第三話みっつめ、しるすこと 「銭金の工面に悩む内、行事催事多き夏を企てるに就いて記す事」 其の十四 結三郎達一行の活動写真観賞に就いて記す事
第三話みっつめ、しるすこと
「銭金の工面に悩む内、行事催事多き夏を企てるに就いて記す事」
「其の十四 結三郎達一行の活動写真観賞に就いて記す事」
「あー! 何か変な鳥……と、若様じゃないの、あれ!」
「おー、若様じゃねえの。」
「ほんとだー。」
精介とダチョウが図書館の近くまでやって来ると、千代の驚いた様な声に続き、子供達の嬉しそうな声が聞こえてきた。
結三郎達一行は丁度図書館の玄関口にやって来ており、そこからダチョウと精介の姿に気が付いた様だった。
「おー! 久し振り。」
目は結三郎と祥之助を追いながらも、長屋の子供達やおかみさん達、明春達へと精介は手を振った。
ダチョウと共に精介も図書館の玄関へとやって来ると、皆が精介との久々の再会を喜びながら迎えてくれた。
「何とか間に合って良かったな。」
何故なのかは精介には判らなかったがリヤカーを引いていた結三郎が、笑いながら精介を迎えた。
「別に無理して来なくても良かったのにな。まあ、来ちまったもんはしゃーないか。」
結三郎を独り占め出来なくなり残念そうに祥之助は言いながらも、まあ来たら来たで精介も可愛がるかと気を取り直した様だった。
精介が活動写真の時刻に間に合った事を喜んだ後、皆の視線は精介の横に立つひょろ長い見慣れない大きな鳥へと集まった。
「初めまして皆様。」
皆の戸惑う視線に動じた様子も無く、ダチョウは軽く頭を下げて挨拶をした。
「しゃ、喋ったあああ!?」
皆から一斉に驚きの声が上がった。
その様子に結三郎は苦笑しながら口を開いた。
「まあ、驚くのも無理は無いな。――博物苑奥苑で暮らしている外国の鳥の精霊殿だ。ダチョウという種類の鳥だが……。」
「呼び名はダチョウでよろしゅうございますよ。」
結三郎からの紹介に続き、ダチョウは皆へと優しく微笑んだ。
「何と……! 精霊様ですと……?」
和尚や親方は驚きに言葉が詰まり、ダチョウの姿を仰ぎ見ていた。
彼等の隣で政吉爺さんはひたすら有難がって手を合わせてダチョウを拝んでいた。
「へえええー。ほんと今日は色々と珍しいもんを拝めるもんだねえ。」
「本物の精霊様だって。きっと何かいい事あるわよ!」
精霊への少しの畏れや物珍しさの入り混じった感情に、おかみさん達は多少ダチョウを遠巻きにしながらも子供達と共にいつもの調子で口々に喋っていた。
「――まあ、暑いしそろそろ中に入りましょうか。」
結三郎が促すと、皆はぞろぞろと図書館の玄関へと続く階段を上がっていった。
「おお、流石アカシ何とか。車椅子用の坂道も付いてるっすね。」
リヤカーを引く結三郎と自転車を押す精介は、階段の横に作られていたスロープの方から玄関へと上がった。
「クルマイス?」
玄関の扉の所で待っていた祥之助が首をかしげた。
「あ、えーと、椅子にこういう車輪が付いてて、足の不自由な人とかが移動するのに使うんすけど。こういうユルい坂道があると人の手をあんまし借りずに施設の出入りが出来るって言うか……。」
社会科の授業で大雑把ではあったが社会福祉関係の事も習った事を思い出しながら、精介は自分の自転車の車輪を示しながら祥之助へと答えた。
「流石若様、物知りだねー。」
「あー、成程ね。この子達が赤ん坊の時に奮発して乳母車借りたけど、階段やら何やらで遠回りになって結局使いにくくて返したけど、こういう小っちゃい坂道があちこちにあったらもっと乳母車も使えたわねえ……。」
良子や律が精介の説明に頷きながらまた喋り合っていた。
図書館に入るに当たり、流石の証宮離宮殿でも自転車置き場はまだ整備されてはおらず、玄関口の片隅に精介は自転車を停める事にした。
