高縄屋敷博物苑「委細之記部(いさいの しるしべ)」
第三話みっつめ、しるすこと 「銭金の工面に悩む内、行事催事多き夏を企てるに就いて記す事」 其の八 祥之助の婿取りの試合申入れに決意新たにする就いて記す事
第三話みっつめ、しるすこと 「銭金の工面に悩む内、行事催事多き夏を企てるに就いて記す事」 其の八 祥之助の婿取りの試合申入れに決意新たにする就いて記す事
第三話みっつめ、しるすこと
「銭金の工面に悩む内、行事催事多き夏を企てるに就いて記す事」
「其の八 祥之助の婿取りの試合申入れに決意新たにする就いて記す事」
人通りの殆ど無い道ではあったが、道の真ん中で小振りの荷車を停めて見つめ合っているがっしりとした体格の青年二人の姿はそれなりに目立つものではあった。
時折、風呂敷包みを背負った行商人等が訝し気に結三郎と祥之助を見ながら二人をよけて通り過ぎていった。
「――ええと、その……。」
かしげていた首を立て直し、結三郎は困惑しながら口を開いた。
また別の行商人が通り掛かったので、結三郎は通行の邪魔にならない様に祥之助の真横へと移動した。
「えーとだな……。そんな話を何処で聞いたかは知らんが、流石に佐津摩が昔は武力至上主義だったとはいえ、そこまでの荒っぽい風習は無かったぞ……。」
島津家に養子として引き取られ、島津家の一員としての一応の教養として佐津摩の国に関する上品なものから下世話なものまで、様々な知識も教えられた結三郎だったが、結婚に関する風習にその様な果し合いは無かった筈だった。
「そ、そうかー。それは良かった。」
結三郎の言葉を聞き、祥之助はあからさまに安堵し大きく息を吐いた。
「命拾いしたぜ~。流石に、佐津摩の腕自慢千人相手に勝って藩主になったとかいう化け物相手に、お宅の息子さんを下さいって試合を申し込むのは命が幾つあっても足りねぇと思ってたからよー。」
「そうだな……。」
祥之助のほっとした様子に、結三郎は何処か疲れた様な心地で溜息をついた。
噂話を鵜呑みにしてしまっていた祥之助だけが悪いという訳では決してなかったのだが。
交通機関がまだ徒歩や牛馬位しか無く、遠隔地同士の情報の遣り取りも、大名同士でさえ往信返信に一カ月以上掛かるのが当たり前の手紙の遣り取りがまだまだ日之許では一般的なものだった。
そうした交通や通信事情の中で余所の土地から伝わってきた曖昧な情報――噂話とか間に何人も挟んだ伝言といったものに対しての人々の免疫――話を持って来た人間は本当の事だと思っていても、実際には違うかもしれないという聞き手の心構えとか、真偽が判らない話は鵜呑みにはしない様にする、と言う様な知識や教育はまだ日之許では不充分なものだった。
そんな社会での余所の地域からの噂話や伝聞は、尾鰭が大量に付き過ぎて原形を留めない程に変質する事も珍しい事ではなかった。
「――ただ、すまんが、多分、義父上の事だから軽い試合の一つ位は行なうと言い出すと思うし……。義兄上達も、乗っかってくると思う……。」
安堵していた祥之助の気持ちを挫く様な気がしてしまい、結三郎は申し訳無さそうに軽く俯いた。
精介を元の世界に送り帰したあの日、婿入りの申入れの様な台詞を放った精介に対して、茂日出は結三郎の婿に相応しいかよくよく検討させてもらうと言っていたが――検討の一環に武力――いや武術とか体力的な面を見るのは茂日出の性格上、容易に予想出来るものだった。
当然、杜佐藩お抱え力士である祥之助に対しても、その実力や意気込みを量るのにも何かしらの試合を行なうだろう。
「…………そ、そう……か……。」
安心した気持ちから一転地の底に落とされたかの様な心地で、祥之助は青褪めた顔で結三郎を見た。
「そ、そういや書類上は四男とか前に言ってたな……。」
義兄上達――達、と言う事は結三郎の上に三人、兄だか姉だかが居る訳で。
「ああ。長男は現佐津摩藩主で、次男三男も家老職等で兄上の補佐をしている。――重ねてすまん。兄上達も性格上、やっぱり全員、試合を行なうと思う……。」
結三郎の言葉に茂日出公の子供全員が男性だと知り、彼等が全員試合をすると聞いて祥之助は絶望に近い気持ちを抱いてしまった。
と言うか――当然と言えば当然の話ではあったが、長男が現佐津摩藩主だという事は、茂日出公に劣らない文武を極めた存在なのではないのか……。
「す、すまん。別に脅かすつもりではないのだが……。いや、私生活では明るく楽しく優しい義兄上達なんだ。義父上からの教えを受け、旧来の暴力主義の佐津摩を引き続き変えていこうという崇高な志をだな……。」
往来の真ん中で荷車の引き手を持ったまま硬直し、青褪めている祥之助を気遣い結三郎は慌てて義兄上達が決して恐ろしい存在ではないと言い訳を並べ立てた。
そう――三人共、今では義父上に負けず劣らずの筋骨隆々とした髭面の佐津摩の益荒男然とした見掛けになってしまっており、佐津摩の政治に辣腕を振るう存在になっていたが、中身は結三郎が弥富結三郎として佐津摩の田舎の村で暮らしていた時に遊びに来ていた頃の、やんちゃ坊主三人組のままだった。
――フハハハハハ。我等が可愛い義弟、結三郎を婿に欲しくば、貴様の其の力量を示せ!!
