第二十四話 愛とか恋とか勇気とか
天川勇吾にはオリヴィアを憎む理由がある。
助かったはずの命を脅かされたこと。
数々の破滅を押し付けられたこと。
そして、真実を全て隠していたこと。
罪悪感が滲む口調で、オリヴィアは静かに過去を追想する。
「我が軍を襲った破滅は巨大なものでした。往々にして戦争とはそのようなものですが、あれはあまりにも無常な死だった。わたくしはそれがどうしても許容できなかった。いいえ、それも取り繕った言葉ですね。この期に及んでまだ自分の事ばかり」
どんな理由があろうとも、それは言い訳に過ぎない。
だが取り繕ったような言い訳にだって、真実は含まれている。
家の中でさえ自分を取り繕い続けている勇吾はそう考えていた。
「わたくしは、ただ死にたくなかった」
誰もがそうだ。だから勇吾は破滅を押し付けられた。だからクラスメイトたちは非情な道を選んだ。全ての死せる転移者たちが、同じ理由で悲劇を繰り返している。
破滅をどうにかして回避したい。
それはあらゆる命が持つ根源的な欲求だ。
気持ちが理解できるからこそ、勇吾は慰めのような言葉を口にする。
乱れた内心を取り繕うように、優しい表情で。
「オリヴィアさんは考え直したじゃないか。死が目の前にあれば誰だって必死になる。極限状態じゃ普段の理性が働かないのは仕方ないと思うよ。大事なのはその後だろ。冷静になって、より良い道を探そうとした。そのおかげで俺は助けてもらえたんだ。それはオリヴィアさんのいいところだと思う」
綺麗な言葉。まるで立派な貴族令嬢として振る舞うオリヴィアのようだ。
誰もが認める優等生。『天川勇吾はできる奴だ』というパブリックイメージをなぞるような薄っぺらな言動だった。
お互いに気付いている。二人はそういうところが似ていた。
薄く笑うオリヴィアは、少し疲れて見えた。
「わたくしも、最初からそういった考えだったわけではありませんよ。一人の女の子に出会って考えを、いいえ。人生を変えることにしただけ」
「いい出会い、だったんだな」
ありきたりな相槌だったが、オリヴィアは嬉しそうにはにかんだ。
思い出を抱きしめるような語り口。彼女はその出会いを愛おしいと感じている。
「わたくしとは正反対の性格で、気質もちぐはぐで、けれど不思議と惹き付けられる人でした。勢いまかせでお調子者で、そのくせ繊細な所もあって。追い詰められて、足りない実力を補うために危険な
「それお転婆の一言で片づけていいやつ?」
「そして愛する人や大切な家族のために我が身の犠牲を厭わぬ人。なにより、善いことのために全力を尽くせるきれいな心をした女の子でした。わたくしは、彼女と出会って傲慢な己の在り方を見つめ直すことができたのです」
看過できないタイプの短所を強引にスルーして、オリヴィアはひとりの少女を褒めちぎった。勇吾はちょっとどうかと思ったが、とりあえず話の続きを促す。
「それなのに、今もわたくしは己のエゴで動いてしまっている。わたくしが口にした綺麗なお題目は全て虚飾に過ぎません」
勇吾は、オリヴィアは高貴な者としての責任を果たすべく、己の誇りをかけて正しいことをしているのだと思っていた。
それはきっと嘘じゃない。召命の神殿から助け出されたあのとき、彼女を美しいと感じたことは間違いではなかったはずだ。
けれど、オリヴィアの誇りは己を赦しはしないのだろう。
「戴冠神殿の計画はわたくしだけしか救わない。それが、どうしても嫌でした」
剥き出しの本心。
オリヴィアという、ただの少女が胸に秘めていた感情。
それは高潔な精神とは程遠い、当たり前の恐怖でしかなかった。
「結局のところ、わたくしは家族たちが誰も救われないことが怖いだけだった。誰もがわたくしさえ生き延びることができればいいと己の命を投げ出してしまう。キルディールおじさまも、フィエルバおばあさまも、アクちゃんも、カヅェルも、トルフィも。神殿に仕える血族の誰もが」
キングザマミローの持つ膨大なエネルギーは闇の力だ。
