第二話ふたつめ、しるすこと 「相撲部員 山尻精介の日之許国への迷い込みに就いて記す事」其の十 祥之助と結三郎の真剣勝負に就いて記す事
第二話ふたつめ、しるすこと
「相撲部員 山尻精介の日之許国への迷い込みに就いて記す事」
「其の十 祥之助と結三郎の真剣勝負に就いて記す事」
突然の祥之助の話に結三郎は思わず声を上げ、親方の隣で笑顔で立っている祥之助を睨み付けた。
「おいおい! いきなりそんな事を言われても! 何も聞いてなかったぞ!」
「あー。悪い悪い。俺も今朝思い付いたからなー。」
悪びれずに笑ってそう言う祥之助の様子に、そうだろうなという納得感が皆の中にあった。
「そういう事は・・・しかも本気の、真剣な勝負だと? こっちにだって心構えというものがだな!」
結三郎は皆の間から前へと進み出て、へらへらといつもの調子で笑っている祥之助へと詰め寄った。
「まあ~・・・祥之助様だしなあ・・・。」
明春はのんびりといつもの調子で笑いながら祥之助と結三郎の遣り取りを眺めていた。
杜佐藩邸での稽古をさぼって科ヶ輪の町や宗兵衛の家に遊びに来る事があり、宗兵衛に連れられて祥之助が力士長屋へとやって来て以降は、祥之助は直接力士長屋に遊びに来る事もあった。
それ以降の浅い付き合いではあったが、祥之助の行き当たりばったりで意外とひとを振り回してしまう性格は、明春は漠然と承知していたのだった。
「悪いなー。まーでも、一石二鳥とかそんな感じで、いい考えだと思ってなー。」
腕組してにこやかに笑いながら、祥之助は目の前に詰め寄って来た結三郎の丸顔を見上げた。
「一石二鳥って。」
祥之助の意図が読めず、結三郎は少し不機嫌そうに祥之助を睨んだ。
にこにこと笑いながらも、祥之助の目に真剣で好戦的な光が灯り結三郎を睨み返した。
「俺達もお抱え力士だから雑音が多いんだよなー。次の試合で対戦するにしても、藩の名誉だとか己の成績がどうだとか。それに武市家や曽我部家の子供だからとか何とか。――そんなんを気にせずに一度、本気の本気で、全力で集中してお前と勝負してみたかったんだ。今日の稽古の手伝いは丁度いいかと思い付いてなー。」
明るく笑い、何処までも真っ直ぐに祥之助は結三郎を見つめていた。
祥之助の言う通り、祥之助も結三郎も確かに藩に所属するお抱え力士である以上は、そうしたしがらみがあるのは当たり前の状態で相撲を取っていた。
公明正大、正々堂々と相撲を取らなければならないという杜佐の土地神の呪いが祥之助にはあるとはいえ、それでも呪詛の許す範囲での周囲からの口出しや横槍はよくあった。
更に二人は親が藩主や前藩主で――実子、養子と言う多少の違いはあっても、そうした背景によって周囲からの雑音は余計にうるさくなりがちだった。
「――全くもう・・・。」
そう言いながらも、結三郎の口の端は嬉しさと楽しさの感情で次第に綻び始めていた。
「――そうそう。そうこなくっちゃな。」
祥之助は、結三郎の意外と獰猛さを感じさせる微笑みを睨みながら、楽しそうに笑みを浮かべた。
結三郎は祥之助の言っている事をよく判っていたし、周囲からの煩わしさの無い所での真剣勝負をしたいという祥之助の気持ちは自分の中にもあると知っていた。
「やっぱ、お前は立派な佐津摩の相撲取りだよ。」
心の底から楽しそうに――愛おしそうに、祥之助は結三郎を睨み続けた。
そんな祥之助へと結三郎は微笑みながらも――獲物へと今にも飛び掛かりそうな獰猛な光を宿した目を向けていた。
やはり結三郎も相撲取りの端くれで、相手に真剣に勝負を求められると心が強く沸き立ってしまっていた。
「――今日は、マワシはしっかり締めてるからな。」