――お兄ちゃんは許しませぬぞ! 貴様程度の者に結三郎が任せられるものか!
――杜佐の土地神の呪詛は知っておる。その上で! 正々堂々と! 貴様を土俵に沈めてくれるわ! ヌハハハハハハハハ!!
「あ……。」
義兄達の反応や言動を予想してしまい、祥之助の勝ち筋が全く見えず、結三郎の方も言葉に詰まってしまった。
茂日出の代で佐津摩の武力・暴力至上主義は改められたものの、武術の鍛錬に励む風潮自体はそのまま継続していた。
そしてその上で、茂日出がもたらした正しい知識による体の鍛錬方法が普及した事により、佐津摩の人間の武術の実力はむしろ昔よりも向上していたのだった。
「――結局、婚姻の申入れの試合はあるのかよ……。」
結三郎の義兄達の人となりがどうであろうと、試合はしなければならないという事実に祥之助は長く大きな溜息をついた。
僅かの間に祥之助の頬もげっそりとこけてしまっていた様な錯覚が結三郎にあった。
「まあ、その……日々の相撲の鍛錬に励んでくれ……。藩邸での稽古も真面目にやってくれ……。そうすればきっと何とかなるのではないかと……。」
何と言って励ましたものか困りながら、結三郎は肩を落としている祥之助へと声を掛けた。
だがそれまで力を無くしていた様子だった祥之助は、軽く息を吸い込むと意外と真面目な――強い決意を秘めた表情で顔を上げ、結三郎を真っ直ぐに見つめた。
「……よ、よし。まっ待ってろよ。」
真摯に見つめつつも、祥之助の顔は赤く染まってしまい、言葉もつかえがちになってしまっていた。
「ち、近い内に必ず、島津家の父兄を相手にしても大丈夫な位に、強くなってみせる……!」
「あ、ああ……。」
祥之助からの言葉に、判った、と、答えかけたところで結三郎は余りにも今更だったが、これは自分達の婚姻に関する打ち合わせの様な会話なのではないのか――と、思い至った。
何を、祥之助が婿取りの申入れをしてくる事を当たり前の事の様に自分は受け入れ、会話をしているのだ。
そもそも自分達は、きちんとした話し合いを経て交際を始めた訳ではまだ無いのではなかったのか。
色恋沙汰の立ち合い勝負はまだ後日に預けられたままではなかったのか――。
そうした事に今更ながら気付きつつも――しかし、祥之助が義父や義兄に申し込みを行なう事を本気で考えている事に、結三郎は胸を熱くしてしまっていた。
「ああ……待ってる。」
自らの胸の熱さに戸惑い、思わず俯き祥之助から目を逸らしながらも、そっと微かな呟きを漏らした。
「え? 何だ?」
聞き逃した祥之助が問い掛けてくるのに背を向けると、結三郎は足早に先を歩き始めた。
「な、何でもない……。」
誤魔化す様にそう言い残し、結三郎はそのまま歩き続けた。
祥之助は荷車の引き手を慌てて握り直すと、結三郎の後を追い始めた。
「お、おいおい待てって! 待ってくれよ。荷車重いんだよ。」
◆
それから味噌屋で照安和尚に頼まれた味噌を買うと、結三郎と祥之助は照応寺へと戻ってきた。
帰路は婚姻の申入れの試合云々の話があったせいで、結三郎は何となく恥ずかしくなってしまい口数が少なくなってしまっていた。
だが、祥之助の方も結三郎が決して不機嫌で口を利かない訳ではないのだろうと一応は判っていたので結三郎を気遣い、お互いに物静かな空気のまま寺へと帰ってきたのだった。
寺に戻った後、客人としてそのまま何もせずに待つのも手持無沙汰だったので――何より、そのままさっきの何となく気恥ずかしい様な雰囲気のままで居続けるよりはと、二人は今日の料理当番の庄衛門と春太郎に手を貸して昼食作りを手伝う事にした。
「――そう言や、先月の皆の稽古を付けてやりに通ってきた時以来か。ここでメシ食うの。」
本堂に庄衛門や春太郎、結三郎と、鍋や食器を運びながら祥之助は少し懐かしそうに本堂の扉を見上げた。
「そうですね……。その節はお世話になりました。」
庄衛門が腹を揺らして鍋を運びながら、祥之助へと笑い掛けた。
