高縄屋敷博物苑「委細之記部(いさいの しるしべ)」
第三話みっつめ、しるすこと 「銭金の工面に悩む内、行事催事多き夏を企てるに就いて記す事」其の五 結三郎の絵姿を買い、祥之助のこの上も無い喜びに就いて記す事
第三話みっつめ、しるすこと 「銭金の工面に悩む内、行事催事多き夏を企てるに就いて記す事」其の五 結三郎の絵姿を買い、祥之助のこの上も無い喜びに就いて記す事
第三話みっつめ、しるすこと
「銭金の工面に悩む内、行事催事多き夏を企てるに就いて記す事」
「其の五 結三郎の絵姿を買い、祥之助のこの上も無い喜びに就いて記す事」
祥之助は杜佐藩邸で昼食を取った後、また今日も高縄屋敷へとやって来た。
藩邸を出る途中、浅右衛門爺やに見咎められてしまい相撲の稽古に出る様にと小言を食らってしまったが……。
「科ヶ輪神社子供会」の事で結三郎や宮司達と相談する約束がある――と、全くの嘘ではないものの少々先走った事を言って爺やを無理矢理に納得させて藩邸を後にしたのだった。
「頼もうう。」
昨日と同じ門番ではあったが、祥之助は一応、中への取次を頼むべく呼び掛けた。
門番の方も当然ながら祥之助の事は覚えてはいたが職務上、決まり切った手順を踏まなければならなかった。
「申し訳ありませんが、一応、所属と姓名をお願い致します。」
養子に出たとはいえ杜佐藩主の四男坊と言う事は門番も心得ていた為、他の来客の時よりは丁寧な物言いで祥之助へと声を掛けた。
「判り切った事なのにお前等もご苦労な事だな……。」
祥之助は苦笑交じりにそう言うと姓名を門番へと告げた。
祥之助が通用口から中へと入ろうとすると、
「結三郎様は午後からは博物苑奥苑の勤務になっていますので、庶務棟の総合受付の窓口でお呼出しされるのが早いかと思われます。」
気を利かせた門番が祥之助へと説明した。
「そうか。悪いな。――っていっても、総合受付って何処だ?」
途中で立ち止まり、祥之助は首をかしげながら門番を振り返った。
「昨日お立ち寄りになられた会計係の隣の部屋となっております。」
「あー。成程。」
それならばすぐに判ると、礼を言って祥之助は一先ず昨日の会計係の窓口へと向かう事にした。
◆
結三郎と精介は小さな荷車を引っ張りながら、何とか表苑の庶務棟の近くへと運んできた。
やはり硬い木の車輪を取り付けた荷車は動きに柔軟性が無く、途中の砂利敷きの敷地や飛び石を配した庭園で大きくガタガタと揺れたり段差を乗り越える事が出来なかったりと、二人は運ぶのに随分手こずり苦労してしまっていた。
「――これなら体の鍛錬も兼ねて、手で持って運んだ方が良かったかもなあ。」
結三郎の苦笑に精介も頷きを返した。
「そうっすね……。箱も飛び跳ねるし。中身、皺になったり破れたりとか、大丈夫っすかね……。」
結三郎が荷車を牽く後ろを精介が押して、箱が揺れたり飛び出しそうになるのを押さえながらここまでやって来たのだった。
そんな事を言いながら何とか庶務棟の建物の前までやって来たところで、祥之助が歩いてくるのが二人の目に入った。
「おう! 結三郎じゃねえか!」
探す手間が省けた事と結三郎に会えた嬉しさで、祥之助は機嫌良く片手を上げて挨拶してきたが――結三郎の後ろに居た精介の姿が目に入り、少しだけ面白くなさそうに微かに眉を顰めた。
「何だ、精介も来てたのか。」
精介の事も一応は可愛らしいとは思いつつも、結三郎の周りをちょろちょろされるのは祥之助にとっては余り愉快な事ではなかった。
見ると、何かの箱を積んだ小さな荷車を結三郎が曳いており、その後ろを押さえて精介が手伝っている様だった。
結三郎の手伝いをしている精介の事が祥之助は少し羨ましく思えてしまい、ついむっとした表情になってしまっていた。
「ど、どうも……。御久し振りです……。」
祥之助の少しだけ不機嫌そうな表情に気付き、精介は申し訳無さそうに頭を下げて挨拶をした。
