第22話 ナンパされてますよ光葉さん

 泳いでくると言っていたが、光葉さんの泳ぎはどれほどのものなのか気になるな。彼女自身が得意ではないということを僕に教えてくれたし、やはり水泳は運動が苦手な人からすれば難しい部類に入るのだろう。


 僕だって生まれたときから水に入って泳いでみることはできないはずだ。子どもの頃に少しだけ習い事として通っていた水泳教室で、そのコツやテクニックを学ぶことで今の海水浴に役立っているわけで、もとから出来たことではないのである。


 彼女は僕と同じように水泳の教室に通っていたのだろうか。咲さんや時雨さんに聞いた話だとそもそもの運動が苦手という彼女。難しいことだとは思うが、もし何かあったときのための助かる方法として、それらの技術を身に付けさせるのが親としての心理ではないだろうか。


 親になってないのに何を憶測でそんなことを感じているのだ。でも僕の意見は間違いではないだろう。そうやって自分の子どもを大切に思うならそうさせるはずだ。


「楽しんでくれてるといいけど……」


 そう。僕は気がかりだったのだ。僕が色々と言ってしまったせいで、口を滑らせてしまったせいで、さらには変に気を遣ってしまったせいで、彼女が楽しむ時間を邪魔していたのではないかと感じているのだ。


 今思うとだいぶやばいやつだな、僕。


 抱っこしてください、と言われれば赤ちゃんのことを示しているのが丸わかりなのに、何を血迷ったのか光葉さん自身を抱きしめてしまったり。こんなの完全に女慣れしてる痛くてキモいやつだ。


 それにその機嫌を直そうと自腹でソフトクリームを差し上げたりした。……そんなもので関係性が改善されるならこの世界から破局は生まれない。そもそも付き合ってもいないのだがな。


「今だって、僕を置いて泳ぎに行っちゃったし……」


 赤ちゃんをあやすのが僕の今日の仕事なんだから置いていくのは別にいいのだ。しかしそれよりも彼女が行ってしまった際の不自然さが気になるのだ。


「あんなに逃げるように行かなくても……」


 不自然さが目立った。何かから遠ざかりたいと強く思っていたような動きだった。表情だって口元を手でおさえて顔を見せたくなさそうにしていた。


「僕、何かしたかな……。赤さんはどう思います?」


「キャッキャ!」


「別に変なことは言ってないはずだけど……。美人で綺麗で、『かわいい』からって言っただけなんだけどな……」


「あぅ〜?」


「ん? あれ? 僕……」


 不思議そうな顔で僕を見てくる赤ちゃん。不自然な言葉が今、自分の口からポロリと出ていた。


 おかしい。なんだこの違和感は? 僕ってもしかして、なかなかの痛くてキモいやつなのでは? 無意識だとしても、さすがに面と向かって真剣な顔で、見つめながら言ってるなんてかなりのキモさだぞ。


「いやいや、でも聞かれたことに対して思ったことをそのまま答えただけなんだし……」


 かわいい、という印象を表す言葉は僕に羞恥心を与える。


「ぐっ、くぅ、ぐぁあ……」


 静かに僕は悶絶した。恥ずかしすぎるだろ。


 今すぐに光葉さんに何か誤解を解くために話をしに行かないと……。僕の発言のせいならば、さきほどの逃げるようにして泳ぎに行ったことも説明がつくし、あの恥ずかしそうな顔も僕のせいであるとすぐに分かる。


 天然ジゴロなのか、僕は。そんな自覚はない。


 とにかく会って話したい。今はどこに光葉さんはいるのだろう。この海水浴場にいるというのは確定しているのだが、泳ぐとなると遠くまで行っている可能性もある。不得意なら浅瀬を探すべきなのだろう。ここは一旦赤ちゃんの子守を誰かに任せて代わってもらおう。


 僕は雷牙を呼んだ。




 ☆☆☆☆




「実は色々とありまして……」


「へぇー。それならこっちもその光葉ちゃんの話ししてたんだよ。泳ぎます、って海にはプカプカ浮かんでる間にどこかに行っちまったらしいんだよ」


「えっ、それってかなりヤバくないか? 彼女は泳ぐのが苦手って聞いたぞ」


「そうなんだよ、だからこっちで探してたんだけどいなくてさ。今から全員で探しに行くつもりなんだが」


「するよ! 探すよ僕も!」


「そうか。なら慎吾は向こうの駐車場近くの浜辺探してくれ。こっちの浅瀬は女子たちがやってくれるらしいから。あとで俺と赤兎も行く。うちの子の子守してくれてありがとな、あとは誰かに任せるから」