笑いながら結三郎はそう言って祥之助をひと睨みすると、自らのマワシの腹をパン、パンと叩きながら先に土俵へと上がっていった。
「あー・・・。悪いと思ってるよ。こないだのは・・・。」
逆毛頭を掻きながら祥之助は苦笑を浮かべ、結三郎の後に続いて土俵へと上がった。
仕切り線を挟んで向かい合って立つと、結三郎はふと先日の謝罪の遣り取りを思い出してしまった。
――嫌な気持ちのままとか、力み過ぎたままの気持ちのままで試合に臨んで欲しくはないっていうか・・・。
――判り申した。次回の試合も、正々堂々全力で立ち合いましょうぞ。
赤い顔をして俯きながら謝る祥之助の姿や、謝罪を受け入れた自分の事を思い返しながら、結三郎はからりと明るい笑みを浮かべた。
「すまんすまん。今更咎めるつもりは無いんだ。――何て言うか・・・今は急に、ケツサブロウという仇名はどうでも良くなった。」
「!!」
あっさりと言い放った結三郎の言葉に、祥之助だけでなく成り行きを見守っていた皆が驚きの目を向けた。
真剣勝負に心が昂って集中しているせいなのかは、今一つ結三郎自身にもよく判っていなかったが。
「なんだそらー。」
祥之助は拍子抜けした様子で苦笑いを浮かべた。
「――では、ワシが審判をしよう。」
親方も土俵へと上がり、二人の間に立った。
「御願いします。」
結三郎は親方へと軽く頭を下げた。
結三郎と祥之助はそれぞれ仕切り線から軽く後ろに下がると、自分の立ち位置を確かめる様にその場の地面を足で均したりマワシの腹の位置を少しだけずらし直した。
立ち位置を定めると二人は軽くそれぞれに土俵正面や自らの後ろへと振り向き、気合を込める様に自らのマワシの腹を叩いた。
パァン・・・と、軽やかでありながら強い力の込められた柏手か鼓の様な音が、二人全く同時に上がった。
ここは寺ではあったが、正々堂々全力を尽くす勝負を神へ奉納する為の祈りの礼の様な、そんな清冽な音の響きだった。
「――何だよ~、お揃いじゃねぇかよ。」
「そうだな。」
照れ臭くも嬉しそうに笑いながら、祥之助は結三郎へと向き直り、結三郎も仕切り線の前へと体を向けた。
「では、御二人共よろしいかな。」
親方に促され、結三郎と祥之助はそれぞれ仕切り線の前へと屈み込んで片手を突いた。
「――見合って見合って!! 手を突いて待った無し!!」
親方の掛け声が辺りに鋭く響いた。
祥之助は片手を突いて結三郎を睨み付けたまま、飛び掛かる間合いを図り続けているのか何度も腰を上げ下げし――結三郎は祥之助を睨んだまま静かに動かず右手を突き、左手もすぐに突ける様に地面のすぐ上へと添えられていた。
――煎賀久寺から走って追い掛けて来た時の、祥之助の汗に濡れてハリネズミの様になっていた頭の事や、博物苑でオナガドリに頭上で踏ん反り返られていた姿や――町で出会った時に人懐っこく笑いながら駆け寄って来る姿等を、結三郎は何故か次々と思い出してしまっていた。
今、自分を睨んでいる祥之助の方は何を思っているのだろうか。
結三郎はほんの僅かな時間の内にそうした事を次々と思ってしまったが――しかしすぐにそれらは流れ去っていき、目の前の対戦相手へひたすら集中する意識だけが残った。
「こ、恐ええ・・・。ついさっきまでニコニコお互い笑ってたのによー。」
「ホントだよ。昔の侍の果し合いかよ。」
利春や春太郎が顔を青くしながら結三郎と祥之助の土俵での様子を見ていた。
「仲良くすんのと勝負事はまた別なんだろ~? そんだけ物凄い集中してるんだろな~。」
利春達の横で明春ものんびりしたいつもの口調ではあったが、冷や汗を掻きながら二人の試合の様子をじっと見つめていた。
「――はっけよい!!」
二人共手を突き、親方の合図と共にお互いが相手へと飛び掛かった。