鍵を掛けようと精介が車輪に手を伸ばしたところで、祥之助が少し呆れた様な口調で声を掛けてきた。
「そんなトコに置いといたら抱えて持ってかれるぞ? 結三郎の荷車も……多分。」
日之許では木製の試作品の様な自転車でさえまだ余り普及していなかった。金属製の洗練された形の自転車ならば高価な物だと余計に目を付けられてしまうだろう。
リヤカーの方も同様に狙われるだろうと思われた。
リヤカーも精介の自転車の横にでも置いておこうと寄せていた結三郎は、祥之助の言葉に立ち止まった。
「そっ、そうっすか……。そうっすね! まずいっす。」
祥之助の言葉に、ここに来る途中の街路市でのペットボトルのカツアゲやダチョウの羽を巡っての殴り合いを思い出して精介は背筋を正した。
証宮離宮殿の敷地内とはいえ、一般人が自由に出入り出来る区画だったので警備員の目を逃れて盗んでいく者も居るかも知れなかった。
「仕方が無い。図書館の職員に事情を話して、窓口近くの何処か目の届く所に置かせてもらおうか……。」
停めかけていたリヤカーを引っ張り直し、結三郎は図書館の中に入る事にした。
白木を格子に組んだ細工の施された玄関口の引き戸を開けて皆が中に入ると、短い廊下が真っ直ぐに伸びており、両側の壁には様々な告知を貼ったポスターや司書達が特に紹介したいという本が並べられた小さな台があった。
館内は結三郎が言っていた通り空調が効いており、涼し気な空気で満たされていた。
「おおー、涼しい~。」
「あ、お野菜剣士の絵がある。」
「絵本も!」
大人達が館内の涼風にほっと一息つく横で、太一郎や千代達が活動写真のポスターや、それに合わせた特集として台の上に飾り付けられた絵本を嬉しそうに指差した。
「お野菜剣士の他にも色々絵物語も置いてあった筈だから、中で探してみるといいよ。」
「はーい。」
結三郎の言葉に子供達は素直に返事をし、一先ずは展示台を通り過ぎた。
短い廊下の向こうには障子を思わせる細身の木組みの引き戸があり、それには紙の代わりにガラスが使われており向こう側の図書室の様子が微かに見えていた。
結三郎に先んじて気を利かせたのか祥之助が引き戸を開いて壁際に寄った。
「あ、すまんな。」
結三郎が礼を言ってリヤカーを引いたまま中に入り、皆もその後に続いた。
「――…………!」
おかみさん達や子供達、政吉爺さん、和尚や親方、明春達、皆は揃って引き戸をくぐってすぐの場所で呆然と言葉も無く立ち尽くしてしまった。
引き戸を入ってすぐ前には大きなテーブルがあり、新刊や何かしらのテーマに沿った特集として取り上げた本が造花や人形と共にそこに飾られていた。
その周囲には長椅子や小さな机が幾つも設置されており、腰を下ろして自由に読書や書き物が出来る様になっていた。
そしてそれらの向こうには大人の背丈程に抑えられた高さの本棚が延々と連なり続いていた。
少し歩いた先には階段があり、そこから二階三階の図書室へと上がる事が出来る様になっていた。
「何とも……。実に今日は良き日じゃ。証宮の塔を拝めて、精霊様も拝めて、そしてこの様に大量の書物を目に出来て……。」
和尚は感慨深く噛み締める様な呟きを漏らし、本棚の連なった景色を見つめていた。
皆が図書室内の様子に感心し呆気に取られている横で、結三郎は受付の職員にリヤカーと自転車を置いてもらえないかと声を掛けた。
今日の受付当番は幸いにも先月ここに来た時に座っていた初老の職員だった。
「おや島津様、今日は大勢でお越しですね。」
「はい。活動写真を見に来たのですが……。」
向こうも結三郎の事を覚えていた様だった。
結三郎はリヤカーと精介の押す自転車に軽く目を向け、初老の職員へと事情を説明した。
「大変申し訳無いのですが、この自転車と荷車を出来れば皆様の目の届く所に置かせていただきたいのです。外に停めて盗まれても困るので……。」