庫裏の台所から運ぶ手間が少しかかるものの、四人の力士達と親方、和尚達が食事を取るには本堂の方が丁度良い広さなので、食卓は本堂の中に置きっ放しにされていた。
――結局、浜田屋の主人亡き後に元の物件を追い出された後、春乃渦部屋は新たな物件を見つける事が出来ないままなし崩し的に照応寺に居着いてしまっていた。
借金も返し終わり、杜佐藩からの部屋へのささやかではあるが定期的な支援の目途が付いた事によって、照安和尚もこのままの形で皆の面倒を見ていくつもりの様だった。
「おーい、メシ出来たぞー!」
本堂の入り口から祥之助が声を張り上げると、外の土俵周りで稽古に励んでいた明春達が手を振って応えた。
本堂にマワシ姿のままの明春達や親方が集まり、そのすぐ後に和尚もやって来た。
本堂の奥の仏像に皆が軽く手を合わせてから、賑やかに鍋をつつき始めた。
「――あ、祥之助様も島津様も、後で時間があったらまたこの前みたいに俺等に稽古付けてもらえませんかね?」
利春が牛と豚の合い挽き肉の団子を頬張りながら、食卓の対面に座って食事をしている祥之助と結三郎へと問い掛けた。
今日は結三郎が春乃渦部屋の者達への寄付として、肉屋で多めに挽肉を買ってきていたのだった。因みに日之許では仏教も古い時代から信仰されてはいるが、肉食については残虐な手段を取らない一定の手順を踏んだ食肉加工を行なった肉については、特には禁止される事も無く食されていた。
「あ、そうですね……。出来れば稽古を見てあげたいとは思いますが……。」
箸を止め、結三郎は申し訳無さそうに眉を寄せて利春の方を見た。
先月の夏祭り以来、同じ町にある科之川部屋の力士達とも交流が始まり、時々は合同稽古を行なう事もあるが、やはり他にも色々な強い人達とも相撲を取っていきたい――利春だけでなく、春乃渦部屋の者達は相撲取りとしてそんな真っ当な思いを持っていた。
そんな彼等の力になってあげたいとは結三郎も思ったし、今日は本当ならば高縄屋敷で自分の稽古をしようと思っていたので、相撲を取る事はむしろ望むところでもあったが――。
「申し訳ありません……。今日は和尚様達との話し合いの結果をすぐに屋敷に持ち帰らなければならないので……。」
箸を持ったまま結三郎は利春達に頭を下げて詫びた。
高縄屋敷で話し合いの結果を楽しみに待ちながら、気もそぞろに仕事をしている義父の姿が結三郎の頭に浮かんでいた。
「俺は別に遅くまで稽古に付き合ってやってもいいけど――。」
出汁の染みた葱をしゃくしゃくと齧りながら祥之助は、ちらりと親方を一瞥した。
「――まだ杜佐藩邸に出稽古に来るのは嫌なのか?」
祥之助からの何気無い問い掛けに、親方は思わず肩を震わせた。
「い、いえ、そう言う訳ではありませぬが……。ただ、やはり親戚の伝手に甘える事はよろしくはございませぬし、無闇に伯父上に頼り過ぎるというのも、その……。」
科之川部屋との合同稽古とは違い、伯父の居る杜佐藩邸への助力はまだ親方の中では割り切れてはいない様で、親方は慌てて祥之助へと言い訳を並べ立ててしまっていた。
そんな親方の様子を祥之助は穏やかに見つめ、珍しく少し姿勢を正して口を開いた。
「――まあ、俺も藩邸での稽古を怠けてばかりだから、偉そうな事はあんまり言えねぇけど、やっぱり強くなる為には色々と手を尽くすべきだと思うぜ。――俺も、ほんのつい今しがただけど、藩邸で真面目に稽古に励もうと決めたしな。」
「!!」
祥之助の何処か腹の据わった様な雰囲気と言葉に、親方達だけでなく隣に座っていた結三郎も驚いて祥之助の顔を凝視してしまっていた。
「目標は、佐津摩の前の殿様に負けねぇ位――あ、いや、せめて試合で五分間位は持ちこたえられる位には強くなるつもりだ。」
「何と!」
祥之助の宣言に親方初め皆が思わず驚きの声を漏らしていた。
「で、まあ――明春達の事だけどよ、俺や結三郎みたいな藩のお抱え力士とは制度とかが違うとこはあるけど、相撲で身を立てる――職業とか仕事として相撲を取ると決心してみんな部屋に居るんだろ?」
