第24話 いい雰囲気の二人

「ねぇねぇ咲さん……。あの二人、海に行ってからいい雰囲気になってない?」


「そうねぇ……。明らかにこれまでの壁が取り払われた感じがするわよねぇ……。あれから二人の距離も近いし、やっぱりこれは……」


「やっぱり? これは?」




「「面白くなってきたねぇ!」」




 咲と時雨の二人は顔を見合わせて、息を合わせてそう言った。


 そう。二人が見ている光景は台所にいる慎吾と光葉なのである。海水浴をしてからの二人は共に料理をするようになったのだ。二人が言うように明らかにこれまでとは距離感がまるで違う。人見知りで内気で無口な光葉が、男性とここほどまでの接近は下宿の女子たちは見たことがなかった。


 その変わりように女子たちは歓喜しつつ、どこか怪しいところも感じ取っていた。恥ずかしがりな光葉は積極的に管理人である慎吾に話しかけ、慎吾もまた光葉に話しかけるごく普通の友人としての接し方をしている。


 しかし光葉は笑顔になること増えた。たしかに女子たちと会話をするときも面白い話題なら笑った顔を見せるのだが、慎吾と会話をすると高確率で笑顔を見せるようになった。それまで感情を表に出さなかった光葉がだ。


 やはり何かが怪しいと女子たちは考える。


「明らかに光葉さんがおかしくなってる……! 皆さんもそうとは思いませんか!? あんなに塩らしかった光葉さんがですよ!? 海水浴から帰ってきたらあの変わりよう! 何かがあったに違いありません!」


 声を大にして語る時雨に、咲が同調する。


「そうよ! 光葉ちゃんを探してた時、戻ってきたときのこと覚えてるかしら? あの時の光葉ちゃんは、慎吾くんの腕にこうやって組んで戻ってきたのよ!? ははーん、なるほど何かあったのかなー、ってなるでしょう?」


 腕を使った当時のジェスチャーを再現する咲。真剣な顔で熱く語っている。


「そうなの? でも一緒に料理したり、買い物しに行ったりは普通じゃないかな? 初めて会ってもう4か月は経ってるんだよ? まあ未だに壁作ってる人はいるけどね。ね、梨花ちゃん?」


「う、うるさいわね! アタシはまだアイツがみんなに変なことしないか心配なだけよ! 今は光葉さんが変なことされそうで怖いんだけどね……」


「あれ? 梨花ちゃんも光葉さんが変わったと思ってるの?」


「あったりまえでしょ? 料理したり買い物行ったりは普通だとしても、さすがにあんなにくっつきながら料理する? あんなにくっつきながら買い物する? あんなのもう結婚してるくらいじゃない!」


「そう! そうそうそうそう! そうなの! そうなの! あんなのもう結婚してるって勘違いされてもおかしくないのぉぉぉ!」


 時雨は興奮気味に熱弁した。あまりの興奮のし過ぎで顔が赤くなっている。煮えたぎっているようだ。


「うわぁぁぁ! あの光葉さんが男の人とあんなにもお近づきになるなんて!」


「やっぱり変よねぇ……。心境の変化でもあったのかしら……。ますます海水浴の時が気になるわねぇ……」


「そうです! もう二人に率直に答えてもらいましょう! 探していた時に腕を絡めて、顔を赤くしていた光葉さんと何があったのかを!」


「うーん……でも、慎吾くんが聞かないでくださいって言ってたし……。あんまり知られたくないことだったのかしら……? そのことを考えると気軽に聞けることでもないような気がするわ」