結三郎が祥之助の懐へと飛び込もうと屈んだ状態のまま頭から突っ込んでいったが、祥之助の方もそれを躱そうと頭を低くして結三郎の突進を迎え撃った。
「――!!」
ゴンっとお互いの頭がぶつかり合った重く低い音が響いた。
そんな音が響いた事も構わず、二人はぶつかり合った頭をそのままに体ごと押し合い、マワシを掴もうと手を突き出し合い、それを阻もうと叩き合った。
「――ッ。」
祥之助が小さく息を吐いてまたすぐに大きく吸い込み、押し合っていた頭をずらして一瞬結三郎から少しだけ離れた。
頭に掛けていた力をずらされ、結三郎がごく僅かの時間と角度、頭が揺れてしまった瞬間に祥之助は低く屈んだ姿勢のまま結三郎の懐へと素早く潜り込んだ。
結三郎のマワシへと両手を伸ばし掴み取ろうとするが――結三郎も、それよりも先にマワシを掴むべく祥之助の突進を受け止め、祥之助のマワシへと両手を繰り出した。
「――!」
お互いにマワシを掴んで組み合いかけたものの――結三郎は巧みに腰を引き、姿勢をずらし、結三郎のマワシを掴んだ祥之助の片方の手には充分に力が通わない様に動き続けた。
「ッッ――!!」
祥之助はやむ無く片手を離し、再びその手を結三郎のマワシへと何度も繰り出したが、その度に結三郎にマワシを切られてしまって上手くいかなかった。
――これらの遣り取りが、僅か一分二分の内に行なわれていたのだった。
「・・・どっちが勝つんだ・・・?」
「誰だよ、こんな強え人、ケツサブロウだなんてからかい始めたヤツ・・・。」
庄衛門や利春達が二人の試合を息を詰めて見守っていた。
「すげぇ・・・。」
純粋な思いも不純な思いも全て混じり合って精介は胸が高鳴り、顔は紅潮していた。
今も勿論、相撲を取る裸の男の体に欲情をしてしまっていた。――多分、この試合を録画していたら後で絶対何度も見返して、夜の一人相撲の稽古に励んでいるという位に。
一面ではそういう風に、本気で戦いぶつかり合っている二人の裸の体に物凄い色気や欲情の疼きを感じてしまっていたが――もう一面では、やはり、精介もまた相撲取りの一人としてあんな風に戦ってみたい・・・戦って相手に勝ってみたいという、胸が躍り昂るものを強く感じていた。
◆
マワシを切っては結三郎もまた何度も祥之助へと体を寄せて迫ろうと試みるが、祥之助の方も体勢を巧みにずらして結三郎が向かってくる力の方向を逸らしていた。
何度も互いに回り込もうとし、掴み合おうとし、土俵を左右に回り合った。
「こっの・・・ぉッ!」
息を切らしながら祥之助は一度顔を上げた。
一瞬だけ僅かに背後へと祥之助が体を引き、次の手を警戒して結三郎もほんの少しだけ体を引いた。
「お――ッッ!!」
それから再び祥之助は体を低くして結三郎へとぶつかって来た。
結三郎もまたそれを同じ様に突進して迎え撃った。
頭がぶつかり、お互いに繰り出した手が肩や胸へと所構わず当たり、バンバン、ガンガンと擬態語通りの激しい音が土俵に響き続けた。
二人の体はあっという間にあちこちが赤く腫れ上がった。
腫れた痛みにも頓着せず、結三郎は体勢を低く保ち続け、そのままどんどんと祥之助のマワシを取るべく突っ込んでいった。
「――!」
とうとう祥之助のマワシへと結三郎の両手が届き――しかし祥之助もまた同時に結三郎のマワシを両手で掴み取った。
「っっっ!!」
低く唸る様なくぐもった声が結三郎の口から漏れた。
互いの力が拮抗し――二人は四つに組み合ったまま少しの間動けずにいた。
お互いの左肩に顔を寄せ、マワシを引き合い――体は大きく動かずとも互いを押し倒し、投げるべく何度も腕や背中、太腿の筋肉が震え続けた。
――だが、そうした攻防も長くは続かず、先に祥之助の息がごく僅かに乱れ始めた。
