第三話みっつめ、しるすこと 「銭金の工面に悩む内、行事催事多き夏を企てるに就いて記す事」 其の十三 精介の証宮離宮殿に到着するに就いて記す事

第三話みっつめ、しるすこと

「銭金の工面に悩む内、行事催事多き夏を企てるに就いて記す事」

 「其の十三 精介の証宮離宮殿に到着するに就いて記す事」


 自転車の横に座り込んだ精介は襷掛けにしていたボディバッグからペットボトルを取り出して中の麦茶を呷った。

 ここに来るまでに既にパウチゼリーもビスケットブロックも腹の中に収まっていたが、疲れや昼が近いせいもあり軽い空腹を精介は感じてしまっていた。

 店主達の背中越しに見える売り物の西瓜や夏ミカン等に心惹かれないでもなかったが、日之許の国の通貨を持っていない身では我慢するしかなかった。

「――すげえなあ。どっかの若様かなー。金持ちのカッコだー。」

 自分達の後ろで休憩している精介をのっそりと振り返り、喜三次は無邪気に感心しながら言い放った。

「声がでけえぞ。」

 喜三次を八郎太が小声で窘めながら、しかしその視線は鋭く精介の様子を値踏みしていた。

 上等なシャツやズボンに、細い鉄の棒で出来た見た事の無い型の自転車。それに前籠に乗っているのは外国の鳥だろうか。

 そして手に持っている茶の入った透明な入れ物は一体何なのだろう――。

 頒明解化で様々な服装が広まってきてはいたが、それでもまだまだシャツやズボンといったものは一部の好事家や金持ちの着る物だった。

 精介は何処かの金持ちの家の若様なのだろうと、八郎太の獲物として狙いを定められていた。

「ご、ごめん兄貴……。でも何か変な乗り物とか変な鳥とか、すげえ珍しいから……。」

 八郎太に窘められて喜三次は申し訳無さそうに俯いたが、余り声は小さくなっておらず精介とダチョウに丸聞こえだった。

 喜三次の声に精介とダチョウは思わず顔を上げてしまい、こちらをにこにこと笑いながら見る喜三次の丸顔と目が合ってしまった。

「あ……ど、どうも……。」

 曖昧に笑い返し、精介は軽く頭を下げた。

 大柄な男の方は人の良さそうな笑顔でこちらを見るだけだったが、その相方らしき小柄な男の方からは何処かじろじろと何かしら窺う様な視線を精介は感じてしまった。

 小柄な男だけでなく、気が付いてみると周囲の露店の店主達も何処か精介の様子を覗き見るかの様な雰囲気があった。

 今更ながら、学校の制服姿のまま自転車で塔京の町を走るというのは目立ってしまうのだと精介は思い知った。

 もう少し休みたかったが余り長居をするのも何となくおっかないと思い、慌てて麦茶を飲み干すと立ち上がって自転車のハンドルへと手を伸ばした。

「ウチのヤツが変な事言ってすみません。でも――お兄さん、なかなか粋な恰好してますね。上から下まで外国の恰好だ。頒明解化って感じカッコいいですよね。」

 にこにこと愛想笑いを浮かべて小柄な男――八郎太がさりげなさを装って話し掛け、精介の行く手を塞いだ。

 制服のワイシャツにズボン、そしてマンションから慌てて来た為にこちらの草履に履き替える間も無かった精介の足元はスニーカーのままだった。

 こうした精介の恰好は頒明解化にかぶれた金持ちの家の若者にしか見えないものだった。

「そ、そうですかね……。それ程でも……。」

 自分よりも少し小柄な男から見上げられて褒められ、ほんの少しだけ精介の警戒感は和らいだ様だった。

 それを感じ取った八郎太は精介へと人懐っこく笑い掛けながら、もう少しだけ距離を縮めた。

「その水筒とかも透明で珍しいですね。舶来物ですか?」

 八郎太に指差され、精介はまだ手にしていた空のペットボトルを見た。

「あ、えーと、その……。」

 答えに詰まった精介が困った様に目を伏せるが、八郎太は何と言う事も無い様な口調で精介へと話し掛け続けた。

「もう空みたいだし、もしよかったらその水筒、譲ってもらえませんかねえ……。見ての通りウチの店、その時々手に入る物を仕入れて売ってるんですけど、近頃は売れ行きが悪くて苦労してるんです……。」