祥之助がそう言って軽く皆を見回すと、明春達は頷いた。
「その為には何よりも相撲が強くないといけない――その為には兎に角色んな強い奴等と相撲を取る事も大事な事だ。親方は弟子達を強くする義務がある。真っ当な手段ならば、色々と手を尽くして弟子達に稽古を付けてやるのが親方の務めなんじゃねえのか?」
決して強い口調ではなく、祥之助にしては珍しく穏やかに言い聞かせるかの様な調子で親方へと再び顔を向けた。
「人に頼りたくないとか、親戚の伝手で優遇されたくないとか、ぐだぐだ言ってる場合じゃねえと俺は思うぜ。――まあ、俺も偉そうな事言える立場じゃねえけど……。」
自分で言っていて恥ずかしくなったのか、祥之助は逆毛頭を掻きながら少し俯いた。
「祥之助様、意外と物考えてまともな事言う事もあるんですね~。」
食事を続けながら明春が相変わらず呑気な調子で祥之助へと言った。
「うん。実に意外だ。見直したぞ。」
思わず結三郎も明春に同調してしまった。
「お、お前等なあ……。」
結三郎にも褒められたのか貶されたのか判らない様な事を言われてしまい、祥之助は不満気に口を尖らせた。
「申し訳ありません、祥之助様……。」
図星を付かれて落ち込んだ親方に代わり頭を下げて来たのは和尚だった。
申し訳無さそうな、悲しそうな表情のまま和尚は俯いていた。
「本当ならば、幼馴染でもある私が広保に厳しい事も言わねばなりませんでした。もっと早くに――浜田屋の吉右衛門が亡くなった時に、宗兵衛と共に私達が広保に……。」
そうして親方が朝渦家に早々に助力を求めていれば、春乃渦部屋には弟子達がもう少し残っていたかも知れない。或いは逆に早くに部屋を畳んで明春達を別の部屋なり藩なりに所属させて新しい場所での相撲を始めさせる事も出来ていたかも知れない――。
けれども――和尚や親方の脳裡には、杜佐で相撲を取り、寺での修行に励み、商店の奉公人としての修行に励んでいた若い頃の幼馴染四人組の記憶が甦っていた。
正式な冠東への遷都は十年前だったが、それより以前の二、三十年以上前から帝の東遷の準備は公にされており、頒明解化の中心地としての整備途中の塔京は人々の夢や憧れの土地として喧伝されていた。
杜佐で杜佐藩のお抱え力士として広保と宗兵衛は活躍し、照安は寺を任され、吉右衛門は中堅の商店主として杜佐藩邸との取引に関われる様になった。
帝の東遷に先立って塔京に藩邸が整備される中で、塔京杜佐藩邸に駐在するお抱え力士の中に既にベテランと呼ばれる年齢と立場になっていた広保と宗兵衛も選ばれた。二人の上京に当たり、四人組皆で今一度憧れの塔京で頑張ってみようと言う事になり、照安は所属していた宗派の塔京での空き寺を任され、吉右衛門は自身の店の支店を塔京に作る事にした。
――やがて皆が更に歳を取り、お抱え力士引退後の身の振り方として広保は前からの願いだった小さくはあっても相撲部屋を運営し、後進を育てる事にした。
それは、そんな――彼等のささやかではあっても、彼等なりに輝き充実していた人生の物語だった。
だからこそ、吉右衛門が急死して部屋の運営が困難になってしまっても、広保も照安も宗兵衛も――いや夫である吉右衛門を亡くした妻すらも、すぐには気持ちを切り替える事が出来なかった。
夢とまで言うと大袈裟かも知れなかったが、自分達の過ごしてきた人生の象徴の一つの様に春乃渦部屋の事を感じてしまい、誰も思い切った決断をする事が出来なかった。
もう少し――、もう少しだけ様子を見ていようという照安や宗兵衛の、広保に対して幼馴染故の甘さが出てしまい、先日までの春乃渦部屋の苦境に繋がってしまっていたのだった。
「――いや、わしこそすまない。わしが一番悪い……。やはり親方失格じゃ。」
和尚が祥之助に頭を下げ続ける様子に親方が更に大きく頭を下げた。
「今更部屋を畳む事も無責任ですし、今は明春達を立派な相撲取りに育て上げる事が務め。早速今日にでも藩邸に伺い伯父上に出稽古の相談を致します!」