「ああ、丁度良かった。扱き使ってすまないが荷物をここの会計係に運ぶのを手伝ってくれないか。」
流石の結三郎も、祥之助が少々のヤキモチの様な思いを向けているのに気付き、それを和らげようと荷運びの手伝いを頼む事にした。
「ああ、判った。お安い御用だ。」
結三郎に頼られていると言う事で、祥之助は判り易く機嫌を直し荷台から紙箱を持ち上げた。
やはり祥之助も一応は鍛錬を重ねた杜佐藩のお抱え力士だけあって、紙束で重い筈の荷物もしっかりと筋肉の付いた両腕で軽々と持ち上げていた。
「助かった。楽が出来たよ。」
「そ、そうっすね……。」
軽く笑いながら漏らされた結三郎の言葉に、精介は結三郎が意外とちゃっかりしている事に苦笑した。
すぐ目の前の、精介にとっては少し古い時代の木造校舎の様にも見える庶務棟の玄関へと祥之助は軽い足取りで向かいながら、傍らを歩く結三郎と精介をふと振り返った。
「まあ久し振りは久し振りだが、いつ高縄に来たんだ? お前んトコの藩邸って確か、帰り道が判らなくなる位遠くの町じゃなかったか?」
祥之助にとっては他愛の無い挨拶程度の話だったが、異世界転移の話をする訳にはいかない精介は返答に詰まってしまった。
「あ、その、えーとこないだまたこっちに来たんすけど……。」
「――ああ、島津家のかなり遠い繋がりの親戚が居る冠西の小藩から、当分の間山尻殿は勉学の為に高縄屋敷で預かる事になったんだ。この屋敷での取り敢えずの身分は義父上直属の助手の、奥苑の鳥飼部として――。」
茂日出から博物苑や屋敷の者達へと申し送りされた話の内容を思い出し、結三郎が祥之助へと表向きの説明していると、
「おっ奥苑っ!? 鳥飼部ぇっ!?」
祥之助は思わず肩を震わせ、声を張り上げてしまった。
「こ、こんなヤツが奥苑の鳥飼部って!!」
結三郎とかなりお近付きになれる立場だという事への悔しさや嫉妬の感情に、祥之助は思わず精介を睨み付けてしまっていた。
「す、すんません……。」
精介の方も祥之助の剣幕に思わず身を縮めて反射的に謝った。
「おいおい、そんなに驚いて悔しがる様な事か? 落ち着け。」
結三郎は祥之助を宥めながらも、祥之助の悔しがりようがいまいち理解し切れていなかった。
「いや、その……関係者以外立ち入り禁止の筈の奥苑に、いきなり何処の誰とも知れない――あ、ええと小っさな藩の若君……の俺が出入りすると言われても、変に思われるというか、面白くないと思うというか……。」
自分で自分の事を若君というのも憚られたが、精介は取り敢えず祥之助に助け舟を出すつもりで結三郎へと祥之助の気持ちを代弁した。
「っ……。余計な事を言うな。」
しかし祥之助は余計に機嫌を損ね、精介をまた睨み付けた。
「えー……。そういうものなのか? でも山尻殿は関係者……だろう?」
異世界に関する関係者だという言葉を省略せざるを得なかった結三郎の言葉を誤解し、祥之助は余計に面白くない思いが湧いてしまい――、子供染みた嫉妬心だとは自分でも判ってはいたものの、余計に苛立ってしまっていた。
ぶすっと膨れっ面になってしまい、祥之助は黙ったまま前を向くと庶務棟の玄関へと箱を抱えてどすどすと歩き始めた。
「あ、待ってくれ。すまん! かなり誤解を招く言い方だった!!」
結三郎は慌てて祥之助の背に手を伸ばしたが、
「別に。」
祥之助は背を向けたままぼそっと呟きを返しただけだった。
「祥之助殿!」
精介が結三郎の背後で心配気に祥之助の様子を見守る中、それでも結三郎は祥之助の肩を掴み、少し強引に呼び止めた。
「何だよ。」
まだ膨れっ面のまま振り返った祥之助を、結三郎は祥之助の肩を掴んだまま申し訳無さそうに見つめた。
一度だけ結三郎を見つめ返し、祥之助は拗ねた表情のまま視線を逸らした。
「…………。」
そんな祥之助の様子を見ながら、結三郎は先日の覚証寺の夏祭りの時に、精介と言い合いをした後にやって来た祥之助に縋り付いて号泣してしまった事を思い出してしまっていた。
