第二話ふたつめ、しるすこと 「相撲部員 山尻精介の日之許国への迷い込みに就いて記す事」其の十三 結三郎の常に無くうろたえる事に就いて記す事

第二話ふたつめ、しるすこと

「相撲部員 山尻精介の日之許国への迷い込みに就いて記す事」

 「其の十三 結三郎の常に無くうろたえる事に就いて記す事」


 昼が少し過ぎ、相撲大会が開かれると言う事で祭に来た客達はどんどんと土俵の所へと集まって来ていた。

 二つの土俵の内、小さな土俵の方を出場者達の練習土俵にしており、そこではマワシを締めた者達が四股を踏んだり柔軟体操をしたりして試合の準備を行なっていた。

 春乃渦部屋や科之川部屋の者達も屋台の手伝いを終えて既にマワシに着替え終わって軽い稽古を行なっていた。

 祥之助と結三郎は屋台の蕎麦で昼食を済ませた後、春乃渦部屋の皆の様子を見に再び土俵の方へとやって来た。

「よう! 流石にずっと店番じゃなかった様だな。」 

 四股を行なっていた明春達へと祥之助が声を掛けた。

 その声で祥之助と結三郎に気付き、親方や明春達は軽く会釈をした。

「まあお蔭で変に緊張せずに済んで良かったですよ~。」

 祥之助の言葉に明春が苦笑しながら答えた。

 練習土俵では春乃渦部屋や科之川部屋の者達の他にも、余り相撲取りには見えない痩せた者や、逆に日々の肉体労働で鍛えられているらしい腕や足だけの筋肉が太くがっしりしている者達等、様々な出場者が居てお抱え力士の大会しか知らなかった結三郎にとっては、とても面白く興味深く思えていた。

「あ、あんな小さな子供も出るのか。」

 結三郎は土俵の近くの一角に四、五歳位の子供達が何人か、付き添いの大人達と四股を踏んでいるのに気が付いた。

 「科ヶ輪地域神社子供会」と出場団体に書かれていたのを昼前に見たが、あんなに小さな子供まで出場するとは結三郎は思っていなかった。

「そうッスね。ちょっとびっくりしたッス。」

 準備運動で疲れ過ぎない様にと程々のところで一旦休憩する事にした精介が、手拭いで汗を拭きながら結三郎の所へとやって来た。

「山尻殿・・・。」

 隣にやって来た精介を結三郎は、太い眉を少し下げ困った様な表情で見た。

 結局今日に至るまで、精介に元の世界に帰すにあたっての詳しい話は出来ずじまいだった。

 精介を元の世界に帰す事も勿論大事だったが、結三郎達――奥苑の茂日出達からの、現地協力員についての話もきちんと出来ておらず、結三郎は少し焦りを感じていた。

「何か、昔の時代劇とかで見る村の相撲大会って感じで、イイッスよねこういうの。」

 結三郎の焦りを知らない精介は、楽しそうに笑いながら辺りの様子を眺めていた。

「時代劇?」

「あ、俺の世界だと、この国の様子とかに近い感じの雰囲気が百年とか二百年前にあって・・・えーとそれで、そういう昔の事をテレビの時代劇――あ、芝居とか物語?でやってて・・・・・・って、すんません。説明下手で。」

「あ、いや大体は判るよ。文明の進んだ世界では、銀幕に色々と芝居や人形劇なんかを映し出して観賞する娯楽があると聞いた事があるよ。時代劇――昔の事を題材にした芝居といったところだろう?」

 申し訳無さそうに謝る精介に結三郎は苦笑しながらも頷いた。

「そうそう。そんな感じッス! 流石結三郎さん。」

 結三郎が理解してくれた事に精介は笑顔になった。

 精介と結三郎が仲良くするのを子供染みたやきもちなのか余り歓迎しない祥之助は、今は親方や明春達春乃渦部屋の者達と今日の大会の事で楽しそうに話をしていて、二人の様子には気が付いていない様だった。

「俺、部活の――あ、こっちで言うと学校の中の相撲部屋?の大会しか出た事無かったんで、こういう村祭りみたいな雰囲気の大会に出るのって初めてで・・・。でも何かすげえ楽しい感じがして面白いなあって・・・。」

