第六話 勇者である俺の戦闘技術が武士キャラより明らかに低レベルなんだが




 小高い丘の上から眼前の景色を見渡す。

 怪鳥の背から地上を見下ろした時ほどではないが、見晴らしのいいこの場所からだと周囲の様子がよくわかる。勇吾の眼前に広がるのは朽ちた文明の痕跡。

 かつては都市だったのだろう。円形の広場と思しき空間から放射状に広がる大通りに沿って整然と大きな遺構が幾つも連なっている。周辺部ほど街並みは雑然としており、遺跡も原型を留めていないものが多い。

 目を惹くのは、朽ちた都市の中心部に点在する巨大な構造体だ。

 大地に突き刺さった異様なフォルムの楕円形。

 前衛的なオブジェのようでもあり、SFチックな艦船のようでもあり、独特な形の尖塔のようでもある。


「これらは墓標船と呼ばれる遺構です。古代に異世界から漂着した『得体の知れない何か』を古代人たちは天からの贈り物だと考えて神聖視しました。やがて墓標船は神殿や王の居城として改造され、異世界の神秘的な技術の恩恵を得ようとした人々による文明を生み出した。この『獅子王の遺跡』もそうした墓標船都市のひとつです」


 『厳密には世界槍が再現したコピー環境ですが』とオリヴィアは付け加えた。

 勇吾はふと浮かんだ疑問を口にする。


「異世界から何かが流れ着くみたいなことが昔から沢山あったってコト?」


「ええ。『漂着平野』『竜骨の森』『獅子王の遺跡』『ざまぁの墓場』。第一階層の東部区画は異世界との結びつきが深い土地の再現スペースであり、そのためか転移してきた方々の大半はこのあたりに『漂着』することが多いのです。あなた方のバスがそうであったように。そちらの世界で行方不明となった船や飛行機から山中の旅人まで、そうした事例は枚挙に暇がありません」


 脚を動かさず、滑るような浮遊状態で『歩く』オリヴィアはじっと前を見据えたまま勇吾を先導している。

 勇吾はそんな構図に皮肉なものを感じた。

 現在では彼女の知識が異世界人である勇吾の生命線となっている。

 逆転した力関係は、時の流れが積み重ねた『家』や『血族』という歴史の厚みゆえのものだ。彼女はその重みを手放して勇吾たちを救おうとしている。


「オリヴィアさんの拠点って、この中のどこかってこと? 探索区画って危険なんじゃなかったっけ」


「ええ。危険だからこそ隠れ家になります。幸い、このあたりに出現する生き物たちはさほど凶暴ではありませんから。備えさえしておけば安全ですし、状態の良い遺跡の内部はそれなりに快適なんですよ」


 オリヴィアに連れられて勇吾がやってきたのは、目的地である『竜骨の森』を抜けた先にある彼女の拠点だった。

 よりにもよってそこは勇吾にとっての恐怖が形になった『ざまぁの墓場』とかいう世にも恐ろしい土地が目と鼻の先で、更には『獅子王の遺跡』という危険な領域に含まれるという危険地帯だった。

 オリヴィアに言わせれば『だからこそ隠れ家にふさわしい』ということだが、だとしても長居したくなる場所ではない。

 勇吾の心情とは関係なく、オリヴィアはどこか遠くを見るように言葉を続ける。


「わたくしたちエジーメ・クロウサーの祖は墓標船という異世界遺物の利権を独占した『十二賢者』たちのひとりであったと言われています。名を空の賢者アルカエ・クロウサー。彼は全ての墓標船を統べる獅子王キャカラノートに仕え、王の死後も忠節を曲げず、偉大で英明な君主の方針を受け継ぎました。すなわち、異世界よりもたらされる強大な力の濫用を防ぐこと。そして管理者たる自分たちが暴走し道を外れることがないように、賢者たちが互いに監視し合うこと」


