第三話みっつめ、しるすこと 「銭金の工面に悩む内、行事催事多き夏を企てるに就いて記す事」其の七 照安和尚達の通信端末機械の値段に驚愕するに就いて記す事

第三話みっつめ、しるすこと

「銭金の工面に悩む内、行事催事多き夏を企てるに就いて記す事」

 「其の七 照安和尚達の通信端末機械の値段に驚愕するに就いて記す事」


 結三郎と祥之助が照応寺に着くと、敷地の土俵で広保親方や明春達がいつもの様に午前中の稽古を行なっている様子が目に入った。

「おはようございます。」

 自分も今日は相撲の稽古をしたかったのに――と、明春達の様子を見てほんの少し溜息をつきつつも、結三郎は親方や明春達に挨拶をしながら寺の門を祥之助と共に潜った。

「おはようございます!」

「おはようっす!」

 明春達は結三郎と祥之助の姿に気付き軽く頭を下げると、また四股や摺り足の稽古を続けた。

「おはようございます。祥之助様、島津様。」

 明春達には稽古を続ける様に言うと、親方は結三郎達のところへとやって来た。

「御無沙汰しておりました。先月の覚証寺の祭の時には大変お世話になりましたのう。」

「いえ、その節は私もお世話になりました。」

 親方がそう言って頭を下げ、結三郎も頭を下げ返した。

「して、今日は如何なされました? 祥之助様の方も一昨日いらっしゃったばかりですし……。」

 親方の問いに、結三郎がどう答えたものか少し困った様な曖昧な笑みを浮かべた横で、祥之助が結三郎の肩に手を置きながら明るく笑って答えた。

「どうしたもねえよ。一昨日の出張博物苑の話、早速島津の殿様が話をまとめてこいって御子息殿を派遣して下さったよ。」

「何と! 早速ですか! 何とまあ……!」

 祥之助の言葉を聞いた親方は喜びつつも、茂日出公の対応の早さに驚きの方が強い様だった。

「――もし~すみません~。」

 結三郎達がそんな遣り取りをしている背後――寺門の方から、新たな来客らしく、敷地の中へと呼び掛けてくる声が聞こえてきた。

「ん? 誰だろう?」

 結三郎達が振り返ると、門の所には色褪せた紺色の小袖を着た白髪頭の老人が立っていた。

「ん? あー、あれ、力士長屋の長太郎んトコの政吉(せいきち)爺さんじゃねえか。」

「そうなのか?」

 見覚えのある顔で誰だったかをすぐに思い出し、祥之助は結三郎と親方に説明してから老人――政吉爺さんのところへと歩いていった。結三郎と親方も少し離れてその後に続いた。

「どうしたんだ? 長屋で何かあったのか?」

 政吉爺さんに祥之助が心配気に尋ねると、彼は慌てて両手を振って否定した。

「いやいやそんな大層な事ではねぇです。長屋のかみさん連中から使いを頼まれただけです。」

 政吉爺さんの話によると、活動写真を見に麻久佐に出掛けたいという考えや面子はまとまったものの、女子供、老人だけで町に出掛けるのは安全の面で心配だとおかみさん達から意見が出た。

 先日、祥之助が春乃渦部屋の者達にも入場券を持って行くと言っていたので、もしも部屋の力士達も麻久佐に出掛けるのならば日程を合わせて一緒に出掛けられないものか相談をしたい――と言う事だった。

