第五話 唯一無二の職業(クラス)でクラス内最強(比較対象がいないため)




 浮遊するお喋りな兜、カヅェル。

 当人の言葉を信じるなら、この無機物はオリヴィアの親戚であるらしい。器物が喋るという不思議な現象について、勇吾はひとまず疑問を棚上げした。異世界の奇妙さにいちいち驚いていたらきりがないし、遠隔操作のドローンにスピーカーを載せているようなものだと思えばとりあえず納得はできる。たぶん『魔法で動く機械』とかそういうのがあるんだろう。

 問題はこの男(声からして男のはずだ)の発言内容だ。

 おそらくだが、カヅェルは勇吾に対していわゆる『堕落』を勧めている。

 シチュエーションは違うが、雰囲気が中学時代の嫌な記憶とそっくりだ。

 脳裏を過ぎる光景。

 差し出された煙草。密かに向けられたレンズ。一触即発の空気。


(最悪だ)


 高校に進学して治安が悪すぎる界隈とはすっぱり縁が切れたと安心していたのに、一歩外に出てみればこういう輩はどこにでもいる。

 中学時代は勇吾の体格が大きく強かったからどうにかなったものの、今回は相手が悪い。なにしろ得体の知れない力を使って他人を洗脳するような本物の邪悪だ。

 カヅェルの口調は軽薄な悪童じみていたが、だからこそ恐ろしい。

 そんな在り方を続けている大人に、まともな奴はいないからだ。

 

「これまでの勇者はどいつもこいつもできそこないだった。お花畑の理想を掲げて破滅コースまっしぐら。俺もいい加減うんざりしてんのよ。『真の試練』を乗り越えてくれる『本当の意味で勇気ある者』はいつ現れてくれるんだってな」


「真の、試練?」


「勇吾。お前はこれまで破滅してきた連中とは違う。真実の力、この世でもっとも強い力を扱う資格を持っている。あるいはお前なら到達できるかもしれねえな。唯一無二の固有天職。憎悪の炎をその身に宿す、『堕ちた勇者フォールンルミナリー』によ」


「堕ちた、勇者?」


「ユーゴさん! 中二ワードに魅せられてはなりません!」


「はっ」


 なぜこのお嬢様は中二ワードとかそういうスラングを知っているのだろう。というか『ゲーム』だの『悪役令嬢』だの『ざまぁ』だの、更に言えば日本語が使えるのもよくわからない。次から次へと疑問が湧いてくる。


「いやいや、俺ってばけっこーマジよ? いちおー階層掌握者だからそれなりの裁量権はあるし、キルディール様には『自由にしていい』ってお墨付き貰ってるわけ」


 耳慣れない用語が出てきたがなんとなく理解はできる。

 おそらくカヅェルはこの世界槍の中でも最初のフロアの管理を担当しており、キルディールというのは彼の上司なのだろう。

 となると、最初からオリヴィアが打倒せんとしている五人の敵を全て同時に相手にすることはなさそうだ。

 勇吾はこのような状況にもかかわらずほんの少しの安堵と油断を抱いてしまっていた。カヅェルからは敵意を感じないし、粗雑ながらも気さくな口調と雰囲気が緊張を解きほぐしてくれたからだ。


(確かに悪い奴っぽい雰囲気はあるんだけど、不良だけど話してみると意外といいやつ、みたいなこともあるかもしれないし)


「つーかさ、ぶっちゃけると今のやり方に限界感じてるんだよね。閉塞感っていうかさあ、なんか現状に甘んじてる奴が多いんだわ。これだけ数が増えるとどーしても快適さとか出ちゃって惰性で異世界ライフエンジョイしちゃう勢がメインストリームになってるみたいな?」


 カヅェルの言葉はこの世界の在り方を憂うものだ。

 それは手厳しい指摘ではあるが、同時に期待の裏返しでもある。


「特にここ、第一階層の新参者ニュービーが成長鈍化傾向だってこないだの会議でも問題になっててさあっ、前シーズンの担当がトルフィの奴隷馬鹿だろ? あいつがつよつよで超カワで忠実な奴隷ちゃんたちの供給増やしまくるからよお、『安全マージンしっかりとってゆっくり冒険していくぜ』みたいな慎重マンだらけなワケ」