「立派な人だったんだ」


 あたりざわりのない相槌だったが、オリヴィアは少し嬉しそうに頷く。

 その表情もすぐに翳る。過去の栄光とはいつまでも現在に届くものではない。


「いま、わたくしたちはその正しき道を逸れようとしています。分家の者たちが好き勝手に異世界人たちの運命を弄ぶのは、その巨大な可能性に魅せられているからでもあるのです。特に叔父さま、あ、いえ」


 勇吾は言い澱んだオリヴィアの言葉を聞かなかったふりをした。

 こういうところに甘さや馴れ合いじみた空気を感じるし、『オリヴィアだけが安全圏にいる』という不満を感じないわけではない。

 だが彼女自身は真剣に戦おうとしているはずだし、勇吾を助けようとしてくれていることも事実だ。いまは物事の善い側面だけを見ておくべきだろう。

 たとえ、勇吾の命が『恵まれたお嬢様のささやかな反抗ごっこ』の上に載せられてかろうじて保たれているに過ぎないのだとしても。

 かすかな咳払い。少女は生真面目な表情で続けた。


「敵の首魁であるキルディールは、元の世界への帰還よりも異世界人を利用した何らかの実験を優先しているようなのです」


「実験って?」


「おそらく、お父さまや他の血族に咎められることのないこの地でしか実行不可能な異世界技術の探究。きっと、何か恐ろしいことに違いありません」


 正体のわからない陰謀を打ち砕く。

 巨悪に立ち向かおうとするオリヴィアはまっとうに見えたし英雄的ヒロイックな美しさを持つ役者として十分な貫禄を備えていた。

 逆に言えば、そこにはある種の虚構っぽさがあったということでもある。

 彼女はいたって真剣に今後の方策について語り出した。


「キルディールは深層で個人的な研究を進めており、浅層を他の四人に一任しています。カヅェルの性格を考えると、あなたのクラスメイトたちは思考を誘導されてこちらに向かってくるでしょう。あなたをわたくしの魔の手から救い出すために」


「何か考えが?」


「カヅェルの思惑通りに殺し合いを演じたり、典型的な『クラスから離れて単独で過酷な冒険』ルートに入ってしまうのは回避しましょう。まずは既に成立しているクラスメイトとの間の破滅ルートを破壊し、クラスへの帰還と合流を目指します」


「その場合、オリヴィアさんの立場は苦しくなるんじゃ」


「わたくしは負け惜しみを言いながら情けなく逃亡します。以降、ことあるごとに邪魔をしにやってくる憎めないライバルお嬢様キャラとして立ち回りますのでどうかそのつもりで。細かい段取りと連絡手段は後で決めましょう」


「ああ、なるほどそういう」


 なんとなくイメージはできた。

 問題は、どうやってそういう流れにもっていくか、だが。


「まず、ユーゴさんに最低限の能力を身につけていただきます。時間がないので実戦訓練を行いながら色々と説明していきますのでお覚悟を」


「ええと、それって修行みたいなコト?」


「『転生した無双の剣豪はクラス転移した異世界で全てを両断する』柳野九郎やなぎのくろう。『最強暗殺者は爪を隠して生きていきたい~異世界転移したクラスメイトが弱すぎて守ってやらないと詰むんだが?!~』能見鷹雄のうみたかお


