第28話 僕はあなたと……
静かに二人でご飯を作っていた。何も喋らない。時間が経って、ようやく全員分のご飯は完成した。
机に並べて皆さんが部屋から出てきてリビングに集まる。それぞれの定位置にある椅子に座り、手を合わせていつもの食事の合図および掛け声をする。
「いただきまぁす」
「いただきます……」
控えめな声で言う。朝は調子が悪いことが多いため、やっぱりどこかフニャフニャしたような声が出る。
「うんうん! やっぱりお兄さんが作る朝ご飯は美味しいねー! これならずっと管理人をしてほしいくらいだよー!」
「あー……。でも、僕はおばあちゃんの代わりでここにいるだけですし、ずっとここで管理人として居候しているのも悪いですよ。仮にも孫ですし、自立しないといけませんからね」
「え……」
口に運ぼうとした卵焼きを光葉さんは皿に落としてしまった。動揺を隠せない様子で、何か不都合でもあったのか箸を持っている手が震えていた。その震えのせいで落とした卵焼きを箸で掴めない。
そんな光葉さんを見かねて秋風さんが助けを出した。
「ねぇー? 光葉さん、大丈夫? ほら、ちゃんとお箸でつまめないとご飯食べられないよ?」
「いえ……大丈夫です、から……。お気になさらず……」
震えた手は変わらず箸を持っている。頑張って卵焼きをつまもうと挑戦するが、やはり手のコントロールが定まらない。
諦めたのか箸を置き、静かに手を膝の上に移した。モジモジと指先を動かしながら、一瞬だけ僕の方を見てすぐに別の方向に視線を向けた。僕は光葉さんの右斜め前に座っており、彼女の行動がよく見える位置なのだ。
なんだか悪いことをしている気分だ。今日の朝早くから彼女とは話をあまりしなかった。朝食の手伝いをしてくれたのにもかかわらず、僕は自分の恥ずかしさを全面に押し出し逃げたのだ。そのせいで少し気まずい雰囲気なのである。
「え、高崎さんってここを離れることあるんですか? 私はずっといてくれるものだと思ってましたよ」
「時雨さんも僕にここにいてほしいんですか? 嬉しいですね、そんなに料理を褒められると恥ずかしいですね……」
「私は高崎さんという方とは馬が合うように思いますから、なんだかいなくなるのが寂しいんですよ。あ、料理はもちろん美味しいですよ?」
「はぁ、そうなんですね……」
恥ずかしっ。こんなの自分で自分の料理の腕を知っているように捉えられてしまうだろうが。マイナスなイメージを植え付けてしまうなら、会話をしっかりと今まで理解してすべきだった。これだから早とちりは……。
しかし、やはり気になる。左斜め前にいる彼女がどうにも気になってしまう。いるだけで気になるのに、そんなふうに苦しそうな顔をしていると、それは気になるどころか心配になってしまう。
「光葉さん、ご飯……美味しくなかったですか……?」
「うぅ……!」
「え……」
瞳が潤っていた。なぜ? どうして? なんでそんな、今にも泣き出してしまいそうな顔をしているんだ。何がどうして、そこまで苦しませるようなことがあったんだ……。
本当に、どうして……。
「あのっ……!」
「は、はいっ」
「ここを離れるって、本当なんですか……?」
「いや、そんな、すぐに離れるわけじゃないですよ? あくまでおばあちゃんが動けない間に僕がここにいるわけで、そもそも代わりとしていたわけですから」
「じゃ、じゃあ……いつか、離れるのは本当なんですね……」
「はい……。でも、僕自身はここは思い出に残ってますから、顔を出しにたまに来ようとは思ってますよ……」
「……」
重苦しい雰囲気が広がるリビング。会話の元凶を作った本人である雪斗さんは何やらニヤニヤと笑っていた。企みでもあるのだろうか。今の僕は敏感になっているからか、少しの動きも見逃さないぞ。
秋風さんは呆れ顔で光葉さんを見ていた。その顔は何だ、一体どんな意味がそこにはふくまれているんだ。
時雨さんは美味しそうにご飯を食べながら、僕たち二人の間に流れる静けさにキョトンとした表情で様子をうかがっている。美味しそうに食べているのならなにより嬉しいが、それなら僕たちのことを気にさせずに食べてほしかったな。あまりいい雰囲気ではないし、いい空間ではないだろうし。
咲さんはコーヒーを目をつむりながら飲んでいる。朝が弱いのか、眠そうにしていながらもしかししっかりと注がれたコーヒーは言ってきたりともこぼさずに飲んでいた。なんだその特技。
