第二十三話 クラス転移で俺だけ主人公




 しばし、耳が痛くなるような沈黙がその場を支配した。

 オリヴィアは既に死んでいた。

 更に勇吾たち二年一組の生徒も全てバスの事故で死亡していることが瀬川莉子のスキルによって明らかにされている。

 恐らくは、他の転移者たちも同じなのだ。


 『俺なんか樹海自殺ツアーだったから』


 『自殺した心理学部生は転生した異世界で今度こそ誰かの心を救いたかった』


 全員に確認したわけではないが、オリヴィアと行ったアンチクエストシティでの記憶を思い返すとそれらしい事を言っていた者も確かにいた。

 この異世界は呼び寄せた死者の魂に『転移者』という名前を付けて、生命の模倣をさせるだけ。本質的には冥府や黄泉の国というべき『あの世』だ。

 厳密に言えば勇吾たちは生きていない。

 本質的には食事をする必要もないし、消化や排泄だって必要ない。そもそも口に入れた物が本当の意味での物質かどうかだって怪しい。異世界のあらゆる不条理さは、非現実ゆえの曖昧さに由来しているのだろう。

 しばし、誰もが無情な真実を噛みしめた。

 誰もが時間を進めることを恐れる中、誰よりも死と向き合い続けてきた暗殺者がゆっくりと口を開いた。


「死から逃れる術を用意していても、抗えない破滅というものはある。あのバス事故、いや、事故に偽装された暗殺で俺とナオミが不死の循環を封じられたように」


「え? いまさらっと凄いこと言わなかった?」


 確かに、彼が不死だったというのならこの場所にいるのはおかしい。

 そしてそれは、あらゆる破滅を回避する悪役令嬢にも言えることだ。

 どんな超人にも回避できない死はある、ということなのか。


「あちらも俺の存在は予想外だったようだがな。バスから逃げようとする直前、咄嗟に反撃して相討ちに持ち込んだが、おかげで敵をこちらに呼び込んでしまった」


「え? ええ?」


「ちなみに天川、例の殺人事件に関してお前が気に病む必要はない。バスが横転して転落した時には既に『奴』の奇襲で俺を含めた全員が重傷を負っていた。むしろお前は俺たち全員の仇を討とうとしたんだ。褒められてもいいくらいだろう」


「ごめん、話についていけない。けどそれ、もしかして運転手さんの話?」


 津田守梨が話していた服部平蔵なる人物は、どうやら死んでいないらしい。

 多田良心が両手で抱えている兜のカーくんに視線を向けると、「俺にたいした情報は詰まってねえよ。本体に聞け」と言われてしまった。

 能見の話をそのまま信じると驚くべき真相が見えてきてしまうのだが、正直なところ勇吾はいっぱいいっぱいだった。これ以上の『真実』を頭に流し込まないで欲しい。さすがに処理しきれなくなる。


「お前が埋めた死体。後で掘り返してみたが、消えていたぞ」


「それって」


「その服部平蔵に関してはわたくしの方でも調べを進めていました。これまでのループで何度か不自然な妨害を受けたことがあり、その気配の薄さからおそらく『夜刃ナイトブレイドタカオ』と同格の存在と推測できます。カヅェルの配下となって暗躍していたのだとすれば、今回も同じ状況のはず」


 オリヴィアの言葉に対して、能見鷹雄は顔の前で拳を握った。


「あちらは俺に任せてもらおう。雪辱戦の意味もあるが、それ以上に表側であれだけの人数を巻き添えにするような蛮行、はっきり言って不快極まりない。大量の木の葉に隠したターゲットが誰だったのかも知りたいしな」


 能見は珍しく怒りの感情を見せていた。

 いわゆる『堅気に手を出すことが許せない』タイプなのかもしれない。

 勇吾はとりあえずその情報を頭の隅に追いやり、あらためてオリヴィアに向き直った。本題は別にある。


「それで、オリヴィアさん。ここは破滅回避のための試練、って言ったよな?」


「ええ、『未来審判紀ドゥームズデイ・ブック』の『縛り』についてはお話しましたね?」


「『悪役令嬢になる能力』だっけ。破滅を回避すれば主人公になれるとか」


 オリヴィアの説明では、『破滅A』が訪れるより前に『破滅B』を自分の運命に挟み込み、『破滅A』の到達を先延ばしにする防御手段ということだった。

 更に自分で設定した『破滅Bを回避する』という『縛り』を達成することで、『破滅を回避した悪役令嬢ものの主人公』となり、その力で『破滅A』も打ち破る、というのがおおまかな内容だったはずだ。