「いきなり何ですかそれ」


 唐突な長台詞に面食らう勇吾だが、音声なのになぜか既視感がある。

 妙な響き。説明的な口調。少し考えてから、神殿での出来事を思い出した。

 オリヴィアを追い詰めた二人の背後に唐突に現れた謎の文字列。

 視覚的に認識していた『タイトル』と、音としての情報が結びついた。

 結びついただけで、意味はわからない。


「弱体化した今のわたくしでは彼らとまともに相対するのは難しい。そこでユーゴさんには彼らに対抗できるだけの力を身に着けて欲しいのです」


 よくわからない文字列についての説明はなかった。

 なんとなく言いたいことは分かるような気がしたので深く追求することはせず、勇吾は話を先に進めてもらう。


「いやでも、あの二人ちょっと強すぎない?」


 そもそもなんでクラスの中に剣豪とか暗殺者が混じってるんだろう。

 だいぶおかしなことに対する感覚が麻痺してきているが、あの二人の異常性は異世界と関係がないという点で突出しておかしい。 


「戦って勝てとは言いません。重要なのは立ち回り。あなたに与えられた天職とスキルを成長させることで、破滅を回避するための力を鍛えるのです」


「『勇者』と『フラッシュフォワード』だっけ。確か『閃光のように敵陣に切り込む前衛』とかなんとか」


「光属性の勇者。なるほど。おそらく本質は先説法、光、ヴィジョン、電磁波、そのあたりの混ぜこぜ。優秀なスキルになったようですね。彼も浮かばれるでしょう」


 妙な言い回しを内心で奇妙に思ったが、勇吾はそのことについて深く考えることができない。おそらく、欠落した記憶や異世界に漂着した直後の経緯も含めて、カヅェルを倒さない限りこの問題は解決しないのだろう。

 勇吾の破滅を幻視する力には何らかの秘密がある。

 何の対価もなくこんな都合のいい力が手に入るはずはないのだ。

 だが続くオリヴィアの言葉は、どこまでも『都合の良さ』に満ちていた。


「ですが破滅を認識するだけでは解決にはなりません。未来を改変するために必要なのは、運命に抗うための意思です。まずはわたくしのやり方を学んでいただきます」


「ああ、あの変身みたいな」


「はい。別人のように格好良く、とても可愛いらしくなったでしょう? 悪役令嬢に変身するのは全ての女の子の憧れ。わたくしが長年の修練の末に編み出した変身のおまじないは、この身を『悪役令嬢モード』に変えることでビジュアル力とメタテクスト改変能力を大幅に向上させる。ご都合主義でもハッピーエンドでも運命改変でも自由自在というわけです」


 オリヴィアはにっこりと笑ってそう言った。

 目がマジだったので勇吾は表情を完璧に作って同意する。

 するしかなかった。


「そうだね。すごく素敵だったと思う。俺もああいう風になれるかな?」


「ええ、もちろん。良かった、ユーゴさんがちゃんとした審美眼を持っていてくれて。カヅェルの無礼者なんてずっとわたくしのあの姿を馬鹿にしてくるんですよ? ふふ、楽しみですね、ユーゴさんのマスコット姿」


(俺、マスコットにされんの?)


 ドレスの悪役令嬢になるのとどっちがマシなんだろう。

 真剣に考えてしまったが、答えなどないことに気づく。

 

「語尾は『ヴィラネスがんばるユシャ~』と『ヴィラネス負けないでユゴ!』のどちらがいいでしょう?」


「ああうん、そういう細部を詰めるのも大事だけど、今はもうちょっと目の前のことを先にやっていきたいかな。そうだ、オリヴィアさんの能力って具体的にはどういうものか訊いてもいい? あの鎖が出てくるやつとか」


 勇吾はかなり強引に話を軌道修正した。

 いま気付いたがオリヴィアは自分の趣味に真剣なあまり脱線する癖がある。

 オリヴィアにもそのあたりの自覚はあったのか、やや恥じ入るように申し訳なさそうな表情になって本題に戻ってくれた。趣味そのものを恥ずかしいと思っているわけではなさそうだが。


「わたくしの魂に宿るおまじない、『未来審判紀ドゥームズデイ・ブック』は自らの未来に『縛り』を創造します。これは自分で自分を呪縛することで弱い破滅を弾いたり、近い未来の破滅を先延ばしにするお守りのようなもの」


「あの神殿でやったみたいに?」


 問いに首肯を返すオリヴィアは、袖をまくって見せてくれた。

 そこに巻かれていたのは色付きのリストバンド。

 彼女の説明によれば、ウェイト入りのトレーニング用バンドらしい。

 

「この自主的な呪縛による負荷がかかった状態で破滅を回避すると、わたくしはおまじないの条件を達成し、『破滅を回避した悪役令嬢ものの主人公』としての運命力を獲得できる。そして、その運命力を利用して先延ばしにしていた直近の破滅を打ち破ることもまた可能なのです」