 笑いながらも困った様に軽く眉を寄せ、精介を見上げてくる小柄な男は何処か子猿を思わせる様な愛嬌も感じさせて、強く断るのは憚られる様な気持ちにさせられた。

 ――譲って欲しいとは言ったが、買い取るとは言っていなかった。そして自転車の前籠の珍しい鳥も高く売れそうではあったが、八郎太は鳥の方まで欲張るつもりは無かった。

 欲張りすぎるとろくな事が無いと、今までの生活の中でよく判っていたからだった。

 あくまで珍しい透明な水筒だけを狙う――そうした獲物を見定める嗅覚は鍛えられ、引き際はよく弁えていた。そうでなければ喜三次と二人で寄り添って生き延びる事は出来なかったからだった。

「え……ええと、その……。」

 八郎太ににこやかに褒められて一瞬気が緩んだものの、流石の精介も今の自分の状態が、昔の漫画やドラマで出て来る様な不良にカツアゲされているものの様だと自覚し始めていた。

 精介と八郎太の遣り取りは周囲の露店の者達にも聞こえており、精介が困っている様子なのは誰の目にも明らかだったが――それを止める者は誰も居なかった。

 周囲の露店も八郎太達と似たり寄ったりの身の上だったり、面倒事には関わりたくないという者達ばかりだった。

「俺達の商売を助けると思って何とかなりませんかねー。」

 珍しい透明の素材で出来た水筒は、きっと高く売れるだろうし、自分達の組の親分に献上して御機嫌取りをしても良かった。

 八郎太はにこにこと愛想笑いを貼り付けたまま、少しずつ精介に近寄っていった。

「そ、そうっすね……。」

 日之許にペットボトルを持ってきたのはまずかったか。

 子猿を思わせる柔らかな髪質の短髪頭を見つめながら、精介は自分の迂闊さを今更ながら反省した。

 たかがペットボトル一本。精介の世界では飲み終わればただのゴミになる物なので、別にこの人にあげてもいいとは思うのだが……。

 ゴミのペットボトル一本でこの場を切り抜けられるのならば安い物だと、精介がそう損得を割切り、八郎太へと手渡そうとしたところで――。

「ダメですよ。」

 そっと精介の手を止めるかの様なダチョウの声が聞こえてきた。

 何処から聞こえてきたのかと、八郎太や西瓜の店の店主達を初め周囲の者達が訝し気に当たりを見回した。

「商品の売れ行きが悪いのは気の毒ではありますが、他の品物ならば兎も角、彼の持ち物につきましては事情がありますのでお見逃し頂きたいのです。」

「――鳥が口をきいた?」

 自転車の前籠に座っている珍しい小柄な鳥から人間の言葉が聞こえてきた事に、周囲の露天商達は驚きに一斉に振り向いた。

 ペットボトルを渡す事を拒むダチョウの言葉に、八郎太だけが驚きではなくうっすらと険しい表情を浮かべてダチョウを睨み付けていた。

「……。」

 ダチョウはそっと溜息を漏らしながら、自分を睨む小柄な人間へと穏やかな視線を返した。

 精霊の端くれではあるので、目の前の人間の纏う様々な感情の動きは見るともなしに見えてしまっていた。

 邪魔をされた怒りや、口をきいた見慣れぬ鳥への警戒感――そしてその向こうに横たわる、憧れと苛立ちと惨めさ。色々な感情が混ざり合いこんがらがっている様子はダチョウには興味深くはあったが、今はそれに気を取られている暇は無かった。

