第二十五話 望まぬ不死と悪意の檻で




「勇吾さん、あなたに謝罪することは二つあると言いました。実はまだもうひとつ、打ち明けなければならないことがあります」


 オリヴィアは罪悪感を滲ませながらそう言った。

 不思議なことに先ほどよりも勇吾に対する申し訳なさは少ないように思える。

 にもかかわらず、彼女は勇吾に心から謝らなくてはならないと信じていた。

 その時、彼女の瞳に宿る感情がぶれる。揺らいで、別の色に変わっていく。


「ですがユーゴさん。わたくしたちにとって、それは絶対に必要なことです」


 矛盾した感情がそこにある。

 オリヴィアは、それを罪と感じながら後悔はしていない。

 正しくなくても、やるべきだからやった、とでも言わんばかりだ。


「その件について、全てが終わった後に話すことを許して下さい。いまそれをお話すると、ユーゴさんの演技に、舞台の進行に差し支える可能性があります」


 ある意味では開き直りにも近い態度。

 先ほどとはうって変わった態度に疑念を覚えないと言えば嘘になる。

 この期に及んで隠し事があるということの不誠実を責めることもできた。

 だが勇吾はそうしなかった。

 オリヴィアと戦うと決意したから、ではない。

 『まあ、仕方ないから許してやるか』と思ってしまったからだ。

 どうしてそんな気持ちになったのか、よくわからなかったけれど。


「わかった。それでいい。どの道、もうやることは決まってる」


 覚悟は済んだ。あとは動くだけだ。

 オリヴィアは神妙な顔で勇吾に呼びかける。


「ユーゴさん、すぐに動く必要があります。おそらく、近いうちに聖女マモリはカヅェルと交渉の場を設けるでしょう。あなたを拘束したということは、異世界からの召喚で戴冠神殿と交渉する計画は開始まで秒読みだったのでしょうし」


 勇吾たちが逃げたことに気付けば、守梨は躍起になって捜索を開始するだろう。

 肝心の生贄がいないのでは交渉もなにもない。

 逆に津田守梨が窮地に追い込まれることもありうるかもしれなかった。それはオリヴィアにとって本意ではない。


「いや、その心配はないと思う。あの時、津田さんには別の狙いがあったように思うんだ。もちろん、全部が嘘じゃないと思うけど」


 だが、勇吾はその危惧を否定した。

 彼は津田守梨とのやりとりを思い出しながらこの先の道筋を予想していく。


「俺の考えが正しければ、津田さんの行動にオリヴィアの狙いを合わせることができるかもしれない。それには準備が必要なんだけど」


 勇吾は周囲を見渡した。頼めば友人たちは力を貸してくれるだろう。

 もうその信頼は揺るぎない。だが、果たして自分はこれをきちんと伝えることができるだろうか? 全てを打ち明けたら、彼らは自分を信じてくれなくなってしまうかもしれない。その危険性すらある作戦だった。

 迷いはある。恐れもある。現時点の覚悟と、実行に移せるかどうかは別問題だ。


「本物のカヅェルと向かい合った時、『ざまぁの墓場』から全てのザマミローが出てきたわけじゃなかった。前回は世界全てを埋め尽くすくらい多かったんだよな? なら、今のカヅェルは全てのザマミローを好きにできるわけじゃない。勝機があるとすればそこだ。オリヴィアさん、カーくんにやったこと、もう一回できるかな?」