再び顔を上げた親方の目には強い決意の光が灯っていた。
「親方~!」
親方の決意に明春達も明るい声を上げた。
親方はそれから結三郎の方にも顔を向け、頭を下げてきた。
「図々しいとは存じますが、折角御縁が出来たので、佐津摩藩邸や高縄屋敷の力士の方々との稽古の手続きも後日にでも御願い致しとうございます。」
親方からの前向きな申し出に結三郎も笑顔で答えた。
「はい。きっと屋敷の皆も歓迎するでしょう。」
元々茂日出も出稽古の受け入れについては先月の夏祭りの相撲大会の時に考えていた事でもあり、春乃渦部屋の者達の受け入れは半ば決まった様なものではあった。
今の時点では確定ではなかったので結三郎はそうした事について黙ってはいたが、明春達はそれはそれとして佐津摩藩邸や高縄屋敷にも出稽古に行けるのならば楽しみだと互いに話しながら残りの食事を続けた。
◆
食事を終え、鍋や食器を皆で片付け終わると、食後の休憩と言う事で明春達は本堂へと戻ってきた。
「ああ、すまんが今日は本堂での休憩は出来んので、何処か余所で頼む。」
親方と和尚が明春達を本堂の入り口で留めた。
明確に時間を決めていた訳ではなかったが、もう少しすれば長屋のおかみさん達や潮地和尚達、蓑師摩寺の法晃良和尚がやって来る筈だった。
「あ~、もし構わなかったら、休憩がてら俺達も麻久佐に出掛ける話し合いを聞きたくて~。」
親方から決められた事に明春達は拒否するつもりも毛頭無かったが、いつもの面子でただだらだらと休憩するのも退屈だったからと言う事だった。
「そうか。まあ、それならいいが……。ならば取り敢えず上に何か羽織っておけ。流石にマワシ一丁では失礼じゃろう。」
今日は法晃良和尚も来る事を気遣う親方の言葉に、明春達は着流しや浴衣を取りに土俵の方へと引き返していった。
「もし稽古の時間に差し障りが無い様でしたら、出張博物苑の話も聞いてもらいましょう。何か意見があれば有難いですし。」
結三郎の言葉に親方も頷きつつも心配気に答えた。
「承知しました。しかしあいつ等の意見が御役に立ちますかどうか……。」
明春達や親方、結三郎が本堂に入ると、既に祥之助は食卓の前で胡坐をかいて食後の麦茶を飲んで寛いでいた。
別の食卓には既に来客用の麦茶の入った茶瓶と、幾つかの湯呑が用意されていた。
結三郎の姿に気付くと祥之助は顔を上げ、
「なあ、さっきの出稽古の話、折角だしあの電話とやらで高縄屋敷に連絡しといたらどうだ? ついでにもしよかったら高縄屋敷の誰かに杜佐藩邸に走ってもらって、爺やに今日行くって伝言も頼むとか……。」
悪気は無いが図々しい頼み事をしてくる祥之助の笑顔に、結三郎は呆れて軽く顔を顰めた。
「まあ――図々しいが、確かに合理的で話は早いな……。確かに出稽古の手続きが早く済むに越した事は無いし。」
単純にさっきの電話を使うところをまた見てみたいというところなんだろうな、と、結三郎は何となく祥之助の思惑を推理した。
しかしさっきと違って事情を知らない明春達も居たので、この場で使う事は憚られた。
「では、ちょっと向こうで連絡してくる。」
本堂の隅に置いていた自分の背嚢を拾い上げ、結三郎はそう言って本堂を出て行こうとした。
「えー? ここで使えばいいじゃねえかよ。また見せてくれよー。」
祥之助は本堂を出て行こうとする結三郎を呼び止めた。やはり通信の機械を見てみたいという思惑の様だった。
そして、自分が移動するのが面倒らしく、祥之助は自らの横の席を叩いて結三郎に示した。
「お前なあ……。」
さっきの親方へ言い聞かせるかの様な思慮深い発言に、祥之助の事を一瞬見直していたが、やっぱり結構自分勝手な奴だと、結三郎は呆れながら祥之助を見下ろした。
かなり高価な通信機械をやはり、みだりに誰彼に見せびらかしてはならないものだなと納得していた和尚達の言葉を、こいつは聞いてなかったのだろうか……。
「明春達なら、根はいい奴等だし、意外と口も堅いから大丈夫なんじゃねえか?」