「そのおかげで、初心者の死亡率は劇的に低下したようですが?」


 オリヴィアは冷静に反論する。

 また勇吾の知らない情報や用語が出てきたが、今は黙って記憶するに留めた。


「んー、まあそこはいい面かもしれんけど。いやーでもダメっしょ。男ならリスクをとってド派手にチャレンジよ。女子はまあババアとアクっちに任せるとしてもだよ? 俺はやっぱ男子諸君には血を流しながらダークでハードなギリギリバトルをドッカンドッカンやってもらいてーのよな。だって俺ちゃん、男子だもん♪ きゃるんっ」


(なるほど、親戚だけあって変な奴だ)


 エジーメ・クロウサーとかいう一族とその親戚はだいたい言動がおかしい。

 サンプル数がたったのふたりにもかかわらず、勇吾は偏見を確信に変えた。


「つーわけで提案。勇吾くんにはさあ、新方式の最初のテスターになってもらいたいんだよ。名付けて『クラスの生贄なんざクソくらえファンタジー』ってどう?」


「どうって」


「生き延びるってんならお嬢の提案と同じ。けど俺らと喧嘩~とか意味ねーことする必要なし。だって俺サマっちべつに悪者とかじゃねーし? 一緒に異世界漂流してる仲間で、協力して強くなろーぜって思ってるだけよ。幾らか血ぃ流れるのは仕方ねえべや、生きてりゃ常に競争だ、蹴落とされて死ぬこともあらあな。気にすんな」


 ドライな割り切り方だ。勇吾は反射的に忌避感を覚えたが、カヅェルの口ぶりはごく自然で露悪的な響きは一切なかった。

 価値観の差。常識の違い。それ以上に、この異世界で生き残るために必要な割り切り。勇吾にだってわかっている。これは自分が甘いだけなのだと。


「なあ勇吾よぉ。お前らのクエスト設定者は俺じゃねえからクラスの連中が潰しに来んのは今更どうにもなんねー。ならよお、いっそお前が全部喰っちまえよ」


 それは、ある意味ではもっとも手っ取り早い解決法だ。

 脅威があるのなら取り除く。

 自分が殺される未来を知っているのなら、殺人者を先に殺してしまえばいい。

 殺人を確実に防ぎたいなら、殺人によって予防するのが確実だ。


「つーかつえーヤツが更につよつよになる分にはいいっしょ。キルディール様は最大効率とかにこだわってたけど、このところ異世界転移者の数も一気に増えてきたことだし? ここらで生贄比率を逆転させて数十人をひとりに喰わせるってのも面白くね? 精神限界まで闇らせた元かませ勇者くんとか、逆においしくねえか?」


 カヅェルの口調は面白い見世物を前にした観客のようだった。

 勇吾はいま、望まぬ舞台の上に立たされている。


「そんなの、同意するわけないだろ。当事者の目の前で何を言ってるんだよ」


「そうか? 素質あると思うぜ、勇者様。だってお前、周りを大事にすんのは悪者になりたくねーってだけだろ? 結局いちばん大事なのは自分だ。お前自身の本当の願いをはき違えるなよ」


『会ったばかりの奴に知ったような口をきかれたくない』


 そう反論することは簡単だったし、じっさい舌先まで言葉は出かかっていた。

 だが勇吾は直前で言葉を呑み込む。

 理由はわからない。わからないと思いたかったからだ。


「要はお前が傷つかなきゃいいんだ。勝手に裏切ってきたクソな敵どもを皆殺しにすんのが『悪者』かよ? ちげーよな。つーかカス全部ぶっ殺せば白い目で見られることなんてねえよ。お前は悪者になるんじゃねえ、強者になるんだ。赤の他人に遠慮して、てめえ自身の物語をないがしろにしてんなよ。もっと強欲に生きろ」


 論外だ。馬鹿げた誘惑に耳を傾ける必要などない。

 感情と常識的な倫理観が告げるのは断固たる拒絶。

 だが、異常な環境に適応しつつある理性が下した結論は違った。

 勇吾は未来を知っている。

 クラスメイト。仲間。友達。

 絆という言葉の空虚さ。

 三十九人分の殺意を、魂に刻み込まれてしまったのだ。


「それによお、気付いてるかわかんねーけど、もう手遅れかもしんねーぜ?」


「どういうことだよ」


「クラスの連中からはぐれて別な場所でヒロインと一緒に独自路線を突き進む、なーんてのはモロに『追放ルート』のど真ん中なわけよ。あれあれ? つーことは? もしかして? クラスのグズどもザマミロ路線に? 既に突入しちゃった?」


