第二十二話 俺たちの人生ヘルモード




 いくら直接の見張りが二人だけだったからといって、神殿の地下室から密かに脱出するためにはそれなりの準備が必要なのではないか。

 そう思った勇吾の予想は大きく外れた。


「えっと、それじゃあついてきてね。あの、今度は罠じゃないから」


 『ゲート』を潜り抜けた勇吾たちは見慣れない家屋に辿り着く。

 『ナオミ』と名乗った謎の美女によれば、ここは召命の神殿がある『漂着平野』からやや北上した位置にある廃村とのことだ。かつて第一階層を拠点にしていた転移者集団のコミュニティが存在していたが、下の階層に移動する際に放棄されたらしい。

 とうに日は落ちており、夜も更けている。

 勇吾は案内されるまま古びた木造の家に向かった。

 その途中、堪えきれなくなったようにすぐ後ろで二つの声が響く。 


「いや~シャバの空気、おいし~」


「ギャハハ! 使えるモノは何でも使えってか! 嫌いじゃねえぜ!」


 騒がしい声は、勇吾と同じように地下室に幽閉されていた多田良心たたらこころと兜に宿ったカヅェルこと『カーくん』だ。ややこしいので心と同じように呼ぶことにしたのだが、それはそれとして複雑である。

 だがそれよりも顔を合わせづらい相手は別にいた。

 勇吾を先導するひとりの女子生徒は、扉を開いて中に声を掛ける。


「みんな、天川を連れてきたよ」


 中にいたのは勇吾の友人グループの面々だった。

 辺見颯へんみはやて須田美咲すだみさき太田結愛おおたゆあ

 そして、勇吾を裏切った瀬川莉子せがわりこ

 彼女はなぜか吉田竜太よしだりゅうたやナオミと協力しており、『ワープゲート』の能力で勇吾を助けに来てくれたのだ。


「正直まだ混乱してるけど、大変だったな」「天川、無事で良かった」「なんかね、竜太と一緒に通話したんだけど、オリヴィアって人は味方なんだって?」


 友人たちの言葉に応えつつも、勇吾は問いかけずにはいられなかった。


「みんなはわかるけど、瀬川はいったいどうして? 津田さんの味方なんじゃ」


「あのね、やっぱり怖くなっちゃったんだって」


 太田結愛が友人をフォローするように言った。

 理由が盲点だったので勇吾はぽかんとしてしまった。

 直前まで話していた津田守梨の覚悟が決まり過ぎていたから感覚が麻痺していたが、全ての人間があのように迷いなく行動できるわけではない。

 やったことが正しかったのか不安になったり、迷ったり、後悔したり。

 様々な感情の揺らぎが原因で首尾一貫した行動ができないこともよくある。

 

(そうだ、俺は破滅した後の出来事がほとんどわからない。だから、みんながどんな気持ちでいたのかも知らないんだ)


 クラスのほぼ全員に裏切られて、誰も信じられないような気がしていた。

 けれど、そのことを後悔したり、迷ったりしていた者だっていたかもしれない。

 周りの目が気になって投票せざるを得なかった者もいたはずだ。というか、守梨がそういう心理を利用しなかったはずがない。

 だからといって何のわだかまりもなく相手と接するのは難しい。

 だが勇吾が思うほど周囲の人間関係は破綻していなかった、ということは確かだ。


「ごめんね、ほんとにごめん。いくら天川と吉田が悪いことしてたんだとしても、やり過ぎだったんじゃないかって思って」


 泣きながら謝罪を繰り返す瀬川莉子に対して、勇吾は真顔で指摘した。


「あれフェイク動画」


「え」


「天川がそういうことするわけないじゃん。吉田はともかく」


「駄目だよリコ、そういうのに簡単に騙されたら~」


 目を丸くする莉子を、美咲と結愛の二人が優しく叱りつける。

 迂闊さを指摘されて慌てふためいた莉子は勇吾に平謝りをするしかなかった。


「ええ~! ご、ごめん、本当にごめんね~! てっきり私、天川と吉田は女を弄ぶクズだったんだって思って~」


「俺と天川は違うけど、竜太は合ってるよ」


「おい!」


 颯の雑な混ぜっ返しに竜太が慌てる。それを見て、勇吾はなんだか懐かしい気持ちになった。どうしようもない状況が続いてばかりだが、守れたものも確かにある。

 それを成し遂げられたのは、全てひとりの少女と出会ったからこそだ。

 感慨に浸っていると、ほほえましそうに勇吾たちを見守っていた謎の女性がくすくすと喉を鳴らしていた。ミステリアスな微笑みを浮かべていた彼女は、何を思ったか一歩だけ勇吾に近づいて顔を近づけてきた。思わず後退る。