 精介は大きい方の土俵に目を遣り、早くからやって来て土俵間際の席――茣蓙の上に陣取っている家族連れや、酒徳利を片手に座って賑やかに試合の予想を語り合っている老人達を何処か眩しそうに眺めた。

「そうだな・・・。私も藩のお抱え力士達だけしか出ない大会しか知らなかったから、こういう雰囲気は初めてだったが・・・何か、楽しいよな・・・。」

 結三郎も観客席へと目を向け、それから精介へと微笑みかけた。

「結三郎さんも俺とおんなじ初めてッスか!」

 結三郎の言葉に精介は嬉しそうに声を上げた。

「――そうッスよね。・・・いいッスよね・・・。こういうのって。」

 精介はそう言って練習土俵を振り返り、祥之助と楽しそうに話をしている親方達を見ながら呟いた。

 この一週間、身元も曖昧な精介を置いてくれた力士長屋の人達や、精介の男色の悩みで硬く強張っていた心を解きほぐしてくれた――何よりも相撲が楽しかった事を思い出させてくれた親方達春乃渦部屋の人達――。   

「いいな・・・。ホント、こういうの。・・・ほんとに。」

 ――帰りたくないな。

 一瞬だけ俯いて精介はその言葉を飲み込み、気持ちを切り替えるかの様にマワシの腹を両手で軽く叩いた。

「山尻殿?」

 精介の様子が一瞬だけ沈んだ様な気がしてしまい、結三郎は訝し気に精介を見た。

「よーし、絶対勝ちますから応援して下さいね。結三郎さん!」

 精介はもう一度片手でマワシの腹を叩くと、部屋の皆の所へと戻っていった。

「あー。何だ何だ、結三郎に励ましてもらってたのか? ちょっと羨ましいぞ。」

 皆の所にやって来る精介と、その後ろに続く結三郎の姿に気が付き、祥之助はまたむっとした表情で口を尖らせた。

「ヤキモチですか祥之助様~。」

「杜佐の益荒男は醜い嫉妬はしないで下さいよ。」

 明春や利春がからかいの言葉を放つと祥之助は忽ち顔を赤く染めてしまった。

「なっ・・・嫉妬なんかしてねえ! そっ・・・それより、今日は長屋の連中は誰も応援に来ないのか? みんな仕事か?」

「はいはい。――ああ、おかみさん達が何人か仕事を早めに切り上げて来るって言ってましたよ。」

 あから様に話を変えて誤魔化しにかかっている祥之助の様子を、明春達は暫くの間面白そうに眺めていた。

 そうする内にも、この寺と照応寺の和尚や、科矢輪神社と科葉神社の宮司達が土俵の方へとやって来て、もうすぐ相撲大会を始めるという呼び掛けの声を発するのが聞こえてきた。



 大会は先に個人戦から行なわれた。特には開会式と言う様な事はせず、主催者である和尚や宮司達が簡単に挨拶をしてすぐに試合が始められた。

 意外と大勢の観客が会場には詰め掛け、然程広くはない寺の敷地に賑やかな応援の声が溢れていた。

 一般の腕に覚えのある者達や、春乃渦部屋や科之川部屋以外にも余所の相撲部屋の所謂二軍、三軍選手の様な位置付けの者等が個人戦には出場していた。

「おっ! 惜しかったなあ今の!」

 結三郎と共に、土俵を取り巻く大勢の観衆の中から試合を眺めていた祥之助は思わず声を上げた。

 素人相撲と見下すつもりは全く無かったが、意外と力強くまた巧みに相撲を取る者達も多く、二人は試合に見入っていた。

「――何か意外と面白いな。こういう一般人としての観戦もいいなあ。しがらみとか気負いが無いしなあ。」

 一回戦が一通り終わり、荒れた土俵の表面を掃き直したり次の準備をする手伝いの神職達の様子を見ながら、祥之助は隣に立つ結三郎へと笑い掛けた。

「そうだな。こんなに面白いとは思ってなかった。自分達が出る時の試合とは大違いだな。」

 結三郎も祥之助の言葉に頷き、次の試合が始まるのを楽しそうに待っていた。

 相撲大会に参加すると言えば結三郎も祥之助も、自分達が選手として参加するというのが当たり前の事だった。当然、のんびりと試合を観戦する様な気持ちや時間の余裕も無く。

 休憩時に他人の試合を観戦するにしても、それは対戦相手の様子を観察するという意味合いも強く、そうでない時は自分の試合の疲れで集中力も低下していてぼんやりと試合を見ているというだけだった。