その僅かな乱れの後、ついに祥之助の足先が一瞬ふらついた。
「!! ――――っらぁあああああああっっっ!!」
その隙を目がけて――野太い気合の声を結三郎は上げ、祥之助のマワシを上手から取ったまま強引に引き寄せた。
そのまま祥之助は抵抗する間も無く、とうとう土俵の上へと投げ倒されたのだった――。
「東、島津殿の勝ち!」
親方が結三郎の勝利を告げた。
「おおー! ケツサブロウが勝った!」
「島津様すげええ!」
試合を見守っていた利春達が一斉に声を上げ、二人の勝負を褒め称えた。
勝負がつき一遍に緊張と集中が解け、頭をふらつかせながらぜいぜいと喘ぎ、結三郎と祥之助はそれぞれ徳俵の所まで下がって屈むと礼を行なった。
「くっそおおおお! ・・・また・・・負けた!」
過日の結三郎を追い掛けて煎賀久寺から走ってきた時の比では無い程に、ぜえぜえと大きく呼吸をしながら祥之助は天を仰いだ。
「だ・・・だから・・・・・・・。いっ・・・言った・・・だろ。つ、次も俺が・・・・・・勝つ・・・て。」
頭も体もふらふらと頼り無く揺らしながら結三郎は立ち上がり、祥之助に負けない程にぜえぜえと息を切らしながら何とか言葉を発した。
祥之助の求めに応じて本気で全力を出し切った真剣勝負を行なったせいで、短時間の内にとてつもなく濃厚な心身の集中が行なわれ――結三郎は充実感と達成感を感じながらも今は力が抜けきってしまっていた。
今暫くはろくに物も考えられず、体もふらついてしまっていた。勿論それは祥之助も同様だったが。
「明春、手拭いを。」
そんな二人を感慨深く見守りながら、親方は明春に手拭いを持って来させ、汗まみれになっていた二人に手渡した。
「ワシは祥之助様のほんの幼児の頃しか知りませなんだが・・・。いやはや、ここまで御立派に相撲が取れる様にまでなっておられたとは・・・。」
受け取った手拭いでふらふらしながら汗を拭いている祥之助を、しみじみと親方は見つめていた。
「実に、子供の成長と言うのはあっと言う間じゃのう・・・。」
「子供扱いはよせ。もう俺も十八で、成人過ぎてんだぞ・・・。」
ようやく呼吸が整い始めた祥之助が顔を上げ、親方を軽く睨んだ。
昨夜居酒屋で精介と遣り取りした様に、日之許国では成人になるのは十五歳だった。
「武市殿、良き勝負を有難うござりました。」
親方の前だからなのか、結三郎は少しだけ畏まった口調で祥之助へと礼を言った。
結三郎の方も大分呼吸は落ち着き始めていたが、まだ汗は引かず借りた手拭いを顔に当てていた。
先程の、俺、と自称して地が出てしまっていた結三郎の口調をまた聞きたいと思ってしまいながら、祥之助は手拭いを首に引っ掛け結三郎を見た。
「くっそー、有言・・・実行しやがって・・・っ。・・・次は負けねぇぞ!」
「ああ。」
祥之助の言葉に結三郎は微笑んだ。
それから祥之助は土俵を下りて、今まで試合を見守っていた明春達へと話し掛けた
「――と、まあこんな感じで、お抱え力士の試合は行われているんだが・・・。何か参考になるといいんだが。」
「は・・・はい・・・。」
祥之助の言葉を聞きながらも、明春達はすぐには返事が出なかった。
明春達も他の相撲部屋のそれなりに強い力士達と試合をする事もあったものの、やはり試合での負けが藩の名誉や評判に直結する為に厳しく鍛え続けられたお抱え力士達の強さは、また別格のものを感じさせられた。
「俺達もあんな風に試合が出来るんですかね・・・。」
春太郎が小太りの体を震わせながら呟いたが、しかしその目はうっすらとだったがやる気の光が灯り始めていた。
それは他の皆も、結三郎と祥之助の激しい試合を見て一瞬委縮してはいたものの、やはり自分達もあんな風に試合をしてみたい――そんな思いに心が沸き立ち始めていた様だった。
