第三話みっつめ、しるすこと 「銭金の工面に悩む内、行事催事多き夏を企てるに就いて記す事」其の十五 結三郎達の活動写真鑑賞の感想に就いて記す事
第三話みっつめ、しるすこと
「銭金の工面に悩む内、行事催事多き夏を企てるに就いて記す事」
「其の十五 結三郎達の活動写真鑑賞の感想に就いて記す事」
大きく広がる銀幕に映し出される場面は変わり、ちらほらと紅や黄の混じり始めた里山を背景に田畑の広がる道を先程のオープニングで馬を駆っていた青年――小松波之助がのんびりと歩いている様子から物語は始まった。
精介の世界とはやはり文化が微妙に違っていて、オープニングで見た様に彼は髷を結ってはおらず、長く伸びた艶やかな黒髪を頭の後ろで結い上げただけの髪型だった。
細身の紺色の袴に濃く黒みがかった緑色の羽織を纏い、その背中には小松菜の葉を模した三枚の葉の並ぶ紋所が染め抜かれていた。
彼の腰には愛刀・菜園丸(さえんまる)が濃緑の鞘に納められており、彼の歩みと共に揺れていた。
波之助の両側をお供の大根、茄子、菊芋の精霊達が互いに楽しそうに何かを喋りながら歩いていた。
彼等はそれぞれ小さな子供程の背丈の野菜の表面に人間の様な目鼻の付いた顔が浮き出ており、その体からはひょろ長い紐の様な手足が伸びていた。
「いやー、昨夜の温泉は良かったなあ。」
「お前さん、あんまり長湯をするから湯舟が大根だらけのおでんになっちまうところだったじゃないか。」
「大根殿の長湯好きには参りましたのう。」
ひょろ長い手足をばたばたと動かしながら、精霊達は昨夜の宿の事を話していた。
どうやら彼等は徒歩の旅の様だったが――オープニングの馬とバイクは何だったんだろう。
精介はつい内心でそんな疑問を思いながら活動写真を見ていた。
精介がちらっと隣に座る結三郎やその向こうの祥之助、子供達やおかみさん達に目を向けると、彼等はそうした事には特には疑問に思った様子も無く、楽しそうな表情で夢中で銀幕に見入っていた。
――それよりも、「活動写真」という精介の世界では古い言い回しだった為に、何となく今日見る作品は音声も付いていない様な白黒のノイズの多いものを精介は無意識に想像してしまっていたが……。
「さて。波之助一行が通り掛かったのは山奥の小さな村。しかし田畑は荒らされ、幾つかの家は壊されてしまっているではないか。」
小さな雑音一つ無いナレーションや役者達の音声に、銀幕一杯に映し出される役者達の色鮮やかで実在感のある映像は、精介の世界の映画にも引けを取らないものだった。
「もし。この村の有様は如何致した?」
波之助達から尋ねられた村人達の顔色は悪く、痩せこけていた。
「はい。実は……。」
彼等が答えるには、数日前から近くの山に盗賊の一団がやって来て、この村に目を付けて食べ物や金品を奪い取るといった非道を行ない、逆らった村人達の家は見せしめに壊されてしまったのだという事だった。
「これはけしからぬ。波之介殿、ここは我等が力を貸してやろうではないか。」
「困っておる村人達を見捨ててはおけぬよ。」
「山賊達の非道を見過ごしには出来ぬ。」
大根が声を上げると、茄子も菊芋もそうだそうだと同意した。
波之助がその整った顔でしっかりと頷き、村人達に向き直った。
「ご安心めされよ。我々が盗賊達を懲らしめてやろう。」
「おお、有難うございます!」
波之助の言葉に村人達は涙を流して喜んだ。
「――何じゃと? 儂等を懲らしめるとは生意気な小僧と精霊どもめ。」
子供向けの為か展開が早く、村人達と話をしている波之助の背後には早速盗賊達がやって来て、波之助達を睨み付けていた。