縋り付いてしまった時の汗臭い体の温かさや、少しだけ背が低いけれどもがっしりとした体躯の厚みや弾力や……。
その時の祥之助の汗ばんだ肌の感触や体の匂い、笑顔――そして祥之助そのものにどうしようもなく安心してしまった事も。
それらを離れ難く慕わしいものとして、強く結三郎は覚えていた。
「しょ……祥之助、殿……。」
あの時の事を思い返したせいで結三郎の顔は軽い熱を持ってしまっていた。
申し訳無いという思いの他に、何やら仄かに熱っぽいものが結三郎の視線に少し混じっている事に祥之助も精介も気付き、訝し気に結三郎を見た。
あの時の――奥苑の事も何もかも、祥之助に打ち明けてしまいたいという気持ちまで結三郎は思い出してしまっていた。
祥之助に惚れた腫れたという話と、奥苑の鳥飼部としての仕事の話は別だと割切っていた筈だったのに。
「すまない……。奥苑の事は、きっと――いつか必ず話す。」
結三郎からきっぱりと告げられた言葉に、祥之助は驚き思わず顔を上げた。
「祥之助殿の事が信用出来るとか出来ないとかいう事ではなくて……義父上、いや、帝が直々に奥苑の事に関わっていて、気安く誰彼に話せる事ではないんだ……。すまない……。」
流石に帝が関わっているとまで言われてしまえば、日之許国民の一人としては納得するしかないものだった。
「でも――いつか。……いつか話す……。」
真摯に祥之助を見つめる結三郎の様子に、祥之助の不機嫌な気持ちもいつの間にか消え去っていた。
勿論祥之助も頭では判ってはいた。生真面目な結三郎が仲間外れだとか除け者の様な真似をする訳はないだろうとは。
軽く溜息をつき、祥之助は結三郎に笑い掛けた。
「悪かったよ。奥苑の鳥飼部だって聞いてちょっと驚いちまった。」
祥之助の謝罪の言葉に結三郎も精介もほっと安堵の息を吐いた。
「いつか、ちゃんと話してくれよ。」
「ああ。必ず。」
祥之助の言葉に結三郎も頷いた。
思わぬ事で時間を取ってしまったが、取り敢えず紙箱を抱えたままの祥之助を先頭にして建物の中へと三人は進んでいった。
◆
土足のまま中に上がって庶務棟の廊下を歩いていき、すぐに会計係と表示された一室へと三人はやって来た。
祥之助にとっては昨日も来たばかりで、部屋の様子も昨日と変わった様なところは無かった。
ただ、今日の会計係の受付窓口に座っていた者は昨日の安本とは違っており、老齢の男性が杜佐藩邸の会計係と似た様な藍色の小袖と袴姿で座っていた。
安本と違い、小袖の胸元にはきちんと名札が付けられており「佐津摩藩会計係・名倉」と書かれていた。
名倉は会計係の部屋に入ってきた結三郎達の姿を認めると、穏やかな表情で黙ったまま頭を下げてきた。
流石に重い箱を持ち続けて腕が疲れてきたので、祥之助は名倉に軽く頭を下げて挨拶しながら窓口へと歩み寄り、窓口の受付台の所へと箱を置いた。
「意外と重かったけど何が入ってるんだ?」
疲れた腕をさすりながら祥之助が結三郎達を振り返ると、結三郎と精介も受付の所へとやって来た。
「かたじけない。運んでくれて助かったよ。――中身はまた印刷物だよ。」
結三郎は祥之助へと礼を言った後、会計係の名倉の前で箱の紐を解いて蓋を開けた。
「ああ、昨日見たのと似た感じのヤツだな。ホント、本物そっくりに印刷されてるんだなー。」
横から箱の中身を覗き込み、祥之助は色とりどりの鮮やかな印刷物に感心していた。
活動写真の入場券や、佐津摩藩の上級力士達の絵姿、「お野菜剣士武芸帳」の絵本等――精介にとってはごく普通の印刷物としてしか感じられなかったが、目を輝かせて覗き込んでいる祥之助の姿は微笑ましく可愛らしさを感じるものだった。
「――はい。枚数、確かに相違無く。」
名倉と結三郎が印刷物の内容や枚数、値段を確認していくのを精介は見守っていたが、上級力士のカラー写真が他の印刷物と比べて随分と高価な事に驚いた。
