第32話 来ちゃいました
初めての楽器屋でのバイト。室内業務と接客対応。基本的に動かなくてもいいらしいため客が来るまでの時間はずっとレジや店内を歩き回っていた。
「……」
来ねぇ。今の時間は午後の5時。学生たちは授業が終わり、帰宅する時間かな。部活をしている子たちは一生懸命運動に励んでいるのだろう。僕はこうしてそんなどうでもいい少年少女の青春を想像しながら突っ立っていた。
副店長は適当にギターを弾いていた。あれはそこそこ値段のするものであり、楽しそうに音を奏でている。僕もあとであのギターを弾いてみよう。デザインが好みだ。
さて、そのまま1時間ほど経過し僕は突っ立っていたままである。客はほとんど来ていない。やはり最近では音楽はいきなり高そうな楽器を買わないのかな。それこそ安いものを買い求めようと立ち寄ったりはしないのかな。
今の時代はパソコンで曲は作ることができるし、何よりパソコンに繋げれば安っぽいものでもそれなりに音は響くはず。実際に楽器に触れる機会も少ないし、今こうやって来客がいないというのが物語っている。
「副店長、今日はお客さん来ましたけど……いつもはどれくらいの頻度で来られるんですか?」
「それって人気のないこと指摘してる?」
「いやっ! ちがくて、今日は人が少ないのかなと思いまして……。ほら、今日は何人かは来てますから、いつもはどれくらいなのかなって……」
「今日より少ない日はあるよ〜。全く来ない日だってある。やっぱりうちは古い楽器屋だからね〜、あんまり知られてないのかも」
「そうなんですか……すみません……」
「いやいや謝ることじゃないよ。事実だしね〜」
笑い話にできているということは、つまりもう開き直っていることなのだろうな。やっぱりこの店はあまりにも客が少ない。こうしてみると音楽に興味のある人が徐々に減っていってしまっているのが目に見えて分かるし、やはりそういうのは悲しくなるものだ。自分の好きな趣味だからね。
「暇だなぁ……」
「あたしも〜」
「でも、楽しいのですごくいいですね、この仕事」
「そう? 暇すぎて動き出したくなるのに?」
「好きなものが目の前にありますし、好きなものが周囲にあるのは心地が良いですから」
「音楽好きなんだね〜。いいことだ〜」
「副店長も好きですよね?」
「当然じゃ〜」
「フフッ、一緒ですね」
静かな笑いと小さな幸せがその空間には存在していた。こうして話をすることもこれまでの時間では限られていたし、最近までそんな話なんてしていなかったから、なんだか開放感でいっぱいになった。縛られていたわけではないのにね。
というか、もはや全てにおいて自由だったのに。うっ、恥ずかしいヒキニート時代、消えてくれ。
そんな中、一人の客がお店に入ってきた。こんな時間に来るなんて、それも楽器屋に来るなんて音楽が好きな人なのかなと勝手に推測していた。
「あっ」
「はい……。来ちゃいました……」
な、なんで……。
「なんで、と思っていますよね……? えっと、お仕事が終わりまして、お暇でしたので職場から近いここへ足を運んだという形になります……」
「それでも、面白がるという理由以外にないと思いますけど」
「はい……。ですので、面白がりに来ました……」
潔すぎてむしろ感心するくらいだ。何なんだあなたは。いつにもまして僕の顔色を伺って、それに加えてスキンシップも激しくなっている。
光葉さん……あなたは一体、何がしたいんだ……。
「何か見たいものでもあるんですか? 僕は今店員ですから、それなりに接客をしないといけないんですよ? あんまりおしゃべりしてると店長に怒られちゃいますから」
「別に良いよ〜」
「なんでいいんですか……」
副店長は僕がそう言った瞬間に答えてくれた。反応速度が怪物並みだ。
「とのことですので……いっぱいおしゃべりできますね……」
「それでいいんですか? とりあえず、何か見たい楽器はどれですか? ここは楽器屋ですから色々と揃っていると思いますよ」
「あなたが見たいです……」
「ん?」
