第四話 うるさい魔剣と異世界ピクニック
(オリヴィアと出会えて、良かった)
こんな状況だというのに、馬鹿みたいに軽薄な感情が止められない。
世界が色を変える。
眼下に広がる風景が、緩やかに変化を見せていた。
何を思ったのか、オリヴィアは怪鳥の背から身を乗り出している。袖を引かれたので傍に寄っていくと、細い指が彼方に向いていた。
「あれをご覧ください」
不自然な景色だった。
山の上から見下ろした麓や、飛行機の窓から眺めた地上といった類似の記憶を引っ張り出して比較すると、やはり奇妙としか言いようがない。
(なんか、連続してない地形を継ぎ接ぎで並べたみたいだ)
遠ざかっていくのは勇吾たちがいた召命の神殿。その周囲に広がる草原が不意に途切れ、急に全く別の砂漠や森といった地形に切り替わる。
自然な地形の境界線、たとえば河川や山脈などがあるわけでもない。
明らかに人為的な、誰かの都合で切り貼りされた土地であるように思える。
「ずっと西の方に見える大きな鉱山地帯が『パレルノ山』、北方の穴の開いた巨大湖が『湖中穴』、向かいの森から少し南下したあたりにある遺跡群が『獅子王の遺跡』。そしていまわたくしたちが向かっている場所は『竜骨の森』と呼ばれています。この四つがこの第一階層に存在する『探索区画』、いわゆるダンジョンですね」
「さっきも言ってたけど、ゲームの話?」
「ええ。なぜかそのような形に改変されてしまっています。原因はわたくしにもわかりませんが、世界槍の制御盤にアクセスできれば原因を特定できるかもしれません」
オリヴィアの話によると、この世界槍なる移民船は本来なら多様な文明圏や生態系を保存し、その中で何世代にも渡って人々が生活を営めるような環境を構築しているはずだったという。
本来なら数多の次元を旅し、最適な移住先に逃れるための箱舟だったもの。
世界と文明が終焉を迎える
破滅を回避するための最後の切り札は、しかし原因不明の暴走によって破滅そのものとなってしまっていた。
「あなたたちがいままで彷徨っていたエリアは『漂着平野』と呼ばれています。無人の車両や船舶が幾つも放棄されていたでしょう? 多くの異世界転移者たちは、竜骨の森付近に漂着することが多いようなのです。ユーゴさんたちが戴冠神殿の手の者に追い付かれる前にわたくしが接触出来たのは幸運でした」
「そっか、手遅れになることもあり得たんだ。これまでにも俺たちと同じような立場の人たちがいたってことは、やっぱり俺みたいにかませ勇者とか断罪された王子とか、破滅した人たちも何人かいたってコト?」
「ええ。森の向こうに見える荒れ地が見えますか」
「ああ、見える見える。なんかエリアが不自然に切り替わってる所がある」
「あの一帯は『ざまぁの墓場』と呼ばれています」
「何て?」
ちょっとなに言ってるのかわかんないです。
さっきまで真面目な話をしていたと思うんですが。
勇吾がそんなことを考えながらふざけているのか真剣なのかわかりづらい真顔のオリヴィアを観察していると、彼女はどこから取り出したのか小さなオペラグラスを手渡してきた。促されるままそれで『ざまぁの墓場』を拡大して注視する。
何らかの不思議な力が働いているのか、二つのレンズは高倍率で遥か遠くの光景を勇吾に見せる。克明に、目に焼き付くほどの鮮烈さと凄惨さで。
「中心部で終わることのない死の舞踏を続けている姉妹は『指と踵を切られたいじわるな姉たち』です。虚ろな眼窩を絶えず鳥たちに啄まれ、無限の闇に囚われながら苦痛を味わい続けるという『最古のざまぁ』を中心に、あの墓場には数多の悲劇が広がっています」
「あの」
「乙女ゲームの主人公をいじめる悪役令嬢。逆に悪役令嬢を陥れる乙女ゲームの本来のヒロイン。婚約破棄を言い渡す愚かな王子。いじわるな継母とその連れ子の姉妹。そして、追放された主人公をせせら笑いながら幼馴染の少女に手を出そうとする傲慢なかませ勇者。そうした『踏み台』たちが報いを受け、苦しみの果てに辿り着く終着の流刑地。わたくしたちも破滅を回避できなければあそこに流れ着きます」
「うわ」
「あのような凄惨な結末を許容し続けることは、わたくしにはできません。あらゆる物語はハッピーエンドで終わるべきです。悪が裁きを受けるべきであったとしても、それがおぞましい暴力である必要はありません。まして、それが一方的な断罪や濡れ衣であるのならなおさらです。そうではありませんか?」
「ああ、うん、これ返すね」
オペラグラスを突き返しながら勇吾は目を瞑った。
瞼の裏に焼き付いた光景がなかなか消えてくれない。