他の印刷物は白黒の線画や、色の薄い簡易なカラーコピーを連想する様な写真印刷の物が確かに多かったが、上級力士の写真も精介の世界ではありふれたレベルの鮮やかさでしかなかった。
「やっぱ、写真とか印刷の機械とか、まだあんまり普及してない感じなんすかね?」
さっきの奥苑でのダンボール箱やリヤカーの事をぽろっと精介が漏らした時の鳥飼部達の食い付きようを思い出し、精介は力士の写真をしげしげと見た。
「便利な機械だか道具だか知らんが、博物苑が特別なんだぞ? 幾ら頒明解化っていってもこんな本物みたいな絵はまだまだ全然普及してないぜ。」
シャツやズボンに自転車――そして今も日之許では余り見慣れないTシャツやハーフパンツにサンダルというものを身に着けている、頒明解化にどっぷりと浸かっている様子の精介に対して、祥之助は呆れた表情で精介の顔に溜息を吹き掛けた。
「そ、そうっすね……。ハハ……。」
祥之助の言葉に精介は誤魔化す様に笑った。
精介と祥之助のそんな遣り取りの内にも、確認を終えた名倉が印刷物を箱の中に戻してカウンターの中へと仕舞い込んだ。
「――もっと細かく鮮やかな……何と言っていいのかな。もっともっと本物の様な写真印刷も出来ない訳じゃないが、今の日之許ではべらぼうに高価になってしまうから庶民向けじゃあないなあ……。」
精介と祥之助の会話を聞いていた結三郎が二人を振り返った後、カウンター近くの長机の上に並べられている絵本や絵葉書、絵姿等へと視線を移しながら苦笑を浮かべた。
「あー、藩主様とか身分の高い人とかの肖像画用、みたいなヤツっすか。」
「そういや俺の元親父も何か、威厳を示す用に一枚作れって家臣達から言われてたけど、横綱達の写真を作って飾るのが先だとか何とか大分前に騒いでたっけ……。」
限られた予算の中で写真の費用をどう捻出し、何を優先するかで揉めていたのだろう。
元親父――現杜佐藩主の事をぞんざいに呼びながら、祥之助は見本用に壁に貼り付けられている佐津摩藩力士達の絵姿を見上げていた。
「藩主より相撲取りの写真が先だとは、流石杜佐藩だな。――まあ確かに余所の藩からも時々、藩主や何か手柄を立てた者達の写真を、と相談があると奥苑の者達が言っていたな。」
祥之助の話に結三郎も精介も呆れた様な感心した様な笑いを浮かべた。
「佐津摩藩力士の絵姿と言やあ、結三郎のは販売してねえのか? 仮にもお抱え力士だろ?」
祥之助がふと思い付いて尋ねると、少し困惑気味に結三郎は口を開いた。
「……改めて訊かれると何というか……。一応、あるにはあるが……。」
余り自らの事をひけらかす気質ではない結三郎は、少し気が進まない様子で答え、力士の絵姿の見本が並べられた長机の一角に置かれたA4サイズ程の大きさの見本帳へと手を伸ばした。
「あ、一応あるんすね!」
祥之助だけでなく精介も、結三郎の絵姿が販売されている事に喜びの声を上げた。
「――佐津摩本国と、塔京藩邸、高縄屋敷。佐津摩藩に所属しているお抱え力士の方々の内で、一定以上の成績を維持しておられる方々が写真を撮られ、それを広く販売されるという栄誉を受けておられます。」
受付の方から名倉の控え目な声での説明が聞こえてきた。
「へえ~。流石だな結三郎殿は。」
名倉の説明に祥之助は機嫌良く笑い、結三郎の背中を叩いた。
「ほんとっす。流石っす。」
精介も感心しながら結三郎を見ていた。
日之許の価値観ではどうやら、まだ余り普及していないカラー写真に自らの姿を撮られて飾られたり販売されたりするのは名誉な事の様だった。
結三郎の手から祥之助は見本帳を受け取ると、結三郎の姿を探して捲り始めた。
精介も祥之助の横に並んで見本帳を覗き込むと、最初の方は薄い簡易なカラーコピーの様な品質の写真ばかりで、頁が進むにつれて繊細で鮮やかな色彩の写真印刷へと変わっていった。