「つまりその、ええと、なに?」


「『悪役令嬢になる能力』と理解してください。ユーゴさん。あなたには主人公という役割を演じるスキルを習得してもらいます」


 無茶を言うな、と言いかけて選択肢がないことに気づく。

 できなければ破滅するだけだ。やるしかない。


「『目の前の破滅を回避するために攻略キャラや本来の主人公を助けまくっていたらいつの間にか全員に慕われて世界の危機まで救えちゃった件』と『私は破滅を回避したかっただけなんですけど~いつの間にやら最も偉大な救世主になっていました。こうなったら全員救ってハッピーエンド目指します~』のどちらがいいですか?」


「どちらも捨てがたいし、いいアイデアだからすぐには決められないかな~。今はとりあえず特訓を始めようか」


 トンチキが止まらない。

 さっさと話を進めたかった勇吾だが、その特訓も困難を極めた。

 何故なら、オリヴィアが関わる限りたいていのことはトンチキになるからだ。

 勇吾の覚悟は甘かったと言えるだろう。


「ゴブリンだ」


 話を終えて、遺跡の朽ちた壁に隠れながら、表通りにたむろしている小さな人型のシルエットを観察する二人。

 きいきいと甲高い声を上げる『何か』が複数体で集まっているようだ。

 何をしているかわからないが、無防備な状態を晒しているのは間違いない。


(あれを狩る。いや、殺すんだ)


 まずはこの世界の『仕組み』に従って『怪物を討伐して成長する』というプロセスを踏む必要があった。なぜそんな野蛮な仕組みになっているのかと言えば、これがゲームを模した『おまじない』だからだとオリヴィアは語る。

 説明になっているのかいないのかよくわからないが、勇吾はとりあえず『そういうもの』として受け止めるしかなかった。


「なぜか異世界から来た方々はそう呼びがちなのでレッサーゴブリンとかゴブリンモドキとか呼ぶようになってしまっていますが、正式にはグラスエイプと呼ばれる小型の類人猿です」


 ゲームだとかファンタジーに詳しい生徒は皆が口をそろえてあれを『ゴブリン』と呼んでいたが、どうやらそうではなかったらしい。


「あれって猿なの? そういう怪物じゃなくて?」


「本物のゴブリンと遭遇したら確実に死にます。わたくしが八割の力を取り戻せばなんとか対抗できるかもというレベルですから、遭遇したら逃げましょうね」


 漂着平野から召命の神殿に辿り着くまでに、勇吾と数名の男子生徒は武器を振るってあのような怪物と戦い、その命を奪うという経験をしていた。

 暗色の肌に人を想起させる体躯。子供のような体格で、尖った鼻や鋭い牙は人間離れしていたが、ああいったフォルムの生き物を傷つけることにはどうしても抵抗がある。先に弓道部の級友たちが重傷を負わせていなければ、直前で武器を振るうことをためらっていたかもしれない。


「わたくしの世界において、いわゆるヒト以外の類人猿はチンパンジー、オランウータン、ゴリラ、ボノボ、そしてテナガザルが良く知られています。グラスエイプは生息域を樹上から陸上へと移したことで我々と似た方向性の収斂進化を遂げたテナガザルの近縁種とされています。と、これは辞書的な知識ですが」


「そうか。ならまあ、狩猟とか、害獣駆除みたいな言い訳が立つ、かな? やっぱり動物を傷つけるのは心が痛むけど」


「あれも世界槍による生態系の再現です。かりそめの命と割り切って、あまり気にせず駆除して構いませんよ」


 そう考えた方が気が楽であることは確かだ。

 勇吾はいつものように表情を取り繕い、役割を意識した。

 いまのオリヴィアと勇吾の関係性は教師と教え子。

 普段通り、素直で模範的な学生として振る舞えば問題ない。


「というわけで武器はこれを使って下さい。効率的に『レベル上げ』をするためには最も適した武器です」


「なにこれ、ブーメラン?」


 『投げると戻ってくる木製のおもちゃ』を手渡された勇吾は不安を表に出さないためにかなりの気力を必要とした。翼を思わせる『くの字』型の湾曲。確かな質感から、棍棒として扱うこともできそうではある。