「もしご都合がよろしい様でしたら今日の昼過ぎにでも、女連中の誰かがこちらに相談に来たいと――。」

 朝から昼にかけての今の時間帯は、夫達を仕事に送り出した後の家事や子供の世話等で慌ただしく、それらが一段落した昼過ぎが彼女達が動き易いとの事だった。

「成程のう。明春達の都合についてはワシは構わぬぞ。皆で出掛けるのも賑やかで楽しかろう。」

 政吉爺さんからの話を聞き、親方が頷いた。

「じゃが、一応和尚にも言うてくる。少し待っていて下され。」

 政吉爺さんにそう言うと親方は庫裏の方へと小走りで向かった。

 少ししてから親方が照安和尚を伴って寺門の方へと戻って来た。

「これは島津様。」

 和尚は結三郎の姿にも気付き、にこやかに頭を下げた。

 それから政吉爺さんの方へも頭を下げ、

「わざわざ御苦労様です。今日は昼からは予定は空いておるのでおいで下さい。皆で日程を合わせて出掛けましょうぞ。」

 和尚の返事に政吉爺さんも安心した様でほっと息をついた。

「皆さんがご一緒ならとても心強うございます。では昼過ぎによろしくお願いいたします。」

 政吉爺さんはそう言って大きく頭を下げて礼を言い、また力士長屋へと帰っていった。

「おかみさん達と子供達と政吉爺さんと――それから明春達か。結構大所帯になるなあ。」

 政吉爺さんを見送り、祥之助が出掛ける面子を指を折って数え始めた。

「取り敢えず明春達にも声を掛けておこうか。」

「そうじゃな。」

 親方の言葉に和尚も相槌を打ち、土俵の方へと足を向けた。

 結三郎と祥之助もそのままその後に続いた。 

「おーい、お前達。」

「おっす。」

 稽古中の明春達へと親方が声を掛けると、皆が手を止めて汗を拭きながら親方の方へとやって来た。

「麻久佐に活動写真を見に行くという話じゃが、力士長屋の――全部力士長屋じゃからややこしいのう。――あー、明春の所の長屋のおかみさんや子供達と日を合わせて出掛ける事にしたから、そのつもりで。今日の午後におかみさん達といつにするか話し合うので、決まったらまた伝える。」

 親方の言葉に明春達はわっと声を上げて喜んだ。

「やった! 休みだ!」

「麻久佐見物もしたいなあ――で、カツドウシャシンて何すか?」

 お互いに喜びながら皆が口々に話し始めた中で、春太郎が無邪気に笑いながら親方へと尋ねた。

「お前なあ……。」

 春太郎の問いに親方は呆れた様に軽く溜息をついた。

 新聞や雑誌等も一応は広く発行され始めたものの、全ての人々に新しい物事の情報が行き渡っている訳ではなかったので、春太郎の様にちょっとした頒明解化の産物を知らないと言う事も珍しい事ではなかった。

「前に領石(りょうごく)に藩の相撲大会を見に行った時に俺等、外の銀幕で試合見ただろ? あんな感じで芝居とか劇とかを見るんだよ。」

 春太郎の隣で庄衛門が説明した。

「そうそうそう。そんな感じだな。でかい幕に芝居が映されるから結構な迫力なんじゃねえか?」

 庄衛門の説明に祥之助が続いた。

 結三郎は横で皆の遣り取りを聞きながら、あの大会の試合は自分が不浄負けになりケツサブロウという仇名を付けられた原因だったので、その事に触れられはしないかと少し落ち着かない気持ちになってしまっていた。

「へええ。そりゃ凄そうだ。」

 春太郎や利春が領石で相撲の試合を見た時の事を思い出しながら、芝居の上映についても想像した。

 あの時会場の外の銀幕で見た相撲の試合も、臨場感溢れる大変な迫力で映し出されていた。あれと同じ様に芝居も映し出されるのだとしたら、とても素晴らしいものになるだろう。