「――精霊だ。」

 露天商の内の誰かが呟き、辺りに驚きざわめく様な空気が広がっていった。

「鳥の精霊? わあ、兄貴、二回目だね。鳥の精霊。」

 強張った表情のまま立っている八郎太の後ろで、喜三次が座ったままの姿勢で無邪気に喜びの声を上げた。

「うるせぇ、黙ってろ!」

 八郎太は短く一喝し、喜三次を黙らせた。

 喜三次は軽く肩を震わせ、口を噤んだ。だが大して堪えていない様で、微笑んだまま座っていた。

「っ!!」

 むしろ八郎太の剣幕に精介の方が竦み上がってしまい、助けを求める様にダチョウの方を見た。

 体格的には精介の方が八郎太よりも背も高く、相撲で鍛えられたがっしりとした筋肉も付いて勝ってはいたが、恐らく荒事の場数や気迫が違うのだろう。

 小柄な筈の八郎太に精介は勝てる気がしなかった。

「――……。」

 しかし、そんな人間同士の暴力の遣り取り等を意にも介さない存在――ダチョウの精霊は何処か悲しそうに溜息をつくと、自転車の籠から飛び降りて仕方無く元の大きさに戻った。

 怒鳴った時に垣間見えてしまった八郎太の、憧れや苛立ち、惨めさの感情は精霊に向けられていたものだった。

「――何あれ?」

「精霊だって!?」

 すらりと伸びた頑丈な足に長い首が特徴的なダチョウの背の高い姿は木々の茂みの間からもよく見え、露天商達だけでなく通り掛かる観光客達からも注目され始めていた。

 ダチョウはそっと八郎太へと歩み寄った。大柄な喜三次よりも高い所から八郎太を見下ろすと、黒い羽をもぞもぞと動かし、その懐の中から銀貨二枚を取り出した。

 流石に目の前に聳える様にダチョウに立たれると、八郎太も恐れの感情が勝り後ずさりかけた。

 精霊の軽い念力で八郎太の手をダチョウは動かし、手の平を上げさせるとそこにそっと銀貨を握らせた。

「休憩させていただいた代金です。お納め下さい。」

 呆然とダチョウを見上げたまま、八郎太は軽い念力から自由になった手を下ろし、手の中の銀貨を握り締めた。

「――では参りましょう。」

 八郎太達が立ち尽くしている隙にダチョウは精介を促して歩き出した。

「は、はい。」

 精介もこれ幸いと自転車のスタンドを慌てて跳ね上げ、急いでダチョウの後を追った。

 握り締めた手を硬い表情で見ている八郎太の傍らをダチョウと精介は通り過ぎ、再び街路市の往来を証宮離宮殿を目指して歩き始めた。

 喜三次は心配気に八郎太の後ろ姿を見ていたが、ダチョウが傍らを通り過ぎると目を輝かせてその背の高い姿を見上げていた。

「お、おい、これ精霊の羽じゃねえか?」

「何だと?」

 精介達の背後で、店主達の驚く声が上がっていた。

 八郎太に銀貨を渡す時に抜け落ちたらしいダチョウの羽が、二、三本辺りに舞っていた様だった。

 何処の羽が抜けたのか、七十センチ程の大きなものが地面に落ちようとしたところに何人かの店主達が手を伸ばした。

「クソ! 寄越せ!」

「何をぅ! 引っ込んどけ!」

「精霊の羽なんてとんでもねえ縁起物じゃねえか!!」

 一般の人間達が精霊の羽や角等を目にする事等、一生かかってもあるかないかというところだった。

 滅多に手に入らない縁起のいい宝物として見做されており、破格の価値のある物として取引される事がごくごく稀にあった。

 そんな宝物を目の前にして、八郎太達よりも長くやくざ者の世界で生きてきた店主達の地が剥き出しになり、荒々しい言葉の応酬が殴り合い掴み合いに発展するのに然程の時間は掛からなかった。

 騒ぎは次第に広がっていき、精霊の羽を取り合って殴り合う店主達や、それを面白がって見る観光客達の喧騒が精介達の背に聞こえてきた。

「いいんすか……? あれって……。」

 恐る恐る後ろを振り返り、ダチョウへと不安げに尋ねた。

「まあ、いいでしょう……。気にせず参りましょう。」

 ひょろりと長い首でダチョウも軽く背後を振り返った。

 高い位置からなので先程まで居た八郎太達の露店での殴り合いはよく見えていた。

 八郎太はまだ銀貨を握り締めたまま立ち尽くし、喜三次がそれを見守っていた。

 ダチョウの三本の羽はまだ誰のものにもなっていなかった。

「申し訳ありません――余計な口出しでしたが、山尻殿の品物はゴミであっても日之許に与える影響が心配なので、と、なるべくまだ一般の者に渡らない様に気を付ける様にと帝と殿から言いつかっておりました。」

