第30話 バイトをします

「アルバイトをしようかと思います」


 一同は顔を見合わせて、再度僕の顔を見る。


「バイトをするの? どうして?」


「この間おばあちゃんが言ってたよ咲さんー。ずっとここで生活していきたいなら家にお金を入れてくれれば、ここでの生活を継続できるってね」


「はい。僕の場合だと自分の食費と光熱費くらいですから、おそらく本当に借家するみたいな生活になっちゃいますね。でも、代理でここに居るわけですから、本来ならおばあちゃんが回復するまでの間の管理人ですし、出ていかなければならないんですけどね」


「でもそれは寂しいよね、お兄さん」


「は、はい……。僕ってずっと仕事についてませんでしたし、なかなか今から就職するってなると難しいですし。まずはアルバイトから始めようかと思いまして」


「ちょっと待って!」


 秋風さんが手を挙げて僕に質問する。


「それってバイトに費やす時間が入るってことよね? それだと管理人としての仕事はどうなるの? その時間ってこの家には居ないわけよね? その間のおばあちゃんの介助は?」


「おばあちゃんは一人で歩けるようにはなりましたし、万が一のことがあればすぐに家に戻りますよ。えっと、それから管理人の仕事は空き時間が多いですからね。皆さんが家にいない間にはバイトをして有効に活用すべきだと思ったので」


「ふーん。アタシたちの生活には基本的に影響はしないのよね? バイトで帰るのが遅れて、アタシたちの晩ご飯を作るのも遅れるってことはないでしょうね?」


「それはこれから考えることになります。バイトの時間帯をどうするのかをこれから考えます」


「あー、ならオケ。他に聞きたいことはないかなー」


「……秋風さんってご飯の話になると敏感ですよね」


 ピクリとキラキラした金髪が揺れる。僕の言葉に少し反応したのだ。敏感になるというのはさきほどの会話の中にあった晩ご飯のこと。彼女は最初、僕に冷たくあたっていたのだが、食事の回数を重ねるごとに緩やかに軟化していった。


 とげとげしい最初の頃が懐かしいくらい。雪斗さんに聞いた話なのだが、彼女は僕の作るご飯が好きらしい。なるほどそれなら説明はつくはずだ。


 現にいつもご飯を食べてる時に『んまー……』と気力のない賛辞の言葉を聞いているし、昨日もしっかりと耳にしたのだ。


「そりゃそうじゃーん。リカちゃんはお兄さんの作るご飯が大好きなんだよー? おばあちゃんに負けず劣らずでなかなかの腕前だ、ってお弁当を食べてる時はいつも話してるんだよー」


「ちょっとユキ! アンタ何言ってんのよ! 別にいつも話してるわけじゃないでしょ!? ま、まあ、美味しいかなって言ってるだけだし!」


 言ってはいるんだ……。嬉しいが少々恥ずかしい気もする。


「ありがとうございます」


「言ってないし……! 言ってないもん……! うわーん!」


「はいはい……。梨花ちゃんはご飯を食べるの好きだものねー……。ただそれだけのことなのよねー……」


「そのフォロー、逆に傷つくんですけど……。甘やかしすぎじゃないですか、咲さん?」


「そう? 梨花ちゃんはあまのじゃくだから、自分で言うのが恥ずかしいのよ。だからこうやってすぐに隠そうとする……。でもいけないわよ。たまにはありがとうって伝えておかないと……」


 咲さんの胸の中で甘える秋風さん。あまのじゃくと言われればたしかにそうかもしれない。彼女はいつもツンツンしていて、最近は意外と話を聞いてくれるようにはなったが、やっぱりどこか恥ずかしいのだろう。


 しかしあたりが優しくなってくれたのはいいことだ。こちらとしてもとっつきやすくなったし、あちらからも話しかけてくれるし。コミュニケーションを取るとなるとこのくらいの関係にはしておかないといけないからな。


「でも、ありがとうございます。僕は嬉しいですよ……。人に料理を褒められるとやっぱり嬉しいです」


「うぅ……」


「あの……。なんか、恥ずかしがってますね……。じゃ、じゃあ誰か聞きたいこととかありますか? どこのバイトにしようとしているのか、目星はあるのかとか」


「あの……」


「え……は、はい……」


 彼女は僕の顔色を伺うように覗き込んできた。少しだけ不機嫌そうな表情をしている。


「み、光葉さん……あの、何か聞きたいことは……」


「私も思ってますよ……」


「へ?」


「思ってます、私も……。あなたの作るお料理、美味しいって思ってますよ……」


「あ、は、はぁ。あ、ありがとうございます……」


「むぅ……なんだか思ってた反応と違います……。私も思ってますよ、あなたの料理は美味しいです……。いつも食べてますけど、やっぱりおばあちゃんと比べてもいい勝負するくらいです……」