図々しい頼み事だとは結三郎も判ってはいたが、確かに祥之助の言っていた様に盗まれる心配はあった。何しろこの世界には無い自転車に、物造りの神の手によるリヤカーなので、一応は貴重品ではあったのだった。
近くでまだ立ち尽くしている皆に聞こえない様に、結三郎は声を潜めて職員にそうした事を――異世界の事情や物造りの神の事は濁しつつも話した。
「あー……。流石は博物苑。確かに日之許では大した貴重品ですね……。盗まれでもしたら帝は怒り狂って血眼で探索するでしょうねえ。」
博物苑奥苑の事情も薄っすらと察しており、帝の性格もよく知っている彼はそっと溜息をついた。
「はい。そして多分、うちの義父も同様かと……。」
結三郎もまた溜息交じりに呟いた。
「ああ……。それは盗人の方が哀れな事になってしまいますね……。」
文武を極めた佐津摩藩前藩主の気質もまたよく知っている為、盗人がどの様な目に遭わされるか容易に想像がついた。
ダチョウや精介もそれには同意の様で、結三郎の後ろで黙ったまま小さく頷いていた。
初老の職員は苦笑交じりの溜息をつくと、受付窓口のすぐ前――結三郎のすぐ背後を指し示した。
「そこに置いておいて下さい。流石に我々の目の前で盗みを働く様な事はそうそう無いでしょう。――まあそもそもご覧の通りここへの来館者はまだまだ少ないですから、盗まれる心配はまず無いとは思われますが……。」
「有難うございます。よろしくお願いいたします。」
結三郎が職員に頭を下げるのに倣い、精介も慌てて頭を下げた。
結三郎と精介が図書室出入口の脇にリヤカーと自転車を置いていると、ようやく圧倒的な図書の量に呆然としていた皆が立ち直り始めた様だった。
「うわー……移動図書館の何百個分?」
千代達が奥まで連なる本棚の列を爪先立ちしながら眺めていた。
「ほんとだねえ。目が回りそうだわ。」
小柄な安子も子供達と同じ様に思わず爪先立ちになっていた。
図書の量に充分に驚いた後、大人達よりも先に子供達の方が探検宜しく本棚の林の中へと飛び込んでいった。
「字が読めたら宝の山だろうなあ……。」
幼い孫娘二人の手を引きながら、政吉爺さんはすぐ近くのテーブルの上に並べられた色とりどりの表紙の書物の数々を見た。
ごく簡単な読み書きは辛うじて出来るものの、それ以上の事が難しい庶民はまだまだ多く存在していた。子供向け絵本の題名でさえも政吉爺さんやおかみさん達がきちんと読み取る事は難しい事だった。
孫娘――姉の喜美が手近な一冊の絵本を手に取ると祖父へと見せた。
赤や白、薄いピンク色等、様々な色の椿の花が舞っている様子を背景に十二単らしき着物を着た少女の姿が描かれたものだった。
「あのね、「つばきのひめ」って書いてあるの。お爺ちゃんにあたしが習った字を教えてあげるから、一緒に読もう。」
「あたしも一緒に読むー。」
妹の初美も自己主張する様に軽く飛び跳ねた。
「そうかそうか。教えてくれるか。」
孫娘達の様子を嬉しそうに目を細めて眺め、政吉爺さん達はテーブルの近くの長椅子へと腰を下ろした。
一方――。
「おおー……。こ、これは。」
人物の写真集の収められた棚の所から、春太郎や利春の驚きつつも嬉しそうな声が上がった。
「麻久佐の町で出会った女性達」と題された写真集で、様々な女性達の町歩きの一場面を写真に収めたものだった。
その横では庄衛門や明春、祥之助が「村相撲の景色」と題名に書かれた田舎の村々で開かれた相撲祭の写真を纏めた本に見入っていた。
「うむ……。何とも本物の様な……。」
鮮やかな色彩で印刷された村相撲の写真は、試合や神事の様子だけではなく、試合に負けて土のまぶされた筋肉質で浅黒い肌の青年の悔し気な表情や、試合を控えて硬い表情で四股を踏み準備をしているでっぷりと肥えた青年等――参加者の様子が様々な角度や倍率で撮影され、その場の様子を生き生きと伝えてくるものだった。
「うわー……。」