「・・・全く、とんだ稽古の手伝いだ。」
口ではそう言いながらも、結三郎は真剣勝負の充実感で満足そうに笑みを浮かべながら土俵を下りて精介達の所へと戻って来た。
精介はそんな結三郎の姿を目を輝かせ、顔を紅潮させて見つめていた。
――うっわー、結三郎さん、優しそうな可愛らしい顔(精介及び祥之助の基準)して意外と攻撃的で荒々しい相撲を取るんだ・・・。
昨日の夕方初めて会ってからのまだ余りにも短い交流だったが、結三郎の真面目で穏やかで優し気な雰囲気を精介はそれなりに好ましく思ってはいた。
だが、その優し気で人の良さそうな丸顔から発せられた野太い掛け声や、祥之助に挑みかかる獰猛な微笑みに、精介は強く心を惹き付けられてしまっていた。
男色でも強くなった相撲取りは居る――親方の言葉を体現し、更に好みの容姿と言うだけではない・・・相撲に真剣に打ち込む結三郎の姿に、精介は自分の心の奥深い所を掴み取られてしまった様に感じていた。
「お・・・お疲れ様ッス。すっげえ試合でホント、マジ感動ッスよ! もう結三郎さん、あんなに強えなんて・・・。あ、いやその、島津様・・・。」
強く憧れ、心がときめいて、精介は心の中で一方的に距離を詰めてしまったせいで――うっかりと馴れ馴れしく名前呼びをしてしまっていた。
慌てて言い直したが結三郎は気にした様子も無く、むしろ少し嬉しそうにしていた。
「ああ、名前呼びで構わない。・・・島津様だと、何か堅苦しいしな・・・。武市殿だって私の事、呼び捨てだしな。」
結三郎はそう言って精介へと微笑み掛けた。
前藩主の養子でも島津家の一員だと言う事で、高縄屋敷では然程身分差をうるさく言わない空気であっても――やはりある程度は一線を引かれて接される事も多く、同年代の友人と言える様な親しく交流する者は結三郎には少なかった。
異世界の、日之許国の価値観には関係無く親しみの感情を表わしてくれている精介の様な者は、結三郎にとって随分と嬉しく新鮮に思えた。
「え・・・。あ・・・ゆ、結三郎、さん・・・。」
改めて言うと照れ臭く、精介は顔を赤くして俯いてしまった。
「ああ!」
その様子を微笑ましく見ながら結三郎は精介へと返事をした。
「――皆も武市殿と島津殿の勝負を見て気合も入った様じゃし。稽古に入るとするか。」
「おっす!」
親方の声に、明春達は威勢良く返事をした。
「――おう。俺達はちょっと休憩しようぜ。」
精介と結三郎の遣り取りに気付いた祥之助が、何処かむっとした表情で二人の間に割って入った。
結三郎の肩へと手を掛け、祥之助はそのまま先程着替えを行なった長椅子の所へと引っ張っていった。
「あ、ああ・・・。そうだな・・・。山尻殿、頑張れよ。」
「お、おっす!!」
祥之助に引かれながら結三郎は精介へと励ましの声を掛け、長椅子の方へと歩いていった。
「あー、疲れた疲れた。」
まだ少し不機嫌そうに口を尖らせたまま、祥之助は長椅子の近くにあった桶から柄杓で水を汲み、何度か水を呷った。
「私も喉が渇いたな・・・。集中し過ぎてて今まで忘れてたよ・・・。」
水を飲み終わった祥之助から柄杓を借り、結三郎も桶から水を掬った。
汲んで少し時間が経っていたせいか、水は少し温んでいたが真剣勝負で熱くなり過ぎていた二人の体を冷やすのには充分だった。
「・・・今は、俺、じゃねえんだな・・・。」
「ん?」
ぼそっと祥之助は何処か拗ねた様に呟き、長椅子の前の地面にどかっと腰を下ろした。
「・・・自分の事、私、って。」
そう言って見上げて来る祥之助の何となく拗ねている様にも見える顔を、結三郎は不思議そうに見下ろした。
「俺・・・って言っていたか・・・。つい、地が出ていたか。」
