんにも行き渡り、暫しの間皆が無言でしゃくしゃくと西瓜を齧っていた。
大人達もやはり長距離を歩いて来た事で少し疲れがあった様だった。
「あ、種や皮はこっちにどうぞ。」
店先に種を撒き散らされるのは困るのでと、店主があらかじめ用意していた小振りの木箱のゴミ箱を子供達の前に置いた。
「いやー、結三郎の奢りだと思うとますます美味いな。」
リヤカーの引き手を持ったまま祥之助は機嫌良く西瓜を味わっていた。
食べ終わった皮をゴミ箱に入れながら梅子は隣の露店で売られている茄子や胡瓜、錦絵に目を向けた。
「なかなか美味そうな茄子じゃないの。今の時期だと漬物にしてさっぱりと食べたいわよねー。」
「そうねえ。帰りにまだ売ってたら買って帰ろうかしら。高縄までなら荷車あるから楽が出来るしねえ。」
「あら、錦絵も売ってるのね。いいわねえ。」
「そうねえ。お寺の絵もいいけど、やっぱり気になるのはあの塔の絵かしらねえ。」
梅子に良子、安子に混じって律もやはりお喋り好きの力士長屋のおかみさんの一人だけあって、賑やかに皆で喋りながらあれこれと品定めをしていた。
茄子と胡瓜、錦絵を売っていた露天商の小柄な若い男――八郎太は、慣れたものなのか彼女等の賑やかなお喋りに怯んだ様子も無く愛想笑いを浮かべて遣り過ごしていた。
八郎太の後ろで胡坐をかいて座ったままの大柄な男――喜三次は、商売の時には余計な事は言わない様にと八郎太から言い含められていたので、ただにこにこと笑いながらおかみさん達の様子を見守っていた。
「ではそろそろ参りましょうか。」
放っておくといつまでも喋り続けていそうなおかみさん達が露天商達の邪魔にならない様にと、結三郎はそろそろ出発しようと声を掛けた。
「そうねー。活動写真も見たいし。」
「じゃあ行きましょうか。」
「帰り道もここを通るし、帰りに通った時に亭主への土産に色々買って帰ろうかねえ。」
子供達の手を引いて口々に喋りながらおかみさん達は、西瓜売りの男や八郎太達に軽く頭を下げてその場を後にした。
「へい。是非よろしくー。」
愛想良く笑いながら八郎太も頭を下げ返し、おかみさん達を見送った。
おかみさん達の後に続く結三郎や祥之助、春乃渦部屋の者達の背中を見送りながら、八郎太は軽く溜息をついた。
「何か俺とおんなじ位大っきい人も居たね。相撲取りみたいだったねー。」
相撲取りが珍しい訳ではなかったが、がっしりとした体付きの者達が数人まとまって行動している様子が喜三次には印象深い様だった。
「そうだな。」
喜三次の言葉を聞きながら八郎太はさして面白くもなさそうに、また軽い溜息をついた。
親子連れに坊さんに相撲取りの団体が麻久佐観光か。
少し風変わりとも思える一団の去っていく様子にもう一度だけ目を向け、それから椅子代わりの木箱の上に腰を下ろした。
「相撲取りかなー。どっかの相撲部屋の人達かなー。俺もいつか相撲取ってみたかったなー。」
無邪気に言いながら喜三次は明春達の去っていく様子を暫く眺めていた。
◆
昼までにはまだ少し時間があるというところで、結三郎達一行は証宮離宮殿へと到着した。
勿論一行が証宮離宮殿の施設の内部に入れる訳ではなく、一般客に開放されている公園部分へとやって来たのだったが。
「――……。」
朱塗りの大きな門扉を潜って公園に入るとすぐ、皆は呆然と目の前すぐの空間を埋め尽くす白亜の巨塔を見上げて立ち尽くしていた。
高い建物と言えば寺の五重の塔や、何処かの有名な神社の大鳥居位しか日之許には無かった。勿論それらも二階建ての木造の民家から比べると充分に見る者を驚かせ、圧倒するに足る高さではあったが。
だが地上数百メートルという高さと、それを支える基底部の大きく頑丈な建物の質量は、それらとは一線を画する桁違いのものだった。
結三郎達一行だけでなく他の観光客達も同様に圧倒されており、朱塗りの門扉周辺では入ってきた多くの者達が皆似た様な呆然とした表情で証宮離宮殿の塔を見上げていたのだった。
「これが……。へええ……。」
流石の祥之助も結三郎の隣で、今は呆気に取られて言葉少なに塔を見上げていた。
麻久佐の町の近くには祥之助は遊びに来た事も無いではなかったが、こうして証宮離宮殿の敷地に足を踏み入れて、正に目の前で塔を見たのは今回が初めてだった。