今日も村から何か奪い取ってやろうとやって来て、波之助達と村人達が話をしているところに行き当たったといったところなのだろう。
盗賊達を率いる頭目らしき者は三人で、いずれも薄汚れたぼろきれを纏いつつも大柄で筋骨隆々とした髭面の男達だった。
彼等に従う手下達は大柄な男や痩せた男等様々だったが、メイクのせいもあっていずれも目付きも鋭く人相の悪い連中が揃っていた。
――子供達には刺激が強いんじゃないだろうか、と、つい精介が余計な心配をしてしまう様な如何にも柄が悪いという連中の姿が画面一杯に映っていた。
「皆さんは、ささ、安全な所に隠れていなされ。」
波之助と大根、茄子が盗賊達と睨み合っている内に、菊芋が村人達を離れた場所へと誘導していた。
「大人しく捕まり、役人のところに行くと言うのならばよし。さもなくば痛い目を見る事になるぞ!」
堂々とした波之助の口上を頭目達は鼻で笑い、答える代わりに一人が刀を抜いて襲い掛かってきた。
それを流れる様な動きで波之助が斬撃を躱すと、頭目の一人の振り下ろした刀が波之助の居た場所を土煙を伴いながら大きく抉り取っていた。
また、何故か波之助の背後にあった村の入り口を示す石碑も斜めに抉れていた。
「え?」
――そうはならんやろ。
子供向けの活劇とは言え、観ていた精介は思わず驚きやツッコミの感情で声を漏らしてしまっていた。
頭目の一人が刀を構え直すと、更に波之助へと追撃を加え、波之助が躱した斬撃の余波が次々に地面を抉っていき瞬く間に辺りは穴だらけになってしまった。
「なかなかすばしっこいのう。」
にやりと笑みを浮かべながら、頭目は一旦刀を振るう手を止めた。
「ちっと本気で掛かるか。」
他の二人も獲物を見定めるかの様な鋭い視線を波之助へと放ちながら、獰猛な笑みを浮かべてやって来た。
「我等山賊三兄弟、長男、栄之助。」
「次男、美伊之進。」
「三男、椎太郎。」
それぞれ名乗りを上げ、構えた刀が日の光に銀輪のきらめきを返した。
「菜園流剣士、小松波之助。命は取らぬが容赦はせぬぞ!」
波之助もまた高らかに宣言して濃緑の鞘から菜園丸を抜き放った。
そしてすぐさま峰を返すと山賊三兄弟へと駆け出した。
「ほざけ、小僧!」
栄之助が勢いよく振り下ろした刀を波之助は軽やかに弾き、栄之助の懐目がけて飛び込む様に斬り掛かった。
それを阻もうと美伊之進と椎太郎が波之助の両側から刀を振るった。
「お前達の相手は我々だ。」
そこに大根と茄子の精霊が割って入り、美伊之進と椎太郎の刀をそのひょろ長い手で受け止めた。
それからすぐに少し後ろに離れて間合いを取り、大根と茄子もそれぞれ何処に隠し持っていたのか愛刀を抜いて身構えた。
一方、菊芋は村人達を襲おうとする山賊の手下達を相手取り、その芋の様な武骨な拳を以って次々に手下達を捻じ伏せていった。
「おー、すげー。」
「頑張れ菊芋さん!」
銀幕に繰り広げられる活劇に夢中になっている子供達から応援の声が上げられた。
子供達の様に大声こそ出さなかったが、おかみさん達や明春達、そして和尚や親方もすっかり見入っていて時折肩を震わせたり、感嘆の息を漏らす気配があった。
波之助と栄之助は何度か切り結んだ後、ついに波之助の刀の一撃が栄之助の刀を半ばからへし折ったのだった。
「さあ、刀が無くては戦えまい。降参しろ。」
波之助の言葉に、しかし栄之助は不敵に笑い、折れた刀を無造作に後ろに投げ捨てた。
「ふっ。佐津摩の武士(もののふ)――あ、いや、山賊の本領は刀剣が折られてからよ。」