 ダチョウは再び前を向き、歩きながら精介へと謝った。

「そうなんすか……。」

 精介の世界の自転車や、シャツやズボンの姿を見られるのも本来は如何なものかとも今更ながら精介は思ってしまったが、実際の物品が何も知らない一般人の手に渡る事についてはまだ阻んでおきたいという帝達なりの線引きがあるのだろう。

「ついでに更に謝っておきます。今通っているこの辺りの露店は、荒んだり攻撃的な気持ちの人間が少なかったので黙っていましたが、さっきの二人組の様に所謂カタギではない人間達が多くを占めています。――山尻殿の世界で言うところのヤクザとかチンピラとかいう言葉で表される人間達ですね。」

「ええええっ!?」

 何の気無しにダチョウから語られた事実に精介は思わず悲鳴の様な声を上げてしまっていた。

 怯えて青ざめてしまった精介の表情と、まだ乱闘騒ぎを続けている露天商や腕に覚えのある観光客の若者達の様子をダチョウは苦笑しながら見下ろした。

「殿や高縄屋敷の侍の方達の御様子に普段から接しておりますと、町のあの様な方達は子供がはしゃいでいるのと大差無くて、つい油断してしまいました。」

「そ、そうなんすか……。」

 精介は冷や汗を流しながらダチョウの言葉を聞いていた。

 確かにあの茂日出公の放つ気迫や圧力に慣れてしまっているならば、町のやくざ者がどれだけ凄んだところで何の恐れも感じられないだろう。

 高縄屋敷に勤める侍達や一部の鳥飼部達もまた、佐津摩の荒武者の伝統に浴した者達であり、半端なチンピラ程度が立ち向かえる訳がなかった。 

「――町の方に近い正式な許可のある露店は別として、この辺りまでの店の多くは所謂やくざ者な人達が表向きの真っ当な商売を取り繕っている様なところですね。売り物の一部は何処からか盗んできた物や、借金のカタに無理矢理取り上げた物も混じっています。」

 人間達の金銭の貸し借りや財物の遣り取りにさして興味もない様子で、ダチョウは街路市を歩きながら淡々と精介に説明した。

「そ、そんなヤバイとこだったんすか……。て言うか、あの殿様を基準にしないで欲しいっす……。」

 精介は今更ながら更に顔を青くして辺りを恐ろし気に見回した。

 明るく強い夏の日差しに照らされた街路市は、ダチョウの羽を奪い合う騒ぎが少し広がってざわざわと落ち着かない空気があったものの、そこから少し離れると普通に賑やかな観光客達のはしゃぐ声で満たされていた。

 羽の奪い合いの騒ぎはさっきの露店の周囲だけに限定されていた様だが、かなり背の高い外国の見慣れない大きな鳥が観光客の間を縫って歩く様子は次第に周囲の人々の注目を集め始めていた。

 今更ながら周囲を警戒して表情を強張らせながら、精介はふと横を歩くダチョウを見上げた。

「あの……そろそろ小さくならないと目立つんじゃないんすか?」

 精介の気遣いにダチョウは小さく微笑んだ。

「そうですね……。けれども今は敢えてこの様にしています。――さっきの二人組の小柄なお方、あの手の輩は仕返しとか、盗みとかの獲物として私達を狙って何かしら仕掛けて来ないとも限りません。他にも私達を狙う者達も居るかも知れませんが、こうして目立っておれば却って手出ししにくいでしょうし。」