頒明解化――神仏や精霊達の持つ知識や技術を、人間達に頒布し、思い込みや偏見に凝り固まった人間達の無知蒙昧へと明かりを照らし解きほぐす。帝を初め日之許国の有志達の願いの込められたこの塔が、ただの象徴的な見かけだけの建物ではない事はこの場では結三郎しか知らない事だった。
「この塔に実際に神仏が御降臨なさるのですな……。実に有り難い事じゃ……。」
ひっくり返りそうになる程に背中を逸らして照安和尚が塔を見上げ、それからまた姿勢を正して塔に向かって合掌した。
政吉爺さんや親方もその隣で同様に畏まって合掌していた。
帝の執り行なう神降ろしと呼ばれる儀式は、この証宮離宮殿の塔の内部の一室で行なわれていた。
この日之許の人間達が暮らしている世界とは違った時空の世界には、受肉し実体化する前の素の神々と呼ばれる状態で神仏や精霊達が存在していた。精介の世界で言うところの素粒子とか電磁波とか、高等物理学やそれらの更に向こう側の、生身の人間では理解も感得も困難でそれらを超越した様な世界から――辛うじて人間が理解出来るものを拾い集め翻訳したものが、神仏からもたらされた知識だと一般国民に言われるものの正体だった。
「取り敢えず拝んどこうかね。」
「本物の神様仏様がいらっしゃるんだろ? 御利益もきっと段違いだわ。」
「よし、相撲が強くなれます様に~!」
「お、俺も俺も。」
「今日いらっしゃるのは何の神様か知らないけど、相撲の神様にお伝え下さい!」
おかみさん達も和尚達に倣って塔に向かって手を合わせ始め、明春達も拝み始めた。
「お前等なあ……。」
明春達の現金な様子に親方は苦笑し溜息をついた。
「まあ、信仰心はあった方がいいでしょうし……。」
親方と共に結三郎も苦笑した。
神降ろしの儀式が行われていない普段の日は、特には神仏も宿っていないただの建物なのだったが、わざわざ指摘して皆の信仰心を損なう事も無いだろうと結三郎は黙っていた。
それから再び皆は歩き始め、取り敢えず弁当を広げるのに良さそうな木陰を探し始めた。
「――なあなあ、あの建物は?」
「あれはー?」
竹雄や太一郎を初め子供達は敷地内の様々な建物を指差して尋ねた。
「ああ、あの建物は警備員の詰め所で、あっちは帝の――。」
この中では証宮離宮殿の事を一番よく知っている結三郎が、歩きながら子供達の質問に答えていた。
白亜の巨塔ばかりが人目を惹いてはいるが、証宮離宮殿と言うそもそもの名前の通り、ここは帝の離宮としての役割を持つ施設なので、塔以外にも帝が滞在する屋敷や一部の省庁の役人が詰めて仕事を行なう為の施設もあった。
当然の事ながらそれらの施設については厳重な警備が敷かれており、一般人は立ち入る事は禁じられていた。
一般に開放されているのは図書館と書店棟、そして今結三郎達一行が歩いている公園だけとなっていた。
「帝様はあの奥の御屋敷に居るのか?」
「さっきの知代田にも家あっただろ? 幾つも家があんのか?」
竹雄や太一郎達がわいわいと騒ぎながら、離れた場所に微かに瓦葺きの屋根が見える帝の屋敷を指差した。
「そうだな。お家が二つあって、どちらかで寝泊まりしたりお仕事をしたりしているんだ。今は塔京をお留守にしていて、冠西にお仕事をしにお出かけしているんだ。」
「あ、知ってる。こないだのアカシノミヤシンポウに、カンサイギョウコウって書いてあった。」
結三郎の説明に、良子の娘の千代が結三郎の方に顔を向けた。
「そうそう。帝は塔京以外の地域でも色々とお仕事があってお出掛けしたりしてお忙しいんだ。」
千代の言葉に頷いて説明を続けながらも、結三郎は内心では少し疑問に思っていた。
お忙しい――筈なんだがなあ……。
今にも公園のその辺りを、直衣ではなく町人の着流し姿で帝が現れそうな気がしてしまっていた。
帝ならばやりかねない。
結三郎は内心でそんな心配をしながらも、取り敢えず公園の一角の楠の多く植えられた場所で休もうと皆を促した。
◆
皆、木陰で涼もうと言う考えは似ていて、結三郎達以外にも多くの観光客達が楠や欅等の大木の下で寛いでいた。
皆は芝生の上に直に腰を下ろし、リヤカーを停めた祥之助からおかみさん達の作った弁当を受け取っていった。