台詞を言い間違えたまま収録したものを本番に使用した様で、栄之助の表情が一瞬だけ慌てたが、またすぐに山賊の荒々しいものに戻った。
――何か今……凄い不穏な言い間違いを聞いた気がする……。
登場人物達の剣戟や体術も迫力があり面白く、精介も子供達程ではないものの夢中になってはいたが――。
あんな言い間違いをしたと言う事は、山賊役は佐津摩藩の人なのだろうか。
そんな事を思いながら精介が隣の結三郎をそっと見ると、苦笑交じりに呟いた声が微かに聞こえてきた。
「全く義兄上は……。」
見ると、祥之助も台詞を言い間違えた栄之助と、結三郎の呟きに何事か思い当たった様で――精介と比べると何処か硬い動きで結三郎の方へと顔を向けてきた。
「あ、義兄上……様?」
声も表情も硬く祥之助は結三郎へと問い掛けたが、結三郎は軽く唇に人差し指を立て、静かにする様にと注意をした。
「余り声を出すな。他の人に迷惑になるぞ。」
結三郎の注意に仕方無く祥之助と精介は頷き、再び銀幕へと向き直った。
丸腰の相手に刀を振るうのを躊躇った波之助が、栄之助をその切れ長の目で油断なく睨みつつも刀を下ろそうとした。
だが栄之助はふてぶてしく笑い、拳を握り締めて身構えた。
「刀の一本や二本程度、この拳で充分よ。――いざ!」
「そうか――。ならばいくぞ!」
栄之助の挑発染みた言葉に、波之助もまた軽く笑い、刀を構え直すと素早く地を蹴って栄之助へと迫った。
波之助もまた今までのは小手調べとばかりに力強く、また鋭い太刀筋で栄之助の胴体を切り裂かんばかりに斬り掛かった。
栄之助がそれを紙一重で躱すと、外れた斬撃の余波が背後の地面を削り取った。
栄之助が躱し様に反撃し波之助を殴りつけるが、波之助もまた僅かに身を逸らし栄之助の拳を切り落とすかの様な勢いで刀を振り下ろした。
「ふん!」
峰打ちとは言え骨が砕ける程の力で刃を叩き付けられながらも、栄之助は正面から再び拳を放って刀を受け止めた。
すぐに波之助は柄を握る手の力を緩めて僅かに身を引き、また素早く力を入れ直して今度は栄之助の丸太の様な筋肉に覆われた腕へと刀を打ち付けた。
「――っっ!!」
見る者が見れば僅かの時間の内に、数度の鋭く重い殴打が栄之助の片腕の一ヶ所に浴びせられた事が判っただろう。
栄之助の右腕は瞬く間に腫れ、流石に骨折もした様でだらりと力無く下げられた。
「まだまだ!! 左腕が残っておるぞ!」
垂れ下がる右腕に頓着せず、栄之助は左腕を振り上げて獰猛に吠えた。
「容赦はせぬと言った筈だ!」
波之助は叫び返し、刀を握り直すと姿勢を低くして再び地面を蹴った。
真っ向から栄之助と波之助はぶつかり合い――脳天、左拳、左腕、両太腿、と、数秒に満たない時間の内に言葉通り容赦の無い数十打の斬撃が栄之助へと降り注いだ。
「……っがッッ――っ!」
峰打ちとは言え謂わば鉄の棒で殴り続けられたに等しい衝撃を全身に受け、流石の栄之助も膝を突き、白目を剥いてその場に力無く倒れたのだった。
「――……。」
ふう、と、波之助は一息つき、菜園丸を鞘へと納めた。
戦いで少し乱れた羽織を軽く着直しながら、大根と茄子の方へと波之助が目を向けると、そちらもまた決着が付いたところだった。
「ふ、峰打ちであるよ。」
「まあこんなところであろう。」
大根と茄子がお互いに軽く笑い合い、刀をまた何処へともなく納めた。
美伊之進と椎太郎もまた峰打ちでボコボコに叩きのめされ、地面へと俯せに倒れて気を失っていた。
「おーおー、三人共お疲れさん。」
既に手下達を叩きのめして見物していた菊芋が、波之助達の活躍を称えて拍手をしながら避難していた村人達と共に戻ってきた。