すると雪斗さんが僕たちの間に入ってきた。
「あれれー? 光葉さん、なんだか辛そうだねぇー?」
「い、いえっ……そんな、こと……!」
「クリクリの大っきなおめめがキラキラしてるよー? なんだか嫌なことでもあったのかな〜?」
「ち、違いますから……!」
「実はねぇ、昨日ボクおばあちゃんと話して、お兄さんがここに残るにはどうしたらいいのかを聞いたんだよねー」
ちゃっかり何聞いてんだ。おばあちゃんは回復傾向だし、しばらくしたらちゃんと動くことができそうだが、その場合の僕の扱いを探ってくれたのか。
そんなこと聞いて何になるのやら。
「そしたらね、『この家にお金を納めて、自分で生活できる能力があるなら残ってもいい』って言ってたよー! よかったねー、お兄さんがバイトをすればここに残れるってことだよ!」
「ん? つまり僕は何でもいいから仕事をして、食費やら生活費やらの自分で賄えるくらいの額を、この家に収めるってことですか?」
「理解が早くて助かるよー、さっすがお兄さんだねー。そうすればここの管理人じゃなくて、下宿の利用者として居られるってわけ」
なるほど。たしかにここは下宿でありおばあちゃんの住んでいる家でもある。しかし僕は独り立ちしなければいけない年齢だし、いつまでもおばあちゃんに甘えてばかりではいけないはずだ。
だが僕自身が僕の生活を組み立てていけば、それは独り立ちと言えるのではないか? それなら自分の生活や自分の健康を管理できる能力も身につくし、なによりこれは自分の力が大きく関わってくる。
あとで色々とおばあちゃんに話をしよう。具体的な条件を設けてもらえば、それに従って僕も動いて―――
―――でも、僕はここにいたいのか?
ここにいて、生活をしたいのか? 自分の心の中にある密かに存在している理由を、思い浮かべてみる。漠然としているはずなのに、しっかりと形があった。
それは人の顔だったのだ。僕じゃない。僕以外のこの世界で生きている人。それも身近な人。女性。
「あっ……」
「んっ……」
この人だ。あぁ……そうか……、そういうことかよ……。
僕は、どうしても光葉さんと生活がしたいと思っているらしい。明確な理由がどうなのかは分かっていないが、それても一つだけ薄っすらと理由の一部として成立しているものがあるのだ。
「あ、あの……! 本当に残られるんですよね……? う、嘘じゃないんですよね……?」
「僕は知りませんよ! 雪斗さんから今初めて聞きましたから! あとでおばあちゃんの方から直接話を聞きたいと思います!」
「そ、そうですね……! 初めて聞いたのなら信憑性が疑われちゃいますね……! 早めにしたほうがいいですね……」
僕と光葉さんとの会話を聞いて、より一層ニヤニヤと怪しげな笑みを浮かべた雪斗さん。だからその顔は一体なんなのだ。さっきから僕と光葉さんの仲をかき回そうと動いているのが分かるが、ここまで影響が大きいとは思わなかった。
「ふっ、ふーん!」
「何笑ってんですか、雪斗さん」
「べっつにー? それよりさー、お兄さんがここを離れるかもっていう話をしてた時、光葉さんすごい慌ててたけどもしかしてそんなにお兄さんにいなくなってほしくないのー?」
「ッ……。ですから、あれは……」
「うんうん! あれはー?」
「んぅ……」
顔を真赤にして恥ずかしがる。関連性のある僕もつられて顔が熱くなる。火が出てしまいそうだ。おそらく耳まで赤くなっているであろう。
そんな僕を見てやはりまたニヤニヤと笑っている雪斗さん。この子は本当に何がしたいのだ。
「えー? ちょっと光葉さんってばー、いなくなってほしくなかったのなら正直にそう言えばいいじゃーん。誰もそれに対して変なことは言わないよー?」
「い、言うじゃないですか……! 絶対にからかってくるじゃないですか……!」
「えー、なんのことー?」
「い、今だって……すごく楽しそうにしてるじゃないですか……! い、いじわるぅ……!」
「いいから言いなよー。それならボクが先に言うねー。ボク、お兄さんがいなくなると寂しくなっちゃうよー。はい、言ったよ。次は光葉さんねー」
「そ、そんな……! 無理です……!」
強要された光葉さんは何が何でも言わなかった。
個人的には言ってほしかったという気持ちがあったのだが、自分の胸の中にそれはそっとしまっておいたのだった。
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