重箱を開けると生姜を利かせた煮汁で甘辛く煮た野菜や豆腐、魚が入っており、竹皮の包みの方は塩のまぶされた大きな握り飯が入っていた。
「いただきまーす。」
途中で何度か休憩し先程は西瓜を少し食べたものの、やはり科ヶ輪を出発して麻久佐まで歩いてきた疲れはあり、皆腹を空かせていた様で箸の進みも早い様だった。
「ねーねー、あっちの建物は何なの?」
弁当を半分程食べ終わり、一息ついた千代が公園の端の方にある二階建ての建物を指差した。
建物の二階の前面には大きなバルコニーがあり、もしそこに上がる事が出来たならば公園の敷地内を気分良く眺める事が出来ると思われたが、その建物は立ち入り禁止の様で警備員の姿が微かに見えていた。
「あれは新年の時と帝のお誕生日の時に国民に姿を見せて挨拶をする時に使う為の建物だな。帝のお姿を見たい人達が、その時にはこの公園にやって来るんだ。」
「へー。流石結三郎。よく知ってるなあ。」
おかみさんの作ってくれた握り飯と沢庵を頬張りながら祥之助は感心していた。
「まあな……。時々ここの図書館に来る事もあるから、自然に覚えたんだ。」
弁当を食べ終わると結三郎は少し気が緩んだのか、小さな欠伸をした。
「活動写真の時に居眠りするなよー。」
握り飯を食べ終わった祥之助が結三郎のそんな様子にからかう様な声を掛けた。
「お前が一番居眠りしそうだけどな。」
祥之助の言葉に結三郎は軽く睨みながらも小さく笑った。
そうして皆がもうすぐ弁当を食べ終わろうとしていたところで、竹雄や千代が握り飯や豆腐等を一つ二つ手付かずで残しているのが大人達の目に入った。
「どうしたの? あんなにお腹空かせてたのに。」
竹雄の母親の梅子が食い意地の張っている筈の我が子に少し心配そうに尋ねると、横に座っていた千代が答えた。
「若様の分。後から来るって言ってたでしょ? 来た時にお腹が空いてたら可哀想だと思って……。」
千代の答えに竹雄も小さく頷いた。
「成程のう。思い遣りがある事じゃのう……。」
二人の答えに照安和尚が温かな目をして頷いた。
「ホントに来んのか? 高縄からここまで意外と距離あったぞ。――ああ、二人共、あいつの事は気にしなくていいからしっかり食べとけ。」
祥之助が今日の道中を振り返り、意外と距離があり時間も掛かった事を思い返した。
「いやまあ、是非とも来たいって言ってたしな……。活動写真も一緒に見たいって言ってたし。」
歯切れ悪く答えながら結三郎は、先日の皆と一緒に――正確には結三郎と一緒に活動写真を見たいと勢い込んで言っていた精介の様子を思い出していた。
「自転車で来るって言っていたし、徒歩よりは早く着くんじゃないかな……。」
結三郎としては人目に付き過ぎたり事故を起こしたりはしないかと心配ではあったが、自分達と活動写真を楽しみたいという精介の気持ちを尊重して待つ事にしていた。
「おー、やっぱり自転車で来るんだ。」
「また乗せてもらおうぜー。」
「賛成ー。」
竹雄や太一郎、千代達年長の子供達が嬉しそうな声を上げた。
「山尻殿の食事は気にしなくていいから、しっかり食べなさい。帰り道でへばってしまうよ。」
「はーい。」
結三郎の言葉に竹雄と千代は頷き、素直に残りの握り飯とおかずを食べる事にした。
◆
「――そこの角を曲がってから、ひたすら真っ直ぐに。」
「お、おっす!」
前籠に乗ったダチョウの案内に従い、精介は麻久佐の町を目指して自転車を漕いでいた。
気持ちの上では全速力でペダルを踏み締めていたが、やはり結三郎の言っていた通り道幅の狭い場所も多く、舗装されていない土が剥き出しの路面はがたがたと揺れて走りにくかった。
最近は夕立以外にはまとまった雨は降っておらず、自転車で走るのには好都合ではあった。
ただ舗装のされていない地面からはた易く土埃が舞い上がり、精介は目に入らないように気を付けながら自転車を走らせ続けた。
――スキーで使った時のゴーグルがあれば良かったかも。
精介は時々顔を掠める土埃に顔を顰めながらそんな事を考えていたが、そんな物を身に着けていれば塔京の町中でますます目立つ事になってしまっただろう。
「次は右の角を!」