まだ短い付き合いではあったが明春達の心根を見てきた中で、祥之助はそれなりに彼等を信頼している様だった。
「……。」
意外と祥之助の観察眼や直感は侮れないとは結三郎も思ってはいたが、しかしやはり電話を安易に見せるのもどうかと、困りながら結三郎は和尚や親方へと目を向けた。
「祥之助様の我儘にも困ったものですな。」
親方は溜息をつき、明春達を振り返った。
本堂の板張りの床の上に座ったり寝転んだりしながら明春達は、結三郎と祥之助の遣り取りを不思議そうに眺めていた。
「お前達。今から島津様が使われるカラクリ道具については、決して他言するでないぞ。」
「は、はあ……?」
床の上で胡坐をかいていた春太郎が、何事かと首を大きくかしげながら返事をした。
親方は厳しい表情で春太郎達を見つめて言葉を続けた。
「――そうじゃな、杜佐の土地神様の我々への呪い――それが発動しない様に気を付ける事と同じ位の気持ちで、他言してはならんと気を付けろ。」
「ええええ!?」
「いやいやいや流石にそれは大袈裟過ぎです。そこまで言わなくとも!!」
明春達の上げた驚きの声に、結三郎の慌てた声も混じった。
杜佐の土地神の呪い――相撲の勝負において正々堂々と臨まず、不正を行なう等すればその者は苦しみ抜いて死ぬ。
呪いに注意するのと同じ位の心構えで、通信の機械の秘密を守れと親方は言ったのだった。
「ここまで言っておけば、杜佐の相撲取りで約束を破る者は居らんでしょう。」
「いや、俺と庄衛門は杜佐者ではないんですけど……。」
杜佐の土地神の呪詛については一応知ってはいるものの、親方が随分と厳しい事を言うのに春太郎と庄衛門は戸惑っていた。
「細かい事を言う奴じゃ。取り敢えず儂の言いたい事は判るじゃろう。」
親方が春太郎を軽く睨んだ。
何やら随分と大仰な話になってしまったと結三郎も戸惑いつつ、取り敢えず祥之助の隣へと背嚢を抱えたまま腰を下ろした。
他言すれば自分達が死ぬと思えと同様の事を言われた明春達の、一体何事が始まるのだろうかと言う強い興味の思いのこもった視線を浴びながら、結三郎は何とも申し訳無い様な気持ちで背嚢の中から和綴じ本の端末機械を再び引っ張り出した。
「和尚様、何かただの本みたいですけど……。」
利春が近くに座っていた和尚に問い掛けると、和尚は大袈裟な事を言った親方に咎める様な一瞥を送った後に利春達へと答えた。
「全く広保め……。――ああ。あれは遠く離れた場所に居る人とも、すぐに話が出来るカラクリの道具じゃ。あの本の中の板に相手の姿が映し出されて……。」
和尚の答えに、利春や横に座っていた庄衛門や明春、春太郎も本気にせずに軽い笑い声を上げた。
「またまたー。和尚様、何の御伽噺の宝物の話ですか? 今度行く活動写真の芝居にでも出てくるんですか?」
利春が和尚へと笑いながら問い掛けた。
利春達の反応が日之許の一般庶民の反応ならば、やはりまだまだ通信機械の事を本気にして考える者は少ないのだろう――と、和尚達の遣り取りを横目で見つつ端末を操作しながら結三郎は安堵した。
「ん?」
結三郎の横で座り、結三郎が電話を操作する様子を面白そうに眺めていた祥之助は、今度の画面に表示された相手の名前に冷や汗が出始めた。
「お、おい。何でいきなり殿様直通なんだよ。博物苑の誰か適当な職員を呼び出すので良かったのに。」
「え、そうなのか?」
――「島津茂日出」「呼び出し中」
その文字を見つめながら祥之助が結三郎を咎めたが、程無くして端末板の画面には、佐津摩藩前藩主・高縄屋敷の主であり結三郎の義父である茂日出の姿が映し出されたのだった。
「どうした? 打ち合わせの席に何か問題でも起きたか?」
結三郎からの呼び出しに茂日出は心配気に問い掛けてきた。
「お仕事中に申し訳ありません義父上。」
結三郎が画面の中の茂日出に軽く頭を下げる様子を、背後で離れて見守っていた和尚や親方、そして明春達はそれぞれの驚きに硬直してしまっていた。