 ダチョウを精霊とは気付かずとも擦れ違う観光客達は注目し、お互いにあれこれと喋り合っていた。

 珍しい大きな背の高い鳥を連れた自転車を押すシャツとズボンを着た若者の事も、精介に自覚は無かったが充分に人目を集めていた。

 確かにこうして目立っている精介達に何か危険があれば、誰かがすぐに役人に知らせると思われた。

 やがて麻久佐の町の中心へと向かうのが同じだと、多くの観光客達が遠巻きにしながらも精介とダチョウの後を付いて歩き始めていたのだった。



「――クソ……。舐めやがって……。」

 悔しさに震える手をきつく握り締め、ガリガリと銀貨の擦れ合う音が手の中から漏れた。

 八郎太は忌々し気に呟き、腹立ち紛れに銀貨を叩き付けようと――したものの、金目の物を逃してはならないという骨の髄まで染み付いてしまった打算によって踏み留まった。

 自分達の力だけで生きていこうとして躓き――精霊から気紛れに食べ物を恵んでもらったあの時の事が八郎太の脳裡に甦ってしまっていた。

「そんなにくれるなんて、あの精霊様気前がいいねー。儲かったねー。」

 八郎太の背から喜三次の呑気に笑う声が聞こえてきた。

 八郎太は振り向き様に喜三次を睨み付け、思わず殴ろうとして拳を振り上げた――が、にこにこと笑う喜三次の顔を見て寸前で思い留まった。

 そこにまだダチョウの羽を取り合って殴り合っている者達の一人が何かの弾みで突き飛ばされ、八郎太の足元へと転がってきた。

「クソ!! クソクソクソ!!」

 銀貨を握り締めたままの拳をその男の顔や胸、腹を問わずに叩き付け、また別の手近に居た男達を背後から蹴り付け、鬱憤を晴らす様に八郎太は暴れた。

 ダチョウの羽を取り合って殴り合っていた男達は既に消耗していた事もあり、何人かの男達はあっさりと八郎太にのされてその場に倒れてしまった。

 八郎太の視界の隅には大きな団扇の様なダチョウの羽が見えていたが、それには構わず喜三次の所へと戻った。

「見下されて恵んでもらって喜んでんじゃねぇ……。」

 八郎太は息を荒げながら唸る様に呟き、喜三次を睨んだ。

「ごめんね……。」

 喜三次はしょんぼりと俯き、八郎太へと謝った。

 あの時――村から逃げ出して自分達だけの力で生きていこうと行く当てもなく山中を彷徨い、やがて空腹で力尽きて二人で蹲っていた時に、通り掛かった精霊が気紛れに木の実や魚を恵んでくれた……。

