回想:旗野詩織④




 詩織たちがいた文芸部は顧問のおおらかさもあって比較的自由な雰囲気だった。

 小説やエッセイや詩に取り組む者、読書感想文を部誌に寄稿する者、漫画やイラストを描く者、映画をレビューする者とそれぞれに趣味嗜好が異なっており、花鶏はその性格ゆえにほとんどの分野に広く浅く手を出していた。

 そして、しばらくするとまた新しいことをやりたがる。

 薬師寺花鶏には飽きっぽいところがあった。


「TRPGやろーぜ! クトゥルフ神話って知ってる? リプレイも本になるんだって! これも文芸部の活動として認められるはず!」

「部誌に載せるやつさー、SCPみたいのやりたい!」

「こっくりさんやろ! そんで実録オカルト話みたいなレポート作んの!」

「いま熱いのは占星術。あとタロットカード持ってきた! 部誌に占いコーナー作ったら面白いと思う!」


 たとえばこんな具合だ。

 思い立ったらすぐに実行し、それでいてきちんと形にはするので、周囲も苦笑しつつ花鶏の行動を容認していた。

 そんなふうに、いつもの花鶏は明るく元気に妙な趣味に嵌っていることが多いが、期末試験の時期になると一転して萎れた花のようになる。


「ほら、しっかりして。もうちょっと頑張ったら冬休みだよ、アトリン」


 ある日の放課後、ぐったりと教室の机に突っ伏して呻く花鶏の肩を詩織は優しく叩いた。励ましながら、少し不思議に思う。

 花鶏はそこまで頭が悪いわけではない。いちど集中してしまえばかなりの効率で知識を吸収していけるタイプで、むしろ要領はかなりいい方だ。

 詩織の見たところ、そもそも『勉強を頑張る』という行為そのものが嫌いなようだった。あるいは、『勉強をさせられる』という状況がつらいのかもしれない。


「理科がほーんとに意味わかんね。ていうかさぁ~科学万能って考えに凝り固まった現代人は危ういんだよねやっぱり! 今こそ錬金術に立ち返るべき! ニグレドアルベドルベドアルスマグナエリクシール!」


 わけのわからないことを言いながら詩織のお腹に頭をぶつけてぐりぐりと押し付ける花鶏。自分の好きなことや興味を抱いたことなら積極的に調べようとするのだが、『授業』とか『試験』になると途端にやる気をなくしてしまうようだ。


「もうすぐテストだよ。今日出た宿題はどうするの?」


「あたしは錬金術を極めてその内容をレポートにして提出するぜ!」


「また怒られるよ。お家に報告されたらどうするの?」


「ぜったいやだぁ~シオリン助けて~」


「はいはい。じゃあノート出して。たしか先生が水とエタノールを沸騰させる実験は絶対テストに出すって言ってたから、そこ復習しよっか」


「言ってたっけ? やべ、ノート取ってないかも」


「見せてあげるからもっかい勉強しなおそう」


 期末試験の前は部活動が休みになるため、学校に居座り続けるわけにもいかない。

 麗華と恵麻を誘って勉強会でもしようかと思ったが、あいにくと二人とも家の用事で早々に帰宅していた。しばらくぶりに二人きりになった詩織は少し悩んだ。

 花鶏はなぜか自分の家に誰かを招くことをひどく嫌がる。

 それと同じように、詩織は花鶏に自宅を見せたくないという気持ちがあった。

 あの立派な家と自分の家を比較されるのは悲しい。

 花鶏が詩織を馬鹿にするとは思わないが、それでも決定的な格差が存在しているという事実を突きつけられるようでつらくなる。そういう雰囲気を感じ取っていたのか、花鶏も詩織の家に行きたいと言ったことはなかった。

 なんとなく、今日はこれで解散かなと詩織が思った時だった。


「よし。家に連絡した。これで準備オッケー」


 気合を入れ直したらしい花鶏はすっと立ち上がり、詩織の手を掴んだ。

 それからきらきらと目を輝かせて、彼女をまた未知なる世界へ誘う。


「シオリンを秘密基地にご招待! 誰にも話しちゃダメだよ!」


 そうして、詩織は初めてその場所を訪れることになる。

 幼稚園の頃、『あとりちゃん』と呼ばれていた女の子の苗字が薬師寺ではなかったことを思い出したのは、本人から事情を説明された後だった。




「テスト前だから部活ないんだよね。あいつ多分、家にいるよなー」


 花鶏に説明された時点で覚悟していたが、実際に顔を合わせると驚くほどに気まずかった。相手が気付いてないことだけが唯一の救い。六年分の空白は忘却に十分な期間だろう。詩織だって花鶏に教えられなければわからなかった。