「あなたが見たいんです……」
「はい?」
言ってる意味が理解できないぞ。僕が見たい? なら存分に見るといい。……いや、やっぱり僕が恥ずかしいから見ないほうがいいな。
光葉さんは変わらず僕が見たいと続けて言った。だからその発言の意図はどこにあるんだ。
「どういう意味ですか……?」
「言ったとおりです……。あなたのことを見たいんです……。あの、意味が伝わっておりませんでしょうか……? すみません、私の配慮が足りてませんでしたね……」
「いや、待ってくださいよ! それだと僕が国語できないやつみたいじゃないですか! 言ってる言葉は理解できてますよ、でもその意味でどんな行動につながるのかが全く汲み取れなかっただけですよ!」
「ですから、弾いている姿を見たいのです……」
「……」
「これも伝わりませんでしたか……?」
「流石に分かりますよ!」
僕は顔を真っ赤にして、彼女の要望に答えてあげた。別に恥ずかしかったわけではない。
☆☆☆☆
「アコースティックギター、ですか?」
「はい……。え、というか、ギターって知ってますよね……?」
「いや知ってますよ。何言ってるんですか……」
馬鹿にしとんのか。さっきからからかいがすごいぞ。光葉さん、あなた楽しんでますよね。
「弾けますよね?」
「もちろん弾けますよ。僕、基本的にどんな楽器でもいけますから。あっ、ヴァイオリンとかの弦楽器は無理ですけど……。あと木管と金管も無理です……」
「えっ、リコーダーも吹けないんですか……。笑えますね、プププ……」
「それは吹けるよ! 小学校にはすでに吹けるようになっとるわ!」
強めに言った。光葉さんは少々驚いている。声が大きかったのだろうか。
あっ。あれ? 僕さっき、光葉さんにタメ口になってたな……。あ、やばい。今まで敬語で丁寧にしていたのに、これでは急に馴れ馴れしくしてきた変なやつって思われてしまう。それはまずいぞ。
「あの、光葉さん……」
「はぁ……。やっと……やっとです……」
「えっ?」
「やっと、敬語をやめてくれましたね……。気になっていたんです、ずっと……。同じ年齢なのに、どうして常に敬語なのかな、と……」
「それは、でも光葉さんも同じじゃないですか……」
「そうですね、同じです……。私の場合はクセみたいなものですから、小さい頃からこんな感じですから……。でも
あなたは常日頃から丁寧にしていた……私や私たちの管理人として、ですよね……?」
「嫌じゃないんですか、タメ口……」
「嫌ではありませんよ……。さっきのはびっくりしましたけど……でも、嫌だなんて思いませんでした、むしろ嬉しかったくらいです……」
彼女は嬉しがっていた。心の底から嬉しがっていた。僕が敬語でずっと話していたのが他人行儀のような気がしていたのだという。たしかにそれはそうだ。丁寧さはあれど、それは壁をなくしているわけじゃない。
僕は自分自身で勝手に壁を無意識に作ってしまっていたのだな。
「敬語、やめてもいいんですか……?」
「はい……。ご自由にしてください……強制はしません……」
「な、なら……光葉さん……」
「さん付けですか……? 変わりませんね……」
「さ、流石に名前の呼び捨てはできないよ」
「なぜですか……?」
「なぜって……そりゃあ……」
静かに僕の返答を待つ彼女。
「恥ずかしい、から……」
「ッ……。そ、そうですか……」
やばい、今、顔が絶対に赤いぞ。これは恥ずかしくなっているときの赤色だ。気に食わないことに対してのものではない。
「あの……でも、今は店員ですから……敬語で……」
「は、はい……そうですね……」
二人の雰囲気を察して、副店長は声をかけてくれた。
「イチャイチャするのはいいけれど、接客もちゃんとね」
「は、はい……すみません……」
こんなこと言われるなら声なんてかけてくれなくて大丈夫ですよ副店長。
しばし微妙な雰囲気が店内に流れたのだった。
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