スプラッタ系のホラー映画鑑賞後の悪夢でさえあれに比べたら優しい部類だろう。似たような結末が自分の未来にも待ち受けているかもしれない。その事実を改めて突きつけられた勇吾の顔面は真っ青だった。
(いや、グロいって)
これは幻視した未来ではない。
自分ではないどこかの誰か。
しかし確実に存在している『かませ勇者』たちの破滅。
終わってしまった『もしもの自分』が屍の山を築いている。
「ユーゴさん。現状を把握し、正しく敵の脅威を認識することは大切です。ですが、どうか恐怖に呑まれないで。情報は毒ではなく、わたくしたちの武器なのです」
オリヴィアの言葉はもっともだ。
少なくとも、こうして現状を把握できただけでも一歩前進だ。
何もわからないまま破滅するという未来は変えられている。
「そうだ、敵対してる分家? の人たちってどのくらい数がいるんだろう。長男が本家で次男三男が分家、みたいな理解で合ってる? 親戚ってことなら、叔父さん一家で三、四人くらいとか?」
「ああ、申し訳ありません。そのあたりに感覚の乖離があるのですね。残念ですが、エジーメの血族は小さな核家族のような形態ではありません。もっと大人数です」
「ええと、じゃあもしかして十人以上の大家族? それとも数十人とか?」
「いいえ。クロウサー家を構成する蹄鉄の四血族の中でも、エジーメ家は最も社会性と関係性の拡張に長けた『使い魔』の家系です。この異世界に定着し、わたくしの玉璽を手にした彼らは確固たる秩序を築き上げることに成功しています。総勢で一億にも達しようかという、異世界転移者たちによる国家規模のコミュニティを」
多分、言い間違いか聞き間違いだろう。
そうでなくともオリヴィアは胡乱なことを言いがちだ。
異世界人ジョークみたいな感じかもしれない。
よくクラスメイトも『連休が百億年欲しい~』とか『夏休み五千年くれ』とか言っていた。勇吾も冗談で『宝くじが一兆円当たったら何する?』とか口走ったこともある。きっとそういうことなのだろう。
「で、この異世界の人口ってどんな感じ?」
「約一億です」
聞き間違いじゃなかった。
嘘だろ。勇吾はそう言いたいのを必死に堪えたが、どうにかできたのはオウム返しに尋ねることだけだった。
「いちお、く?」
「厳密には九千八百万と少しです。戴冠神殿の発表を素直に受け取るならですが」
ぜったい嘘だろベトナムの人口くらい多いじゃん。ほんとに国規模かよ。
咄嗟に口走ろうとした言葉をどうにか呑み込んで、必要な問いを投げる。
「戴冠神殿って、確か元凶の名前だったよな。これは分家とイコールでいいの?」
「この世界を統治するエジーメ分家の最高権力者たちが運営する組織の名前です。先ほどの『召命の神殿』と同じ性質を持つ施設を管理し、転移者たちに力を与え安全を確保する臨時政府のようなものとお考え下さい」
エジーメ分家の人間たちは勇吾のようなかませ勇者を生贄として利用しつつ、大半の異世界転移者たちに恩恵を与えている。
つまり敵に回る可能性があるのは血族だけではなく、その影響下に置かれている無数の人々も同じというわけだ。
その途方もない総数を思うと気が遠くなる。
「敵はかつてわたくしが率いていた組織、『
この異世界を支配し、勇吾に破滅の運命を強いる全ての元凶。
彼らを打倒しなければ、勇吾とオリヴィアに安寧の日は訪れない。
オリヴィアが告げた仇敵たちの名は五つ。
『
『
『
『
『
転移者たちに恩恵と共に『試練』を与える管理者たち。
その試練には、必ず生贄が設定される。
踏み台として蹂躙されることを運命づけられた、集団の悪意が集中する生贄が。
「六つめの部隊の名は『
逆に言えば、その生贄だけはエジーメ家に取り込まれる心配がない。
この異世界にとって異物であるオリヴィアにとって、生贄役の生徒は利害が一致する限りにおいて協力可能な相手だった。
なぜ彼女が自分を助けてくれたのか、その理由の一端を知って勇吾は納得した。
「
利害の一致。勇吾はオリヴィアに利益をもたらすことができる。
ただ助けられるばかりではない。
その事実が、いまはただ嬉しかった。
「これは取引です。この異世界という破滅から解放されるために、少し寄り道をしてください。協力していただけるなら、わたくしはあなたへの協力を惜しみません」
破滅の回避。
やるべきことは単純だ。
オリヴィアと共に進んだ先に希望があるなら、迷う必要はどこにもない。
「対等なギブアンドテイクってことでいいなら、喜んで」
立ち上がった少女が差し伸べてくれた手をとる。
改めて握手してみると、少女の手は驚くほど細く頼りない。浮遊していてもオリヴィアと勇吾の背丈には随分と隔たりがあり、見上げた小柄な体躯はひどく儚げだ。