「うわ最悪。居るなら部屋から出てくんなよ」


 天川勇吾は相変わらずきらきらしており、王子様のオーラを周囲に放っている。信じられないくらいに背が伸びていたが、再会した瞬間にあの男の子だとわかった。

 幼稚園で何度も詩織の味方をしてくれた王子様。

 何度も拒絶し、傷つけ、大喧嘩をしてお互いにぎゃんぎゃんと泣きわめいた仲。

 あらためて見上げると、喧嘩が成立したことが信じられない。

 体格もそうだが、美しく優しそうで穏やかな雰囲気と暴力が全く似合わないのだ。


(なんか苦手なタイプだ。別世界の住人って感じ。彼女とか何人もいそう)


「いやここ俺の家だし。つーか来るならチャイム鳴らせアホ」


 意外にも態度は男の子らしく粗暴な感じで、容姿とのギャップがある。

 自分が抱いた偏見を申し訳なく思ったが、花鶏によれば実際に『性欲魔人のヤリチンクソ野郎』らしい。詩織は少し怖いなと思ったが、すぐに考え直す。


(こういう人が興味を持つのはもっときれいな女性だろうから、私なんかは対象外だよね。自意識過剰はやめよう。アトリンのお兄さんなんだし)


 話に聞いていた通り、姓は変わってしまったものの、二人は兄妹で間違いない。

 幼稚園の時に大喧嘩した王子様みたいにきらきらした男の子と、その後ろにくっついていたお姫様みたいにか弱そうな女の子。

 本の中に出てきそうな二人は、生き生きと喧嘩をしている姿さえ絵になっていた。


(それにしても仲良しだなあ)


 指摘したらきっと否定されるだろうけれど。

 詩織は疎外感と寂しさを覚えた。

 花鶏が誰にも話していない家庭の事情を打ち明けてくれて嬉しかった。

 恵麻や麗華でさえ来たことがないという『天川家の自室』に連れてきてくれて詩織は天にも昇る気持ちになった。

 けれど、そこにいたのは花鶏にとってかけがえのない人だった。


(なんだか、薬師寺家にいたときよりもずっと気が楽そう)


 父親の隣で縮こまっていた時とは違う。

 ここにいる時の花鶏は、心から自由に過ごせているように見えた。

 楽しそうに兄を部屋から追い出した花鶏をたしなめながら、二人は楽しくおしゃべりを始めた。勉強をするという話は花鶏の頭からすっかり消し飛んでいるらしい。

 あとで夜にでも通話しながら一緒に宿題をやろうと決意しつつ、花鶏の希望でクローゼットの中から出した服を着せ合うことになった。


「こんなの、私には似合わないよ」


「似合うし超絶かわいいが? 前からねえ、可愛いシオリンをもっと可愛くしたいって思ってたんだ。こっち来るとパパがお小遣いくれるからさ~、つい色々買っちゃうんだけど、大事に仕舞っておいて良かった~」


 ピンクにホワイト、フリルにリボンといった愛らしい要素をこれでもかと詰め込んだ服装は全く詩織にはなじみがないものだ。

 花鶏なら似合うだろうが、詩織のようなタイプの女子がいきなり挑戦するにはハードルが高すぎる。それでも親友がどうしてもと薦めてくるから我慢して着たのだが、悲劇はその直後に起こった。


「おいバカアトリ、お前ちょっと声のボリューム下げ」


 天川勇吾が、部屋に入ってきている。

 詩織が悲鳴を上げずに済んだのは奇跡に近かった。


(見られた見られた見られた恥ずかしい絶対に『ブスが似合わない服を着てみっともない』とか思われたやだやだやだもう死にたい)