 あの時の苛立ちと惨めさを強く八郎太は思い出してしまい、きつく唇を噛み締めた。

「クソ……。」

 このままで済ますものか――仕返しをしたいのか、盗みの獲物にしたいのか、自分でもよく判らない衝動のままに八郎太は兎に角ダチョウと自転車の若者を追い掛ける事にした。 

「お前、留守番しとけ。」

 八郎太は握っていた銀貨を喜三次へと押し付けると、ダチョウを追って駆け出した。

「あ、兄貴ー。俺、銭の計算とかあんまり判らないよー。」

 八郎太の汗で湿って生温かくなった銀貨を手に、喜三次は困った様に八郎太を呼び止めた。

「適当にやっとけ!」

 八郎太は軽く振り向いてそれだけを言い残し、今もまだ人ごみの向こうに見えるダチョウの長い首を目指して走り出した。



「さっきの人達とか、他にも何か怪しそうな人とか、居ないっすよね……?」

 自転車を押しながら精介は恐々と周囲の通行人達を見回した。

 ダチョウから町外れの部分の街路市の裏側の事情を聞いてしまい、そうなると精介は周囲の人間の誰も彼もが全て怪しく思える様になってしまっていた。

「そこまで心配せずとも大丈夫でしょう。」

 傍らを歩く精介の様子をダチョウは微笑ましく見下ろした。

 ダチョウがちらりと後ろを少しだけ見ると、さっきの露店の二人組の小柄な方の男――八郎太が険しい顔をしてこちらを目指して追い掛けてくる様子が見えた。

 背が高く首が長いダチョウは周囲を見張り警戒するのに優れてはいたが――それは追い掛ける側からしても見え易く目印にし易いという事でもあった。

 だが、ダチョウからすれば八郎太はただの町のチンピラでしかなく――精介を油断無く護衛するという事を考慮しても全く脅威にはならなかった。

 わざわざ精介に追跡者が居る事を知らせて不安がらせる事もあるまいと、ダチョウはそのまま黙って歩き続ける事にした。

 歩いている内に民家や商店が立ち並ぶ一角へと精介とダチョウ、その後を追い掛ける観光客達は足を踏み入れた。

 大通りには多くの観光客だけでなく、荷車を勢いよく走らせる人足達や風呂敷荷物を背負った行商人、檀家に出掛けるのか法衣を纏って小僧を従えた僧侶達も慌ただしく行き交っていた。

 そうして賑わう町と人々の向こうに天高く聳える白亜の巨塔があった。

「へええ~。ホントすげえっすね……。」

 精介は通りの真ん中ではあったが思わず足を止めてしまい、証宮離宮殿の巨塔を見上げた。

 自分の世界でも観光旅行でナントカタワーとかナントカツリーとか、そうした高い塔を見た事はあったが、他に高い建物の殆ど無い中に一つだけ大きく天を衝く白亜の巨塔の不思議な威容にただ圧倒されていた。

「さ、あそこまで後少しですよ。」

「は、はい!」

 ダチョウに促され、精介は通行人達にぶつからない様に気を付けながら再び自転車を押し始めた。

 大勢の人々が行き交う大通りでも、やはり日之許に居ない外国の鳥の精霊の姿は目立ち、驚きや好奇の目を向けられつつ人々は距離を取っていき結果的に道を譲られる事となった。

 そうしてある意味で歩き易くなった大通りを精介はダチョウと共に進んでいき、ついに結三郎と祥之助(と他の者達)の待っている証宮離宮殿の正門へとやって来たのだった。

 天高く聳える巨塔が背後に見える為に低く見えてしまうが、正門を構成する朱塗りの門柱や門扉もまた充分に見る者を圧倒する高さと厚さを備えていた。

 しかし正門は今日の様な何の行事も無い普段の日には固く閉ざされており、高縄屋敷や杜佐藩邸等と同様に片隅の通用口だけが開かれていた。

 ダチョウは適当なところで八郎太の追跡を打ち切らせようと、敢えて一般人の通行が認められていない正門の方へとやって来たのだった。

「さ、こちらに。」

 ダチョウは右の羽を軽く上げて正門の横の通用口を指し示し、精介と共に向っていった。

 門扉の重厚な様子に何となくここは気安く通行出来ないのではないかと感じ取りつつも、精介はダチョウに従った。

 精介達の後を付いて来ていた観光客達が、残念そうに立ち止まったり諦めて去っていき始めた。

「も、申し訳ありませんが、い、一般?の方の通行は禁止されておりますので……。」

 高縄屋敷や杜佐藩邸とは違い、剣道の防具を連想する様な胴や垂れを身に着け頭には鉢金を巻いた二人の筋骨逞しい門番が、通用口へとやって来たダチョウへと戸惑いながらもいつもの決まり文句での注意を行なった。

「せ、精霊様と言えど、許可無くここは御通しは出来ませんので……。」

 困惑し冷や汗も流しながらダチョウへと告げる門番達を、精介は気の毒に思ってしまった。

 まさか外国の鳥の精霊が正門にやって来るとは思ってもいなかっただろう。

 ダチョウは門番達へと軽く会釈をすると、羽の中をもぞもぞと軽く震わせて二枚のカードを取り出した。

 ダチョウの念力で宙に浮かび、門番達の目の前の空間で留められたのはダチョウと精介の身分証明書だった。

 さっきの銀貨と言い今の身分証明書と言い、羽の中の何処に仕舞っていたのだろう――精介はダチョウの胴体を柔らかく包んでいる白と黒の入り混じった羽毛を不思議な思いで眺めていた。