何処かで見落としてしまった様で、祥之助は結三郎の写真を見つけられないまま見本帳の最後に近い所まで捲ってしまっていた。
「あれ? 見つかんねえぞ。――ん? へええ。佐津摩藩大横綱、祈界王・七郎関か……。」
祥之助と精介が首を捻りながら見本帳の終わりに近い頁を見ると、佐津摩藩の最上級の位置にいる力士の写真が目に飛び込んできた。
佐津摩の祈界島の火山の景色を鮮やかな色彩で刺繍した化粧マワシを締め、一見丸みを帯びた脂肪に包まれつつもその下には岩塊を思わせる筋肉がある事が判る大柄な体格の、眼光鋭い男性が立っている写真――精介の世界で言うならば、超高精細高画質の、鮮明な存在感のある印刷物だった。
「へええ。本物そのものって感じじゃねえか……。」
七郎関の写真をひたすらに感心し、溜息をつきながら祥之助は眺めていた。
「この写真とおんなじ位の感じで結三郎の写真はねぇのか?」
見本帳から顔を上げ、無邪気に結三郎に問い掛ける祥之助の様子に、結三郎は軽く眉間に皺を寄せてしまっていた。
「あのな! ここまでの質の写真は大横綱だから許されてるんだ! 俺如きがここまでの写真を撮ってもらえる訳がなかろうが!! お前もお抱え力士の端くれなら判るだろうが! 実力の序列を弁えろ!」
相撲に対しては真摯に取り組んでいるが故に、結三郎は思わず大きな声で祥之助へと説教染みた口調で言ってしまっていた。
「そこまで言わなくてもいいだろ! もしかしたらって思ったんだよ。」
がみがみと言われてしまい祥之助は不満気に口を尖らせた。
二人の遣り取りを見守っていた精介も、確かにこの七郎関の写真の様な質感で結三郎が撮影されているものならば是非とも購入したいと思っていた。
祥之助が居るので余計な事は言わない様にしていたが、スマホで結三郎を撮影したならばコンビニのコピー機での印刷は、小遣いの許す限りで一番大きく鮮明なものにしようと決心した。
――いつか機会を作って結三郎だけではなく祥之助の写真も撮ろう。
結三郎に叱られてしまい、また少し拗ねてしまった祥之助の様子を可愛らしいと思いながら、精介は楽しみに表情を綻ばせた。
「――んで、島津結三郎殿の絵姿はどの頁なんだよ?」
開き直ったのか何処か偉そうな態度で、祥之助は見本帳を結三郎へと突き返した。
困った様に眉を寄せた表情で結三郎は見本帳を受け取ると、溜息をつきながら半ばよりやや後方の頁を開いて祥之助と精介に示した。
「俺のはこれだ。」
祥之助と精介は念願の結三郎の写真を食い入る様に覗き込んだ。二人のその様子に、自分の写真を見られる恥ずかしさで結三郎は少し顔を赤くした。
写真の中で白いマワシを締めた結三郎は、博物苑の庭園の一角と思われる蘇鉄の木を背景にして堂々と立っていた。
写真の質は精介の世界で言うところのやや厚めの上質紙にひと昔かふた昔前の家庭用の印刷機でインクジェット印刷をしたというところだろうか――。しかし決して出来栄えは悪いものではなかった。
「よし、一枚買うぞ。包んで……。」
受付で変わらず穏やかな様子で座っている名倉の方を向き、祥之助は購入の意思を告げ掛けたものの――その言葉は途中で小さくなってしまった。
結三郎の写真はとんでもなく高価という訳ではない値段だったものの、かと言って饅頭や証宮新報の新聞を気安く買う様にはいかないものだった。
金欠だった事を祥之助は思い出し――しかし、是非とも結三郎の写真は手に入れたいという欲望が勝ち、なりふり構わず手形での購入を口にした。
「す、すまんが……。手形でのツケ払いをだな……。」
祥之助が俯きがちに名倉へと告げる様子に、精介は先月の相撲大会の覚証寺での祝勝会の時に寄った酒屋での手形や藩札で買い物をしていた事を思い出した。
町の小さな酒屋の店主は祥之助の手形での支払いに困惑していたが、逆に高縄屋敷――佐津摩藩の施設だと通用し易いのだろうか?