「しがらみというか、まあ今回は春乃渦部屋に関わっていると言えば関わってしまっているけどな。」

 結三郎が笑いながらそう言うと、祥之助も軽く笑い返した。 

「そうだけどなー。まあそれはそれとして、あれだけ俺達が稽古付けてやったんだから勝って欲しいなあ。」

 そんな話をしている内に次の試合が始まり、二人はまた観戦に意識を向けた。

 個人戦も参加人数が多いという訳ではなかったので試合の進行は早く、何処かの相撲部屋の二軍選手という小柄ではあったがしっかりと太った青年が優勝して個人戦は終了した。

「――これより十五分程の休憩の後に、団体戦を始めます。」

 神職の白衣に薄紫色の袴を着た宮司の老人が掃き清め終わった土俵へとやって来て、よく通る声で会場へと知らせを行なった。

 それにより観客達は便所へと向かったり、屋台で飲み物や食べ物を買い足そうと席から離れていった。

「そういや喉渇いたな。何か買ってくるよ。」

「ああ、すまないな。」

 意外と試合を集中して見てしまい、祥之助は喉の渇きを覚えた様だった。

 結三郎にここで待つ様に言うと、人の間を縫ってさっきの精介が手伝っていた生姜水と夏ミカン水の屋台の方へと向っていった。

 祥之助を見送った後、結三郎は小土俵の方で準備運動をしている精介達へと目を向けた。

 先刻も結局、周囲に人目がある為に帰還についての話が出来ずじまいだった。

 表面で見た限りでは精介は大きく不安に思っていた様子は無かったが――しかし内心は帰れるかどうか心細く思っているのではないか? むしろ結三郎の方が精介の事を気遣い過ぎて心配に思ってしまっていた。

 今日の試合に悪い影響が無いといいのだが・・・・・・と、そんな心配をしながら結三郎が遠くから精介達の様子を窺っていたが。

「――ッスよ~。」

「・・・そうかあ。」

「それでよ・・・・・・。」

 微かに聞こえてくる部屋の皆との話し声や遠目に見える精介の表情からは、結三郎が心配している様な暗いものは無く、むしろ楽しそうに、また試合に向けて意気込んだ様子が感じられた。

 取り繕っている風には見えない精介のその様子に結三郎は安心した。心が落ち着いている様ならば良かった。これならばきちんと試合に集中出来るだろう――。

 結三郎がほっと息を吐いたところに、紙コップを二つ持った祥之助が戻って来た。

「生姜水しか残ってなかったけどかまわねえか? 他の飲み物とか水菓子とか、結構売り切れてたぜ。」

 そう言い訳する祥之助の額には大汗という訳ではないが、薄い汗がずっと滲み続けていた。

 夏に入ったばかりとはいえ晴れた日なので気温は高くなり始めており、喉が渇いているのは誰もが同じ様だった。

「ああ。かまわないよ。かたじけない。」

 結三郎は先刻の精介の「サービス」の時よりは少なく注がれた生姜水の紙コップを受け取った。

「何か・・・ちょっと、今日は相撲の観覧のデエトって・・・感じだな・・・。」

 祥之助は自分の紙コップに口を付け一口だけ生姜水を飲み、誰に言うともなく小声で少し嬉しそうに呟きを漏らした。 

 隣に居た結三郎はそれが聞こえてしまい、少し呆れた様に小さな溜息をついた。

「また証宮新報にでも何か行楽についての記事が書いてあったのか?」

 結三郎にそう言われ、祥之助は驚いて顔を上げた。

「この際だから訂正しておくが、確かデエトという外来語は、男女の色恋的な意味を含んでの親睦を深める為の外出というかお出掛けというか、そうした意味合いらしいぞ。」

「そ、それは・・・。」

 紙コップを手にしたまま言葉に詰まっている祥之助に、結三郎は言い聞かせる様に続けた。

「だから俺達の様な今回みたいな外出の場合に使うのは如何なものかと思うぞ。俺だからまあ、聞き流して済ませているけど、他の者に対してうっかり使ってしまって恥を掻いてはまずいだろう。」