 武器と言えば武器だが、勇吾の認識ではブーメランはおもちゃだった。


「わたくしのおまじないで『飛去』と『飛来』の性質を付与していますから、敵集団をまとめて攻撃できます。グラスエイプに投げて下さい」


「了解」


 言いたいことは多々あったがぐっと堪えて投擲する。

 ブーメランは狙い通りに一体のグラスエイプの頭を打ち据え、その勢いのまま別の標的に飛び、次々と動物たちの意識を刈り取っていった。


(物理的にありえないだろ)


 普通に考えれば最初の一体に直撃した時点で落下するはずだ。

 これもオリヴィアの言う『おまじない』の力なのだろうか。


「本来は斥候専用の装備品ですが、勇者は基本四職の武器全てに適性があります。更に勇者は斥候より『力』の数値が高いため、よりブーメランを使うのに適している。勇者が用いてこそブーメランは真価を発揮すると言っても過言ではありません」


 なんだかもやもやした気持ちを抱えていると、更によくわからない情報が追加されていく。基本四職というのは戦士、斥候、神官、術士のことらしく、勇者はそれらすべての性質を併せ持つのだとか。

 この基本四職を極めると上級職に転職可能で、更にその先には限られた者だけしかなれない勇者が存在するということだった。

 どうやら勇吾は過程をすっ飛ばしていきなり勇者にさせられたようなのだが、どうせならみんなと同じが良かったと今さら疎外感を覚えてしまう。

 本来なら喜ぶべき幸運を喜べない。勇吾はあまりこういった『ゲーム』に向いていないのかもしれない、と自信を喪失していた。


「通常攻撃で全体攻撃ができるので、レベル上げと天職の熟練度稼ぎにはブーメランが最適です。ユーゴさんはブーメランを使いこなしてくださいね」


 敵集団をあっけなく打ち倒した武器が円弧を描いて戻ってくる。

 勇吾は目を見開いてタイミングよくキャッチしたが、集中するまでもなくブーメランは彼の手に落ち着いた。まるで吸い込まれるような感覚だ。武器そのものに『必ずキャッチできる』ような魔法の力が宿っているのかもしれない。


(実感が全然ないな。今のだけで生き物を殺したっていうのか?)


 それは異常なことのように思えた。

 召命の神殿で与えられた天職とスキルは常人に脅威の力を与える。

 勇者となった勇吾は、少なくとも現時点では破格の力を振るえる超人なのだ。

 ブーメランを投げただけで、野生動物がばたばたと倒れていく。

 いとも簡単に行使できる暴力と、無造作な死。

 何かが麻痺しそうで、勇吾は背筋が寒くなるのを感じた。


「この調子でやっていけば、レベルが上がって強くなれる、のか」


「強さとは何なのでしょうね、ユーゴさん」


 また何か語り出した。

 雰囲気を作りながら遠くを見るオリヴィアが、完全に自分の世界に没入していることに勇吾は気づき始めていた。

 適当に聞き流しつつ相槌を打ちたいところだが、意外に重要な情報が含まれていたりするので油断できない。

 作業的にブーメランを投げたりグラスエイプを探したりしながら勇吾はオリヴィアの語りに耳を傾けた。ちょっと眠くなりながら。


「なぜ『かませ勇者』は追放された仲間たちに敗北してしまうのか。幾つか理由は考えられます。しかし最も大きい原因は、天職というシステムに由来するものです」


「というと?」


「すなわち、基本職と上級職という下積みの有無。経験による積み重ねや習得できる基本スキルの絶対数が少ないこと。とりわけ『基本マスタリー』と呼ばれる底上げができないため、最終的な強さに限界がある。『最初から勇者』の『指標インジケータ』たちが負けてしまう原因はこの『土台の欠如』にあります」


(地道なフットワーク練習してないとディフェンスがゴミとか、体幹鍛えてなくて軸足ずれトラベリング取られるとか、そういう話かな?)