 春太郎達は活動写真を見に行くのが待ち遠しくなっていた。

「――そういや、島津様は今日はどうされたんですか~?」

 そんな話の後、今更ながら結三郎の姿に気付き、明春がのんびりした調子で問い掛けてきた。

「あ、ああ。麻久佐に出掛ける話に気を取られてしまったな。」

 結三郎も苦笑しながら軽く頭を掻き、改めて和尚や親方、明春達に今日の用事について話をした。

「武市殿から話のあった出張博物苑についての話をまとめに参りました。島津茂日出公からは、前向きに検討したいとの返事です。」

「前向きも何も、あの殿様、蓑師摩寺とかいう親戚の寺も含めた照応寺とかの寺社で、何の催し物やるか殆ど紙に書き終わってたぜ。」

 結三郎が和尚と親方にそう告げたところで、祥之助が結三郎の肩に手を置いて笑いながら明け透けな事を言い放った。

「……。」

 結三郎は祥之助を軽く睨んだが、和尚達の手前、いつもの調子で声を上げて注意する事は自粛した。

「何と、まあ!」

 祥之助の言葉に和尚や親方だけでなく、近くで話を聞いていた明春達も驚いていた。

「しかし潮地和尚達にも声を掛けてきちんと皆で話をせねばなりませんのう。申し訳ありません。折角御足労頂いたのに。」

 照安和尚達だけでの独断をする訳にもいかないので、和尚は申し訳無さそうに結三郎へと頭を下げた。

「いいえお気になさらず。一先ず持って来た覚書等を今日のところは和尚様達にざっと説明してから、後日改めて……。」

 結三郎の方も何の先触れも無く、今日来て今日すぐに話がまとまるとも思ってはいなかったので、軽く頭を横に振って答えた。

 まだ全く電話の普及していない今の日之許ではこの様に、時間や手間のかかる遣り取りが普通だった。

 結三郎の言葉に、親方が明春達へと目を向けた。

「折角御足労頂いたのにそれではやはり申し訳無い。明春達をひとっ走り、使いに出そう。」

「えええ……。」

 親方の提案に、露骨ではなかったが利春や春太郎は少しめんどくさそうな顔をしていた。

 親方はそんな二人に軽く顔を顰め、一睨みした。

「近くを走るのも鍛錬の一環じゃろうが。」 

「よろしいのですか?」

 結三郎が問うと、和尚の方も親方と同意見の様で、

「構わぬでしょう。昭文(しょうぶん)殿達が今日来られる様ならそれに越した事は無いし。今から知らせれば昼過ぎには皆集まれるでしょう。長屋のおかみさん達との話と順番に行なっていけばよろしかろう。」

 その言葉に親方は軽く手を叩いて明春達を促した。

「よし決まりじゃ。手分けして知らせて来い!」

「あの~、手分けって、一人一ヶ所だと、一人余るんじゃ~……。」

 そっと控え目に片手を上げて明春が親方へと問い掛けた。

 親方の方がむしろ不思議そうに首をかしげて明春へと問い返した。

「ん? 走り込みの鍛錬も兼ねると言ったじゃろう。一ヶ所に二人でも構わぬ。兎に角お前達全員走って来い!」

 親方にそう急き立てられ、明春達はマワシの上に慌てて着流しを羽織ると駆け出していった。

「話が早くまとまりそうで良かったです。有難うございます。」

 慌てて走り去っていく明春達をやや苦笑交じりに見送りつつも、彼等の鍛錬になるのならば構わないだろうと結三郎はさして同情もせずに親方へと礼を言った。

 距離の長さを問わず走る事もまた力士の鍛錬の一つであり、お抱え力士の鍛錬の基準ではここから覚証寺等へ走る事は散歩にもならないものだった。

「あ、皆様が集まるならば、蓑師摩寺の和尚殿も同席してもらった方がよろしいですよね……。」

 一応の建前として佐津摩藩からの寄付金は、島津家の親戚の蓑師摩寺を通じて科ヶ輪の町の寺社に配られるという事になっていたのを思い出し、結三郎は和尚と親方の方を見た。

「そうですなあ……。いらして頂くに越した事は無いですが……。」

 交流が無い訳ではなかったが島津家の親戚の大きな寺と言う事で、そこの和尚殿を呼び付ける事に照安和尚は少し気後れしている様だった。

「ここからだとちょっとだけ遠い位か? 俺が行って来ようか?」

 照安和尚と違って、そんな気遣いを全くしていない祥之助が和尚達に呑気な調子で尋ねた。

「ああ、そこまでしなくても大丈夫だ。電話――ええと、通信の機械があるので、それで連絡を取ってみる。向こうが取り込み中でなければ、すぐに都合が判る筈だ。」

 祥之助へとそう答え、結三郎は電話をする為にその場から少し離れようとした。

 それを祥之助は結三郎の着流しの裾を掴んで引き止めた。

「何だ何だ? 何か面白そうな頒明解化の道具なのか? ――そういや昨日、何か変な板の道具で殿様呼び出してたっけ。」

 先日の印刷機械本体こそ見る事はなかったが、色鮮やかな入場券や力士達の絵姿といった印刷物や、茂日出公を結三郎が呼び出した板状の道具の事等を思い出し、便利で面白そうな道具への好奇心で祥之助は目を輝かせていた。