庄衛門達は、春太郎と利春が町歩きの女性達の写真を胸をときめかせて眺めているのと同様の感慨で村相撲の写真に見入ってしまっていた。
「あー、相撲の写真は俺達には違う意味でも興味深いっすよね……。」
「そうだな。」
結三郎と共に祥之助達の所にやって来た精介と結三郎は、男色の相撲取り三人が村相撲の写真集を食い入る様に見つめる様子に苦笑した。
「――皆様、楽しそうで何よりです。」
写真集の本棚の向こう側からダチョウがひょいと長い首を覗かせた。
「よろしければ図書館の利用の仕方や設備の案内等致したいのですが。」
ダチョウの横から先程の初老の職員――神社の装束を連想する様な白衣(びゃくえ)の胸元には瀬能と書かれた名札があった――が顔を覗かせた。
その後ろからは、大声では騒いではいなかったものの浮ついた明春達の様子に、もう少し自重しろと渋い表情をしている親方と和尚もやって来た。
向こうのおかみさん達や子供達の方には女性職員が来て対応していた。
「お手間を取らせて申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。此奴らにしっかりとここの作法を仕込んで下さい。」
明春達の返事も聞かず親方は瀬能へと頭を下げた。
「ははは。まあ、そう硬く考えずとも、基本的には静かにする事と書物を乱暴に扱わない事を守って下されば大丈夫です。――では、大まかな説明ですが、帝のお考えによりここの図書は大雑把ではありますが大人向けと子供向けに分かれており……。」
「お、大人向け……。」
瀬能の説明に利春と春太郎がごくりと生唾を飲み込んだ。
「ばかもん。」
二人の後ろから親方が軽く頭をはたいた。
「ははは。古典資料としての春画だけでなく所謂、俗な方の春画の類も無い訳ではありませんが……。まあそれはその内ご案内いたしましょう。」
「あるんだ……。」
瀬能は明るく笑い、利春達の様子を流していたが、公(おおやけ)の施設にその様なものも収蔵されている事に精介は呆れつつも感心してしまった。
「まあ、俺達はコレでも充分だけどな……。」
いつの間に他の相撲の写真集を取って来ていたのか、庄衛門がしっかりと太って肉付きのいい何処かの藩のお抱え力士達が微笑んでいる表紙の本を手にしながら頬を赤らめていた。
「――で、総合案内板の他に本棚にはこの様に分野と分類番号が……。」
瀬能に解説をしてもらっている内に時間が過ぎ、活動写真のそろそろ始まる時刻が近付いて来た。
「――……。」
精介の世界でのチャイムの音の代わりの様な、筝や琴、篠笛等の使われた神社の神楽等の演奏を思わせる様な音楽がスピーカーから短く流れ、若い男性の低く落ち着いた声が活動写真の始まる時刻が近い事を告げた。
「もうそんな時間なのか。」
祥之助が音声の聞こえてきた方を振り返った。
結三郎達が瀬能と共に受付窓口の方に戻ると、一足先におかみさん達や子供達が戻って来ていたが、一人一、二冊ずつ本を手にしたまま名残惜しそうな顔をしていた。
「どうしたんですか~?」
おかみさん達の様子に明春が尋ねると、鍋の中に煮物が入っている写真が表紙の本を手にしたまま梅子が溜息をついた。
「料理の本やら裁縫の本やら、思ってたより取っ付き易くて判り易くてねえ。気に入ったんだけど、もう活動写真でしょ? ゆっくり読む時間が無くて……。」
絵や写真が豊富で、ひらがなも多く使われており判り易くまとめられていた様だった。
読み耽っている内に活動写真の時間になってしまったのだった。
「こちらでお取り置きしておきますので、活動写真が終わったらお寄り下さい。貸出手続きをいたしますので。返却はお子様達の学校に来る移動図書館の者に渡していただければ大丈夫です。」
瀬能の話におかみさん達は長屋でゆっくり読めると喜んだ。
「俺も、コレ預かっといて。」
「俺も俺も。」