きっと、長く過酷な戦いになるだろう。
自分がこの少女を守らなければならない。
助けられた身でありながら不遜な考えだとわかっている。
それでも、勇吾はそう考えることで自分を奮い立たせようとしていた。
そんな彼を安堵の混じった目で見ながら、オリヴィアはこう続ける。
「あなたの理解が得られて幸いでした。わたくしの素性を考えれば拒絶されることもあり得ましたから。無論、それでもあなたたち『二年一組』の生徒たちを保護するという方針に変わりはありませんが」
「オリヴィアさんの責任感とか志は理解できたけど、そこまで言ってくれるとなんか申し訳ないな。俺のせいでみんなから憎まれてるわけだし」
「お気になさらず。好きでしていることです。それにあなたを破滅から救い、あなたのクラスメイトたちを同胞殺しの業から解き放つというのは■■先生との約束でしたから。決死の覚悟で生徒を守ろうとした彼の遺志を無駄にはできません」
(ちっ)
思考に妙なノイズ。
いま、オリヴィアはよくわからないことを言った。
不思議に思った勇吾は素朴な問いを投げる。
「えっと、センセイってなに?」
硬直。オリヴィアが目を見開く。
信じられないものを見るような表情だった。
一瞬で険しくなった視線が勇吾の全身を上から下まで探り、腰のあたりで停止する。じっと左腰のあたりを睨みつけながら、やや早口で詰問する。
「ユーゴさん。漂着した直後の経緯を順番に、なるべく詳細に思い出してみてください。特に、あなたたちのクラス担任を務められていた先生と運転手さんのことを」
「そのセンセイとかウンテンシュってのがよくわからない」
言いながら、思考がまとまらないことに気付く。
わかるはずだ。先生とは学校で生徒たちに授業をする教師のこと。運転手というのはバスを運転する人のこと。バスごとこの世界に漂着したのだから、その二人もクラスメイトたちと一緒にいたはず、だが。しかし。
「え? いや、だけど、先生? は確か、いま」
(おっと、気付かれちまったな。しゃあねえか。おい相棒、ちょっと俺を抜いてお嬢の首に押し当てろ、傷はつけんなよ。脅すだけでいい。あとは俺がやる)
「気配の隠蔽、まさか意図的な機能制限で?」
がた、とオリヴィアの脚と接触した椅子が倒れた。
何かに驚きながら、勇吾を警戒するかのようにじりじりと後退していくオリヴィア。どうやら腰のナイフが怖いらしい。
キャンプで拾った沢山の武具の中ではかなり大人しい方なのだが、いったいどうしたというのだろう。顔を引き攣らせたオリヴィアは必死に叫ぶ。
「そのナイフを手放して、早く!」
「え、でも武器は必要だし、これまでも怪物と戦えたのは」
「失礼!」
オリヴィアがもはや問答無用とばかりに手を真横に降り抜く。
突風が吹き荒れ、いつの間にか鞘から抜き放っていたナイフが勇吾の手からすっぽ抜けた。どうやら、無意識のうちにオリヴィアを襲おうとしていたらしい。
(え、あれ? 何でそんなことを?)
自分がやろうとしていたことが信じられず、空中に放り出されていく愛用のナイフを呆然と見送る。もはや手を伸ばしても届かない。投げ出された武器は二度とその手の中に戻ることはないだろう。そんな考えは一秒後に吹き飛んでいた。
驚愕のあまり呼吸を忘れる。
ナイフが中空で静止していた。
否、飛行する怪鳥の真上を追いかけてきていると言うべきだろう。
更に驚くべきことに、それは小刻みに振動して声を発してみせた。
「ハッハー! 流石にお嬢にはバレちまうな、勇者様の相棒にはなれねえか!」
「既に彼らと接触していたのですね、カヅェル!」
オリヴィアが呼んだのは見知らぬ誰かの名前。
いや違う、直前に耳にした記憶がある。
確か裏切った分家の長。五人の仇敵、その一角。
「そりゃそうだろ。今シーズンは俺らが第一階層の担当だぜ?」
浮遊するナイフは硬質な金属であるはずだった。
しかしそれは
そうして新生したのは浮遊する兜だった。
西洋風の、頭部全体をすっぽりと覆う形の樽型ヘルム。
中身が存在していないにもかかわらず、勇吾はその内側に確かな人の意思を感じ取る。間違いなく、その兜は生きて動く『何者か』だった。
「好きだろ、男の子はさ。喋る魔剣! 相棒呼びとかできちゃう知恵持つ呪具! とびっきりの力に選ばれたいよなあ! オーケー任せろ選んでやるぜ!」
威勢よく叫ぶ男の声。
カヅェルと呼ばれた生ける兜は、驚く勇吾の目の前で盛大に名乗りを上げた。
「それじゃ、あらためてご挨拶だぜ勇者様! 俺は現第一階層の掌握者。『
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