 思考が停止する。

 視線を巡らせると、先ほどから黙ったままのオリヴィアは唇を引き結んでカヅェルの言葉をそのまま受け止めていた。

 彼女はこの構図を理解している。

 その上で勇吾を助けたことの意味を考え、慄然とする。

 破滅の回避という言葉の意味。

 カヅェルの血腥い提案に、オリヴィアは賛同しているのではないか。

 突如として浮上した疑念。

 惑う心を引っ掻くように、耳障りな声が勇吾の判断を揺さぶる。


「ケケケ、まあすぐに決めろっつっても無理だよな。いいぜ待つからせいぜい悩め! そいつも青春ってやつだ! また会おうぜ、相棒! その気になったら俺の神殿に来な。血とか心とか大切なものとか生贄にしちゃう呪いの武器とかプレゼントしてやっからさ! お嬢もまったね~、ごっこ遊びに飽きたら帰って来いよ~」


 言うだけ言って、ふわりと落下していく兜。

 勇吾の様子を愉快そうに見守っていたカヅェルは意外にも潔い引き際で勇吾の心にしこりを残していった。もちろん、それが狙いだったのだろうが。


「あの男の戯言を真に受けてはいけませんよ、ユーゴさん。あれは人が争うさまを眺めるのが何より好きなだけの愉快犯です。いまごろはあなたのクラスメイトたちにも良からぬ考えを吹き込んで、互いに争うように仕向けているはず」 


 オリヴィアは淡々と指摘すると、真顔のまま『力が欲しいか』とか『汝の大切な友、ユーゴの血を捧げるがいい、さすれば我が闇の力を授けよう』とか『貴様の弱さの象徴たるユーゴを殺せ、それが契約の条件だ』とかいった言葉を並べていく。

 声を低くしているのはカヅェルの物真似なのだろうか。

 雰囲気がちょっとだけ似ていたので噴き出しそうになったが勇吾は耐えた。


「さっきのは適当なデタラメってコト?」


「いえ、先ほどのカヅェルの言葉は本心からのものでしょう。けれど、あなたの心と記憶が操作されていたことを忘れないで下さい。おそらく彼を倒して『精神加工』、要するに洗脳を解除しなければ、あなたはこの世界に降り立った直後から武器を手にした顛末、そしてあなたの先生についての記憶を取り戻すことができません」

 

 オリヴィアに指摘されるまでそれを不自然だと気づくことさえできなかった。

 勇吾は自分自身が信用できなくなりつつある。

 少なくとも、オリヴィアは彼女に利するはずの洗脳から解き放ってくれた。

 勇吾はオリヴィアを疑える。その一点のみが、彼女への信頼を保証していた。


「あれにしてみればどちらでもいいのです。あなたがクラスメイトを残らず殺しても、あなたがクラスメイトに殺されても、面白い見世物になるのなら。だから彼は戦いを煽るし、どちらにも肩入れする。あの軽薄な男に信念などありません」


 納得できる人物評だった。あのやかましく薄っぺらい口調の裏側にあるのは、徹底した不真面目さだ。彼が真剣に『問題への対処』をするならこうもあっさりと引き下がったりはしないだろう。


(それに、俺たちが見逃されてる要因はもうひとつある。『身内への甘さ』だ。裏切られたってオリヴィアは言ってたけど、向こう側の認識では『わがままなお嬢様から権限おもちゃを取り上げた』って感じなんじゃないか?)


 流石にオリヴィアに面と向かってそう言ったりはしないが、勇吾はこの推測に自信がある。相対していたオリヴィアとカヅェルの間にある空気は敵対している者の緊迫感ではなかった。はっきり言ってしまえば、オリヴィアは相手にされていない。

 

「余裕ゆえの愚かさと油断。そこにわたくしたちの勝機があります」


 急に不安になってきた勇吾だったが、いまはオリヴィアの言葉を信じることに決めた。いずれにせよ、彼はオリヴィアと共に進むしかない。

 ただ、喉に刺さった小骨のように不快な感触が残り続けた。

 カヅェルはそれらしい言葉を並べただけ。いちいち真に受ける必要はない。

 だが勇吾が引っかかっていた点は、そのいい加減な言葉の正否とは無関係だ。

 カヅェルが勇吾の本質を見抜いていたかどうかはともかく。

 真実は、誰かに暴かれなくともただそこに存在している。




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