竹雄や太一郎、それに律の子供達も持っていた絵本を受付の台の上へと積み重ねていった。
「お野菜剣士」シリーズだけでなく、「お魚忍者」「餅餅力士」等、移動図書館の品揃えの中には入っていなかったシリーズ物にも興味を惹かれていた様だった。
「あたし達と爺ちゃんのも。」
喜美と初美が政吉爺さんの手を引く様にして、竹雄達の後に受付台に絵本を置いた。
先程の「つばきのひめ」の続編の他に、政吉爺さんの選んだ「くじらだいおう」という絵本が重ねられていた。
「帰ったら一緒に読もうね。」
「ああ、頼むよ。爺ちゃんにも字を教えとくれな。」
少し恥ずかしそうにしながらも、この年齢になって初めて感じる絵本を読む楽しみに政吉爺さんは笑みを浮かべていた。
帰宅したら喜美が政吉爺さんに字を教えながら一緒に読むのだろう。
その光景を想像しながら微笑まし気に瀬能は政吉爺さんと孫娘の様子を見ていた。
「頒明解化ですな……。」
瀬能の様子に目を向けた後、照安和尚と親方もまた温かな眼差しで受付台の前で楽しそうにはしゃぐ子供達を見た。
照安和尚の言葉に瀬能も静かに頷いた。
「はい。これもまた頒明解化で帝が目指しておられるものの一つでしょう。――親子や祖父や孫達が仲良く好きな書物を選び、読書を楽しむ……。これが日之許の国中あちこちで当たり前になる日がきっと来ます。」
「そうですのう……。」
瀬能の言葉に照安和尚と親方も何度か頷いていた。
しみじみとそんな言葉が交わされている後ろで、利春や春太郎、庄衛門、明春は女性や相撲の写真集を一人一冊ずつ抱えてばつが悪そうに立っていた。
純粋に読書を楽しもうという子供達やおかみさん達の様子に対して、色欲で本を借りようとしている自分達に多少の罪悪感があった様だった。
「ほら、気にすんな。さっさと預けて出ないと活動写真に間に合わねえぞ?」
いつの間に探し出したのか「佐津摩藩お抱え力士名鑑」と題された写真集を手に、祥之助は明春達の尻を叩いて貸し出し窓口へと急かした。
「なっ……! そんな物いつの間に!」
窓口に明春達と共に急ぐ祥之助の手にあった写真集に気が付き、結三郎は思わず咎める様な声を上げた。
以前に証宮新報所属の写真家に他のお抱え力士達と共に撮影された覚えがあった。
別にいかがわしいとか破廉恥な写真を撮られた訳ではなかったのだが、自分の写真を祥之助にまじまじと見られるのは何とも恥ずかしい気持ちになってしまったのだった。
「お、俺も後で探そう……。」
祥之助の持つ写真集を羨ましそうに見ながら精介は決然とした表情になっていた。
◆
そんなこんなで皆が借りたい本を窓口に預けると、結三郎とダチョウは皆をエレベーターホールの方へと案内した。
「島津様、階段はあちらの様ですが?」
廊下の向こうにある階段の上り口へと目を向けながら照安和尚が尋ねた。
「こちらのエレベエタアというものを使います。」
結三郎が白木で出来た扉を示した。
「五階まで階段だと上り下りに大変でしょう。」
子供達や政吉爺さんを気遣う様に見下ろしながらダチョウがエレベーターのボタンへと一瞥を向けた。
精霊の念力でボタンが押され、暫くの後に白木の扉が開かれた。
「島津様、これはどの様なものなのでしょう?」
戸惑いながら立っていた皆を代表して照安和尚が結三郎へと問い掛けた。
「あ、えーと、上の階へと行き来する為のカラクリ道具といいますか……。」
「大雑把な仕組みは皆様が普段使っておられる井戸の釣瓶の様なものです。放り込んだ桶を滑車の綱を引いて上げ下げしたりする様な……。今から桶に乗り込んで上に引き上げてもらうと思って下さると想像し易いのではないかと。」
結三郎の後にダチョウが言葉を続けて皆へと説明した。
「すっげー、でっけえ桶なのかー。」
「面白そうー。」
ダチョウの説明に好奇心旺盛な竹雄や千代達が真っ先にエレベーターの中へと入っていった。