全てを破壊しつくす呪いと怨念。
それはオリヴィアを異世界に送り届けた後、この世界槍すべてを砕いて終わらせる。そうして誰も残らない。彼女を守ろうとしたカヅェルたち戴冠神殿は、大切なお嬢様を救うためなら己の死など怖くはないから。
「わたくしは、皆が死んだ後、ひとりで異郷の地に放り出されるのがこわい」
震える声。不安と孤独。
それは、当たり前の愛情が失われるかもしれないという恐怖だった。
(ああ、それなら知ってる)
勇吾が最後に泣いた日。
常に彼の手を引いてくれた人が離れていく瞬間の恐怖。
生まれた時から自分を抱きしめてくれていた愛が失われる空虚。
遠い記憶の中、自分よりもずっと大きな声で泣く子供の姿を見て思った。
誰かの涙を止めるためには、自分が泣いていてはいけないのだと。
(オリヴィアに、俺は何をしてやれるんだろう)
勇吾は想像する。
大切な人たちが大勢死んで、ひとりだけが生き残ってしまった世界のことを。
病院で目覚め、家族や学校の関係者が訪れる過程で事故のことを知り、日々を共に過ごすのが当たり前だと思っていたクラスメイトたちの不在を実感できないまま退院して、学校に通い始める。新しい友達と過ごす、配慮に満ちたあたたかな日常が始まるのだろう。それはきっと、慣れてしまえば楽しい日々のはずだ。
(こういう時って二組に組み込まれるのかな。竜太の家に行って借りてたものとか返して、みんなの墓参りとかも当然するよな。大地は津田さんがいなくなって落ち込んでるだろうから、こういう時こそフォローしないと。部活のみんなにも心配かけてごめんって言って、ショウ先輩とかカズとかと話し合って復帰のタイミングも、ああでも、怪我の後遺症とかあるのかな。いっそのこと車いすになってたらどうだろ。大地と一緒にまたバスケすんのもいいかもしれないし)
想像は膨らむ。順当に、何事も起こらずにいた場合の現実。
オリヴィアによって魂を召喚されなかった、もしもの世界。
そこで勇吾は、きっと破滅の苦しみとは無縁な平和を享受していただろう。
揺るぎない幸福がそこにある。
もう埋めることのできない欠落を抱えながら過ごす、かけがえのない日常が。
(父さんと母さんにちゃんと心配かけてごめんって伝えて、もう大丈夫だってとこ見せないと。そうだ、お母さんにもちゃんと)
それは瞬く間の空想だった。
脳裏を様々な人の顔が過ぎり、来ては去っていく思い出たち。
家族の記憶に刺激されて、ふと思い出す強烈なエピソードがあった。
それは中学時代の出来事だ。
ある日のこと。
帰宅した勇吾が着替えてから
久々に天川家にやってきた彼女はこちらを見るなり嫌そうに顔をしかめて、失礼極まりない態度でこんなことをのたまった。
「うわ最悪。居るなら部屋から出てくんなよ」
露骨な舌打ちに対抗して、勇吾は外では絶対にしない舌打ちで返した。
「いやここ俺の家だし。つーか来るならチャイム鳴らせアホ」
「うっせーな友達連れてきてんだよ。ごちゃごちゃ抜かしてないで部屋に飲み物とかもってこいや。あたしメロンソーダアイスティー。シオリンも同じのでいいよね?」
急に声のトーンが激変し、可愛らしい声と『同じガッコの男子にモテまくり勝ちまくり(本人談)』という甘い微笑みを隣の女子に向ける
花鶏と同じ中学校の制服を着ており、つまり勇吾にとっては見知らぬ他校生だ。
会釈したものの、今さら取り繕った笑顔を作るのも妙な気がして対応に迷う。
さいわい、相手はあまり気にしていない様子で淡々と受け答えしていた。
「おかまいなく」
それはそれとして、勇吾は大いに困惑していた。
花鶏がこの家に友達を連れてきたことは記憶にある限りない。
当たり前だ。ここは天川家であって薬師寺家ではない。
花鶏はずっと父親と上手くいってないらしく、その影響で母親とも喧嘩しがちだった。そのたびに家にやってきて、時には泊まり込んでいくのでもう恒例行事ではあるのだが、今回はどうも様子が違った。
(あんまりキレてる感じないけど、でもここに友達連れてくるかぁ?)