「どうぞご確認を。図書館に用事があるのですが、少し訳あって正門から入りたいのです。」

 ダチョウの言葉に門番の一人が、恭しく宙空に浮かんだ二枚の身分証明書を手にして内容を確認した。

「――さ、佐津摩藩高縄屋敷博物苑、奥苑。しっ、島津茂日出直属鳥飼部……っっ!?」

 佐津摩藩に関係する者が全て暴力至上主義の荒武者ではなかったし、それも昔の話になりつつあるものではあったが、それでも佐津摩藩と前藩主島津茂日出の地名と人名の並んだ身分証明書は門番達に緊張と衝撃を与えるものの様だった。

「まあ、鳥が鳥飼部とは面白くもない冗談ですがね。」

 門番達の緊張を和らげようとダチョウはそう言って微笑んだ。

「え? 俺の身分証もいつの間に……?」

 精介は門番の手にしている身分証明書を首をかしげながら見た。

 博物苑の奥苑の、茂日出公の直属の鳥飼部というのがダチョウと精介の日之許国での身分となっていた。

 精介は知らない事だったが、帝と茂日出が学問研究の遣り取りを親しく行なっている為に、円滑な連絡や物品の行き来が行なえる様にと、茂日出直属の鳥飼部達に限っては帝居や証宮離宮殿の正門の通行は許可されていたのだった。

「し、失礼致しました。どうぞ御通り下さい。」

 緊張の解けない門番達の様子に、奥苑の鳥飼部ってそんなに偉い身分なのだろうか、それともあの殿様が恐ろしいのか――恐ろしいだろうな、と精介はそんな事を考えながらダチョウと共に通用口をくぐった。

「有難うございます。」

「ど、どうも……。」

 何の緊張も無くゆったりとした様子で歩むダチョウの後を、精介は怖々と門番達に頭を下げながら自転車を押して通り過ぎた。

「――♪」

 門を通り過ぎたところで軽やかな鈴の音が二度、慎ましく響いた。

「ん?」

 何の音かと精介が顔を上げたところに、ダチョウが振り向いた。

「ああ、身分証明書に仕込まれた金属片に反応したのです。誰がいつここを通ったのか、機械に記録されるのです。まあ、帝の身辺警護の都合上、その様な仕組みになっています。」

「あー、セキュリティチェック的な……。帝サマ周りだけ時代が進み過ぎっすね。」

 ダチョウの説明に精介は納得し、既に高度な機械警備が導入されている事に感心した。

 塔の周囲の町は時代劇のセットの様な木造の民家や寺社の並ぶ風景なのに、高縄屋敷の奥苑やこの証宮離宮殿の時代を先取りした様子に改めて驚きを感じていた。

「――あらー、あの珍しい鳥さん、入っていっちゃったねー。」

「残念。」

 親子連れがダチョウと精介の去っていく様子を離れた所で見送っていた。

「何でも外国の鳥の精霊様らしいぜ。」

「へええ、そりゃあ縁起がいいもん見たねアタシら。」

「何かご利益あるといいわねー。」

 そんな事を呑気にお喋りしながら、ダチョウと精介の後に付いて麻久佐の町に入ってきた観光客達は、それぞれの目的地へと散っていった。

 そんな中、八郎太だけが正門から少し離れた場所で立ち尽くし、ダチョウと精介の入っていった通用口をずっと睨み付けていた。

「クソ……!」

 精霊はいつもそうだ。気紛れに目の前に現れ、欲しくもない恵みを垂れて、そして去っていく。

「クソ、いつか思い知らせてやる……。」

 悔しそうに呟くと、八郎太は正門に背を向けて自分の露店へと戻っていった。



 精介とダチョウが通用口をくぐると、そこから薄白い石材で舗装された道が真っ直ぐに続いていた。

 両側には斑入りのヤブランやギボウシ、シダ等の観葉植物とキキョウや夏菊といった季節の花が自然植栽風に植えられた花壇が道沿いに長く続いていた。

 道と花壇の続いた先に、大きな階(きざはし)のある神社の拝殿を連想する様な瓦葺の建物があり――それが来場者と帝が謁見する時に使う施設だった。

 謁見の施設には向かわず、ダチョウは道の途中で横道に折れ、図書館へと精介を導いた。

 五階建ての二つの白いレンガ作りの建物――図書館棟と書店棟が厚く高い朱塗りの板塀の向こうに見え、やっと結三郎達の所へと辿り着こうとしているのだと精介はほっと息を吐いた。