「わかりやすく喩えるなら、現状だと魔人ブウに勝つことができないので、精神と時の部屋で修業をしたりフュージョンを習得したりして勝ち目のある状態にする、ということですね。この異世界は時空から切り離された修行部屋のようなものです」


「う、うん。なるほど? よくわかんないけどわかった」


「ですが大きな問題が。フュージョンは繊細な技術。少しでも扱いを間違えば融合が失敗し、破滅を回避するどころではなくなってしまいます。わたくしたちはいま、『はっ!!!』のあたりで微妙に息が合わない状態です。つまりオリヴィア」


「待った待った、そのたとえ話やっぱわかんないから普通に話して」


「むう、また遮られてしまいましたね。ユーゴさんにはそういうところがあります」


 映像の向こうでぷくりと頬を膨らませるオリヴィア。

 勇吾は心を鬼にして無視した。


(可愛い顔してもダメなものはダメだ。甘やかすのはよくない)


「勇吾さんがそう仰るなら、もう少し平易な言葉でお話しましょう」


「そうして欲しい。ここ、委員長いないから解説してくれる人いないんだよ」


「はーい、良心ちゃんはドラゴンボールわかるよー!」


「あー、じゃあ後で説明してくれる?」


 有名作品の存在は知っていたが、勇吾自身は詳しくない。かなり前、家のテレビで横目に見た記憶がぼんやりとあった気もするが、当時はそんなに関心が持てなかったのだ。そもそもあまりよく覚えていない。

 勇吾はだんだん頭が痛くなってきた。

 残酷な真実が明らかになり、今はかなりシリアスな空気になっていたはずなのだが、放っておくと際限なく脱線していく。


(俺が意識してきちんと話を前に進めないと)


「それで、オリヴィアさんは元の世界で破滅を回避しようとしたんだよな?」


「ええ。ですがこの方法には欠点があります。それはわたくしが持ちうる可能性ではどうやっても破滅を回避できない場合には無意味だということ。どんなに素晴らしい主人公として覚醒したとしても、わたくしがわたくしである限り、あの世界で破滅を回避する方法はなかったのです」


 オリヴィアの破滅回避方法は、『自分が強くなれば破滅を乗り越えられる』という前提に基づいている。だが、人間である以上は必ず限界が存在するのだ。物凄い腕力があっても地震を止めたりはできないし、どんなに機敏に動けても落雷を回避することは不可能だ。しかし、それでも彼女は生きるために足掻いた。


「元の世界では回避不能ってことは、違う世界なら助かる方法があるってコト?」


「その通りです。わたくしは異なる世界でなら蘇生ができると信じ、魂だけの状態でこの世界槍を起動しました。わたくしに付き従って死んでいった多くの魂、すなわち分家の者たちと『戴冠神殿』に属する者たちを」


 そして、この世界槍はオリヴィアにとっての『破滅B』となった。


「異世界から死者の魂を召喚するのは、わたくしとその世界との間に『縁』を結び、魂の通り道を作り出すため。そしてこの世界槍が『死者復活の儀式場』として成立していることを利用したからです。最下層の試練を乗り越えれば、わたくしもあなたたちも蘇生の可能性が生まれる。本来なら、わたくしたちは協力できるはずでした」


「今はそうなってないよな。俺たちを利用してる」


「足りなかったのです。魂を異なる世界に呼び出したり送り出したりするだけなら、わたくしの召喚術で実行可能でした。しかし、ルールの違う世界にわたくしの魂を適合させるためには莫大なリソースが必要であることが判明したのです」