「折角だし、使ってるトコ見せてくれねえか?」

「ええぇ……?」

 祥之助の言葉に結三郎は少し困った様に眉を下げたが、和尚や親方も幾らかは興味のありそうな表情で祥之助と結三郎の遣り取りを見守っていた事に気が付いた。

「ほう、頒明解化の産物ですか。離れた場所の人とすぐに話が出来るとは、神々の神通力の様ですな。」

 和尚も便利な道具の話に感心した様子だった。

「困ったな……。余り誰彼に見せびらかす様なものではないのだが……。」

 結三郎がどうしたものかと軽く頭を掻いて溜息をついたが、祥之助は結三郎の横に回り込むと背中を叩きながら本堂の方へと促した。

「いいじゃねえか。どうせ俺達にはカラクリ道具の細かい理屈なんて判らねぇんだから。ちょっと珍しい道具を見てみたいだけなんだからよ。」

 祥之助が深く考えていないのはいつもの事だったので、その言い分は判らないではなかった。

「まあ……、それはそうだろうけど……。」

 結三郎はこの場に居る三人だけならば大した影響も無いかと思い直し、祥之助に促されるまま本堂で蓑師摩寺への連絡を行なう事にした。



 本堂の中へと入ると、結三郎は奥の仏像へと軽く礼拝してから、出しっ放しにされていた座卓の前へと腰を下ろした。

 祥之助も結三郎に倣って手を合わせた後、結三郎のすぐ隣へと座った。

 何となく祥之助の座った位置が自分に近過ぎではないかと思いながらも、結三郎は取り敢えず背嚢を下ろして中からいつもの和綴じ本の板状端末機械を引っ張り出して座卓の上へと置いた。

 濃緑色の厚手の和紙の表紙を開くと、端末板の電源を入れ電話機能を起動させた。

 楷書体の文字で「電話帳」と書かれたアイコンへと結三郎が触れると、画面にあいうえおの栞が現れ、結三郎は「し」の島津法晃良(しまづ のりあきら)――蓑師摩寺の和尚を選択した。

「おおー、何かよく判らんがスゲェなあ。」

 結三郎が端末を操作する様子を祥之助は感心しながら眺めていた。

 「島津法晃良」「呼び出し中」の楷書体の縦書きの文字が大きく表示され、雀か何かの小鳥の囀りを模した軽やかな呼び出し音が暫く鳴り続けた。

 和尚や親方も、二人の背後から少し離れた場所に座って珍しそうに端末板の表示を見ていた。

 やがて表示が切り替わり、濃い灰色の作務衣を着た禿頭の老人が現れた。

「結三郎にございます。突然の連絡、申し訳ございませぬ。」

「結三郎か。久しいのう。――この様な道具での遣り取りじゃ。突然も何も、即時連絡がこの道具の持ち味であろう。お互いにそこは気にするまい。」

 結三郎の挨拶に、画面の中の法晃良和尚は鷹揚に笑いながら答えた。

「実は――。」

 結三郎が電話の理由を説明しようとすると、法晃良和尚は先に口を開いた。

「茂日出公から昨夜電話が掛かって来て、大まかな話は聞いておる。出張博物苑とやらの催し物じゃろう。打ち合わせについて結三郎からも連絡があるだろうとも聞いておった。」

「そうでしたか……。」

 法晃良和尚の話に結三郎は苦笑を浮かべた。

「何だよ、あの殿様、すっげえやる気満々じゃねえかよ。」

 結三郎の隣で祥之助は、茂日出の行動の早さに驚きながらも感心の言葉を漏らしていた。

「――こら、電話中だから静かにしろ。向こうからも見えてるんだぞ。」

 結三郎は傍らの祥之助に小声で慌てて注意をした。

「ご友人かな? ――ああ、照安殿も居られるのか。」

 祥之助と、結三郎の背後に座っている照安和尚と広保親方の姿に気付き、法晃良和尚は軽く会釈をした。

「照安殿、御無沙汰でございますな。この様な通信の道具越しの挨拶じゃと、何とも奇妙な心地ですが……。」

「こちらこそ。今回は色々と有難うございます。――しかし何とも不思議で便利な道具でありますな。離れた場所の者と即時に話が出来るとは。」

 照安和尚も改めて姿勢を正して挨拶を返した。

「全くですな。わたくしも道具の理屈はさっぱり判らぬのじゃが、茂日出公から通信道具の試験をしたいと持たされましてな。どうも島津の親戚一同に配って回った様で。まあ、御蔭で佐津摩本国の親戚やら孫達やらともすぐに連絡が取れるので重宝しておりまする。」