「ごめんなさい、うるさかったですよね」


 かろうじて絞り出せたのはそんな言葉だけ。

 動揺が顔に出なかったのは、単に感情表現が下手くそでどんな顔をすればいいのかわからなかったからだ。本当は泣きたかった。


「あ」


 勇吾は放心したようにこちらをまじまじと見つめ、口から声とも溜息ともつかない音を吐き出した。

 それから、本人も意識していなかったであろう、微かなひとりごとが漏れる。


「かわいい」


 どきりとした。男の子にそんなことを言われた経験がなかったから。

 聞き間違いを疑ったが、花鶏はさっさと彼を追い出してしまっていた。

 そこでようやく、恥ずかしい思い違いに気付く。


(ああー、なるほど。そっか。つまりお兄さんって)


 隣に立つ美少女をまじまじと見つめる。

 真っ白な肩と脚を露出した花鶏は詩織の目から見ても可愛らしい。


「お兄さんって、実は物凄いシスコン?」


「ええー? なにそれきもちわるーい」


「さっき、かわいいって言ってたよ。アトリン、愛されてるね」


「げーっ、やばいやばい、寒気するー! そういうのない、ほんっとない!」


 盛大に嫌がるのでこれ以上の言及は避けたが、詩織は少しだけ面白くない。

 子供じみた嫉妬。恵麻のような独占欲を知られたくないということも忘れて、花鶏に選んだ服を押し付ける。


「アトリンもこういうの着て。おそろいで写真撮ろ」


「なになに、急に乗り気じゃん! やろうやろう!」


 着替えた花鶏を、詩織はいつになく褒めちぎった。

 『かわいい』『きれい』『すてき』などなど、ありきたりな言葉の羅列。

 照れながらもまんざらではない様子で喜ぶ花鶏。

 気のせいか、その後しばらく花鶏はいつもよりハイテンションだった。

 それがどちらの誉め言葉のおかげだったのか、それはわからないけれど。

 

(私の方が『かわいい』ってたくさん言った)


 自分が、花鶏の世界の中心に少しでも近づけていたら嬉しい。

 そう思いながら、詩織は天川勇吾との最初の邂逅を終えた。

 彼に対して抱いた最初の感情は、そんな幼い嫉妬心だった。


「あたしの家ってお母さんの彼、あー、お父さんがちょっと、まあ色々あって厳しい感じなんだ。というわけで、今度から二人で家に行くときは天川家でよろしく!」


 帰り道、花鶏はそんな提案をしてきた。

 詩織はまじまじと相手を見つめながら問い返す。

 それは、そんなに簡単に彼女が決めてしまっていいことなのだろうか。


「いいの?」


「うん。薬師寺の家、教育方針とかでジュース置いてないんだよねー。おやつも来客用だからあたしは間食禁止だし。シオリン混ぜ混ぜ好きじゃん? ジュース混ぜるなら天川家一択。こんどあいつパシらせて色々買ってこさせるからさ」


「やめなよ、お兄さんが可哀想」


 詩織は思う。天川家に行くことを楽しみにしているのは、花鶏の方なのだと。

 

(なら、薬師寺家でのアトリンは?)


 一抹の不安。けれど花鶏そんなことを感じさせない素振りで朗らかに笑う。

 薬師寺花鶏はきれいで、かわいらしく、恵まれた家庭環境を持つ、誰もが羨望の眼差しを向ける女の子だ。

 幸福の二文字は彼女のためにある。

 ずっと、詩織はそう信じてきた。誰もがそうであるはずだ。


(でも、アトリンが本当に幸せそうに笑ってたのは)


 真実を知りたいと、詩織は思った。

 花鶏の心の内側。その想いを知り、可能なら力になりたいと願う。

 花鶏がひとりぼっちだった詩織の手を引いてくれた時のように、詩織も花鶏の力になってあげたい。そのためには、もっと深く彼女の世界に踏み込む必要がある。

 友人に許される線を越えているかもしれない。

 花鶏は親しい恵麻や麗華にも心のどこかで線を引いている。

 そのことには気づいていたから、詩織は拒絶されることを恐れて今まではそこに踏み込むことができなかった。


(けど、私は『親友』だから)


 密かに胸の奥で決意を固める。

 ずっと家庭環境や容姿を馬鹿にされてきて、自尊心なんてずたずたにされたと思っていた。そんな詩織が、はじめて胸に灯した輝きがある。

 花鶏の親友であること。それが詩織の最も誇れる自負心の礎だった。

 もちろんそれは、最悪の思い上がりでしかなかったのだけれど。




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