「ボウヤたちにはいい勉強になったんじゃないかしら。騙すのが得意な人種っていうのはね、思いもよらない方法で相手を欺くものよ。たとえばこんなふうに」


 言い終えた途端、ナオミと名乗った女性の顔がごきごきと凄まじい音を立てて変形していく。骨格、筋肉、皮膚、毛髪、ありとあらゆる部位が変質し、別物になる様子を誰もが唖然として見守るほかなかった。


「こういうことだ。目に見えるものなど当てにならん」


 そして現れたのは、誰もが知るひとりの少年の顔。

 低くなった声と激変した口調。まるで完全な別人に変身したかのようだ。


「な、ナオミが能見ノウミに?!」


 長い前髪に隠された、獲物を見逃さない鋭い眼光。

 正体不明の高校生暗殺者、能見鷹雄のうみたかお

 グラマラスな美女の身体にそのまま男子高校生の頭部が載っている光景は凄まじく異様だったが、奇妙な据わりの良さもあった。


「神殿でやっさんと一緒に寝かされてたはずじゃ」


「あっちで寝ているのは空蝉うつせみだ。心停止の影響が大きくてな。仮死状態で副心臓を再起動しながらカヅェルの隙をうかがっていたんだが、今井や津田の乱入でそれどころではなくなってしまった」


「じゃあ死んでなかったってコト?」


「俺には半身と言うべき存在がいた。生まれる前に母親の胎の中で死ぬところだったが、その命は俺の中に良性腫瘍のような形で宿った。『ナオミ』は俺でもある。彼女は俺が死ぬとその命を再生させるし、彼女が死ねば俺がその命を再生させるんだ」


 淡々とした説明を聞いてもまだ信じられない。

 能見・鷹雄・ナオミの言葉が真実なら、彼ないし彼女は事実上の不死を実現しているということになる。蘇生させるまでもなかったということだ。


「考えてもみれば、多田、いや多田良さんとカヅェルに勝てたのは能見のおかげだったよな。もしかしてずっと助けてくれてたのか?」


「いや、俺とナオミで見解の相違があってな。方針が割れていた。初手で殺しに行ったのは怪しまれないためというのもあるが、『起こすため』という理由が大きい。旗野を使った挑発も、どちらかと言えば確かめるためだ。お前がキレたのは流れ弾に当たった形になる。結果的にはカヅェルを引っ張り出せたが」


「ええっと、いまいち話が見えないんだけど」


「いい。俺はもう答えを得たし、いまは味方という解釈で構わん」


 何の話をしているのだろう?

 いまいち理解できないし、そもそも能見鷹雄は『ふっ』とか『大したことではない』とか『光の世界に生きるお前たちは知らない方がいいこともある』とか『今はまだ話すべき時ではない。証拠が出揃ったら広間に人を集めてくれ。犯人が誰かを説明する』とか言いがちなタイプだ。本人の説明にはあまり期待しない方がよさそうだ。


「この世界の状況とかは、かなりわかってるってことだよな?」


「ああ。そいつらにもある程度は話してある」


 おかげで勇吾は友人たちが全てを知っても味方でいてくれると信じられた。

 話を聞くと、世界がリセットされても『中にいるナオミ』は影響を受けずに済むらしく、全てを忘れたふりをして情報を集め続けていたとのことだ。

 だが能見鷹雄ほどの実力者であっても、この世界の全てを敵に回して勝つことは難しいらしく、思うようには動けなかったと彼は語る。


「お前を殺したことについてはすまなかった。津田にあれだけの覚悟を見せられたのも大きいが、戴冠神殿と正面からぶつかって勝てるビジョンが見当たらなかったのが主な理由だ。これも言い訳にしかならないが」


「いや、なんていうか、もういいよ。いまこうして助けに来てくれただけで」


 言うべきことがたくさんあるはずで、処理しきれない感情も山積みだ。

 しかしシリアスな表情で喋り続ける顔の下には、前が開いたライダースーツから大胆に胸の谷間が覗いているのだ。能見鷹雄の顔と色っぽい胴体のアンバランスさが気になってそれどころではない。