精介が祥之助を見守りながらそんな事を考えていると、結三郎は少し呆れながら名倉の座る窓口へと戻ってきた。
「何だ、また手持ちの金が足りないのか? ――まあ、さっきの詫びだ。一枚進呈しよう。」
溜息をつきつつも、結三郎はさっき庶務棟の前で祥之助を拗ねさせてしまった事を気にしていた様で、窓口の名倉に自分の絵姿の在庫を出す様に頼んだ。
「会計係だし丁度良い。この代金は私の小遣いから引いておいてくれ。」
「かしこまりました。」
結三郎の指示に名倉は頷き、カウンターの中から一枚取り出すと軽く丸めて紐で結んで紙袋へと入れた。
「おおー!! 流石心の友よ! かたじけない。」
名倉から紙袋を受け取ると祥之助は心の底から嬉しそうに笑い、しっかりと腕の中に抱え込んだ。
飛び跳ねんばかりに喜ぶ祥之助の様子を微笑ましく見守りながら――、当然の事ながら精介も結三郎の写真は欲しいと思っていた。
精介は結三郎の横にそっと近寄ると、祥之助に聞こえない様に小声で囁き掛けた。
「――あの、結三郎さんの写真って俺の世界の金だと幾らぐらいで買えるんすか?」
「あー……。すまん。正に義父上と相談しなければならん事だな……。」
先日夕食を取りながら茂日出と話していた、精介の世界の通貨を高縄屋敷で何かの支払いに充ててもらう――書物等の物品購入や相撲教室の月謝の様なサービスに対しての支払いによって、茂日出達が精介の世界の通貨を入手する機会が早速やって来たのだった。
「値段が決まったらまた後で教えるよ。」
「よろしくっす。」
結三郎の言葉に精介が頷いたところで、一通り喜び終えた様子の祥之助が上機嫌な笑顔のまま二人のところへとやって来た。
「いやー、実に有難い。家宝にするぞ。」
「いやそこまでせずとも……。」
嬉しそうにそう言う祥之助の言葉に、結三郎は照れ臭さと困惑とに眉根を寄せた。
「いやいや、家宝っすよ。もう神棚に飾って毎日拝む感じっすよ。」
「そうだろうそうだろう。」
精介の意見に祥之助は更に気を良くした様子で、話の判る奴だと言わんばかりに精介の背中を何度か叩いた。
「お前等なあ……。」
二人が自分の事を好ましく思い、慕ってくれているという事は一応は判ってはいたものの、こうまで明け透けに喜びはしゃがれると結三郎としてはかなり照れ臭いものがあった。
「――あ、すまん。そういや俺の方の用事があったんだった。」
結三郎の写真が手に入った喜びですっかり忘れていたが、精介の肩に手を回したまま祥之助はやっと自分の用事を思い出した。
「ん? そうなのか?」
結三郎は少し驚きながら祥之助へと目を向けた。
祥之助の事だから大した用事も無くやって来たのだと思い込んでいたが、意外と真面目そうな様子で祥之助は用事について口を開いた。
「あー、まずは取り敢えず活動写真の入場券、「科ヶ輪神社子供会」にも融通してもらいたいんだ。出来ればまた無料で……。子供達とかその親達とかで五十枚位……。宮司殿達に頼まれちまってなあ。」
入場券の追加については帝の意向もあり、無料で融通する事に差し障りは無かった。
丁度今持って来た箱の中に百枚程あったので、そこから出す様にと結三郎は名倉へと頼んだ。
「かしこまりました。多くの子供達に見てもらえるのならば帝もお喜びでございましょう。」
名倉は穏やかに笑いながら、カウンターの中に仕舞っていた箱から入場券の束を取り出して祥之助へと手渡した。
「かたじけない。」
祥之助は名倉と結三郎に頭を下げて券の束を受け取った。
入場券を着物の袂の中に仕舞い込むと、改めて結三郎の方を向いて、
「えーと、そんで。肝心の用事だけど……こないだの相撲大会の時に結三郎がちらっと話してた出張博物苑とか何とかいう催し物の事を相談したくてな。照応寺とか覚証寺とかを会場にして開催出来ないものかと……。」
照応寺で昨日和尚達と話していた事を結三郎へと告げた。
「ああ、そんな事も言っていたな。そう言えば。」