ダチョウの方も精介が自転車を運転し易い様にと、なるべく大きな通りを選んで誘導していたが、自動車もバイクも自転車も無い日之許では通行人が道一杯に広がって行き来しており、更にその間を荷車を引く人足達が気忙しく行き交っていた。
その為に、道が広くても狭くても速度を出しにくく、自転車の運転がしにくい事に変わりは無かったのだった。
通行人にぶつからないように注意しながら自転車を走らせる気疲れもあり、途中道の隅で二度三度自転車を止めて休憩してはいたが、幸いそれでも女子供や年寄連れの結三郎達が歩いていった時よりも遥かに速く精介とダチョウは麻久佐へと進んでいた。
道の端の民家の板塀の横で休憩し、バリボリと慌ただしくビスケットブロックを噛み砕き、余り味わう間も無く飲み下すと、精介は再びペダルを漕ぎ始めた。
シャツにズボンといった服装で見掛けない型の自転車を軽快に乗りこなす精介の姿を、擦れ違う通行人達が何人も驚きの目で見ていた。
中にはワイシャツに袴や、ズボンに小袖といった様な装いの者達も居たが、彼等もまた自転車で通り過ぎる精介へと物珍し気な視線を送っていた。
「ゆ、結三郎さんが待ってる……っ!」
通行人達の視線を気にする余裕も無く、精介はそんな事を呟きながらペダルを漕ぎ続けた。
軽く精介が頭を上げると、建ち並ぶ二階建ての民家や商店の遥か向こうに証宮離宮殿の白い塔が聳え立っていた。
結三郎さんと祥之助さんとを両手に侍らせた幸せと喜びに満ちたウハウハデートが、あの塔の麓で待っているのだ――。
疲れもあったとはいえ、力士長屋や春乃渦部屋の者達の事はすっかり精介の頭からは抜け落ちてしまっていた。
◆
食事を終えて木陰で結三郎達は暫く寛いでいたが、まだ活動写真の上映時刻までは半時間程あった。
子供達は木陰から出て芝生や玉砂利敷きの広場で駆け回ったりしてはしゃいでいたが、昼の太陽は高く、日差しも強く照り付けていたのでまた木陰に戻ってきた。
「暑いー。」
「ちょっと疲れたー。」
竹雄達がのぼせたのか顔を赤くして汗を掻きながら木陰に座り込んだ。
子供達に竹筒の水筒を渡しながら結三郎は、広場の向こうの図書館を少し振り返った。
「静かにしていなければならないが、日差しも強い事だし、もしよかったら図書館で活動写真の時間まで本でも読みながら少し休憩しないか?」
「図書館? 移動じゃない方の大っきい方?」
千代や他の女の子達が結三郎の提案に嬉しそうな声を上げた。
驢馬や牛等が牽いてくる移動図書館で色々な絵本を毎回借りる事がすっかり気に入っていた彼女達は、いつか大元の大きな図書館へ行ってみたいと思っていたのだった。
「いーんじゃねえの? どうせ活動写真は図書館の五階の広間でやるんだろ?」
腹が張って少し眠気の来ていた祥之助が、軽い欠伸をしながら賛成した。
「図書室の中に入らずとも廊下等に長椅子もありますし、冷房も効いている筈ですから休み易いと思います。」
高齢の照安和尚や政吉爺さんの事を気遣いつつ、結三郎は大人達にも声を掛けた。
「そうですのう。折角ここまでやって来たのだし、一生に一度位は大量の書物が並ぶ様を見ましょうかのう。」
そう言って笑いながら照安和尚は立ち上がり、作務衣の尻に付いた土や草を払いのけた。
孫娘二人に手を引かれて政吉爺さんも立ち上がり、他の子供達と共に図書館へと引っ張られながら歩き始めた。
おかみさんや他の者達も立ち上がると、子供達が先に走って行ってしまわない様に声を掛けながら後を追う事にした。
「島津様ー、さっきの冷房って何すかー?」
親方達と歩きながら春太郎が結三郎へと問い掛けた。
「あー……。部屋の中に冷たい風を送って涼しくする道具です。」
辛うじて手回し団扇の器具――扇風機の原型の様な道具が出回り始めた様な世界で、空気の冷却機械の説明をどうしたものかと悩みつつ結三郎は取り敢えず答えた。
「へー。」
「何かよく判らんけど流石は頒明解化だなー。」
結三郎の答え自体は間違ってはいなかったが、全く想像の付かない道具に春太郎だけでなく周りの者達も気の抜けた相槌を打つだけだった。
「よーし、沢山の本のついでに冷房の道具も見て、後で爺――あ、いや浅右衛門殿に自慢してやるか。」