「この度は助けて下さり真に有難うございました。」
村長らしい老人が皆を代表して波之助へと礼を言い、深々と頭を下げた。
他の村人達も口々に礼を言ってはいたが――まだその表情には不安そうな陰があった。
「何かお礼にお食事を……とは思うのですが、畑は荒らされ、食べ物も奪い取られてしまい、どうしたものか……。」
村長の隣に立っていた妻らしき老女が疲れ切った目のまま、溜息交じりに波之助達に告げた。
その言葉に波之助と野菜の精霊達は気の毒そうに眉を寄せ、村人達を見た。
「ならば我々が食事を用意致そう。無事な家の台所は何処かね?」
大根が尋ねると、村長の家やその近所は壊されずに何とか無事だったとの事で、村長夫婦が波之助達を案内した。
村長夫婦や村人達が見守る中で、大根、茄子、菊芋は無事な家々の台所を順に巡り、用意した鍋の中に自分達の体を抉り取って放り込んで煮炊きをしていった。
辛うじて残っていた米や味噌を使い、大根飯や風呂吹き大根、茄子の味噌焼きや菊芋の煮物等々を作っていき、村人達に振舞っていった。
精霊達の体は抉り取っていく端から次々に再生されていき、村人達全員が充分満腹になる事が出来た。
「食べ物までお世話いただくとは、何とお礼を申し上げて良いやら……。しかし、その……精霊様達は、いささか痩せてしまわれましたが……。お体は大丈夫なのでしょうか……?」
村長が有難くも申し訳無いという様子で、気遣わし気に精霊達を見た。
精霊達が自ら抉った野菜の体は一応は元に戻ってはいたが、その胴体は少し痩せてしまっていた。
しかし精霊達は呑気に笑って村長に答えた。
「何の何の。ご心配には及びませぬ。」
「畑に浸かって養生すればすぐに元通りだ。」
「ついでに畑も元通りだ。」
村人達が食事を終えると、胴体の少し細くなってしまった大根、茄子、菊芋は荒らされた畑の土の中に顔だけを出して潜り込んだ。
「おおっ!」
村人達の驚きと喜びの声が畑に広がった。
精霊達の浸かった場所を中心に、ふんわりと優しく柔らかな風と光が広がり、踏み荒らされて折れたり潰れたりしていた村中の畑の作物が次々に再生されていったのだった。
「うむ、良い湯――いや土であった。」
「真に真に。」
「我等の体も元通りである。」
大根、茄子、菊芋が湯上りの様なゆったりとした雰囲気で土から起き上がり、波之助の所へと戻ってきた。
彼等の胴体は元の通りに膨らみ、艶やかな光を放っていた。
「では、盗賊達を役人に届けたらまた次の土地へと行くとするか。」
波之助と精霊達はそう言って朗らかに笑った。
「――見事、山賊達を退治した波之助一行。感謝する村人達に見送られながらまた旅立っていったのだった。お野菜剣士武芸帳、波之助と野菜の精霊達一行の次なる活躍や如何に。それはまた次回の講釈にて。」
物語の終わりのナレーションにエンディングらしき緩やかで長閑な調子の音楽が続いて流れ、出演者の名前が映し出されていった。
――小松波之助・島津比佐広(しまづ ひさひろ)
――大根の精霊・大根の精霊オオネノヨシマツ。
――茄子の精霊・茄子の精霊ナスノシゲヨシアキ。
――菊芋の精霊・菊芋の精霊キクハラタロウザエモン。
――山賊栄之助・島津奈利信(しまづ なりのぶ)
――山賊美伊之進・島津多田延(しまづ ただのぶ)
――山賊椎太郎・島津延秋良(しまづ のぶあきら)
――村人達、山賊の手下達・証宮離宮殿職員、佐津摩藩、比後藩の皆さん。
「島津の人間ばっかりじゃねえか!」
エンドクレジットを見て、精介の心の叫びと祥之助の実際の声が重なった。