「分かった! 行ってくる!」


 僕は走って駐車場近くに使った。泳ぎが得意ではない彼女だから、どうしても最悪の事態を頭に浮かべてしまっている自分がいる。失せろよそんなこと考えるな。そんなこと考えたくない。


 下宿で管理人を始めたときから思っていた。どこか抜けてるようで、しっかりしてるところはしっかりしてるのに、やっぱり何かヘンテコなところがある。口にしない行動に移さない、だからどう思ってるのかが読み取れない。難しい人。


 僕の中で、管理人として接していた自分の中で、下宿を利用している一個人の存在として、一人の女性として認識している。咲さんも時雨さんも雪斗さんも秋風さんも、そして彼女が、皆さんがそれぞれいて、初めて下宿として成り立っていたのだ。


 欠けることがあってはならない。そんな保証はなかったけれど、僕が僕の中にある自分の勝手なルールではトラブルごとや争いに巻き込んではいけないとそう決めていたのだ。


「でも、どうして僕は……こんなに……」


 分からない。分からないままで終わらせたくなかったが、しかし今はそうやって考えて時間を潰すべきではないと思った。


 駐車場近くの浜辺に到着した。一人の女性に声をかける。背の低い男の子二人を連れていた。


「あの! すみません、ここに青髪の女性はいませんでしたか? 肩くらいまでの長さをしている美人で綺麗でかわいい女性なんですけど」


「いえ、見てませんねぇ……。水着の色や柄は何だったか教えてもらえますか?」


「えーっと……。そうですね、えっと……。あのー……」


 あ、光葉さんってずっと上にTシャツを着ていたような……。まさかその状態でずっといたのか……。


 水着の色が分からなかった。


「すみません、水着の色分からないです……」


「なら何か特徴的なものは……?」


「し、白色! 白色のTシャツを着ていました!」


「Tシャツ、ですか……。いえ、見てませんねぇ……」


「近くでプカプカ浮いてた人とか、いませんでしたか?」


「いましたけど……でもTシャツを着ていませんでしたし……」


「どこですか! その人の可能性もありますから……どこで見たのか教え―――」


 ガヤガヤと声がする方に目を向けると、そこには一人の黒色のビキニの女性にむらがる二人の男がいた。


 女性の髪の色は青色。豊満な胸を持っている。


「ちょっと、すみません……。あっ、ありがとうございました」


「いえ……」


 女性は明らかな嫌悪感を示している。周りを見ても助けようとする人の姿はどこにもない。今この状況を受け入れようと思っているのか、今ある状態を放っておこうとする意思が見え見えである。面倒ごとでも困っているのなら助けるべきだろうが。


 僕はその人を見たことがあった。Tシャツはなくても、下半身は水着のままで過ごしていた。黒色の水着で、座っていると際どくて見えてしまいそうだったから見なかったけど、たしかに彼女は黒色の水着だった。


 苦しそうに、嫌そうに、彼女は少しでも抵抗しようとしていた。その姿を見て僕は自然と足が前に出る。


「ねぇ〜、いいじゃ〜ん! ちょっとくらい遊ぼうよぉ〜! 絶対俺たちと遊んだほうが楽しいと思うよ~?」


「そうそう! こっちにはお酒だってあるし、飲みたいものいくらでも飲んでいいんだよ? ほら、行こうよ!」


「いえ……私は……」


「そんなこと言わずにさ〜、お酒飲んで楽しんで、おまけに気持ちよくなっちゃおうよ! ほら、行くよ!」


「あっ! ちょっ! いや……!」


 腕を掴まれた彼女。周りを見る彼女。僕とバッチリと目が合う彼女。


 今にも泣き出しそうな顔をしていた。


「大丈夫かな、光葉ちゃーん! もうー! こんな遠いところにいたら分からないだろー? 探したよ、僕たち!」


「あっ……あの……」


「んー? どうしたのー? ごめんけどさー、とりあえずさー、君たち―――」





「その手、どかそうか」


 光葉さんは僕のシャツを掴んで震えていた。

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