結三郎は茂日出が覚証寺の夏祭りの話を聞いた時に、自分達も何か支援の為の催し物をしたかったと話していた事を思い出した。
茂日出だけでなく、ダチョウも意外と鉄板蹴りの見世物の話を楽しそうにしていて乗り気の様子だった。
「よし判った。取り敢えず義父上に話をしてみよう。」
そう言って頷くと結三郎は早速、窓口の名倉に言ってその手元の板状端末機械を借りると茂日出を呼び出す事にした。
「あー、いきなりスマホとかタブレットなんすね。」
光沢のある樹脂の画面に指を走らせ端末を操作している結三郎の様子を見ながら、精介は進んだ道具が当たり前の様に使われている博物苑の様子に感心しつつも、少し残念そうな言葉を漏らした。
全てが木造の庶務棟の建物の雰囲気からすると、木箱の上部に傘の様なベルが付いて前面に椀の様な集音器のある明治の様な壁掛け電話機とか、もっと時代が下っても精々が黒電話が良い意味で似合っているとも思われた。
「――あい判った。今ならば少し時間があるのでそちらに行こう。」
端末機の画面越しに茂日出の声が聞こえ、祥之助も精介も少し緊張に軽く肩を震わせてしまった。
結三郎は通信を切って端末機を名倉に返すと、祥之助へと声を掛けた。
「聞いての通りだ。すぐに来られるそうだ。」
「さ、早速かよ……。」
結三郎の言葉に、まさか今すぐに面会になるとは思ってもいなかった祥之助は引き攣り気味の笑いを浮かべた。
義父の放つ迫力と言うか圧力を祥之助や精介が苦手に感じているのは結三郎も判っていたので、緊張気味の二人の様子を少し気の毒そうに見ていたものの、取り敢えず話をする場所として会計係の部屋の奥の事務所を借りる事にした。
◆
受付窓口のカウンターで仕切られた受付の内側の方へと、一隅に設けられていたスイングドアを通って結三郎達は進んでいった。
来客側からは見えにくくなっていたが、受付側は幾つかの木製の事務机が並べられており、窓口近くには幾つかの紙箱や木箱が積み重ねられていた。
先程名倉が仕舞い込んだ祥之助の運んできた紙箱もそこに重ねられていた。
部屋の奥の方まで行くと、ちょっとした会議や打ち合わせに使う為と思われる木製のテーブルと丸椅子があり、結三郎は祥之助と精介にここで座って待つ様に促した。
三人が腰を下ろして何分も経たない内に、テーブルの近くにある職員用出入口の引き戸が開いて茂日出が姿を現した。
「!!」
茂日出の姿を見たか見ないかの内に、祥之助と精介は身に迫る何かの力を感じたかの様に思わず椅子から立ち上がってしまっていた。
「曽我部――いや武市のところの倅か。久しいの。」
茂日出は少し睨め付けるかの様な、余り愉快ではなさそうな雰囲気を漂わせた表情を祥之助へと向けた。
「ど、どうも……。」
茂日出からの圧力を感じ冷や汗を滲ませながら、祥之助は固い動きで頭を下げた。
それにつられる様に精介も軽く頭を下げた。
圧力の巻き添えで精介もかなり息苦しさを感じてしまっていた。精介が祥之助の方を見ると何となく、いつもの逆立てた髪の勢いも失せて倒れかけているかの様にも見えてしまっていた。
――何となく機嫌の良くない様な雰囲気は……あれか。
この間の精介が元の世界に送り帰された日に話をしていた、結三郎と毎日相撲を取りたいと婚儀の申入れをしたとか何とか――プロポーズ紛いの事を祥之助が言っていた事が気に入らないとか何とか茂日出は腹を立てていた事を精介は思い出した。
「――で、今日は何用か?」
緊張したままの祥之助を見下ろしながら、茂日出はぶっきらぼうに声を掛けてきた。
「取り敢えず皆、座ってからの話にしよう。」
茂日出や祥之助、精介の様子を苦笑しつつ眺めながら結三郎は促した。
「あ、ああ。そうだな。」
ほっとした様に祥之助は息を吐き、丸椅子に腰を下ろした。
それから向かいに座った茂日出へと何とか気を奮い立たせて口を開いた。
「せ、先日は、活動写真のにゅ、入場券を、ご、ご融通下さり……。」