「いやお前、友達って」
こいつは一体、この家のことをなんて説明しているのだろう?
「いーの。シオリンはなんでも話せる親友だからっ」
ずかずかと勝手知ったる勇吾の家を闊歩する花鶏と、その隣でぺこりと頭を下げる大人しそうな女子。すとんとした長い黒髪とマスク、澄ました感じの雰囲気。
その時は、さして強い印象を受けたわけではなかった。
当時の勇吾には彼女がおり、他の女と話したら報告することを義務付けられていたからなるべく興味を持たないようにしていたというのも大きい。
(まあアトリはノーカウントだからいいとして、あの子についてはどう報告すりゃいいんだ? 黙っておく? なんかめんどくさくなってきたな)
花鶏とその友人はさっさと自室に向かっていく。
勇吾は溜息を吐いた。
注文が面倒だが、無視すると後がうるさい。
グラスにメロンソーダとアイスティーを注ぎ、均等な割合で混ぜていく。あのアホは小学校時代にドリンクバーで飲み物を混ぜることにはまって以来、この家ではずっと変な混ぜ方をした飲み物を愛飲しているのだ。
お盆に飲み物を乗せて持って行く。
(薬師寺家だとそういうことすると怒られるんだっけ)
そのあたりもこちらに入り浸る原因になっているのかもしれない。
勇吾は自室の隣にある薬師寺花鶏の部屋をノックしてから入る。
(そもそも、俺の家にこいつの部屋がずっとあることがおかしいんだよな。残しておく父さんも甘やかしすぎ。母さんも複雑だろうに)
花鶏はクローゼットの中を物色していた。彼女は自宅に入りきらなくなった数々の衣服や飽きた趣味のグッズや本や漫画などをまとめてこの部屋に置きっぱなしにしており、室内はたいへん散らかっている。
見かねた勇吾が少しでも整理しようとすると『変態! 死ね!』と蹴りを入れてくるから手は出さないようにしているが、それにしても汚い。
「せっかく来てもらったのに、散らかっててごめんね」
「いえ、アトリンらしいなって。私、少し片づけます」
「おいユーゴ! お前シオリンがすーぱーくーるびゅーてーな上に清楚可憐な激カワびしょーじょだからってうっかり惚れるんじゃねーぞ!」
「やめなよアトリン、困ってるでしょ」
勇吾は二人を見比べて不思議に思った。
『どうしてこんな出来た子がアホアトリの友達なんだろう』と。
しかし親密そうなあだ名で呼びあっているし距離も近いように感じる。
ただでさえ距離感がおかしい花鶏は人間関係で事故をおこしがちだ。
(女子の友達とか、なんか喧嘩別れしがちなんじゃなかったっけ)
花鶏の容姿は勇吾の目から見てもかわいらしい。
毛先がワンカールされたショートボブに、ややきつめながらぱっちりと大きな目。眉間から流れていく鼻先と顎までの三角形は均整がとれており、全体の印象としては『小柄でかわいい』なのに、近くで観察すると『スタイルのいい美人』になるという不思議な容姿である。
(本人が言うには、クラスで二番目か三番目くらいの美人と評判らしいけど)
謙遜なのか自慢なのかわからない。
基本的に明るく気やすく、隙がありそうでやたらと話しかけてくる。
飽きっぽいが多趣味で話題も広く、スポーツでも動画でもテレビでもオタク趣味でもなんでも手を出すから人の輪の中に自分から突っ込んでいくことも多い。
そのため、最初はそれなりに上手く行くことも多いんだとか。最初は。