 一般人用の通用門から証宮離宮殿の奥へと入る事が出来ない様に、公園や図書館のある敷地部分はそうやって塀で区切られていた。

 一般区画とを繋ぐ通用門へとダチョウと精介はやって来ると、また驚き固まってしまったそこの門番へと身分証明書を見せ、またその身分証明書の内容によって門番を更に驚かせてしまった。

 何とか通用門を通り過ぎるとダチョウは精介を振り返り、右の羽を軽く伸ばして園路の少し向こうに見える白いレンガ作りの建物を指し示した。

「あれが証宮離宮殿図書館。その隣が書店の建物――日之許の国で一番大きな図書館と本屋さんですね。」

「おおー!」

 案内される観光客の気分で精介は思わず声を上げた。

「結三郎様達の気配は既に図書館へと向かっていますね。まあ、今日も暑いですし。暑さもしのげて活動写真の時間まで暇を潰せる図書館で休もうと言う様なところなのでしょう。」

 そんな説明をしながらダチョウは精介を伴って図書館へと向かった。

「そうっすねー。」

 ダチョウの後を歩きながら精介は暑さに額の汗を拭った。 

 敷地の中は石畳やコンクリートらしきもので舗装された通路が整えられており、随分と自転車も押し易くなっていた。

 さっきまでの街路市での荒々しい遣り取りから一転して、公園を行き交う観光客達のお喋りは聞こえてはくるものの、穏やかでゆったりとした空気が辺りに満ちており、精介はほっとして大きく息を吐いた。

 図書館へと向かう短い距離の間にも、園路の途中にはダチョウの説明によると警備員の詰所や観光客が休憩できる東屋、外国の様式で作られたらしい装飾的な曲線のフェンスで囲われた小さな花壇等、大小様々な建物や構造物が並んでいた。

 物珍し気に精介がそれらを見ながら通り過ぎていると、ダチョウが再び観光客への解説の様に精介へと説明した。

「帝居や証宮離宮殿等……それらの施設はある意味で試験場とか実験場、練習場なのですよ。神々からもたらされた知識の内、建築に関するものについての。勿論、人々が古くから経験し受け継いだものを否定したり貶めたりするのではありません。」

 ダチョウは話しながら強化ガラス張りの東屋の前を通り過ぎた。

「古くから受け継がれたものと、新しくもたらされたもの――それらを合わせたより新しい知識や技術で人々の暮らしを安んずる。帝のそうした方針の一つとして、知識を飾り物にせずきちんと習得してもらおうと――まあ、ここのこれらは大工達の研究発表の様なものですね。」

 詰所や東屋等が、様々な金属や、木材であっても様々な加工を行なったものを使用して建てられているのは精介の素人目にも判った。きっと判らないところにも様々な工夫や技術が施されているのだろう。そしてそれらは離宮殿の施設の建物も同様なのだろう。

「そして――その建築知識と技術の極みが、あれなのです。」

 ダチョウもまた、精霊の身ではありながら博物苑奥苑に籍を置き学問研究の日々を送っていた。

 分野は違っても、知識や技術を極めようとする大工達の情熱に同意するものがあった。

 その長い首を伸ばして見上げた向こうに証宮離宮殿の白亜の巨塔が聳えていた。

「我々精霊の物差しで少し昔、この国の先々代の帝は度重なる神降ろしでも廃人になる事も無く、多くの知識を得ました。その知識の中から神降ろしを行ない易くする為の塔の建築知識を纏め上げ、また神降ろしを行なって知識を得て人々に広げ――その繰り返しと積み重ねの帝と人々の歩みが、あの塔へと至っているのです。」

 精介の世界とは全く異なった道筋での知識や技術の発展の歴史がこの世界にはあるのだろう。

 ダチョウの何処か熱のこもった様な解説を聞きながら、精介は夏の青空に聳える白亜の巨塔を見上げていた。

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