冷や汗を掻いて、つかえながらも言葉を続けようとした祥之助へと茂日出は容赦無く鋭い眼差しを送った。
「御託はよい。して、本日の用件は何だ。」
茂日出の視線を正面からまともに受けてしまい、祥之助は一瞬気を失いかけた様な錯覚を感じてしまった。
「義父上……。いい加減にして下さい。話が進まないではないですか。」
茂日出が意図的に自らの気迫や圧力の様なものを抑えていない事に結三郎も気付いており、溜息をつきながら窘めた。
「……う、うむ。」
流石に結三郎から注意を受けてしまい、茂日出は渋々といった様子で自らの放つ力を引っ込めた。
その場に満ちていたきつい圧迫感が消え、祥之助も精介もやっと一息つく事が出来た。
息子の交際相手の事が訳も無く気に入らないという、絵に描いた様な頑固親父を強く連想させる茂日出の様子に精介は内心で大きな溜息をついていた。
自分が結三郎にいずれお付き合いを申し込む時にも物凄い圧力に晒されそうだ――。
「あ、えーと。先月の覚証寺での祭の時に、結三郎…殿から、出張博物苑という催し物の案があるという話を聞きまして……。」
仮にも佐津摩藩の前藩主なのだから普段の様な話し方が出来る訳も無く。
何とか敬語を取り繕いながら祥之助は本題について話をし始めた。
「えーと。その、もしも開催されるのならば、会場を照応寺や覚証寺等にして頂けると、有難いなあと言いますか……。取り敢えず、和尚や宮司達の事はおいといて、一先ず俺……いやわたくしがちょっと博物苑のお考えを聞いておこうかと……。」
「成程。」
祥之助の話に茂日出は頷いた。
「――話をする前に一つ聞いておきたいが……和尚か宮司か誰か、お主の話が出た時等に、寺社は催し物商売をしているのではない、とか何とか言う者は居らなんだか?」
催し物商売――精介の世界で言えばイベント企画や運営等をする商売にあたるのだろう。
傍らで聞いていて精介も、寺や神社がお金を稼ぐ為にイベントばかりに励むのは何となく違和感を持った。
「寺社は神仏の教えを守り敬い、人々に知らせる事が本業であるとか何とか――。」
茂日出の問い掛けに祥之助は驚いた。
和尚達と春乃渦部屋の者達との雑談の中でそうした話があった事を、茂日出はどうして知っているのだろうか。
「あー、えーと、照応寺の和尚殿がそんなコトを言っていた様な……。それで、仏の話を数千年分言って来ようとしてきたので、覚証寺の和尚殿が助けてくれて……。」
先程と比べて圧力を引っ込めてもらってはいたが、老人とは言えやはり縦横に厚みのある体に見下ろされるとどうしても緊張してしまい、祥之助は冷や汗を掻きながら答えていた。
「それでえーと、俺は取り敢えず今まで通りに、長屋の連中とか他人とかに親切にしたり、相撲の稽古を真面目にやったりとかを続ける様にって言ってくれて……。」
手の甲で額の汗を拭いながら話す祥之助の様子に、茂日出は満足そうに頷いた。
「うむうむ。それならば良かった。真面目な者達が寺社を預かっておる様で良かった。」
どうやら茂日出が満足する答えを出せていた様で、祥之助はほっと安堵の息を吐いた。
そのまま精神的な疲労で倒れそうな感覚があったが、流石にまだ話は本題が始まっておらず、何とか背筋に力を入れて姿勢を保っていた。
茂日出は自らの作務衣の懐から幾枚かの書類の束を取り出すと、皆に見易い様にテーブルの上へと広げた。
「義父上、この書類は……?」
結三郎がそう尋ねながら手元の近くにあった一枚を取り上げると、神社の敷地らしき図に四角い小さな枡目が書かれており、その横には「檻、気性の荒いもの、見世物」という様な単語が書き込まれていた。
「出張博物苑についての企画書――と言う程にはまだ纏まっておらぬが、まあその覚書の様なものじゃ。」
茂日出は結三郎の問いに楽しそうな表情を浮かべ、結三郎達にじっくりと解説する気満々の様子で答えた。
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