結三郎は祥之助に指摘された事に、頭を掻き苦笑しながら隣に腰を下ろした。
真剣勝負で熱くなっていて、つい普段の堅苦しく取り繕っていた自分が引っ込んでしまっていたのだろう。
「別に、嘘を付いているとか猫を被っているという訳ではないんだが――まあ、一応は島津家の一員である以上、言葉遣いとかきちんとしておかねばとは思っているしなあ・・・。世話になっている義父上に恥を掻かせる訳にもいかんし。」
確かに、そういう風に考え実行している時点で、堅苦しく真面目に考える気性は偽りではないのだろうと――祥之助は結三郎の言葉を聞きながら納得していた。
養子に出たとはいえ、いや――出た後であっても、祥之助もまた曽我部家の四男であるからとそれなりに礼儀や配慮のある振舞いや言動を求められる事もあったので、結三郎の言う事も判らないではなかったが。
「・・・と、友達の前で位は、少し位、雑な言葉遣いでも・・・いいんじゃねえかな・・・。」
傍らに座る結三郎の顔を見――そしてまた目を逸らし、祥之助は呟く様に言った。
「友達って・・・。」
皆の前で堂々と心の友呼ばわりしていた割に、いざ一対一で差し向うと途端に普段の勢いが失われている祥之助の姿に、結三郎は呆れながらも――何故だか全く判らなかったが、それが可愛らしくも見えてしまっていた。
「まあ、その申し出は判ったが・・・。心の友までいくと、どの様に砕けた言葉遣いをすればいいんだろうなあ・・・。」
からかい半分、真面目さ半分に結三郎は胡坐をかいたまま祥之助の方を向いて問い掛けた。
「こっ、心の友って・・・!」
自分で言い出しておきながら、いざ本人から言われると祥之助は顔を赤くして狼狽えていた。
「・・・ま、まあその、これだっていう決まった言葉の型がある訳じゃねえしなー・・・。あ、あれだ、お互いに立ち合ってマワシの取り合いをする内に、お互い相手の間合いや手の内が段々に判り合っていくみたいなそんな感じで友達付き合いもだな・・・。」
「相撲に例えるな相撲に。」
例えが判らないでもなかったが、結三郎は呆れながら軽く息を吐いた。
少しの間、赤い顔のまま祥之助は俯いていたが、やがて思い切った様に顔を上げた。
「まあ、好きな言葉遣いをすればいいんじゃねえかな――。まあその、これからもよろしく頼む。」
とうとう開き直ったのか、祥之助はそう言ってまだ赤みの残る顔のまま結三郎へとにかっと笑い掛けた。
「・・・判ったよ、心の友よ。こちらこそよろしく頼む。」
祥之助の照れながらのそうした笑顔が、結三郎にとっては何故か何とも可愛らしいものの様にも思えてしまっていた。
苦笑しながら結三郎は――祥之助の頭へと自然に手を伸ばしていて、優しく撫でていたのだった。
一瞬、結三郎の手に祥之助は驚いたものの、そのまま撫でられるに任せた。
いつもの逆立てていた短髪が、試合で掻いた汗と結三郎の手で幾分勢いを失って倒れてしまったが、祥之助はそのまま嬉しそうに結三郎を見つめていた。
「よろしく――と言う訳で、明日は俺が勝つぞ。」
頭を撫でられ機嫌が良さそうにしながら、祥之助は結三郎へとそう告げた。
「――・・・は?」
祥之助の言葉が一瞬全く理解出来ず――いや、理解を頭が拒んだのか、結三郎は固まって引き攣った笑顔のまま大きく首をかしげた。
祥之助も地面に胡坐をかいたまま、腰を回して結三郎へと体を向け直した。
「来週の夏祭りの大会まで一週間――いや六日位はあるだろ。それまで毎日一回は真剣勝負だ。」
片手でさっと指を折って日数を数え、祥之助は楽しそうに目を輝かせた。
「――・・・は?」
再び結三郎はそう言って、未だ引き攣った笑顔のまま首をかしげていた。
祥之助は結三郎のその様子に、きちんと伝わっていないのかと思い改めて背筋を伸ばして結三郎へと顔を近付けた。