 祥之助と私的に居る時には「俺」と自称する様にはなったが、やはり生来の性格で真面目に堅苦しく結三郎はデエトの用語を祥之助へと説明し窘めた。

 結三郎の方としては友達が余所で恥を掻くのは気の毒だという親切心からだったが、祥之助は機嫌を損ねたのかむっとした表情になり、生姜水を一遍に飲み干した。

「・・・判ってる。」

 ぼそっと呟く内に祥之助の顔は赤く染まりきってしまった。

「・・・判ってて言ってんだよ・・・。」

 力が入り過ぎたのか紙コップを握りつぶしてしまい、ぼそぼそと小さく呟きながら、赤い顔の祥之助はぷいっと結三郎から顔を逸らし少し俯いた。

「――は? ――へ?」

 一応は祥之助の呟く声の内容は聞き取れた。

 聞き取れたがすぐには意味のあるものとして頭の中には響かず、結三郎は間抜けな声を出してしまい立ち尽くした。

 デエトという外来語は、恋仲の男女、もしくは恋仲を深めたいという男女が、互いの親睦を深める為に、例えば動物園や芝居や相撲の試合や町や寺や神社やらに出掛けて――。

 男色の場合は男同士で、と、読み替えて――恋仲の――いやこの場合は恋仲になりたい男同士が親睦を深める為のお出掛け――を??

 祥之助は。

 それを。

 判って。

 言っている――。

 と言っていた。

「へ・・・・・・? は・・・・・・。」

 段々と祥之助の発言が意味の判るものとして結三郎の頭の中に聞こえて来始めた。

 ――おっと、武市選手、先日試合預かりになった「お前と毎日相撲を取りたい」件、ここに来てがぶり寄りか!?

 ――島津選手、いけませんねえ。土俵際に後退です。体勢を崩しています。

 余りの混乱に結三郎の脳内に、謎の試合中継を行なう者達の声が聞こえて来た様な錯覚があった。

 先日の曖昧なままになっていた祥之助からの特別な好意について――ここに来て突き詰め、はっきりさせなければならないのだろうか。

 特別な好意――祥之助は結三郎に対して、色恋的な好意を寄せているという事なのか。

「た、武市・・・殿・・・。」

 少し緊張に掠れた声で結三郎は祥之助の真っ赤になった横顔を見た。

 耳まで見事に赤く染まりきっている祥之助の様子が、結三郎には妙に色っぽく見えてしまっていた。

 辺りはまだ団体戦までは時間があると言う事で人も少なく、近くを通る者達も賑やかに飲み食いして喋り合っていて、結三郎と祥之助の様子を気に留める者は誰も居なかった。

 今まで町で見掛けられたら人懐っこく笑いながら寄って来たのも。ケツサブロウ呼ばわりしてふざけて尻を叩いて来たのも。博物苑の「動物園デエト」も――。

 いや。もしかしたらあの真剣勝負を提案した事すら――結三郎への真剣で特別な好意の表れだったのか。

 自分に対してそうした好意を持っているという人間が居るとはっきりと知るのは、結三郎にとって生まれて初めての経験で、ただひたすら混乱して立ち尽くしてしまっていた。

 確かに祥之助の事は憎からず思い――友達として、相撲の対戦相手として、良い縁を持てたと感謝もしていたが。

 ――少し冷静に考えたり、或いは他人の色恋の話を聞いたり読んだりしていれば、こうした事は別に必ずしも性急に結論を出したりする必要は無いのだと判るのだが。

 焦らずに時間を掛けて交流を続けたり深めたり――、曖昧なままで一旦置いておき、やがて時間が経って気持ちも考えもまとまっていく方法を取る事も出来るのだと――。

 しかしそうした事に大変に疎く、生真面目で堅苦しく考えがちな性格の結三郎は、混乱しているせいもあり・・・・・・己に好意を向けている当人に対して問いただす方法を取ってしまったのだった。