 可愛い孫達との即時の遣り取りを思い出したのか、法晃良和尚の表情が何処か嬉しそうに綻んでいた。

「まあ、それはそれとして、打ち合わせは今日行なうのじゃろう? わたくしも今からそちらの寺に出掛けましょう。」

「はい。お手数をおかけしますがよろしくお願いいたします。もしも他の方達の都合が悪い場合はまたすぐに連絡いたします。」

 法晃良和尚の言葉に結三郎と照安和尚は頭を下げた。遣り取りを見守っていた広保親方も照安和尚の隣で慌てて端末の画面へと頭を下げた。

 祥之助だけは一人呑気に、端末の光沢のある樹脂の画面をぴかぴか光って綺麗だなと面白気に眺めていた。

「まあ、余り時間が無い時でも、この電話をそちらと繋いだままにしておけば話し合いへの参加が出来ますからのう。」

「成程。その様な使い方も出来るのですな。」

 法晃良和尚が軽く笑いながら言い、照安和尚も電話の便利さに感心していた。

「では後に――。」

 照応寺に出掛ける準備の為、法晃良和尚は軽く頭を下げて電話を切った。

 端末の画面が暗くなり、それを覗いていた結三郎達の顔が反射されて浮かび上がった。

「便利でいいなあ頒明解化。これがあれば来週の藤枝原村からも――。」

 結三郎の顔を見ながら連絡が取れるのに……。

 遠く離れていても即座に結三郎の顔が見られて話が出来る道具というのは、今の祥之助が心から欲しいと思っている物だった。

 祥之助は表示の消えた端末板を羨ましそうに見つめていた。

「すまんな……。」

 端末板を見つめる祥之助の横顔へと、結三郎は申し訳無さそうに声を掛けた。

「まだまだ一般庶民どころか余所の藩主にすら販売する目途は立っていないんだ。――そんな内から下手に見せびらかすと無用な嫉妬や意図しない物欲を刺激し過ぎるから、気を付ける様にと義父上や鳥飼部達から注意を受けてはいたのだが……。すまない、俺が軽率だった。」

 祥之助へと結三郎は深く頭を下げて謝った。

「え!? いやいや、お前がそこまで謝る事じゃねえよ! いやこっちこそすまん! そこまで欲しいという訳じゃないし。」

 結三郎の謝罪に、祥之助の方がむしろ慌てて深く頭を下げ返した。

 結三郎に謝罪させるようなつもりは毛頭無かったのに、結三郎に気を遣わせてしまった事に祥之助にもまた申し訳無い思いが湧いていた。

「何十年か百何十年か、先の時代には庶民でも手軽にその様な道具が使える様にはなるのでしょうが、今見せられても余りに現実離れしておりますから、結三郎様がそこまでお気になさる事も無いでしょう……。」

 結三郎と祥之助の謝罪のし合いを見守っていた照安和尚が、結三郎へと優しい笑みを向けた。

「そうじゃな。先の時代に進み過ぎた道具じゃから、逆に昔話に出てくる宝物についての説明でも聞くかの様な、その程度のまるで実感の無い話じゃから、却って大丈夫なんじゃないのかのう。」

 広保親方も照安和尚の後に同意の言葉を続けた。

 どんな病気でも治す丸薬とか、幾らでも水や塩が出てくる瓢箪とか――昔話に出て来る様なそうした宝物の話を聞いて憧れたり欲しいとは思うだろうが、是非とも入手したいという切実で生々しい欲望にはなかなか変化する事は無いだろう。