「へええ……。帝様のトコの建物だと釣瓶もでっかいんだねえ。」
おかみさん達もよく判らないなりに感心しながら子供達の後に続いた。
大き目のエレベーターではあったが流石に一度に全員を乗せる事は出来なかった為、まずは力士長屋の者達だけ結三郎と共に先に上がる事にした。
「えーと、ちょっとの間、閉じ込められた様な感じになりますが危険は無いので安心して下さい。」
結三郎がそう声を掛けたものの、扉が閉まるとすぐにごく軽い床の揺らぎが皆に感じられ、閉じ込められた緊張感に身を硬くしていた。
しかし僅かの時間の後に五階に到着し、音も無くエレベーターの扉が開いた。
「はい、五階に着きました。」
結三郎の声におかみさん達や政吉爺さんはほっと息を吐き、子供達の手を引いて心持ち足早にエレベーターを出た。
「えー、もう終わり?」
「何かよく判んなかった。」
何処か不満気な子供達の感想に結三郎は苦笑した。
「あたしはちょっと苦手だねえ……。箱の中に閉じ込められるのは息が詰まりそうで。」
「そうねえ。市場の箱詰めの野菜の気分だったわ。」
子供達の手を引きながらおかみさん達は閉じられたエレベーターの扉を振り返った。
扉の横の電光板の階数表示が三、二、一と変わっていき、エレベーターは再び一階に着いた様だった。
◆
再びエレベーターの扉が開くと次は祥之助達がダチョウに促されて中に乗り込んだ。
「扉が開いたら誰も居ないなんて手品みたいだな。」
「あー、こっちからは扉の中身、見えないっすからねえ……。」
中で天井等を見回す祥之助の横に精介が立った。
そうする内にも明春達が入ってきたので、精介は場所を開ける為に祥之助にくっつく様に近寄った。
真横に迫った精介の姿に祥之助は一瞬訝し気に顔を上げたが、狭い箱の中に大勢が詰める様子に一応は納得した様だった。
「まあ側室だしいいけどな。」
そう言って祥之助は精介の腰に軽く手を回した。
「はは……。」
間近に引き寄せられ顔が赤くなるのを精介は誤魔化す様に笑った。
「しっかし狭いな。」
祥之助は困惑しながら精介と共に壁際に寄った。
大柄だったり縦横にしっかりと肉の付いた体付きの者達が何人もぎゅうぎゅうと詰め込まれ、重量制限に引っ掛からないのが不思議な程の状態になっていた。
「わたくしと和尚様は後からにしましょうか。」
重量制限には猶予があっても容積の限界があり、ダチョウと照安和尚は次に乗る事にした。
「ええっ!? ひどっ……。」
最後に乗り込んだ親方に潰される様になっていた春太郎が悲鳴の様な声を上げたものの、閉じた扉の向こうに飲み込まれた。
少しの後に再び扉が開き、空になったエレベーターへとダチョウと和尚は入っていった。
「精霊様と御一緒出来るとは有り難い事です。」
照安和尚は軽く手を合わせダチョウを拝んだ。
◆
最後に上がってきたダチョウと照安和尚がエレベーターを出ると、皆は五階の窓から見える麻久佐の町の景色を楽しんでいた。
五階の大会議室の大きな扉の前にも長椅子や花の生けられた大きな陶器の花瓶が置かれた広い空間があり、ゆったりと寛げる様になっていた。
長椅子から少し離れた場所には展望用に大きなガラス窓があり、証宮離宮殿の公園部分やその向こうの寺社や民家の様子がよく見えた。
五階からの眺めは精介にとっては然程の事ではなかったが、平屋か二階建てしかない様な生活をしている皆にとっては鳥にでもなったかの様な眺めに感じられていた。
「高縄とか科ヶ輪は見えないのかねえ。」
「あ、あっちは煎双寺(せんそうじ)じゃない?」
子供達だけでなくおかみさん達も町の眺めを楽しんでいた。
「――間も無く上映の時刻となります。」
そこに扉の前の受付窓口に座っている図書館職員の老女から呼び掛けられた。
彼女もまた神職の様な白衣(びゃくえ)に茶褐色の袴を纏っていた。
「やったー!」