「だから、明日から夏祭りの大会前日までの毎日一回、さっきみたいな本気の本気の真剣な勝負を、俺とお前でだな――。」
「いやいやいや、何だそれは。それは幾らなんでもおかしくはないか? いや、俺はおかしいと思うぞ。――というか、色々とおかしいぞ。」
きちんと説明しようとしていた祥之助の言葉を強引に止め、結三郎は大きく頭を横に振った。
「何でお前さんが勝手に決めるんだ。俺にだって勝負を受けるか断るか選ぶ権利はあるだろ? そんな毎日あんな真剣勝負だなんて身がもたんぞ! 付き合ってられるか!」
祥之助との、ただの相撲取りとして――ただの裸の人間同士の、お抱え力士としての雑音の無い真剣勝負は確かに熱く心が滾り、また楽しくもあった。
しかし、この上も無く濃厚に自らの心身全てを集中し切っての真剣勝負と言うものは、そう毎日の様に行えるものではなかった。
「別にいいだろー? 付き合ってくれよー。」
結三郎の剣幕にも堪えた様子は無く、祥之助はわざとらしく口を尖らせ姿勢を低くして結三郎の顔を見上げた。
「えええ・・・。」
少し上目遣い気味に見上げる形となっていた祥之助の顔を見下ろしながら、結三郎は困った様に太い眉を下げた。
「付き合ってくれよー。お前と毎日相撲取りたいんだよー。」
少し背を丸めて胡坐をかいたまま体を左右に大きく揺らし、祥之助は駄々を捏ねるかの様にして結三郎を見上げた。
結三郎は、祥之助の様子に困惑し、呆れ――次第に眉間に皺が寄り始めていた。
駄々を捏ねるかの様に――ではなかった。駄々を捏ねている事そのものだった。何故、こんな手前勝手な我儘を言って自分を困らせる男が可愛らしく見えてしまったのだろうか・・・。
流石の結三郎も少し苛立ち始めていたところに、ふっと笑いを漏らす息遣いが二人の頭上に聞こえた。
「いやはや。お前と毎日相撲が取りたいと来ましたか。ワシが若い頃は、お前の作る味噌汁を毎日飲みたい、とか茶を飲みたいという言い回しが流行っておりましたのう。」
二人の様子を見に来たらしく、でっぷりと肥えた腹を揺らして笑いながら親方が祥之助の背後に立っていた。
「何だよ、その言い回しは? 」
結三郎にまだ体を向けたまま、祥之助は親方を見上げて問い掛けた。
祥之助の問いに親方はにやにやと笑いながら、
「何。昔流行った婚儀の申し込みの言葉ですのう。結婚は家同士で決められる事も多いですが、お付き合いをしておる当人同士が何かしら言い交す事とて珍しくはない。ワシの友人なぞも当時の流行りに便乗しましてのう・・・。」
思い出し笑いと、目の前の祥之助をからかう笑いが混じりながら親方は二人を交互に見下ろした。
「こっ、婚儀って!?」
祥之助は自分の言った言葉に妙な意味付けがされてしまった事に、再び顔を朱に染めてしまっていた。
妙な――いや、本当はちっとも、妙、ではなかった。
本当は――結三郎の事を。
昔の流行の言い回しは知らなかったが、言われてみれば祥之助に相応しい申し込みの言葉と言えた。
顔を赤くして黙り込んでしまった祥之助の様子に、今日は随分と何度も顔を赤くして頭に血を上らせているが大丈夫だろうか――等と、つい見当違いな事を結三郎は考えてしまっていたが。
「えええええ???」
が――流石の恋愛事に鈍く奥手な結三郎であっても、今の親方の話の流れからの祥之助の様子に一応は推測出来るものはあり、思わず大声を上げてしまった。
「えええぇぇ? ・・・えー・・・・・・。」
しかし疑問と驚きに思わず上げられた声は尻すぼみになり、結三郎もまた自分の顔がのぼせて熱くなっていくのを自覚した。
いやまさか。そんな訳は。
今更ながら、もしかして――いや、やはりそうなのか?