花鶏の自慢話によると、数多くの男子が『たぶん俺のことが好きだよね』『実はかなりかわいいよな、気付いてるの俺だけだと思うけどさ』『俺は別にそんなに好きじゃないけど好かれて悪い気はしないから付き合ってもいいけど』という感じの事を言いながら告白してくるらしい。そのたびにキレて振っているようだが。
『お前それ、舐められモテだよ』
という指摘をしたところ股間を蹴り上げられたが、そういう苛烈な性格もあって男子にも女子にも親友と呼べるような存在はいなかったはずだ。
その花鶏が、親友を家に連れてきた。これはちょっとした事件だ。
「警戒しなきゃダメだよシオリン。こいつ性欲魔人のヤリチンクソ野郎だから」
「そう、なの? そんな風には見えないけど」
それはそれとして、あることないこと吹き込むのはやめてほしかったが。
「中身は最悪。こないださあ、こいつあたしがこの部屋に来てるのに隣に女連れ込んで盛ろうとしてさー! マージでゲロキモかったから壁キックしてやったわ」
「最悪なのはお前だよボケアトリ。母さんにバレたくないからって靴隠すのやめろ。俺が気付けないだろうが。あの後、修羅場っぽくなって今の雰囲気もすげえギスってるからな。別れることになったらお前のせいだぞ」
「ざまぁー! 超ざまぁー! わーかれろ! わーかれろ!」
花鶏は心底から嬉しそうだった。
勇吾に何か不幸なことが起きるたび、この女は『バカユーゴさんの不幸で今日もメシが美味い!』とか『ユーゴにザマミロって言ってる時だけ生を実感できる』とか最悪な言動で喜びを表現するのだ。近頃の勇吾は彼女が出来て楽しそうにしていたので、花鶏はずっと不機嫌そうにしていた。日頃の鬱憤を晴らすように『ざまぁ』を連呼する花鶏の前で拳を握りしめる勇吾。
「このクソボケ、友達がいなかったら殴ってるからな?」
「うーわDVクズ引くわー、帰ってくださーい、野蛮人とは一緒にいたくありませーん! おら出て行かねえと金的かますぞコラ」
膝裏を狙った下段蹴りで追い出された勇吾は釈然としない感情を抱えたまま自室に戻るが、なにしろ隣だ。アトリの大きな声はそれなりに響いてくる。
(隣の部屋がうるさくて勉強に集中できねえ。マジであのバカいっぺんしばくか)
しばらくして我慢できなくなった勇吾は少し注意してやろうと隣の部屋に赴く。
そこが分岐点だった。
勇吾の人生は、そのときに一変した。
三十九回目の破滅でキングザマミローが顕現したのはこの瞬間が原因だと言っても過言ではない。全てはここから始まったのだ。
「おいバカアトリ、お前ちょっと声のボリューム下げ」
扉を開けた勇吾の言葉が途切れる。
そこには、制服から着替えた二人の女子の姿があった。
おそらく、互いに服を着せ替えて遊んでいたのだろう。
花鶏はキュロットスカートにオフショルニットという勇吾も見たことのある格好。そこまではまあいい。可愛いと言えば可愛いが見慣れている。
問題は、シオリンと呼ばれていたクールな少女の服装だった。
(甘っ)
意外なチョイスだったが、花鶏のチョイスなら天才すぎるし本人の趣味なら鬼才にも程があった。量産型というのだろうか。彼女の着ていた服はピンクホワイトを基調にしており、フリルといいブラウスといい全体的にやたら甘めだった。その上、リボンはやや多すぎたし膝上のニーハイソックスは足の長さを強調していたし落ち着いた当人の雰囲気を大きく裏切りつつも絶妙な愛らしさのギャップを生み出していた。更には小学校を出たあとの女子がしているツインテールの髪型は勇吾が知らないタイプの衝撃をもたらす。周囲の女子が絶対にしない、彼の世界から消えたはずの奇跡。