空になった重箱を積んだだけの軽くなったリヤカーを引きながら、祥之助は楽しげに笑って広場の向こうに建つ図書館を見た。
「……あの御仁の事だから、多分もう見てるんじゃないかな……。」
ジャージやTシャツを着て、喜々として新しい知識の書かれた書物を漁る浅右衛門の気質を少し理解し始めていた結三郎はそっと溜息をついた。
結三郎の空想の中で、浅右衛門は図書室で冷房装置の吹き出し口に何度も手を当てては引っ込め感心し、楽し気に笑っていた。
◆
普段は軽快な速度で自転車を走らせている精介にとってはのろのろとした運転ではあったが、それでも麻久佐の町外れまで辿り着く事が出来た。
山桃や金柑の街路樹の連なる通りへとやって来て、一先ず精介は自転車を下りる事にした。
昼になり観光客の数も多くなっており、町外れの正規ではない街路市のあるこの場所も多くの人で賑わっていた。
こうなると自転車に乗って移動するよりも押して歩いた方が移動し易かった。
「後もう少しですが、もう一回だけ休憩しましょう。自覚は無いかも知れませんが、御疲れがたまっていますよ。」
前籠に座っていたダチョウがそう言って精介を振り返った。
「そ、そうっすね……。」
精介は坊主頭から垂れる汗を拭い、ダチョウの言葉に従う事にした。
確かに、夏の日中、舗装されていない道を通行人や荷車を引く人足達を気にしながら長距離を自転車で走ると言う事は意外と神経を使い、体力や気力を消耗させていた。
結三郎と祥之助を両手に侍らせたデートを楽しむ為には体力や気力が必要だった。
「――ああ、あそこの店の裏手なら通行人の邪魔にはならないでしょう。」
軽く首を伸ばしてダチョウが露店と露店の間の幅や、その裏手の大きく茂った何本かの山桃の街路樹の作る小さな空間を見定めて精介へと声を掛けた。
「すんません……。ちょっと通ります……。」
西瓜や夏ミカン、茄子や胡瓜等を商っている一角で精介は足を止め、ダチョウに言われた露店同士の隙間から裏手へと自転車を進めていった。
露店同士はきっちりと詰めずに余裕をもって場所取りがされており、自転車を押す精介も彼等の邪魔にならずに通る事が出来た。
筵や木箱の上に笊に入った茄子や胡瓜が並べられており、その横に麻久佐の寺社や証宮離宮殿を描いた錦絵が置かれているのが精介の目に入った。
こうした露店で観光客向けの土産物を売るのは精介の世界でも同じだったので、さして気にも留めず通り過ぎ、精介は店から少し離れた所で自転車を停めた。
ふー……と精介は息をつき、停めた自転車の横へと腰を下ろした。
お疲れ様です――と言いた気にダチョウは前籠に座ったまま、精介に優しい眼差しを向けていたが、人間の密集している今は普通の――一応は普通の、少し珍しい見た目の鳥の振りをして黙っていた。
「何だあいつ?」
茄子と胡瓜と錦絵を売っていた筵敷きの露店の大小二人組の若い男達――喜三次と八郎太は不審気な目で精介を見ていた。
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メモ書き
その11まで書きましてやっと第三話の今回の新キャラ登場です。出るまでに長いわ。ヲカマのオッサン大好物のおっきい兄ちゃんと小柄な兄ちゃんの組み合わせです。のっそりもっさり気は優しくて力持ちテンプレで申し訳無いですが、まあ書いているアタシ自身を喜ばせるのが第一義なので……。
さて。それはそうと、クソ暑い夏が過ぎまだ暑い日もありますが一応秋になってしまいましたね。月日の流れは早いものです。あんまりここでは細かくは書けませんが私生活と言うか仕事と言うか色々と立て込んで大変な日々を過ごしております。50歳も何個か過ぎてしまった今になってまた色々と人生の転換とか変更を迫られてしんどいですわー。次の展開をどうするべきか悩みまくりというか。
次の展開の事に頭を悩ませるのは小説書きだけで充分なんですけどね。現実ががむしゃらに来過ぎて何と言うか。世界を革命するのは少女の方が様になりますが、小汚い更年期のヲカマのおっさんにも要求されているようです。
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