先程の相撲の真剣勝負の時の様に結三郎は胸が高鳴り、息も乱れ始めていたが――俄かには頭が回らず、混乱もし始めていた。
――しょ、しょ、しょしょ祥之助殿は、自分に対してと、く、特、特別な好意を抱いているのであろうか???
祥之助に好かれて満更ではないという気持ちは確かに結三郎にはあったものの――しかし、まさかという信じられない気持ちもあった。
十九になるこの歳まで恋愛事には疎かったので、何をどうしたらいいのか、どう考えたらいいものか、何一つ結三郎には判らなかった。
「――きゅ、休憩終わるか・・・。ちょっとあいつらの稽古見て来る。」
混乱している結三郎を置き去りに祥之助は突然立ち上がると、親方になのか結三郎になのか、そう言い置いて逃げる様にその場を去っていった。
明春達に混ざって四股や摺り足等を始めた祥之助の姿を、結三郎はどうしたものかと呆然と眺めていた。
「ちょっとからかい過ぎましたのう。」
結三郎の近くに立っていた親方が同じ様に祥之助を眺めながら苦笑を漏らした。
「あんまりからかわないで下さいよ・・・。」
困り顔で結三郎は親方にそう言い、のろのろと立ち上がった。
祥之助からの特別な好意云々については嬉しい様な恥ずかしい様な・・・決して不快な気持ちではなかったが。
混乱したままで何も考えられなかった為、それはまた後日改めて検討する事にして――今、祥之助が離れたこの隙に、何とか精介と元の世界への帰還について話が出来ないだろうかと結三郎は思案した。
「・・・うーん・・・。」
「――どうかされましたか? 島津様。」
ぱたぱたと腰の土を払いながら精介達の様子を伺う結三郎へ、親方は首をかしげながら尋ねた。
「・・・あ、いいえ・・・。何も・・・。」
結三郎は慌てて頭を振った。
精介は今もまだ明春達と稽古を行なっている真っ最中だった。
体中汗まみれになりながら、精介はぶつかり稽古で果敢に庄衛門や利春達へと飛び込んでいた。
男色で相手の裸の体を意識し過ぎて相撲が取れなかったと言っていたが、どうやら今は吹っ切れて相撲に集中出来る様になっていた様だった。めでたい事ではあったが――これではゆっくり精介と話をする事は出来そうになかった。
「私も稽古に混ざって来ます。」
一先ずは精介と話をする機会はまた改めて伺おう。
親方へと軽く頭を下げると結三郎は精介や明春達の所へと向かい、彼等の稽古を手伝う事にした。
結局この日は精介と全く話をする事も出来ず、夕方まで稽古をこなす内にあっという間に解散の時刻になってしまったのだった。
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メモ書き
ここのところ急に冷え込んできて、更年期の体と自律神経に大ダメージが来ておりますが皆さま如何お過ごしでしょう。
さて第二話其の十でござります。十まで話数を重ねながら内容は大して進展していないのは相変わらずですが。
取り敢えず、真剣勝負の回であります。相撲の試合の描写を小説でやるのはなかなかに難しいのですが、動画配信サイト等で学生さんとかの試合を探したりして参考にして頑張ってみました。
一応はBL小説なのでイチャイチャチュッチュだけ書いてりゃいいんだよ、という意見もある様ですが、ガチバトル的な描写も大好きなので少年漫画的なノリで頑張ってみました。少しでも強そうに見えていればいいのですが。
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