素人目に見てもスタントマンを使った様子の無さそうな波之助と山賊達の戦いぶりは、武術に優れた佐津摩の、しかも島津家の人間だったからなのだと――今更ながら精介も祥之助も納得していた。
ちなみに野菜の精霊達の表記が二重になってしまっているのは、精霊の役を本物の精霊が演じている為にその様な書き方になっているとの事だった。
「すまんすまん。先入観を与えたくなかったし、身内の事を言い触らすものでもないから黙ってたんだ。」
小声のまま結三郎はそう言って精介と祥之助に軽く頭を下げた。
だが結三郎の表情は、祥之助と精介が驚いている様子を少し楽しんでもいる様だった。
波之助役は茂日出の甥で、山賊の頭目の三人は結三郎の上の三人の義兄達だと結三郎は改めて二人に説明した。
今までの様な舞台上での芝居や歌舞伎の様なものとはまた勝手の違う、活動写真を制作する為の芝居はまだ充分な数の役者が育っていないという事情もあり、頒明解化政策への佐津摩藩の協力の一環として彼等が名乗りを上げたのだった。
ちなみにエキストラの比後藩は、菊芋が地域の特産物だと言う事で宣伝も兼ねて協力を申し出ていた。
「そ、そうか義兄上……様達デシタカ……。」
活動写真のエンディングで縄に縛られて連行されていく山賊三兄弟と、傍らに座る結三郎を硬い動きで何度か見比べ、祥之助は脂汗を流した。
幾ら演技とは言え、全くの武術の素養が無ければあれだけの力強い動きが出来る筈もなく。
いずれ結三郎への婚姻の申入れを行なう際に戦うであろう義兄達の力量の高さを見せられ、祥之助はやる気を燃やしつつも一方では怯んでしまう気持ちも正直なところ存在していたのだった。
◆
エンディングが終わると画面が少しの間暗くなり――それからまた明るくなった。
「お、次の映画――いや活動写真っすね。」
「あ、もう一本あったんだったな。」
精介や祥之助は結三郎に向けていた顔を銀幕に向け直し、軽く姿勢を正した。
次の活動写真は模型で出来た証宮離宮殿の塔を含んだ施設が大写しになり、軽快な音楽と共に大きな丸い字体で「図書館に行こう」と横書きの題名が掲げられて始まった。
「あ、さっきのお野菜剣士だ。」
「おおー。」
千代が思わず声を上げ、竹雄が銀幕の画面に身を乗り出した。
画面の中で波之助一行は、今度は証宮離宮殿の塔が背景に見える麻久佐の町の小さな路地をのんびりと歩いていた。
「――ここは塔京は麻久佐。波之助達は町の片隅の小さな長屋へと通り掛かった。」
さっきのお野菜剣士武芸帳と同じナレーターの声が流れ、波之助と大根、茄子、菊芋の精霊は路地裏の古い小さな長屋の木戸口の前を通り掛かった。
木戸口の所で何人かの、千代や竹雄達位の年頃の子供達が暗く沈んだ表情で顔を突き合わせて立っていた。
彼等が手を繋いでいる更に年下の弟妹達の中にはしくしくと泣いている者もいた。
「これ、子供達よ。何を泣いておるのだ。」
茄子の精霊が立ち止まって子供達に問い掛けた。
「おっ父とおっ母が寝込んでしまったの。」
今にも泣き出しそうだったが、気丈に涙を我慢して千代程の年頃の子が茄子の精霊へと答えた。
昨日から長屋の大人達が病気で寝込んでしまい、子供達だけでは充分な家事や幼い弟妹達の世話が出来ずに途方に暮れているとの事だった。
演出の流れで女の子の返答に合わせて、古い煎餅布団を被って苦しそうに唸っている大人達の姿が画面の背景に映し出されたが――。
――いやいやいや。
精介と祥之助は意図せず同時に頭を何度か横に振ってしまっていた。