 顔を逸らしたままこちらを向こうとしない祥之助を結三郎はきっと見据え、大きく息を吸い込んだ。

「――た!た、たけ、武市殿はァ~。せ、せせ、拙者に対しててェぇえ、所謂う一つのォ~、おしし、お、お慕い申し上げ候でござそうろうぅうぅ~???」

 相撲の試合とは違うものの、それに匹敵する様な強い緊張感に所々声が裏返ってしまい、結三郎もまた顔があっという間に茹で上がってしまっていた。

「っ!」

 決して大声ではなかったが突拍子も無い結三郎からの問い掛けに、祥之助は驚きに肩を震わせながら振り返った。

 結三郎の目は焦点が合っているのか合っていないのか、せわしなく祥之助を見たり余所を見たり落ち着いておらず、どっしりとした筋肉質な体全体も小刻みに震えていた。

 結三郎の余りにうろたえた様子を目の当たりにして、祥之助の方は却って落ち着いて来た様で、顔の赤みも元に戻り始めた。

「――こらあ相撲の試合とは別口でおもろい試合の最中(さなか)に出くわしてしもうたなあ。」

 突然そこに冠西(カンサイ)古語の訛りのある言葉が掛けられた。

 祥之助の背後から急に掛けられた言葉に、祥之助も結三郎も驚きに体を思わず大きく震わせてしまった。

 祥之助に集中し過ぎてしまっていた結三郎が声の主に顔を向けると、冠西の言葉からの予想通り帝の姿がそこにあった。

「み・・・み、帝・・・。」

 結三郎はまた違う種類の驚きに今度は顔から血の気が引いてしまった。

 本当に図書館書庫で茂日出と話をしていた様に、帝御自ら町の小さな夏祭りの相撲大会にお出ましになられたというのか。

 帝は証宮離宮殿図書館で会った時とは少しだけ装いが違い、今日はみずら結の白髪は後頭部で一つに結わえて流し、着ている物も薄い黄色の布地に桔梗や朝顔、撫子等の花を大きく描いた着流しだった。

