第3話 不審者の話

「ねえねえ聞いてよ咲さーん!」


 大きな声で話すのはボーイッシュな見た目をしている雪斗。さきほどの玄関にうろついていた男について、知り合いの女性に聞いてほしいのだろう。


 雪斗は洗面台で手を洗ったあとに、リビングで優雅にコーヒーを飲んでいる女性……咲の隣に一番乗りと言わんばかりに満足そうな顔で座った。咲の美しい銀髪の髪が、雪斗の座る際の小さな風によって揺れ動く。


「はぁ〜〜〜! いい香り〜! 咲さんのニオイってやっぱりいい香り〜!」


「あんまり嗅がないでよ……。仕事終わりで臭いだろうから……」


「そんなことないよー。咲さんって清潔だし、汗をかいてもその汗のニオイすらもいい香りになっちゃうんだからさー。いいよね、ボクはスポーツやってるからいつも汗臭いし……」


「雪斗の方だっていい香りよ? ほら、男性は女性のフェロモンに敏感だから、好みな人が……って、私何言ってんのよ!?」


「咲さんってたまにエッチな話するよね〜。おもしろーい」


「からかわないでよ……。それで、さっきの話は? 聞いてほしい事があったんでしょ? どうしたの?」


「あ、そうだったー。あのねさっきねー……―――」


 雪斗はさきほどの不審者の話をした。玄関先でスマホを片手にあたりをウロウロとしていたあの男……慎吾のことである。当然雪斗は彼のことを見たことがない男性であったために不審者であると決めつけてしまった。


 その後に彼が何をしているのか、まさかまだあの玄関先でウロウロとしているのではないかと、変な不安感も雪斗にはあった。しかし咲は雪斗の話を真剣に重要そうに聞いており、雪斗の安息の時間となったのだった。


 ボーイッシュな髪の毛を軽く触り、自分のことを狙っていたのかどうか、と雪斗は話題を膨らませた。自分たち……下宿で寝泊まりしている女性陣たちの誰かを、あるいは全員をターゲットにしていたのでは、と確証などない中で愚痴を吐いた。


 エスカレートしていく雪斗を咲は制止させる。


「たぶん不審者じゃないと思うわよ?」


「え? なんでそう言い切れるの? だって男の人だったしボサボサの髪の毛だったし、明らかに不審じゃん!」


「不審は不審でも絶対に違うわよ。それに今日はお客さんが来ていたみたいだし、おばあちゃんも一郎さんとも知り合いの方だったのよ。それに一郎さんのことを『叔父』って呼んでたし、おそらく甥っ子さんじゃないかしら?」


「え〜!? なにそれつまんないよー」


 雪斗はがっかりしたのか机に顎を乗せた。


「……どうして咲さんはそんなこと知ってるの?」


「へ? だって私、その人と今日会ったし……」


「えぇっ!? 咲さんもあの不審者に会ったの!? あの人となにか話したの?」


「うん、一郎さんはどこですか、ってね。それ以外は特に……あ―――」


「なに? もしかしてナンパでもされたの?」


「ッ……」


「なんで顔が赤くなってるの!? どうしたの、こわいよ!?」


 咲は男との会話を思い出す。男は咲の髪の毛を見てキレイだと言っていた。キレイという言葉。その言葉を咲は少しも特別に感じたことはなかった。その言葉は咲にとっていつも言われているものであり、聞き飽きるほど今までの人生で聞いた言葉だったからだ。


 学生時代も社会人の今でも、美人で評判の咲はキレイという言葉を浴び続けていた。でもなぜか、なぜかあの男が言ったものは少しばかり違っていた。


 咲の顔を見ているのではなく、体を見ているわけでもなく、気まずさからか目を背けようとしながらも、しっかりと咲の方を見ていた。あれは顔でも体でも、咲の髪を見ていたのだ。月の光に照らされていた、あの咲の髪を。


「ふぅ……。この部屋、なんか暑くないかしら?」


「暑くないよ、何言ってるの。それより咲さんめちゃくちゃ顔赤いよ? 大丈夫? 風邪とかだったらはやく寝なよ?」


「だ、大丈夫よ……! ほら馬鹿は風邪ひかないって言うから……って、何言ってんのかな私!」


「本当に大丈夫? 咲さんいつもとなんか違うよー?」


「大丈夫大丈夫! 本当に大丈夫よ! なんかクラクラしちゃうなーとかそんなの思ってないし! うん、全然! 男の人に褒められたからって、別に嬉しいとか思ってないしー!?」


 雪斗はいつもと違う咲に恐怖心すら覚えてしまう。


「誰に褒められたのー?」


「ちょっと梨花ちゃん!? 急に後ろから触られたらびっくりするじゃない!」


 そんなところにひょっこり現れたのは金髪の女子高生である梨花。雪斗と同じ学校の生徒だが、梨花は読者モデルの仕事をしていることがあり、そのための美容院に行っていたらしい。


 梨花はご自慢のネイルで咲の背中をツンツンと触ってみる。


「それで、誰に褒められたのー? 咲さんって褒められても対して嬉しがらなかったのにさ〜!」


「べ、別に嬉しいとかじゃないわよ……。ただ久しぶりに、自分のことを心の底からキレイに思ってそうだなって感じだけで……」


「えー!? なにそれもしかして恋の予感!? ちょー気になる〜! 時雨さんも光葉さんも気になるよねー?」


 ときを同じくして二人の女性がリビングに入ってきた。一人は青みがかった髪色で、どこか感情が欠如しているかのように無表情の女性……光葉である。レディースのスーツを着こなし、タイトスカートで色気を出している。


 もう一人は時雨という小さな女性。もはや少女とも呼べるくらいの背丈であるが、立派な二十歳の大学生。こう見えてお酒が飲めるし買えるのである。


「咲さんが照れてるなんて珍しいですね! どんな方なんでしょうね、光葉さん!」


「珍しい……ですね……。えっと、とりあえず……私はお風呂に入りますね……」


「あー! ちょっと光葉さん! 今日は私が一番風呂って話だったじゃないですかぁ!」


 光葉と時雨はリビングから浴場に向かった。


 そんな二人を見ながら雪斗と梨花はため息をつく。


「あーあ、これからが面白くなるところなのにぃ〜」


「仕方ないよ梨花ちゃん。時雨さんはともかく、光葉さんはそんな恋愛の話なんて一度もしたことないし、多分興味もないと思うから」


「光葉さんだって美人だよ? でも彼氏の話は聞いたことないかも……」


「も、もう! 二人とも! この話はいいでしょ! ささ、今日の夕飯は一郎さんが買ってきてくれたハンバーガーよ」


「「やったぁー!」」


 雪斗と梨花の声がリビングに響いた。

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