「は、はい、ありがとうございます……」


 ほとばしる嬉しさのせいで言葉がうまく出てこない。さきほどのようにペラペラと喋れよ、僕。


「なんで、私には『嬉しいです』って言ってくれないんですか……」


 本格的に不満そうな表情をした。目はいつものようにしっかりと僕を捉えている。なんなら瞳の奥の底の方まで見えているぞと言わんばかりに見つめてきているのだ。


 ゴクリとつばを飲み込み、その魅力的な彼女の吸い込まれるような瞳に釘付けになっていた。


「なんで、どうして言ってくれないんですか……」


「えっ、あ、いや、嬉しいです! 嬉しいですよ! 光葉さんにそう言われても嬉しいです! そんな、おばあちゃんくらいだなんて、僕のご飯はまだまだですよ! は、ははっ……! はは……は、はぁ……」


「むぅ……もういいです……」


 え。え……。うそだろ、嫌われたのか? 僕が彼女の機嫌を損ねたから? それは確定しているとして、それならどうすればよかったんだ……?


 そっぽを向いてしまった光葉さん。僕は助けを求めようと、おそらくニヤニヤしているであろう少女に顔を向けた。


「(助けて……)」


「あー、時雨さんは何かある? バイトのことについて」


「私ですか? んーと、あっ! どんなバイトをするんですか? レジ係とかの店員系ですか? それとも……」


 正直そこから何を話してたのかよく分かってなかったけれど、多分しっかりと自分の頭の中にあった内容を話してたと思う。発していた言葉の抑揚から落ち込んでいるのが聞いてとれると思うけど、でもそんなの知らない。


 嫌われたのがショックすぎて苦しかったのだから。




 ☆☆☆☆




「あの……光葉さん……。さっきのこと……」


「なんですか……。私、今からお風呂に入ろうと思うのですが……」


「えっと、やっぱりしっかりと伝えたくて……。その、秋風さんにも伝えましたけど、嬉しいです……。何かを褒められるのはすごく、嬉しくて次も頑張ろうって思えました……。だから――――――」




「――――――それは、梨花さんにそう言われたからでしょう……?」


「えっ……」


 すべてを見透かしているかのような目だった。


 それは秋風さんのことがあったからついでのように光葉さんにも伝えたようなもの、と彼女に今言われた。その言葉は僕の頭に大きな岩みたいにぶつかった。かち割れるほどの衝撃がそこにはあった。


 でも、ちがう。ちがうんだよ。


「光葉さん、あの……」


「いいです、私は入浴しますから……」


 ちがう。


「ですからあれは……」


「さきほどのことも、別に気にしないでください……。嬉しいという言葉が聞けてよかったです……」


 ちがう。


「光葉さん……!」


「もういいですか……? 私は今から……」


 僕は強引に光葉さん止め、浴場に向かっていた彼女の体を無理やり振り向かせた。


「嬉しかったです! 本当に、心の底から!」


「ふぇ……」


「光葉さんにあの時、料理のことを褒められて、すごくすごく嬉しかったんです! でもびっくりしちゃって、なんだかうまく言葉が出なくて……でも、それでも!」


 うまく出てこなかったのだ、あの時は。でも今は、周りに誰もいない……。それに、誰かに聞かれているということもない……。存分にこの嬉しさと喜びを言葉に変えられるのだ。


 恥ずかしいのか、赤くなっている彼女の顔。とてもキレイだった。やっぱり不機嫌な表情より、正直な光葉さんの表情が好きだ。


「嬉しかったのは、本当なんです……」


「ッ……」


「ありがとう、ございます……。僕のこと、嫌いになりましたか……?」


「どうして……」


「その……不機嫌そうだったので……」


「嫌いになんてなりません……」


「よかったです……。安心しました……」


 今のこの状況、おかしいと思ったのはすぐだった。


「その……近いです……」


「あっ、あ! ご、ごめんなさい光葉さん! 僕の気持ちを伝えるのに必死で! ほ、本当にごめんなさい!」


「いえ、いいです……。で、では……」


 浴場に入った彼女、僕はその姿に見入ってしまっていた。


 キモいかな。キモいな、流石に。

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