 何処かの裕福で、華やかな図柄の好きな初老の町人が夏祭りにやって来た――そんな風にしか見えなかった。

「ん? 知り合いか?」

 呆気に取られ帝を見つめている結三郎の様子に、祥之助が訝し気に尋ねた。

「あ、ああ! そ、そうだ。知り合いの・・・みか・・・帝・・・三河殿だ!」

 祥之助の問いに結三郎は苦し紛れに発音の似た偽名を口にした。

 最早、祥之助との色恋がどうのと悩んでいる場合ではなかった。

 帝が護衛も付けずに先触れも無くこんな所に来て、万一の事があったら誰がどう責任を取るというのか――。

 結三郎がうろたえる理由が祥之助から帝へとすっかり移ってしまったその様子を、当の帝はにやにやと面白そうに眺めていた。

 年相応に薄い皺があちこちに広がる顔に笑みを浮かべたまま、結三郎の誤魔化しに乗る事にした帝は祥之助へと挨拶をした。

「島津の前の殿さんと友達付き合いさせてもろうとる三河や。冠西からたまに塔京に遊びに来よる。まあよろしゅうな、婿殿。」

「む、婿って・・・!」

 帝の言葉に結三郎は咎める様な声を上げ、祥之助の方は再び顔を赤らめた。

「むむむむ婿って・・・! いやその、まだ結三郎殿のきちんとした御気持ちは確かめておりませぬ故、そんな内から婿だの婚礼だのは気が早くございまする、義父上!」

 祥之助の方もうろたえているせいで言葉遣いが若干おかしくなっていた上に、帝の事を義父呼ばわりしてしまっていた。

「誰が義父だ、誰が!」

 結三郎は祥之助に思わず怒鳴る様な声を上げてしまった。

 二人共困惑している様子を面白がりつつ、帝は更にからかいの言葉を放った。

「佐津摩者と杜佐者やから、男同士でも事実婚は藩から認められとるし、所帯を持つのに障りは無い。よろしゅおしたな二人共。」

「しょ、所帯!」

 一瞬の内に祥之助の脳裡に、杜佐か佐津摩の田舎で小さな屋敷を構えて結三郎と暮らす様子が浮かんでは消えた。

 田舎の町か村で相撲道場を開いて子供達に相撲を教えたり、田畑を耕したりして結三郎と二人慎ましくも楽しく暮らす。毎日結三郎と寝起きを共にし、食事を共にし、先日の言葉通りの結三郎と毎日相撲を取るという生活――。

 その妄想に顔を赤くしながらも祥之助の表情は嬉しそうににやけてしまっていた。

「み、三河殿! 妙な事を言わないで下さい!」

 祥之助のにやける様子を困惑しつつ横目で見ながら、結三郎は帝に思わず声を荒げてしまった。

「大体、何をしに来られたのですか。義父上や証宮離宮殿の職員の方々はどうされたのですか? 護衛の方々は近くに潜んでおられるのですか? まさか本当に御一人でお出ましに・・・?」

「そんなもん、黙って一人で出て来たに決まっとるやないか。」

 まくしたてる様に問い掛けて来る結三郎の様子も帝は穏やかに笑いながら眺め、何と言う事も無い風に答えた。

「ワテはワテの見たいもんを見る。行きたい所に行く。それだけや。」

 飄々とした様子で結三郎へとそう告げ、その背後の向こうにある屋台で焼鳥を食べている老夫婦を苦笑しながら見た。

 ――黙って出ては来たが、護衛達も帝に黙って追い掛けて来ていた様だった。

「猪突猛進の堅ッ苦しい結三郎はんに、親戚のオッサンからの御指導や。――色恋っちゅうもんは相撲と違うて二、三分の立ち合いで勝負がつくもんやあらしまへん。いなす事も退く事も、立ち止まる事も時には必要やで。」

 帝は柔らかな笑みを浮かべながら、結三郎の癖で跳ねた短い髪の毛をぐしゃぐしゃと撫でた。

「なっ・・・!」

 頭を押さえて思わず身を引き、結三郎は帝の手から逃れた。

「まあまた後でな。ワテもデエトの邪魔し続ける程の野暮天やないしな。――相撲も色恋も精一杯お励みやす。若人達よ。」

 帝は結三郎と祥之助へと明るく笑い掛けると、背を向けて屋台の並ぶ参道の方へと去っていった。

「・・・・・・何だったんだ・・・?」

「・・・あ、ええと・・・。」

 呆然と帝の後ろ姿を見送っている祥之助が呟く様に結三郎へと問い掛けたが、結三郎も何と言って答えたものかと言葉に詰まってしまっていた。

 ただ祥之助の、実はデエトの意味を判っていたという発言から頭に血が上ったりうろたえてしまっていたりした結三郎の心は、今は何とか落ち着いていたので――帝が茶々を入れてくれたのは良かったのかも知れなかった。

「――間も無く団体戦を始めます。選手の方達は土俵だまりへと・・・・・・。」

 そこに、宮司のよく通る声が響き、団体戦開始の知らせが聞こえて来た。

「お、もう始まんのか。」

 土俵の方へと祥之助が目を向けると、手伝いの神職達が急ごしらえの掲示板の貼り紙を団体戦用のものに交換している様子が見えた。

「・・・あー・・・えーと。取り敢えずさっきの話は勝負預かり置くと言う事で・・・。また後日に・・・改めて。」

 結三郎を振り返り――しかしまだまともに顔を見るのが気恥ずかしく、祥之助は少し俯きがちにそう告げると土俵の方へと歩き始めた。

「だから相撲に例えるな、相撲に。」

 祥之助の後を追いながら結三郎は呆れた様な口調で言った。

「だが・・・ま、まあ、その・・・結論を急ぐのはよろしくは無いらしいし・・・。こっちもその方が助かると言うか。・・・い、今は色々と混乱してるので・・・。」

 先を歩く祥之助の背にぼそぼそと呟く様に言いながら、結三郎もまた少し俯いてしまった。

「そ、そうだな。」

 振り向かず祥之助は結三郎の言葉に頷いた。

 ただ――自分の事でそんなにも混乱してくれているのならば、決して結三郎に嫌われている訳ではなく、むしろ憎からず思われているのだろうという予感に、祥之助は思わず口の端が綻んでしまっていた。