画面越しとは言え佐津摩藩の前藩主の姿を直に目にする事等、和尚や親方達の常識では考えられない事だった。
「え? ホントに遠くの人と話してんのか?」
「島津様のお義父上ってコトは前の佐津摩の殿様? え?え?あの千人の侍をぶちのめした?」
利春や庄衛門も驚きに呆然としながら、半ば独り言の様に互いにぶつぶつと呟き合っていた。
明春や春太郎も本の中に挟まれた板に映し出された人物が喋る様子に驚き過ぎて、黙ったまま成り行きを見守っていた。
「驚くのは仕方が無いが――聞こえておるぞ……。」
結三郎から離れたところで利春達がこそこそと話している言葉も、茂日出の方へと送信されていた。
結三郎の背後の者達の様子に茂日出の方も少し困惑気味な表情をしていたが、結三郎の真横に当たり前の様に座っている祥之助の姿に気が付くと、途端に眉間に薄く皺が寄り険しい表情になってしまった。
「武市の小倅も居るのか。」
鋭く祥之助を見据えた眼光の余波が明春達にも及んだ様で、相撲取りとして長く鍛錬してきた筈の親方でさえ足腰が立たなくなる程に圧倒されていた。
「……はい。……出張博物苑の話し合いに参加しようと思いまして……っ。」
画面越しとは言え、まともに茂日出と視線がぶつかってしまい、祥之助は頭を殴られたかの様な錯覚を感じてしまったが、何とか背筋を伸ばし持ちこたえた。
そんな祥之助の様子に茂日出は面白そうに唇の端を歪め、好戦的な笑みを浮かべた。
「ほう。少し面構えが変わったかのう。」
つい先日博物苑で対面したばかりだったのに、たった一日で祥之助の何かしら度胸が据わった様子を面白がり、茂日出は更に強く睨み付けた。
「!!」
眼力だけで気絶させられるかもしれない――と、祥之助が倒れそうになったところで結三郎が茂日出を窘めた。
「義父上~。少しは御自重下さい。」
「う、うむ。すまぬ。」
結三郎に注意を受け、流石の茂日出も祥之助を威圧するのを止めた。
「大丈夫か? ほら、しっかりしろ。」
結三郎は、傍らで頭をふらつかせ半ば意識を失いかけていた祥之助の体を軽く支えた。
「あ、ああ……。」
結三郎達の遣り取りを背後の離れた所で座って見守りながら、明春達もまた半ば腰を抜かしかけていた。
「――あの殿様、何で祥之助様の事あんなに睨んでんだ?」
「島津様――あ、あっちも島津様か。こっちの島津様、何で、あんなに威圧されてて平気なんすか……?」
庄衛門や利春がこそこそと話しているのを背中で聞きつつ、結三郎は取り敢えず祥之助の肩に手を添えて軽く支えながら話を始めた。
結三郎が祥之助の体に触れているのも余り気に入らない様子ではあったが、茂日出は一先ず耳を傾けていた。
「――ええと、以前に話が少し出たこちらの春乃渦部屋の方々の佐津摩藩邸と高縄屋敷への出稽古についてなんですが。杜佐藩邸にも稽古に出掛けるらしいのですが、やはり色々な所と稽古の縁を繋いでおきたいと言う事で……。」
結三郎が言い終わるか終わらないかの内に茂日出はあっさりと頷いた。
「ああ、前にそんな話もしておったな。構わんよ。この通信が終わったら屋敷の稽古場の責任者に言うておこう。本邸の方にも後で連絡しておくから、面倒を掛けるが本邸の方には近日中に手続きに行ってもらいたい。」
茂日出は背後の親方達へも一瞥を送り、親方と和尚は大きく頭を下げた。
「島津様の御厚情、真に感謝に堪えません。明日にでもすぐに御伺いさせて頂きます。」
「うむ。――ああ、高縄屋敷の方は初回の稽古に来た時にでも書類に一筆書いてくれればそれで良いからのう。」
屋敷の主であり一番の責任者である茂日出に話が通った為、高縄屋敷の方の手続きは今行なわれたと同様の様だった。
「あ、それとついでに屋敷の誰かに、お隣の杜佐藩邸に言伝をお願いしたいのですが。」
佐津摩藩邸への出稽古の話が終わり、結三郎は次の話に移った。
「ああ、ワシが行って来よう――。」
佐津摩藩前藩主が使い走りを引き受けるという発言に、親方と和尚は驚きに冷や汗を掻いていた。