「勇者は最初期こそ上級職よりも更に上位の『職パワー』で周囲を圧倒できますが、長期にわたって基本職と上級職で地道に己を鍛え上げてきた人との間には次第に差が出てきてしまうのです」


「なら俺も最初から戦士とかの基本職になればもっと強くなれるってコトでいい?」


「ええ。『下積み』によって地力を高めることは必須。ですが、あなたは既に勇者になってしまっています。わたくしはレガリアを奪われ、『叙任』や『召命』といったおまじないの力を失っています。あなたを転職させる権限を持っていません」


 となると手詰まりだ。

 クラスメイトたちは地道に基礎から実力を身に着けることができるが、勇吾は基礎が疎かなまま高度なテクニックばかりを練習し、最終的にはアンバランスで練習不足のプレイヤーになってしまうわけだ。

 勇吾の不安を見透かすように、オリヴィアは「ですが」と付け加えた。


「抜け道があります。そもそも『天職』とは本当の職業ではありません。そのような権威と異能を与えて役割を演じさせているだけに過ぎないのです。いわば自動的に技能が付与されて、その天職のイメージを参照して行動をサポートしてくれる外付けのパワーアシストスーツのようなもの」


 クラスメイトたちはみな、最終的に基本職と上級職という二種類のパワーアシストスーツを利用できるが、勇吾は一種類だけだ。

 貧弱な装備で立ち向かうには主人公たちは強すぎる。

 ならばどうすべきなのか。


「だからシステムの穴を突く。まず戴冠神殿のおまじないによって天職を得るのではなく、本当にその職業をこなせるだけの技術を身に着けます。その上で『その天職を既にマスターしている』という振る舞いで戴冠神殿のシステムを『騙す』のです」


「すると、システム的にも同じ天職のサポートが得られる?」


「その通り」


「でも、一朝一夕でそんなこと 俺はただの学生だし」


「いいえ、わたくしが見たところ、あなたには天与の才があります」


 力強い断言。

 オリヴィアの目には確信があった。


「見た瞬間にわかりました。あなたは背がすらりと高く、姿勢が良い。なによりも、異世界人であるわたくしの目から見ても美しい。それはもうかっこいいのです」


「はあ、それはどうも」


 どうやらお世辞ではないようだ。

 いつもなら笑って謙遜するかお礼を言って流すところだが、オリヴィアの言い方が妙な上に嫌な予感がするため勇吾の答えは歯切れの悪いものとなった。


「その顔とスタイルの良さ、すなわち『かっこよさ』だけを軸に目指せる天職があります。ここでのレベル上げが住んだら近くにある転移者たちの街に向かいましょう」


「何かの準備があるとか?」


「ひたすら遊びます」


 ちょっと意味がわからない。いつもだが。

 戸惑う勇吾の心情などお構いなしにオリヴィアはどこまでもオリヴィアだった。


「ギャンブルは得意ですか? 人を笑わせた経験は? 路上でパフォーマンスをする度胸さえあればあとはなんとかなります。それ以外の時間はひたすらダンスレッスン、これも人に見せていきましょうね」


「なぜ」


「わたくし、最低限の護身術以外には武芸の心得がまったくありません。ですから、知っている分野での指導しかできないことをご理解下さい」


「いやそれはいいけど、なんで遊んだりダンスしたりする必要が」


「基本職でこなせる基礎訓練を身体に叩き込んだら次は下積みです。わたくしが偽名で築いた人脈と権力を用いて地下から成り上がりましょう。ユーゴさん、あなたにはモデル、アイドル、俳優などマルチタレントとして活躍していただきます」


「基本的に話を聞かないよねオリヴィアさん」


「目指すは銀幕。誰もが見上げる天の星」


 オリヴィアは『職業:遊び人』と『職業:踊り子』という日本語が書かれたネームプレートを手渡してきた。真ん中には『天川勇吾』と記されている。

 嫌な予感はここにきて過去最大級に膨れ上がっていた。

 勇者だけでは基礎が足りていないから土台作りのための修練をする。

 そういう話だったはずだ。

 なぜこんなことに?