「ごめんなさい、うるさかったですよね」
目が合う。愛らしい恰好を自然体で着こなしながら、平然とこちらを見返す目はさきほどまでと同じ、冷静で落ち着いた感情を宿している。
堂々と、凛々しく、澄ましていながらベタベタに甘くて愛らしい。
そんな矛盾を、勇吾は生まれて初めて目の当たりにした。
「あ」
そのとき、勇吾の世界は爆発した。
「うわっサイアク勝手に入ってくんな変態!」
花鶏が何かを言っていたが覚えていない。
その日から勇吾の思考は『シオリン』と呼ばれていた少女の姿で埋め尽くされた。いつの間にか彼女には振られていたしチャンスと見た女子に告白されたり周囲で竜太が妙な立ち回りをしていたが全部どうでもよかった。
それから花鶏が彼女を連れてくるたびに人生の全てが華やいだ。
『なにお前、やっぱシオリンのこと好きだったん? はーキモ。クラスの節穴男どもと違って見る目あるけどマジでキモ。もー、しかたねーなー』
進学先の高校が一緒になった時、全人類の中で一番幸福な気持ちになった。
実は勇吾を年上だと勘違いしており、そのことについて謝罪されたあと気安い口調になってくれた日の夜は一睡もできなかった。
『修学旅行が勝負だかんな! もう二度とビビるなよバカユーゴ!』
花鶏の協力を取り付けた後の勇吾は無敵だった。
この世の全てが順調に思えていた。
『ダメだったら死ぬほどざまぁしてやるから安心しろ! ま、ひととおりザマミロぶちかましたら慰めてやってもいいけど』
それは幸福な記憶で、忙しなく通り過ぎていく幸せな日々。
お互いをバカとかアホとか罵り合いながら作戦を考える、幼い頃の関係性を取り戻すような楽しい時間。
『これだけ約束しろ。シオリンの前ではいつものペラ笑いで誤魔化すのやめるって。あと変に諦め良くなんのもダメ。あのコけっこう手強いし素直じゃないから、ストーカーにならない程度に食い下がるのも大事だぞ!』
思い出すのは、美しい彼女の顔よりも悪戦苦闘した記憶や頭にくるどっかの馬鹿の顔が多いような気がするが、それでも勇吾にとってそれは大切な希望だった。
『悪いけど、あなたに興味無いの。さようなら、勘違い勇者さん』
本当の破滅は、結局のところあの最後通告から始まったのだ。
それは世界を終わらせる一撃。
勇吾の全てはあの瞬間、闇に沈んだ。
(諦めたく、ないな)
それは多分、愚かでみっともない本心だった。
たったひとりで生き残りたくない。
オリヴィアの気持ちはよくわかる。
それも間違いなく勇吾の中にある気持ちで、綺麗にラッピングすればオリヴィアへの共感を示す優しい言葉になるのだろう。
(嫌だ。受け入れたくない。旗野さんがあの男になんて)
結構な割合で欲望が混じった、他人にはお見せできない感情が勇吾にもある。
蘇った記憶と衝動が、胸に熱いものを呼び起こした。
それはきっと愛とか恋とか勇気とか、そういう綺麗なものであり。
同時に、もっとみっともなくて恥ずかしい『そういう衝動』だった。
「オリヴィアさん。俺は、ひとりきりになりたくないっていうその気持ちが、誰よりもよくわかるよ」
もっともらしい表情を作りながら、勇吾はそれっぽいことを言った。
過去最高の完成度。悲しみと共感とわずかな決意が混ざり合った表情。
勇吾は優しさと勇気を偽装しながら、『自分は女好きの竜太とは違う』という演技で己を美しく見せた。最初から、勇吾はそういうことをしてばかりだ。
ついでに言えば、竜太と友達でい続けることができたのはそういう自分を自覚していたからなのだと、今さらになって思う。