寝込んでいる両親役の父親の方はメイクも変わり髭も剃られていたが、さっきの山賊の栄之助――いや現佐津摩藩主でもある結三郎の義兄・島津奈利信だった。
他の子供達の父親役も同様にメイクをやり直した多田延や延秋良が演じていた。
丁寧なメイクによって病人の顔色の悪さは再現されて、苦しんでいる演技もまあまあ違和感は無かったが――三兄弟の筋骨隆々とした肉体自体が一番違和感を放っていた。
――あんたら、その御立派な図体で病気にはならんやろ。
精介はまた心の中で突っ込んでしまっていた。
精介と祥之助だけが結三郎に強い思い入れがあるせいで、義兄達の演技の様子に必要以上に気を取られていたが、その間にも物語は進行していった。
――それぞれの家にはまだ干し魚や芋、米、味噌や醤油は何とかあったものの、子供の事ゆえ今まで断片的な手伝いしかさせてもらえなかったので、きちんとした料理の仕方が子供達には判らなかった。
破れた着物の繕い方も、町での買い物の仕方も、お金の数え方も、まだ全てを子供達だけで行なえる程の知識を習得している訳ではなかったのだった。
そして幼い弟妹の子守の時には親が昔話や御伽噺を聞かせる事もあり、寝込んだ親に代わって話を聞かせていたのだが――。
「同じ話ばかりで飽きた……。」
好奇心の強い子供も居て、新しい話を聞きたいという気持ちが強い様だった。
「君達、字は少しは読めるのだろう? ようし、ならば図書館で本を読んでみようじゃないか。料理の仕方も縫物のやり方も、図書館の本に書いているよ。」
波之助が子供達の前に屈み、優しく微笑んだ。
「昔話の本も山の様にあるぞ。」
大根の精霊が得意気に言い、長屋の建ち並ぶ向こうに大きく聳える証宮離宮殿の白い塔を指差した。
そうして波之助を先頭に、精霊達は最後尾に付いて子供達を挟む様にして彼等は証宮離宮殿図書館へと行進していった。
精介達も先程通った朱色の柱の一般用通用門を活動写真の中で波之助達一行もくぐり、精介達の今居るこの証宮離宮殿図書館へとやって来たのだった。
「え? お野菜剣士、ここに来てんの?」
活動写真に没入してしまい現実との境が曖昧になり掛けていた太一郎や竹雄達は思わず後ろを振り返ってしまった。
「もう、この子達ったら。」
良子達が微笑ましく子供達の様子を見た。
太一郎達がほんのさっきまで探検していた一階の図書室へと、活動写真の中の波之助一行は玄関をくぐりやって来た。
「図書館にようこそ。子供達よ。儂は知識の神・赤舎蔵之皆悉彦命(あかしゃくらのかいしつひこのみこと)」
太一郎達とは違い、波之助達が図書室の引き戸を開けると、現世に受肉して証宮離宮殿で過ごしているという知識の神が出迎えた。
「今日はどの様な書物をお探しかな?」
彼は老人の様な姿で白い眉も髭も髪の毛も長く伸びてはいたが、人間の老人とは違い白くはあってもしっかりとした毛質で櫛も通っており真っ直ぐに整えられていた。
彼もまた図書館職員の様な白衣の上着と、茶褐色の袴を穿いていた。
「神様、実は――。」
波之助の説明を聞くと、知識の神は優しく微笑み頷いた。
「そうかそうか。では料理や裁縫、掃除に洗濯――それらの知識を子供向けに記した書物を貸し出してしんぜよう。」
知識の神が波之助と精霊、子供達を図書室の中へと導いた。
それから知識の神からの案内や解説という体裁で、図書館内の設備や分野別に分けられた本棚の様子等が活動写真の中で語られていった。
料理の本、裁縫の本、病気療養の本、麻久佐の昔話の本――知識の神の案内で子供達は希望する内容の本を手にする事が出来た。
「では貸出手続きについての説明であるが――。」
