第37話 

 静かだ。包丁で卵焼きを切るときのトントンという音のみが耳に入る。それ以外はもう何も聞こえない。僕が聞こえないようにしているからかな。光葉さんに言われたあの言葉。僕は少し身体を小さくさせる。


 うっ。どうしよう。気まずさはないのだが、やはり恥ずかしさが邪魔をする。


「トースト、先に2枚を焼きましょうか」


「なぜですか……? いつもなら皆さんの分を焼くはずですが……」


「早めに食べたくて。あ、光葉さんは早めの朝食は嫌ですか? 僕はお腹がすいてるのでそうしたいんですけど」


「分かりました……。私も、それで……」


「よかったです。どうせ高校生や大学生はまだ寝ていたいでしょうから、都合は悪くないですね」


「それもそうですが……それ以外に何かあるのでしょう……? でも、そうですね……。話を聞くと言ったのは私ですし、私から切り出しましょうか……」


 朝食の場で話したかったのだが、突然光葉さんが始めてしまった。これでは早めに朝食を食べるのが意味のないものになってしまっている。まあいいか、お腹空いてるし。


「なぜ、夜中にあんなことを……?」


「いえ、先に光葉さんからです。なぜ僕の布団の中に?」


「いえ、私からです……。私の身体を触ったこと、どうなんですか……?」


「いえいえ、まずは根本的な話からですよ。僕の布団に入っていたのはなぜですか?」


「むぅ……!」


「むむ」


 お互いに譲らない。どちらが先に喋るかだ。そしてこれは下心のある答えのみが存在している。光葉さんが布団の中に入っていたこと。僕が彼女の身体を触ったこと。どちらもセンシティブであるがゆえに言い出せないのである。だいたい想像はつくはずだが、あえてそれは言わない。


 だって恥ずかしいもん。


「分かりましたよ。僕から白状します」


「それはよかったです……」


「ちょっと、そんなに自分から話したくなかったんですか。なんだかハメられた気分です」


「ええ、話したくありませんでした……。だって自分の欲求を満たすためにやったことですからね、詳細はあとから話しますけど……」


 その情報だけでだいたい分かる。


「えっと……夜中ですよね? 具体的に何時頃とかって分かりますか? 寝返りを打った時とかだと僕の罪状が変わるので」


「ばっちり起きていた時ですよ……。あなたが私の胸やお尻などをしっかりと、自分の意志で触っていた時です……」


 はい終わった。重罪確定だ。


「これはもう、夜這いと言ってもいいですね……。女性の身体をまさぐるなんて、大胆な行動を取ったものですね……」


「いえ、あれは……その……」


「はい……言い訳はどんなものですか……? 面白いので聞いてあげましょう……」


「僕は……」


 光葉さんは面白がってニヤニヤとしていた。かわいい顔に小悪魔的な変化があり、なおさら愛しく感じた。


 僕は言い訳などしなかった。そんなものがあるならとっくに言い放っているはずだ。そんな言い訳など、ただの誤魔化しの道具でしかなく、自分の本当の気持ちを塞いだうえでの言葉なのだ。


 真剣な顔をして言う。


「好きです」


「ふふふっ……面白い言い訳で―――えっ……?」


「ですから、好きです」


「へっ……はっ……あ、えっ……?」


「好きだから身体を触りました。胸を揉みました。お尻の感触を味わいました。寝ていると思ったので触りました。それもこれも、全部あなたが好きだからです」


「ッ……!?」


 真っ赤な顔をする光葉さん。動揺が表情にあらわれており、さきほどのニヤニヤした顔はどこかに行ってしまったようである。


「ッ……くっ……うぅ……。んぅ……!」


「はい、言いました。僕の言い訳はこれで終わりです。理由もしっかり述べました。次は光葉さんの番ですよ」


「むぅ……。す、すす、素敵な言い訳です、ね……」


「はい、では今度はそちらが。どうぞ」


「いえ、やっぱり私はいいです……」


 そんなのある? 僕だけ言わされたみたいじゃん。


「そんなのダメですよ! 本当にハメられたみたいじゃないですか!」


「だって……! 急に告白されたら……誰だって驚きますよ……! だから、その……今はちょっと、落ち着かせてくださいぃ……」


 赤面した顔を両手で隠すようにして、僕から見えなくした。


 いや、絶対に粘ってみせる。僕はここまで言ったんだ。自分の意志でやった理由は、光葉さんを想っているからであるとしっかりと言ったんだ。これは嘘ではなく完全なる真実なのだ。


 下心はあった。だが、それは自然なことである。誰だって下心からそんな行動に移るものなのだ。


 だからこそ、自分の恥ずかしさなどどうでもいい。本当のことを述べた僕は、今度は彼女の言い訳を聞く番なのだ。絶対に聞いてやる。絶対に聞いてみせる。彼女が同じ布団に入っていた真相を、僕は聞いてみせる。


 逃げることなどさせるものか。彼女は今ものすごい羞恥心に苦しくなっているであろう。だがしかし、僕はそれでも彼女の行動の真意を知りたい。苦しいのは分かるし、それはかわいそうなことであるが、それでもなお僕は知りたいのである。


「あの……!」


「はい。どうぞ、聞かせてください」


「私もっ……!」


「はい」


「私も……同じ、です……」


「同じとは、なんですか?」


「イジワルですね……。恥ずかしいですので、言いにくいですが……その……」


「はい」


「私も……好き、です……」


 知った。聞いた。彼女の少し恥ずかしそうな表情がまた愛しくさせた。


「だ、抱きしめてもいいですか……?」


「んっ……いい、ですよ……?」


「失礼します」


「んっ」


 華奢な身体はとんでもなく熱かった。

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