「だから、俺は恨みごとなんて言わないよ。この世界には人を生き返らせるっていう希望がある。それなら俺は、皆で救われる道を選びたい。それがどんなに難しくて、わずかな可能性だとしても」
運命を変えたい。
決定的な死を。
失われた愛を。
覆せない喪失を。
「先生から受け継いだこの魂にかけて。俺はかませ勇者としてじゃなく、本当の意味で勇者になって戦いたい。みんなを、いや、全ての人を救うために!」
当たり前の日常を取り戻し、好きな子に振られるという現実を覆す。
そんなつまらない動機に突き動かされて、勇吾はお綺麗なお題目を口にしながらオリヴィアの前で堂々と大嘘を突き通した。
よりにもよって、己の嘘を恥じて打ちひしがれる彼女の前で。
最悪なことをしている自覚はある。
だからどうした、と勇吾は思う。
そういう嘘つきが自分だ。それをずっと肯定し続けてきたのが自分だ。
嘘であっても、その中に真実があると信じているのが、天川勇吾という人格だ。
「オリヴィアさん。俺たちは対等な同盟関係だ。互いにどんな事情があったとしても、立場が違っても。目的が同じなら共闘できる。そうだったよな?」
芝居の一幕のように手を差し伸べる。
遠くにいるオリヴィアにも伝わるように。
呆気に取られていた彼女は少しだけ迷って、けれど最後には決断した。
「いつの間にか、すっかり勇者役が板につきましたね」
それは苦笑交じりの降参宣言だった。
映像の手が勇吾の手と重なり合う。
触れ合わない触れ合い。
そうやって二人は意思を重ねた。
勇吾の純粋で真っ直ぐな思いに心を打たれた女子たちは目を潤ませて感動しており、颯は首に手を当てながら仕方なさそうに笑い、竜太は勇吾の肩を掴んで『一緒に帰ろうな』と号泣していた。
(うーん、我ながらしょーもな)
普段は自分の性格さえ偽っているから意識しないだけで、ふたを開けてしまえばこんなものだ。天川勇吾は勇者でも王子様でもない。四六時中好きな女子のことで頭がいっぱいの、そのへんにいる男子高校生でしかなかったというだけの話。
開き直ってしまえばあとは楽だ。
そうしたいからそうする。
作り上げた笑顔に綺麗な理由がくっついてくれば周囲とはうまくやれるだろう。
生き方なんて急に変えられるものではない。
これが自分だ。どこまで行っても。
ふと、勇吾は映像の向こうでこちらを見続けるオリヴィアと目が合った。
異世界の少女は、どこか呆れたような表情で誰にも聞こえないほど小さく呟いた。
勇吾にわかったのは、その口の動きだけ。
「ばーか」
オリヴィアも、そんな言葉を言うのかと驚く。
それ以上に意外だったのは、内心を見透かされていたこと。
彼女の方が役者として上手だったということだが、勇吾は嘘がばれたにもかかわらず少しほっとしていた。
オリヴィアに自分を知られていること。
そして、彼女がそれを理解した上で取り繕った言葉を肯定してくれたこと。
それはきっと、彼女の嘘も肯定してくれるはずだと勇吾は思ったのだ。
(オリヴィアのことをきれいだって思ったのは嘘じゃない)
ご立派な理想を語る気高い悪役令嬢のことが、勇吾は好きだった。
恋ではない。愛でもない。
みっともない自分を取り繕った張りぼての嘘。
弱く醜い勇吾とオリヴィアが、前に進むために必要なもの。
それはきっと、勇気と呼ばれるものなのだろう。
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