個人毎に名前だけが書かれた貸し出し用のカードが窓口で発行され、子供達へと知識の神から手渡された。
希望すれば名前だけでなく顔写真や住所、誕生日等も表示された精介の世界の運転免許証の様な形のものも発行出来たが、まだ日之許の今の社会状況としてそこまでの証明書の必要性が無かったので今回は見送られた。
「わあ……。」
子供達は自分だけのものとして発行された貸し出しカードを手に、嬉しそうに目を輝かせていた。
カラー印刷で証宮離宮殿の塔が描かれ、証宮離宮殿図書館貸し出し証という字が楷書体で書かれた裏に、それぞれの名前が大きく書かれていた。
そのカードを手に窓口で子供達は順番に貸出手続きを行なっていった。
「神様、有難うございました!」
図書館の玄関で子供達は知識の神へと元気良く礼を言った。
知識の神も子供達の様子に満足気に頷いた。
「子供達よ、知識もまた生き延びる為の力である。よく学んで知識を身に着けなさい。そこな剣士の刀は奪われたら丸腰になってしまうが、己が身に着けた知識は誰も奪う事は出来ない。――そして刀は一本しか持てず、その持ち主しか使えないが、知識は皆と分かち合って使える。」
刀を引き合いに出され波之助は少し苦笑をしながらも、知識の神と共に子供達へと温かい眼差しを向けていた。
「親の病気が治った後も、いつでもここに来るといい。知識を得たいと願う者達に図書館の扉はいつでも開かれておる。」
「はい!」
知識の神からの優しい声に子供達は大きく返事をした。
波之助と精霊達に付き添われ、子供達は知識の神と図書館職員達に見送られながら長屋へと帰っていった。
「――本に書かれてあるからと言って勿論、すぐに万事解決という訳にはいかなかったが、それでも全く何も知らないのとでは大違い。どうにかこうにか食事を作ったり、親達の看病をしたりして子供達は何とか親達が回復するまで頑張る事が出来たのであった。めでたしめでたし。」
そうナレーターの声で締め括られ、お野菜剣士の時と比べて短時間のエンドクレジットが流れて活動写真は終わったのだった。
精介と祥之助が見破った?通り、長屋の子供達の父親役は島津家の三兄弟だった。母親役は図書館職員の若い女性が演じており、島津家とは特には関わりは無い様だった。
こうして結三郎達の活動写真鑑賞は無事終わったのだった。
◆
活動写真が終わり、室内の照明が明るくなり、皆はほっと息をついたり伸びをしたりしてから席を立ち始めた。
「面白かったねー。」
「波之助強かったなー。」
「刀の先っぽ消えてたぜ。」
千代や竹雄達が口々に感想を楽しそうに言い合いながら、おかみさん達と共に出口へと向かった。
「波之助、いい男だったねえ。」
「波之助の役者の人、島津って事は佐津摩藩士よね。道理で剣捌きも凄い筈だわー。いい男だし。」
「山賊の方の島津の人はちょっと髭がねえ……。いただけないわねえ。」
おかみさん達も子供達に負けず劣らず楽し気に活動写真の感想を話していた。
おかみさん達も字の読み書きは不充分ではあったが、「島津」の形をした文字が島津家を表しているとは一応は理解していたので、お野菜剣士の主だった役者が全て島津家の人間だというのは理解出来ていた。
「はは……。」
おかみさん達のお喋りを近くを歩いて聞きながら、結三郎は小さく苦笑した。
髭のいただけない山賊の方の島津の人が、現役佐津摩藩主で自分の義兄だとは黙っておく事にした。義兄達にも観客からの感想は黙っておいた方が良さそうだった。
「――あの消えた刀の切っ先、かなりの速さで振り回してだな、こう……。」