「早く早く。」
竹雄や太一郎が駆け出し、他の子供達やおかみさん達も後に続いた。
「あ、皆の入場券はこれで。」
祥之助が受付にやって来ると、職員の老女に袂から出した皆の分の入場券の束を渡した。
「は、はい。」
一行の中にダチョウの姿があり、一瞬彼女は僅かに驚いて見上げてしまったものの、流石に証宮離宮殿の図書館職員だけあって精霊に然程動揺する事は無かった。
切り取り線の入った確認部分をちぎり取られ、祥之助の手に券が戻されると、祥之助はおかみさん達に券を返していった。
「あら、返してくれるんだ。」
「良かったじゃないの。小さいけど役者の姿絵だもの。記念に取っときましょ。」
「俺の預かっといてー。」
「俺のも。」
おかみさん達が嬉しそうに懐に入場券を入れていると、竹雄達は親に券を押し付けて先に会議室の中へと飛び込んでいった。
「へー。こんなになってるんすねー。俺の世界の映画館もこんな感じなんすかねー。」
結三郎と並んで中に入りながら、精介はまだ明るく照明の付いている室内を見回した。
「意外だな。山尻殿の所ではこうした娯楽が普及していた様に聞いていたが……。」
周りの者達に聞こえにくい様に小声で結三郎が言うと、精介は空中に指先を走らせてスマホを操作する様なジェスチャーをした。
「映画とかドラマとかって俺、スマホとかでしか見てなくて……。後は友達のトコでネットに繋いだテレビで見せてもらった位なんで。映画館とかは行った事無いんすよ……。」
映画館、レンタルビデオ、ネット配信――と、映画鑑賞の手段も技術の進展によって変わっていくのだが、奥苑で異世界の知識を齧った結三郎でもまだそれは充分には理解出来ない事だった。
「そうなのか……。技術が進むとそんな風に変わっていくのか……。」
わざわざ映画館に出掛けなくても済むという精介の話に結三郎は感心し、感嘆の溜息を吐いた。
「何やってんだ。ほら、前の方に行こうぜ。」
後ろにやって来た祥之助が、立ち止まって話をしていた結三郎と精介の尻を急かす様に叩いた。
「あ、は、はい。」
精介が祥之助と共に歩き始め、結三郎も後に続いた。
大会議室の中は緩やかな坂道になっており、通路の両側に机と座席が並んでいた。
奥の舞台は活動写真上映期間中と言う事で講師用の机等は片付けられており、舞台の壁一面に上映用の銀幕が張られていた。
こうした造りに精介は学校の講堂を思い出していた。
証宮離宮殿の外の町の様子――時代劇のセットの様な、道も舗装されておらず平屋や二階建ての木造の民家の並んだ景色をも併せて思い出し、精介はここの進んだ設備に改めて感心していた。
一番前の列の中央に祥之助は腰を下ろし、その隣に結三郎、更に隣に精介という順番で座っていった。
「……何で側室がこっちに来ねえんだよ。」
結三郎と精介を両側に侍らせたかったのに、結三郎が両手に祥之助と精介を侍らせた様な席順になっているのに対し、祥之助は不満気に口を尖らせた。
「す、すんません。こればっかりは祥之助さんの命令でも聞けないっす。」
申し訳無さそうに目を伏せ、それからまた祥之助へと精介は決然とした眼差しを向けた。
精介としては結三郎と祥之助を両側にしたかったものの、そうなると結三郎から離された祥之助が不機嫌になるのは目に見えていたので、精介と祥之助が円満に結三郎を分け合う席順で妥協したのだった。
「むぅっ……。」
精介の意図は祥之助も一応は察してはいたので、不満気に唸りつつも自分も妥協する事にしてこれ以上はごねるのをやめた。
「お前達、仲良くせんのなら俺は他に座るぞ……。」
決して険悪な訳ではなくじゃれ合いの様なものなのだろうが、自分を挟んであれこれ言い合いをされるのは煩わしかったので結三郎は少し強めに二人へと注意を行なった。
「すんませんっ。途轍も無く仲良くするっす。」
「そうそう。何しろ俺の側室だからな。」