 団体戦は昼前に予め見た様に、「春乃渦部屋」「科之川部屋」「船宿なすび有志の会」「科ヶ輪地域神社子供会」の四つの団体が戦う事になっていた。

 結三郎と祥之助が観客席――土俵から少しだけ離れた立ち見客の集まる場所へとやって来ると、東の土俵だまりの所で「船宿なすび」の女将さんらしき恰幅の良い大柄な中年女性や、「なすび」と文字の書かれた紫色の半纏を着た何人かの老若の男達が、マワシを締めた男達と談笑していた。

 マワシを締めた出場選手達も、痩せたり太ったりと様々な体格で普段は相撲とは縁の無さそうな者達の様だった。

「勝ったら賞金で「なすび」で祝勝会だなあ!」

「負けても皆で金出して残念会だぜ。」

「どっちにしても今夜は賑やかに飲み食いは出来るぜ。」

 そんな会話が楽しそうに笑い声混じりに行なわれて、結三郎達の耳にも届いていた。

「何かいいな、ああいうの。」

 彼等の会話に祥之助は微笑ましそうな目を向けていた。

「そうだな・・・。凄くいいな・・・。ほんとに楽しそうだ。」

 鋭く集中し、緊張しきったお抱え力士の大会とは全く違う、地域密着とでもいうのか、町の皆で楽しもうという明るく心の浮き立つ様な雰囲気に結三郎も祥之助と同じ思いを感じていた。

 周りの観客から聞こえてくる話からすると、「船宿なすび」が名前を貸して常連客や、団体戦に出てみたいがツテの無い個人が集まって出場する事にしたという経緯の様だった。

「あー、だから「有志の会」なのか。」

 近くから聞こえて来た話し声に、祥之助が納得した様に呟いた。

「成程なー。」

 結三郎も頷いた。

「じゃあ、「杜佐藩邸有志の会」とか「博物苑有志の会」とかでこっそり俺達も今度こういう大会に出るのも面白そうだなー。」

「・・・義父上なら本当にやりかねんから、ここだけの話にしておけよ・・・。」

 結三郎は面白そうに語る祥之助にしっかりと釘を刺した。

 賑やかな事が好きな茂日出ならば、先日の出張動物園等の件と合わせて自分も率先して大会に出かねなかった。

 二人がそんな話をしている内にも団体戦の試合が始められた。

 出場団体が四つしか無いので、総当たりのポイント取得制とでもいう様なやり方が取られていた。対戦していき勝てば点を取得し、点数の多い二団体が優勝決定戦を行なう――という様な方法だった。



 最初の試合は「春乃渦部屋」と「科ヶ輪地域神社子供会」との対戦だった。

 子供会とは言っても、出場選手五人の内三人は日之許では成人直前の十四歳や十三歳の子供達だった。

 一人はでっぷりと太った子で、残りの二人は青年と言ってもいい程にしっかりとした筋肉質な体格で、子供と侮る事は出来なさそうな雰囲気だった。

「・・・何かやりにくいな・・・。」

 一番目は精介と太った子との対戦だった。精介よりは背が低かったが、脂肪もその下の筋肉もしっかりと付いていて子供ながら相撲の鍛錬は頑張っている様子が窺えた。

「――はっけよい!」

 宮司の掛け声で取り組みが始められ、精介は兎に角いつも通りを心がけ、相手が子供でも油断しない様にぶつかっていった。

 相手の子の足腰のしっかりとした踏み込みと正面からのぶつかりに、精介は油断していた訳ではなかったが一瞬体がぐらつき後ろに押され掛けた。

「っ・・・!」

 しかし流石に精介もこの一週間毎日、佐津摩と杜佐のお抱え力士に鍛えられた御蔭もあり、すぐに体勢を立て直し土俵の外へと相手を押し出した。

 その後も、利春、庄衛門と対戦が続いていき、「子供会」の選手達も勝つ事は出来なかったが善戦をしていた。

「へえ・・・。「子供会」とはいえ、中々強えな。」

 祥之助が出場している子供達の取り組みを意外と真面目な表情で感心していた。相手が成人前の子供であっても、相撲の強さを感じられる者であればきちんと評価をしている様だった。