島津家長男の強さは一先ず置いておき、祥之助は竹雄達と一緒になって波之助の剣捌きについて身振りを交えて熱心に話し合っていた。
「いやいや祥之助様、そこへ山賊の拳がこう突き出された時にですね……。」
チャンバラ活劇に心が躍ったのは明春達も同じだった様で、祥之助と竹雄達が話す中へああでもないこうでもないと割って入っていた。
「いやはや、実に楽しかったのう。」
「子供の頃のチャンバラごっこを思い出したのう。」
「全く全く。」
照安和尚や親方、政吉爺さん達も楽しげに語らいながら大会議室を後にした。
「皆様楽しまれた様でようございました。」
皆が先程のエレベーターホールへと歩いていくのを後ろからダチョウは微笑ましそうにして見守っていた。
「そうっすね。大画面で映画見るのって凄かったすね……。」
ダチョウの言葉に精介も頷いた。
目の前一杯に広がり映し出される活動写真の迫力は、精介にとっても新鮮なものだった。
見ている最中は島津家の出演者の事とか色々と突っ込みたい箇所もあったものの、終わってみれば楽しい作品だったと精介には思えていた。
「では本を借りたら科ヶ輪に帰ろうかのう。」
照安和尚もまた本を借りるのを楽しみにしている様子で皆を促した。
「今の活動写真で本の借り方も判ったしなー。」
「あの貸し出し証が貰えるのよね?」
「塔の絵のヤツかっこいいよなー。」
竹雄が得意気に言う横で、千代達も頷きながら話していた。
子供達のその様子を結三郎は温かな眼差しで見守っていた。
「国民の啓蒙を活動写真で行なうという帝の目的は一先ず達せられた様だな。」
「うーん……。何か、帝サマのコトだから、チャンバラアクション映画作りたかっただけの様な気もするっすけど……。」
元の世界に送り帰される日に一度会っただけだったが、精介にも帝の面白い事が好きな性格は見透かされていた。
「まあ――確かにそれは否定出来ないな。」
精介の言葉に結三郎も笑って頷いた。
「あたしも縫物苦手だけど、活動写真のあの子の読んでた本なら判り易そうだったから、今日はあの本も借りて帰ろうかねえ。」
「あたしは料理の本にするよ。たまには変わったもん食べたいって亭主がうるさいからね。」
おかみさん達も子供達の後ろを歩きながらわいわいと賑やかに話していた。
「ではまた順番にお乗り下さい。」
ダチョウに促され、皆はまた来た時と同じ様に三組に分かれてエレベーターに乗り込んでいった。
活動写真の感想を言い合いながらエレベーターに乗ったのが良かった様で、来る時には箱詰めされた様な感じが苦手だと言っていたおかみさん達も、話しをしている内に一階へと着いたのだった。
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メモ書き
ちまちました本編に関係ない小ネタにも力を入れてしまいますが、字数制限の無いネットでの小説投稿のいい所ですね。横道に外れまくって一話丸々使っても無問題。スバラシイ。
あ、ナレーションのイメージは当然と言うか芥×隆×様です。80~90年代の時代劇と夏目雅子の西遊記で育ったヲッサンにとっては当然の嗜みでございます。
山賊達の栄之助、美伊之進、椎太郎はABCから付けました。全然関係無いですが、時代劇を見過ぎると「アデノシン」「イノシン」とかが侍の名前に聞こえてしまいませんかね……。
高縄屋敷博物苑「委細之記部(いさいの しるしべ)」 邪部そとみち @yokoshimabe
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