 通信の道具についてもまだまだそうした域に留まっているのではないか――和尚や親方は楽天的な認識を結三郎へと告げた。

「そう……だと良いのですが……。」

 結三郎はまだ少し心配気に呟きを返した。

「まあ百年後位には博物苑で売り出すとして、因みに今買うとしたら幾ら位するもんなんだ?」

 胡坐をかいたまま結三郎の方へと体を向け、何処までも呑気な調子で明るく笑いながら祥之助は問い掛けた。

「――う、うむ……。」

 すぐには計算が出来ず結三郎は祥之助から軽く目を逸らし、大雑把に値段を計算し始めた。

「――多分、ここの寺を含めた近所というか――科ヶ輪の一角の、結構な範囲の町の土地や家屋敷丸ごと買える様な感じ……だろうか。」

「!!」

 結三郎が何処か申し訳無さそうな口調で答えた内容に、祥之助も和尚や親方も驚き過ぎてひっくり返りそうになっていた。

 奥苑の倉庫の中には予備や旧型の端末機が無造作に山積みにされていたが、今現在日之許では一般には全く出回っていないので、値段を付けるとすればかなりの額にはなるのだろう。

 精介の世界では、日之許ではそれだけの値段のものが多くの人々に行き渡っており、手軽に気安く使われている事を知れば彼等はまた更に驚く事になるだろう。

「何ともとんでもない値段じゃな……。そこに金銀財宝を挟み込んでいる様なものではないか。」

 親方が呆然と呟き、和綴じ本の中に挟まれている端末板を眺めた。

「うむ……。確かに島津公から御注意を受けるだけの事があった訳じゃな……。そこまでの値段だとは。……人間の欲望は限りが無いからのう。程々のところで満足したり我慢したりする事を学ばねばのう……。」

 和尚がそっと溜息を漏らし、親方と結三郎が頷いた。

「――百年待つ事考えたら、まあ……藤枝原村の四日位は我慢しなきゃなあ……。」

 祥之助だけは一人、見当外れの方向での我慢という事について考えていた。



 昼過ぎに力士長屋のおかみさん達や、蓑師摩寺の法晃良和尚が来る事となったので、結三郎と祥之助はそのまま今日は暫く照応寺で過ごす事となった。

 そうする内に使いに出ていた明春達四人も帰って来て、潮地和尚達も皆今日来る事が出来るという返事を持ち帰ってきた。

 今日の内に話がかなりまとまりそうで良かったと思いながら、結三郎は明春達が和尚に報告する様子を眺めていた。

 明春達が話し終えたところで祥之助が次に和尚と親方へと話し掛けた。

「――野菜やら干し魚やらは昨日の配達だったっけ? 俺達の昼飯の材料をちょっと買って来ようと思うんだが、足りなさそうなら何かついでに買ってくるが……。」

 先月の覚証寺の夏祭り以降、春乃渦部屋への支援として浅右衛門爺やを初めとする朝渦家の本家の何人かと、祥之助の小遣いから食費が出され、商店への支払いに充てられていた。

 意地を張り過ぎず適切に親類や知人の助力を得るべきだと、浅右衛門爺やから親方は諭され、食費の支援を受ける事を承諾したのだった。

 杜佐藩は相撲の振興に力を入れているので、杜佐藩に留まらず諸国の相撲の神に関する神社や、小さな相撲部屋等に定期的継続的な寄付をする事も多かった。

 春乃渦部屋もそうした杜佐藩の相撲への信仰や振興の一環としての寄付を貰うという方向で話がまとまっていた。春乃渦部屋への支援の手続きが完了するまでは、取り急ぎは有志の者達からの寄付を行なうという体裁を取る事にしていた。