「リソース。それを手に入れるために、『指標インジケータ』が必要だったのか?」


「はい。問題解決のため、わたくしと配下の五神官たちはそれぞれに研究を始めました。『破滅回避』『肉体変身』『異世界召喚』『物質憑依』『取り換え子』、そして『魂の融合』。さまざまな方法を探るうちに、幾つかのアプローチを組み合わせた方法がどうやら上手く行きそうだということが判明しました」


 細かい理屈はともかく、勇吾はなんとなく続きが予測できた。

 この世界を破滅させても戴冠神殿が欲しがったもの。

 それはどんなに強い転移者であっても太刀打ちできないほどの巨大なエネルギー。

 勇吾が受け継いだ記憶で見た、果ての無い闇。


「答えは『ザマミロー』でした。最も深い第五階層に広がる『破滅の墓底』。すなわち、全階層に存在する『ざまぁの墓場』と次元を超えて繋がった奈落の住人たちの怨念を利用するのが最も効率が良かったのです」


「あれって、いったい何なんだ? 破滅していった俺、だけじゃないよな?」


「呪いと人の魂の融合体、とでも言うべき存在です。研究の過程で副産物として誕生した、予定外の合成獣キメラたち」


 偶発的に生まれたものであるなら、戴冠神殿も完全に制御できているわけではないのかもしれない。カヅェルの迂遠な挑発や洗脳のことを考えると、手探りのまま勇吾をザマミロー化させようと試行錯誤している、という状態なのかもしれない。


「わたくしたちが最も期待していた研究は『魂の融合』でした。縁を結んだ異世界人の魂と結びつき、新たな人物として生まれ変わる。わたくしという異世界人は、そちらの世界では異物でしかありません。しかしその世界で生まれた魂に転生してしまえば、その問題は解決されます」


 その場合、結びついたその世界の人はどうなってしまうのだろう。

 もっと言えば、それは『元のオリヴィア』と言えるのか?

 倫理的に問題がないのか、そもそも生き返っていると呼べるのか、色々と疑問はあったが、ひとまず勇吾は続きに耳を傾けることにした。


「元来、異質なものを結び付けるおまじないは、クロウサー家に伝わる禁忌でした。ですがエジーメの血族はその伝承と研究を担っており、わたくしたちは未完成の秘術を完成させようとして、四段階のうち二段階目まで到達しました」


「半分ってことは、最後まで行ってない?」


「はい。段階としてはフルクサス、ニグレド、アルベド、ルベド。いえ、待って。これだとわかりづらいです。ユーゴ、さんにもわかるように、ええと」


 急にオリヴィアは渋面を作り、頭痛を堪えるようにこめかみを抑えた。

 それから息を整えて、何事もなかったかのように話を続ける。


「失礼しました、勇吾さん。秘術の四段階の話でしたね。青化ミックス黒化キメラ白化コンパウンド赤化リレート。わたくしたちの研究は、魂を不完全な形で融合させた『黒化キメラ』の段階で停滞したのです」


 オリヴィアの説明によれば、最悪の形で失敗したその『禁じられたおまじない』は使用した対象をどろどろの青い液体と混ざりあった失敗作にしてしまうが、ある程度の『指向性のある強い意思』があればそれなりに安定した生命を生み出せる。それは多くの場合、闇のように黒い怪物として現れるのだとか。

 彼女たちはその先、理性ある人格が成立し得る第三段階にまで至ろうとしたが、そこで止まってしまった。その結果、研究途中の副産物として『怪物』が生まれてしまったという経緯があったわけだ。


「筆頭神官のキルディールはこれを一定の成果と認め、候補としておりました。『指標』は呪いによってザマミローを生み出すため、キルディールの研究材料として『ざまぁの墓場』を通じて最下層に集められていった。その後、しばらくはそれぞれが研究を進めていました。ある時までは」


「ある時?」


「とあるひとりの『指標』を『ざまぁの墓場』に沈めてザマミロー化した際に、劇的な反応が得られました。そうして生まれた『特別なザマミロー』が生み出す呪いはこれまでの比ではなかったのです。それこそ、研究が不完全なままでも異世界への到達が可能になるかもしれないほどに」