 勇吾にはわからないが、オリヴィアの中では完璧に筋が通っている理屈らしい。


「あなたには、スーパースターになっていただきます」


「なんでやねん」


「素晴らしい! 既に芸人としての自覚が芽生えていますね!」


 勇吾は目の前が真っ暗になった。

 



「『三日以内に倒したモンスターを仲間にせよ』だって。やばくね? これって訴えられたりしないのかな。てかボールないんだけど」


「モンスターを仲間にするってアイデアだけなら色々なゲームで例があるよ。牧場とか配合とかもお約束だし、勇者がいるなら魔物使いがいたって変じゃないと思う」


 森の中を、学生服の集団が進んでいた。

 話し込んでいるのは盾と槍を手にした精悍な印象の少年と、地図を両手で広げながら周囲を警戒している眼鏡の少年だ。

 二人は己の前方に浮かぶ表示窓ウィンドウと呼ばれる立体幻像を眺めながら、自分たちに課せられた運命クエストについて話し合っていた。


「ん、そっか」


「どした?」


「いや、やっぱ勇者がいないとって思っただけ。早いとこ助けないとな。勇吾、無事だといいんだけど」


 天川勇吾がさらわれた後。

 彼のクラスメイトたちは大きく二手に分かれて行動を開始していた。

 すなわち『天川救出チーム』と『クエスト対処チーム』である。

 先行して東の森へと向かったのは主に勇吾と親しかったグループを中心とした者たちで構成されていた。更に言えばスキルが戦闘向きだとか、クエストが戦いを中心としたものだったとかの理由もあるが、いずれにせよ彼らは怪物たちとの凄惨で泥臭い闘争を強いられていたのだった。


「吉田。右手の方から二体。やっさんのカバーいけるか?」


「任せろ。委員長は辺見の援護頼む」


 会話していた男子生徒たちはそれぞれに森の中を走り出す。

 彼らは『ゴブリン』と呼ぶ猿と死闘を繰り広げ、息を荒げながらどうにか森の中を進んでいった。制服はあちこちが破れ、血にまみれている。

 疲労から精神は摩耗し、徐々に目も虚ろになりつつあった。

 そんな中、抜き身の武器を手にしていた何人かが奇妙な声を聞いた。


『汝の大切な友、ユーゴの血を捧げるがいい、さすれば我が闇の力を授けよう』


『貴様の弱さの象徴たるユーゴを殺せ、それが契約の条件だ』


 それは血に飢えた刃の言葉。

 彼らを残酷な運命に引きずり込もうとする悪魔の誘惑だ。

 大切な友人を救うべく立ち上がった級友たちの中でも、とりわけ勇吾との関係が深い吉田竜太よしだりゅうた辺見颯へんみはやての二人は迷うことなく即答した。


「ふざけんなよ」「断る」


 断固たる拒否。

 少なくとも、この時点では彼らが勇吾に害をなすということはありえない。

 遠い未来、激変した世界の情勢と人間関係という前提があれば話は別だが、そんな可能性を現時点で論ずることができるのは未来を知る者だけだろう。

 友情とはそこまで軽いものではないし、勇吾が悲観するほど周囲との関係性が劣悪だったわけではない。普通の男子高校生がそうであるように、素朴な善良さと人付き合いの良さがあれば窮地にある友人に手を差し伸べることを迷ったりはしないのだ。


『力が欲しいか』


 だが、それはあくまでも常識的な範囲の話だ。

 勇吾にとって身近な者はなんとしてでも彼を助けようと心から思っているし、それ以外のさして親しくない者もできれば助けてやれればいいとほどほどに感じている。

 後者に切実さはない。

 ゆえにより切実な願いがあるのなら、勇吾の命は二の次となる。


「いや、別にいらねえな」


 老け顔の男子生徒は、誰にも聞こえないほど小さく呟いた。

 いつの間にか手に入れていた愛刀。

 腰の刀、その柄尻に手を置きながら、柳野九郎が薄く笑った。


「俺が欲しいのは、強者との立ち合い。ギリギリの死闘だよ」


 男の目に宿るのは、渇きと歓喜。

 流血と闘争を求める修羅の心は、はじめからその妖刀と噛み合っていた。



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