「御蔭様で二日に一回、野菜や魚、肉や卵等、充分な量が届く様になりました。真にかたじけのうございます……。」

 まだ充分には割切れてはいない様ではあったものの、親方は祥之助へと礼を述べた。

 自分一人の意地だけに拘って弟子達に迷惑を掛ける訳にはいかないとは親方も判ってはいたので、以前程頑なになる様な事は無くなってはいた。

 浅右衛門爺や達からの寄付金により、照応寺の近所の幾つかの商店から二日に一度食料の配達が行なわれる様になったのだった。

「あ、味噌と料理用の酒が少し足りなくなっておりますので、大変申し訳ありませんがお願い出来ますかのう……。」

 和尚が台所の様子を思い出し、祥之助へと頭を下げた。

 明春達が今の時期は稽古で大量に汗を流すので、ちゃんこ鍋等の料理の味付けが濃くなりがちで意外と味噌の消費が早かったのだった。

「判った。味噌と酒だな。荷車も借りてくぜ。――じゃあ行ってくる。」

 祥之助はそう言って結三郎の背中を叩いて促した。

「……。」

 当然の様に自分が買い物に付き添うものとして連れて行かれる事に、何となく釈然としないものを感じながらも結三郎は取り敢えず祥之助に従って歩き始めた。

「あ、俺等も買い物手伝います。」

 利春が気を利かせたつもりで祥之助へと声を掛けたが、明春が苦笑しながら利春の肩を叩いて止めた。

「少しは気を遣えよ~。祥之助様、二人きりになりたいんだろ~。」

 小声で言ってくる明春に、利春も納得した様に声を上げた。

「あー! あー成程な……。確かに邪魔しちゃ悪いな。」

「俺達は飯の準備を始めるまでは真面目に稽古してよう~。」

 明春の言葉に利春達は納得し、土俵の方へと戻っていった。



 寺の小さな荷車を借りて祥之助が牽くすぐ横を結三郎は歩いていた。

「最初は酒屋かな。」

 照応寺から近い所にある小さな酒屋は、先月の夏祭りの相撲大会の祝勝会の時に追加の酒を買いに祥之助達が立ち寄った店だった。

「俺も今日はきちんと財布に金は入れてるからな。」 

 あの時持ち合わせが殆ど無かった事を思い出し、結三郎は胸元に仕舞っている巾着袋へと手を触れながらしっかりと祥之助へと告げた。

「俺は今日も持ち合わせは無い! けどまあ、酒と味噌は寺の連中への買い物だから今支払いしなくとも構わんだろ。」

 全く考え無しに明るく笑いながら祥之助は言い放ち、店の前に荷車を停めると店の中へと入っていった。

「え? いや、酒屋は兎も角、他の店だと困るんじゃないのか?」

 結三郎が祥之助の背へと慌てて声を掛けるが、祥之助は気にした様子も無く酒屋の老店主へと料理用の酒を頼んでいた。

「これは島津の若様、先日はどうも……。」

 祥之助に続いて店に入ってきた結三郎の姿に店主が気付き、にこやかに頭を下げてきた。

 先月、佐津摩藩の藩札で買い物をしていった結三郎の事は、良くも悪くも強く印象に残っていた様だった。

「あ、ど、どうも……。」

 少し居心地が悪い様な気がしながらも、結三郎も店主へと頭を下げ返した。

 こんな小さな――と言っては誤解を招く言い方になってしまうが、町の酒屋で持ち合わせが無く藩札で買い物をしてしまった事は、結三郎にとっては余り恰好の良いものではなかった。

 それに何より小さな店に換金の手間を掛けさせた事を申し訳無く思っていた。

「あの藩札、娘夫婦と高縄の方に一緒に出掛ける用事があった時に、高縄のお屋敷にも行ってもらって、無事換金できました。いやあ、長生きはしてみるもんですなあ。佐津摩藩のお屋敷なんて一生縁が無い様な所を見る事が出来まして……。」

「そ、そうでしたか……。」

 換金の手間を気にした様子も無い老店主の言葉に、結三郎はぎこちない笑みを返した。

 無事換金出来た事もだが、老店主は高縄屋敷の中に入れた事も観光が出来たかの様に嬉しく思っている様子だった。藩札の換金の手間を掛けさせて申し訳無いと思っていた結三郎の罪悪感等も、老店主の喜んでいる様子に少し薄らいだ。