二人がわざとらしく何度も大きく頷く様子に、結三郎は軽く呆れつつそっと溜息をついた。
「あたしらも前の方に座らせてもらおうかね。」
おかみさん達が子供達と共に一番前の席へとやって来た。
「明春さん達は俺達の後ろなー。」
「デカいから前が見えないもんなー。」
太一郎達がはしゃぎながら席へと座り、後ろの列の座席に腰を下ろした明春達を振り返った。
「儂等の後ろの席の客は……大丈夫の様じゃな。」
前の方の座席に大柄な力士達が座ってしまった為、親方が後方の客席を気遣って振り向いたが、今日は余り観客が居らず、少し離れた所に身形の良さそうな紺色の羽織り袴を着た親子連れが座っているだけだった。
皆が座って暫くすると会議室の扉が閉じられ、室内も薄暗くなっていった。
「え?」
「何なに?」
暗くなった事に子供達が驚き、明春達も声こそ上げなかったがおっかなびっくり周囲を見回してしまっていた。
「大丈夫ですよ、お静かに。銀幕がよく見える様に部屋を暗くしているのです。」
観客が後方に居ない事を幸いに、親方の後ろの席で立っていたダチョウが皆に優しく声を掛けた。
「そ、そうでしたか。」
照安和尚も内心は不安がっていた様で、ダチョウの言葉に安堵の息を大きく吐いた。
やがて正面の銀幕に光が宿り、馬に乗った人物が野山を駆ける姿が大きく映し出され、活動写真の上映が始まったのだった。
銀幕の中で風にそよぐ草原を、馬に乗って青年が駆けていた。切れ長の目元も涼しく、凛々しい顔立ちはいかにも若武者といった風情だった。
長く艶やかな黒髪を頭の後ろで括り上げており、それは青年の駆る馬の尾と共に風にたなびいていた。
一面に広がる茅の草むらに太陽が照り付け、茅の穂が白い輝きを返し、青年と馬は光の海の中を疾駆していた。
そこに、草むらの中を馬と並走する三つの影が無骨な唸り声の様な駆動音を響かせ現われた。
画面は低い位置の視点に移り変わり、物凄い速度で草の海を掻き分け疾走する者の主観になっていた。
「……え?」
精介だけが思わず声を漏らしてしまった。
茅を蹴散らし、日の光に輝く穂が無数に彼等の背後に舞い散った。
草むらから響く低い音は、精介の耳には自動車やバイクのエンジン音の様に聞こえていた。
果たして、陽光に輝く茅の草むらから飛び出した三つの影は、盆の精霊馬を思わせる野菜で出来たバイクだった。
輪切りの大根がタイヤとなっており、茄子と菊芋を組み合わせた三台の車体に跨っているのは、それぞれ大根、茄子、菊芋にひょろ長い手足をくっ付けた様な姿の精霊達だった。
草むらを一人の若武者と三つの精霊が駆け抜けた後、題名が縦書きの流麗な筆文字で重厚な太鼓や弦楽器の効果音と共に画面一杯に出現した。
――お野菜剣士武芸帳。
「……え?」
子供達は――おかみさん達や親方、和尚達すらも目を輝かせてオープニングに見入っていたが、精介だけが映画の不思議な勢いに思わず声を漏らしていた。
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メモ書き
早くも10月が終わりましたね。月日の流れが早過ぎてしんどい……。
さてやっとお野菜剣士武芸帳開演です。悪い癖でちまちま意味の無い小ネタを挟むのが好きなのでございまして。「餅餅力士」はキャラの顔が結三郎に似ているとか何とか挟みたかったのですが没にしました。
「くじらだいおう」と一緒に借りる本を「さんごじょおう」にしようかとも思いましたが、それも没に。
お野菜剣士のオープニングはもう少し「暴れ×坊×軍」に寄せたイメージにしたかったのですがうまくいきませんでした。
まあ、自分の好きなように書いて自分が楽しむのが第一ですからこれはこれでヨシということで……。
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