 次が「科之川部屋」対「船宿なすび」で、その試合の間は春乃渦部屋の者達は立見席の観客に混じって軽い休憩を取っていた。

「――東・・・。」

 審判の宮司が選手を呼び出し、観客達がそれぞれへの応援の歓声を上げていた。

「お、意外とイイ男だなあ。」

 呼び出しによって土俵へと上がっていく船宿なすびの選手の青年に、祥之助は観客達とは違う意味での称賛を口にした。

 全体的に筋肉質のがっしりとした体格ではあったが、胸から腹にかけては脂肪も乗っていた。顔立ちもまだ少し幼さの残る印象ではあったが、もみあげから顎にかけては薄い無精髭が生えていた。

 世間一般の基準でいう美男とかイイ男というものでは決して無かったが、祥之助の価値観では充分にイイ男だった。

 周囲の観客達の話し声等から船宿なすびの若旦那という事が判り、先刻見掛けた色々と仕切っている風な恰幅の良い中年女性は母親と言う事だった。

「今度なすびにも遊びに行こうかなあ。舟遊びは若旦那にもてなしてもらおうか。」

 祥之助は楽しそうに若旦那のマワシ姿を眺めていた。

 日之許国の船宿とは、宿と名前が付いているものの宿泊施設を備えている所は少なく、屋形船や釣り船を貸し出して、その客に酒や料理を出す商売だった。

「何とも気の多い事だな。」

 隣でにやけた顔の祥之助の話を聞きながら、何故か結三郎はむっとした表情で呟いた。

 なすびの若旦那の外見は、確かに結三郎からもイイ男に見えてしまっていた。

 だがそれよりも先刻の、デエトの意味を判っている判っていないだのお慕い申し上げ候云々で大騒ぎしたばかりで他の男に興味を持たれるのは、結三郎にとっては余り愉快な気持ちではなかった。

「あ、すまん・・・。ふざけ過ぎたか。軽率だったな。」

 結三郎の呟きが聞こえ、祥之助はすぐに謝った。

 祥之助の方も結三郎の考えが何となく判った様で、ああした遣り取りのすぐ後で他の男の事をイイ男だというのはよろしくはなかったと反省した。

「・・・あ、いや・・・。そこまででは・・・。」

 結三郎は祥之助の謝罪の言葉に慌てて頭を横に振った。

 何故急にそんな気持ちが湧いて出たのか、自分でもよく判っていなかった。

 帝がこれを見たらまた、それは嫉妬だのヤキモチ焼きだのと囃し立ててからかうのだろうが、幸いにも近くには帝の姿は無かった。

「あんた! 頑張るのよ!!」

 若い女性の応援の声がなすびの若旦那へと掛けられるのが結三郎と祥之助の耳へと届いた。

 声援の方へと二人が目を向けると、恰幅の良い女将さんの隣に赤い絣の着物を着た小柄な女性が若旦那へと手を振っていた。

「・・・何だよ既婚者かよ・・・。」

 若く可愛らしい女房の存在に、祥之助は心底がっかりした呟きを漏らし肩を落としてしまった。

「残念だったな。」

 ぷっと吹き出し結三郎は祥之助の背中を軽く叩いた。

 試合の方は、意外となすびの者達も健闘はしたものの、流石に弱小部屋ではあっても一応は本職の相撲取りと言う事で科之川部屋が勝った。

 そうして総当たりの試合は進んでいった。

 しかしそもそもが四つしか出場団体は無かったので、あっと言う間に決勝戦という事になった。

 全ての試合が終了し、十分程の休憩の間に勝ち点の集計が行なわれ――観客の皆の予想通りというか、当然の流れというべきか、春乃渦部屋と科之川部屋の者達で争う事となったのだった。

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