「――ん? これ高縄屋敷で仕入れたのか?」

 傍らで店主と結三郎の話を眺めていた祥之助が、子供用の甘酒や夏ミカン水の入った樽を並べている台の所に、絵札や絵本が少し置かれているのを見つけた。

 大根、茄子、菊芋の精霊と共に見得を切る剣士――お野菜剣士の白黒印刷の絵札と絵本だった。

 店主は白髪頭を掻きながら、少し照れ臭そうな笑いを浮かべた。

「へい。孫への土産に買って行ったら近所の子供等も欲しがってたんで、試しに仕入れて売ってみたら意外と売れるんで……。」

 酒以外にも子供用の飲み物を買いに来た親子連れが買って行くのだという。

 絵札は意外と剣士・小松波之助のものが母親達に人気で売れているという事だった。

「へえ~。なかなか人気だなお野菜剣士。」

 店主の話を聞き祥之助は感心していた。

「これもお二方が藩札で買い物して下さった御蔭です。」

 老店主は嬉しそうに頭を下げ、酒の量を少し多めにおまけしてくれた。

 藩札の取り持った酒屋と高縄屋敷との縁に結三郎と祥之助は苦笑しながらも感謝し、酒屋を後にした。

 次に二人は八百屋、魚屋――と順番に巡っていき、最後に寺から一番離れていた味噌屋へと向かう事にした。

 どうせ春乃渦部屋の連中の食事といっしょくたにして調理をするのだし、そもそも食費の支援費用には自分の出した金も入っているのだからという理屈で、祥之助は今日の支払いも支援費用にツケる様にと商店の者達に頼もうとしていた。

 しかしそこは生真面目な結三郎の事で、和尚に頼まれた料理酒と味噌以外の支払いは結三郎が行なっていった。

「全く真面目なんだからよー。」

 荷車を牽きながら祥之助は軽く溜息を漏らし、傍らを歩く結三郎を見た。

 相変わらずのいい加減な調子の祥之助を、結三郎もまた少し咎める様な目で見返した。

 しかし祥之助は結三郎の視線を気にした様子も無く、むしろ楽し気に受け止めていた。

 荷車に積まれた荷物は多くなり重くなっていたものの、牽いている祥之助は笑っていた。

「何かご機嫌の様だな?」

 祥之助の様子に結三郎が不思議そうに尋ねると、

「あー、何か楽しくてなー。所帯を持ったりしたらこうして一緒に買い物に出掛けたりするのかとか考えたりしてなー。」

 祥之助は結三郎の問いにそんな答えを返した。

 結三郎と所帯を持てばこんな風に二人で買い物に出掛ける事もあるだろう――まあ、たまには精介も入れてやって三人で買い物に出掛けるのも、日々の暮らしを営んでいるという実感があって楽しそうだ――と、祥之助はそんな妄想に心を遊ばせていた。

「なっ……! しょ、所帯って……。山尻殿と三人って……!!」

 妄想の内容も祥之助の口から漏れており、それらを聞いた結三郎は一遍に顔を赤く染めてしまっていた。

 祥之助の中では正室が結三郎で、側室が精介と、既に決まっていた様だった。

「お、お前……っ。そ、そんな、所帯を持つ承諾なぞ、お、俺はまだしてない――。と言うか、そもそもまだ申し込まれてもいないというかだなっ……。」

 首から上を真っ赤に染め、結三郎は慌ててしまいあれこれと言い立ててしまっていた。

「あ、そ、そうだったな。すまんっ。まだちゃんと申し込みしてなかったな。」

 祥之助も結三郎のうろたえた様子に釣られたのか、思わず慌てて謝ってしまっていた。

「申し込みはいずれ必ずする! 目下の目標としては茂日出公相手の試合に五分間位持ちこたえる自信がついてから――。」

 婚姻の申入れなのか相撲の試合の申入れなのか、他人が聞けば判らなくなる様な祥之助の発言だった。

「――は?」

 その発言の意味の判らなさに結三郎は顔の赤みも失せて、思わず首をかしげてしまっていた。

 祥之助は荷車を牽く足を止めて、結三郎へと少し緊張気味の顔を向けた。

「いや、何かの噂話で聞いたんだが、四、五十年位昔の佐津摩の侍は、嫁を貰う時の相手方の家への申し込みの時に、相手の父や兄と武術なり剣術なりの果し合いをするという風習があると聞いた事があってだな……。」

 こいつは何を言っているんだろうという驚きに呆気に取られている結三郎の顔を見つめながら、祥之助は言葉を続けた。

「申し込む婿の側が勝つに越した事は無いが、そもそもは婿の力量や意気込みを図る為のものらしいんで、父兄に負けたとしても認められる望みはあるらしいんだが――。」

 前にも祥之助の突拍子も無い発言に首をかしげ続けた事があった気がする――と思いながらも、やはり結三郎はまた首をかしげてしまっていた。

 

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