「それって、つまり」


 勇吾は息を呑んだ。

 ザマミローの利用価値はこれまでそこまで大きなものではなかったのだ。

 だがその常識は覆されてしまった。

 閉塞した状況を変えるのは、多くの場合は外部要因だ。


「それが天川勇吾、あなたです。キルディールはあなたという存在から生まれ落ちる呪いをメインプランに据えた。それが『キングザマミロー計画』」


「なんで、俺だけがそんな」


 よりにもよって、天川勇吾は勇者であり、悪役であり、そして特別に巨大な呪いのエネルギーを生み出す存在だった。

 理由に心当たりなどはない。何かのフィクションじゃあるまいし、選ばれし主人公とか特別な出生とかいうこともないはずだ。

 不思議に思っていると、近くで聞いていた瀬川莉子がおずおずと声をかけてきた。

 

「あのね、天川。実はニュースの件、全部は見せてなかったんだけどさ」


 限定的な形ではあるが元の世界に帰還できる彼女は、再び携帯端末を取り出して画面を見せてくれた。

 先ほどとは違うニュース記事だ。

 目を通すと、大量死を招いたバスの事故についての続報が載っていた。


「これね、死者が四十一人で、意識不明の重傷が一人ってなってるの」


 生徒が四十人。教師が一人。バスの運転手が一人。その中に例外がいる。

 勇吾は、呆然とその『例外的な生存者』を認識した。

 彼は今も意識が戻らないまま、病院で眠り続けている。

 オリヴィアはそんな勇吾に申し訳なさそうな表情を向けながら言った。


「これまでは召喚した転移者たちに命が助かる可能性にかけるかどうか、取引を持ち掛けることもありました。召喚者のことや『指標』のこと、呪いである『ざまぁエネルギー』のことは伏せたまま。そうして生まれたザマミローは弱く、研究は停滞していました。ではより強力なザマミローを生み出すにはどうすればいいのか? その鍵は、『生きた指標』を作り出すことだったのです」


 淡々と語られる研究プロセス。

 それはあまりにおぞましく、残酷な所業だった。

 犠牲者が自分であることを考えればなおさら。


「命という特権。可能性を有した者に対して、人は強烈な憎悪を向けることができる。妬み、嫉み、飢え、不幸を願う。一点に凝縮された呪いと怨念は反転し、キングザマミローの資質を持った強いザマミローを生み出します」


「俺だけが、生きている。だからずるいって?」


 いままでずっと、どうして自分だけがこんなにもひどい目に遭うんだろうと思っていた。しかし死者だらけのこの世界で、事情は全く逆だったのだ。

 勇吾は持てる者だった。

 勇吾だけが、誰よりも恵まれていた。

 どんな転移者よりも傑出した、選ばれし勇者。

 スポットライトの下で活躍できる主人公。

 当然だ。死者にそんな権利はない。不運にも命を落とし、何もできずに終わり、誰かに何かをしてあげることもできない。

 命ある者だけが可能性を持つ。


(このクラス転移で、俺だけが)


「こんな簡単なことに今まで気づけなかったのは、大量死におけるわずかな生存者という事例の少なさ、更にその生存者が『指標』としての資質を兼ね備えていることが珍しかったからでしょう。どちらかだけならともかく、両方というケースは一億に届くほどの試行回数を重ねて初めて巡り合えた幸運なのです」


 世にも稀な幸運。

 能見鷹雄の言葉が正しければ、明確な殺意に襲われてなお勇吾は命を拾ったということになる。それはもはや奇跡と呼んで差し支えの無いレアケースだ。

 勇吾の魂が、クラス転移によって異世界に囚われていなければの話だが。


「謝罪すべきこと、というのはつまりこのことです。わたくしは、助かるはずだったあなたの魂を危険に晒し、苦しめ続けている」


 それがオリヴィアの罪。

 死せる召喚者として、多くの死者を巻き込んだことだけではない。

 死者が生者の足を引いたこと。暗い逆境の落とし穴に突き落とされた者たちが、助かるために光の中に生きる者を引きずり下ろすという悲劇。

 『ざまあみろ』という、暗い衝動が内包する根本的な罪深さを勇吾は知った。

 そして、そのどうしようもない切実さも。


「勇吾さん。あなたにはわたくしを憎む資格がある。いいえ、そうすべきです」



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