「で、でも、やっぱり気になります! 逆に言えば、お二人の間で決定的な出来事があったってことが確定してますよね!」


「たしかに……。でもねぇ……」


「だめですか……?」


 時雨は残念そうにしつつ、お許しをもらおうと目をウルウルとさせた。咲はそれにダメージを受けながらも理性を保ち、二人の仲をもう一度考えたうえで時雨に伝える。


「やっぱりやめましょうか。聞かれたくないこと、知られたくないこと、彼女や彼にとってあまり良くない出来事だったのかもしれないから、ここは一旦様子を見ましょう」


「えぇ〜……。シュン……」


「誰だって秘密にしたいことはあるはずよ。あまり詮索するのもいけないわ。様子を見て、落ち着いたら彼女たちから話をすることもあり得るわよ」


 優しく時雨に教える咲。体格差のせいか幼い少女とその母親のようにも見えてしまう二人。雪斗と梨花は二人を見て思わずそう感じた。


「ふむふむ……」


「どうしたのよユキ?」


「光葉さんとお兄さんだよ。あの二人の仲が親密になる出来事を予想してたんだよ」


「例えばどんなことなの? あの光葉さんが心を開くくらいの出来事よ?」


「ボク、どうしても普通じゃ起こり得ないものだと個人的には思ってるんだよねぇ〜。それほど光葉さんを強く動かす大きなこと、かぁ……」


「それで? どんなこと?」


「うーん……分かんない!」


 呆れた顔で雪斗に視線を送る梨花。しかしこれがいつもの雪斗の平常運転。どこまでも愛らしくて可愛い雪斗が梨花は大好きである。


 だからこそ男がいることが気に食わないのだ。慎吾に対して明確な嫌悪感はないが、警戒心なら未だに持っている。下宿の女子の中の誰かに手を出してきそうという危険視が、それを生み出している。


 だが一番近くにいるのがまさかの光葉だった。あの光葉と親しい仲になるというのは想定外すぎたのだ。彼女ほどの人見知りで無口な存在が変わったという事実から、梨花も彼に人間的な興味が湧いてきた。


「好意よね……確実に……」


「ん? なに梨花ちゃん?」


「ううん。光葉さんがもし、あの男に対して特別な感情を持ってたらどうなんだろうって思ったの」


「特別な感情かぁ……。光葉さんがねぇ……」


「どう? あり得ない?」


「あり得る……。どうやったって、どう動いたって、どんな性格をしていようと、光葉さんも中身は乙女だよ」


「これは……」


「これは? まさか?」





「「面白くなってきたねぇ……!」」


 二人して顔を見合わせて口を揃えた。




 ☆☆☆☆




 最近、光葉さんがよく一緒にいてくれる。


 料理、買い物、洗濯、掃除。家事炊事において、お仕事が休みの日限定なのではあるが手伝ってくれることが増えた。僕が休日に料理をする時、毎回と言っていいほど隣に立ってくれることが多いのだ。


「んっ。これ美味しいです……」


「そうですか? よかったです」


「確かめてください……。ご自身で確かめてみてください……」


「いや、僕はいいですよ。味見なんて一回でいいじゃないですか」


「私、味音痴の可能性があるので……少し不安なんです……。ですから確かめてみるべきです……」


「そうですか。なら……」


 味噌汁の入った鍋にお玉を入れ、少量すくい上げる。それを光葉さんが直前に味見をしていた小さな皿に移し、僕は口をつけようとした。小さい皿はこうして使うこともできるし、醤油皿にも使えるから大変便利だ。


 そんな事を考えていると、突然自分の中で何かが弾けた。


 光葉さんが口をつけ、味見をしていたこの皿、僕が使用してもいいのか?


 その弾けた何かは羞恥心というものだった。そこに少しの理性も加え入れた、とても重要な感情である。


「あの……どうされました……? 何を固まっていらっしゃるのですか……?」


「いや、別に……」


 しかもこの皿、光葉さんがそのまま渡してきた皿であるため、彼女が口をつけた位置と同じではないか。これでは完全に間接的なキスをしてしまう。僕にはそれが耐えられなかった。


 皿の淵についている水分の反射、光沢。それらを直前に味見をした彼女が作ったものだと考えてしまう。


「光葉さん……」


「はい……」


「失礼ながらお聞きしますが、どこに口をつけたか覚えていますか?」


「えっと、たしかここです……」


「そうですか、なら反対側を使いますね!」


「ッ……!?」


「嫌ですよね? 僕に間接キスされるの」


「……あの」


「はい! あ、味見してからでいいですか?」


「待ってください……! その、私……!」


 光葉さんは僕の顔を見ずに言う。


「子どもじゃないですから……そんなことで意識なんてしません……」


「……そう、ですか」


 彼女がいいというのなら。決して僕自身が間接キスをしたいわけじゃないが……だが、もうこのままやったほうがいっそ清々しい。変に恥ずかしくなりたくないし、空気を重くしたくない。


「ゴクッ」


「んっ……。どうですか……?」


「美味しいです……。さてと、お肉お肉〜……!」


 僕はその場を逃げるようにして冷蔵庫にある豚肉を取りに行った。


 顔が熱い。


 その後はなんとなく気まずい雰囲気ながらも料理をした。光葉さんは僕と目を合わせてくれず、黙々と料理していた。


 嫌われたかな、僕。

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