(エロガキか俺は。いやでも組み合わせがおかしい。頭がどうにかなりそうだ)

 

 思考がまとまらない。他の面々も唖然としており、兜のカーくんでさえ開いた前面部分が塞がらないようだった。 

 しばらくしてから竜太と颯がどうにか言葉を絞り出した。


「いやー、色々言いたいことあるけど、すげえ体質だよな。てかそれって見かけだけなん? 基本は男、なんだよな? え、全部女になってんの?」


「まあ、能見には双子の姉妹がいたってことだろ? 知らなかっただけでクラスメイトみたいなもんってことで。よろしく、ナオミさん」


 勇吾はこういう時に性格が出るよな、と思いながら竜太から目を背けた。女子からの厳しい視線が向けられていることに彼は気づけないことがある。普段ならフォローを入れるのだが、何故か今回は相手の方がやけにノリがいい。

 というか、能見はたぶん面白がっている気がした。


(能見って意外と男子ノリ、っていうか下ネタ好きなのかな)


 案外と竜太とは気が合うのかもしれない。

 能見鷹雄はくすりと女の声で笑い、蕩けるような色香を漂わせはじめる。

 胸元のジッパーを引き下げながら問いかけた。


「確かめてみる?」


 ごくりと唾を呑む竜太。苦笑いする颯。

 勇吾は女子たちの目が冷え切っていることに気付いて、友人に代わって適切な対応をすることにした。


「結構です」


 というかどっちが真実でも怖すぎる。

 竜太は妖艶な暗殺者の色仕掛けを直に浴びせられてすっかり混乱してしまったようで、うわごとのようにぶつぶつ呟いている。


「能見が、能見がえっちなお姉さんに。いやえっちなお姉さんが能見に?」


 しばらく放置しておこう。というか脱線しすぎである。勇吾が能見鷹雄に向き直ると、相手も真面目な表情になって話をする姿勢を見せた。


「それより天川、本題に入ろう。俺の雇い主から話がある」


「雇い主?」


「彼女たちの在り方を考えると個人的にも助けてやりたい相手だが、まあこういうのは形が大事だ。俺の流儀に合わせてもらった」


 能見鷹雄が部屋の奥を指さすと、テーブルの上に一羽の猛禽がいた。

 竜太が飼っているトリ吉は、実際にはオリヴィアの使い魔だ。

 首から下げられたボードは彼女との通信手段でもある。

 一見するとただの表示板だが、それは急に発光したかと思うと光の粒子を中空に巻き上げ、立体的な幻を立ち上げた。

 人型の半透明のヴィジョンが現れる。

 予想していた通り、それはオリヴィアだった。


「勇吾さん。あなたに謝罪しなければならないことが二つあります」


 開口一番にそう言うと、オリヴィアは深く息を吸って吐いた。

 覚悟を決めるように、恐れを振り払うように。


「それは俺だってそうだよ。オリヴィアさんを信じることができなかった。何か事情があるに決まっているのに。それなのに、裏切った」


「それだけのことを、わたくしはしました。それでも、わたくしの事情について考えてくれたユーゴ、勇吾さんの優しさを、とても嬉しく思います」


 途切れがちな言葉と、弱々しい微笑み。

 オリヴィアはきっと、気丈な態度やふざけた言動の内側にずっとこうした恐れを隠していたのだろう。

 勇吾には、見えていなかったものが多すぎる。

 今さらながらに実感して、けれどそのままでいるつもりはないとオリヴィアに向き合うことを改めて決意した。


「俺たちを召喚したのはオリヴィアさんだって聞いた。そうしなければならない、切迫した事情があったってことだよな?」


 オリヴィアは頷き、決定的な言葉を口にした。

 実のところ、瀬川莉子や津田守梨との会話の中で予想はしていた。

 この世界がどういうものなのか。

 そして、なんのためにあるのかを。


「わたくしは既に死亡しています。この世界槍イスート・シュロードは、わたくしが『未来審判紀ドゥームズデイ・ブック』によって起動した『破滅を回避するための別の破滅しれん』なのです」


 勇吾は、この理不尽な世界の正体について、そして自分を取り巻く不条理な破滅の本質について、ようやく納得の行く答えを与えられたような気がした。

 ここは死後の世界。

 つまり、地獄だ。



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