「――殿。息抜きはさっきされたでしょう! ――結三郎様、伝言は私が行って参りますので。」
茂日出の背後から鳥飼部の咎め立てる声が響き、茂日出は残念そうに溜息を漏らした。
茂日出が嫌々半身をずらし、背後に立っていた鳥飼部――磯脇の姿が画面に映し出された。
茂日出の相変わらずの様子に結三郎は苦笑しつつ、磯脇へと用件を言い付けた。
「杜佐藩邸の相撲の総指南役の朝渦浅右衛門殿に、今日の夕方頃に甥御の広保殿が杜佐藩邸への出稽古の相談に伺いたいとの事だ。」
「かしこまりました。」
磯脇は軽く頭を下げ、早速杜佐藩邸へと出掛けるのか、画面の外へと去っていった。
磯脇を見送り、茂日出はまた軽く溜息をつくと結三郎の方を向いた。
「ではワシも仕事に戻る。話し合いの結果をまた知らせてくれ。」
「はい。」
結三郎が頷き、茂日出の姿が消えて通信が終了した。
その場の結三郎以外の者達は、思わぬ佐津摩藩前藩主との面会が無事終了した事に大きな安堵の息を漏らしていた。
「しかし流石頒明解化だなー。連絡の遣り取りが速やかで助かったな。」
さっきまで気絶しかかっていた祥之助も緊張から解放された事に安心し、呑気な言葉を口にした。
「……連絡の遣り取りが早いのは良いのですが、まさか我々庶民が佐津摩の前のお殿様にお目に掛かれるとは……。寿命が縮まりましたぞ。」
坊主頭にまだ冷や汗を掻きながら和尚はまた大きく息を吐いた。
「も、申し訳ございません。つい、いつもの調子で呼び出してしまい……。」
背後の離れた場所に居たとは言え、祥之助への威圧の巻き添えと言うとんだ御目見えになってしまい、結三郎は申し訳なく思いながら和尚達へと頭を下げた。
「――て言うか、祥之助様、あの殿様相手に五分間、ですか……?」
和尚の横に座っていた利春が言いにくそうに祥之助の顔を見た。利春の隣では春太郎が、ちょっとだけ漏らしてしまったと呟いていた。
「あれは――やばいよな冗談抜きで……。」
庄衛門や明春もこそこそとそんな事を言いながら頷き合っていた。
「ホントはここに居ないんでしょ? 道具の理屈はよく判らないスけど。それでもあの迫力は普通じゃないよ……。」
緊張が解けてやっと体が動く様になった春太郎が、マワシの股間の布の位置をずらし直した。厚手のマワシの布に少しだけ尿が漏れただけだったので大惨事にはならずに済んだ様だった。
「まあ、目標が高い事は素晴らしい事じゃと儂は思いますぞ……。」
親方もまた、自分が直接睨み付けられた訳ではなかったのに身動き一つ出来なくなっていた事に冷や汗をまだ額に滲ませながら、祥之助へと賛辞を送った。
「お前等、目標が高過ぎだとか何とか思ってるだろ。」
祥之助は少し拗ねた様にしながら、親方や明春達のまだ幾らかは緊張の抜けていない表情を軽く睨んだ。
「あ、いや~、その、あの殿様の若い全盛期の様子なんて恐ろし過ぎて想像も出来ないと言うか~。今もとんでもない実力でしょうし~。そんな御方に挑むなんて~……。」
「俺達なんて鼻息一つでほんとに殺されますよ……。」
明春がいつもののんびりした調子で言いながらも青褪めている横で、庄衛門も頭を大きく横に振っていた。
確かに我が義父上は老いた今も尚、余人の及ばない武の力を保ってはいたので明春達のお喋りを否定する事は出来なかった。
皆のそんな遣り取りを苦笑しながら眺め、結三郎は和綴じ本を閉じて背嚢へと仕舞い込んだ。
「まあ――我ながら無謀な話だとは思うけどよ。」
結三郎の横で胡坐をかいたまま祥之助は軽く背中を丸め、自嘲染みた溜息を吐いた。
それから背筋を伸ばすと、きっぱりと短く言い切った。
「――でも、やる。決めたんだ。」
ほんの微かに頬を染めて結三郎の方を一瞬だけ見て、皆に宣言する祥之助の様子に、その場の誰もが何かしら察するものがあったが、無粋な事を言う者は誰も居なかった。
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