「ええ。ですが、消耗しているわたくしだけでは力不足です。あと一手、何かあればと思うのですが。ユーゴさんには勝算があるのですか?」


 狙いが読めず、不思議そうに問いかけるオリヴィア。

 勇吾は、過去の記憶を思い出していく。

 膨大な与太話。真面目に聞くに値しないと思っていたよくわからない妄想。

 あれは何回目だっただろう。

 その中に混じっていた他愛ない会話。

 『できたらでいいから探しておいてほしいもの』というオリヴィアからの頼まれごとを、勇吾は幸運にも覚えていた。


「オリヴィアさん。例のポイントだけど。津田さんはいま、七点だ」


 映像の中で、オリヴィアは驚きに目を瞠った。

 それから、闇の中で希望を見つけたかのように瞳に輝きが宿る。


「それは良い知らせを聞きました。今日一番の吉報です」


 勇吾はオリヴィアの意思を確認した後、兜を抱えた少女の方を見た。


「多田さん、じゃなくて多田良さん?」


「りょうしんちゃんだよ? 壊れちゃったと思ってたけどちょっとだけ残ってた人間性、みんなと遊ぶのが大好きな良心ちゃんをよろしくお願いしま~す」


 心あるいは良心ちゃんは、ふにゃっと笑いながらよくわからないことを言う。

 勇吾は時間がもったいないので本人からの提案をそのまま通した。


「良心ちゃん、カーくんと一緒なら刀以外の道具も作れたりする? 魔法のアイテムみたいな感じのやつ」


「できるできる。なんだっけ。大地のろくろ、じゃなくて『秩序成型レイス・オブ・アース』っていうスキルみたいなの。どんなん欲しいの?」


「オリヴィアが持ってたのと同じ、変身できるヘアアイロンなんだけど」


 マジカルヘアアイロンとオリヴィアが呼んでいた、胡乱なアイテムである。

 女児が使う玩具なのか髪をセットする美容道具なのかはっきりとしないものだが、彼女はそれを使って悪役令嬢に変身できる。

 勇吾の狙いを確実に成功させるためには、それがもうひとつ必要だった。


「かわいーやつだ! 朝のやつ~」


「あー、あれな。お嬢に頼まれて作ったの俺だし、同じもん作るくらいわけねーが。そのへんの土と岩がありゃあココロの力を使ってすぐだ」


「じゃあ、悪いんだけど急ぎで頼めないか。たぶん、すぐに必要になる」


 魔法のアイテムなので本格的な設備ではなく『儀式場』のようなものを作る必要があるらしく、急いで準備を進めることになった。

 勇吾たちは友人たちと協力し、周辺で幾つかの材料を集めるために出発する。

 それぞれが話し合いのために使っていた家屋を出て、数人ずつでまとまって作業を始める中、勇吾はもう一人の鍵となる人物に声を掛けていた。


「竜太。それから頼みたいことがある。お前にしかできないことだ」


 中学時代からの友人は、意外そうに眼を見開いてから不敵な笑みを見せた。


「よっしゃ任せろ! できることならなんだってやるよ! トリ吉との連携もけっこういい感じなんだよな。テイマーのスキルならペットを強化したり、爪を鋭くしたり、炎の息を吐いたりとかできるみたいでさ!」


「いや、テイムするのはトリ吉じゃないんだ」


 それから勇吾は、自分の考えを打ち明けた。

 近くにいた辺見颯が珍しくぽかんと口を開いて呆けている。

 目の前の竜太は唖然と勇吾を見つめるばかりで言葉も出ない。

 かわりに颯の方が震える声で言った。


「いや、おま、天川? 本気で言ってるのか?」


「本気だよ。オリヴィアさんのヤバさが伝染しただけかもしれないけど。このくらい無茶なことやらないと、たぶん色々と足りないんだ。だからやる」


 それを聞いていたのは二人の友人だけ。

 竜太と颯は信じられないものを見るような目で勇吾を凝視した。

 その奇策、否。

 奇策と言うことすら憚られる常軌を逸した暴挙は、これまでにあった天川勇吾という男のイメージが根底から覆されるような発想だ。


「ははっ、すっげ。成功したら面白すぎだし、俺もできる限りは手伝うよ」


 堪えきれずに颯が笑うと、つられて竜太も笑いだした。


「だな。お前、それは覚悟が決まり過ぎ。いいよ、やってやるよ。俺も覚悟決める」


「ありがとう。竜太、それに颯」


 何て言うことのない感謝の言葉。特に意識していたわけではなく、それは勇吾の口から自然に出てきたものだった。

 二人は驚いたように目を見開く。あるいは、先ほどの爆弾発言を口にした時よりも新鮮な驚きであったかもしれない。

 颯が口の端を少しだけ持ち上げて、愉快そうに笑う。


「どういたしまして。難しそうな役だけど、がんばれよ、勇吾」


 かしゃんと、小さな音がした。

 誰にも聞こえず、誰も意識していないどこかで。

 破滅の未来と繋がった、架空の鎖が砕けていた。




 時間は無情に過ぎていき、夜は沈んで日はまた昇る。

 そして、その時は訪れた。

 この世界槍に気付かれた架空の文明にも労働の営みと、それを持続可能なものにするための休日がある。様々な神話や宗教を参照して定められた、共通の安息。

 太陽をシンボルとした、サイクルの始まりと終わり。

 日曜日の朝がやってきたのだ。

 誰もが寝ぼけまなこを擦る時間、世界槍によって作られた偽りの朝日が大地を照らしていく。津田守梨は錫杖を手にゆっくりと神殿の外に出て行った。


「おはよう、時間通りだね、カヅェル」


 拘束していたはずの天川勇吾が脱出したという知らせを受けても津田守梨に動揺はない。最初から、彼の友人であった瀬川莉子を完全にコントロールできるとは思っていなかったからだ。人間の感情は不安定なもの。どんなに守梨が策を弄しても、人間の集団を掌握することはできない。

 それでもかまわない。楔は打ち込んだ。情報を開示して構図を明らかにした。

 守梨にできるのはそこまでだった。


「それで、返答を聞かせてもらえる?」


 小柄な少女は神殿の前で浮遊し続ける長身の男と向かい合う。

 見上げるような相手に対して臆することはない。

 後ろに並んだ四人の友人たちが不安そうに守梨を見ている。

 彼女たちの前で、弱い自分を見せることはできなかった。


「お前が連絡してきた『異世界からの召喚儀式』の件だがな。俺らも考えてみた」


 不遜な態度のカヅェルを見た限り、肉体的な損傷はないようだ。

 今井北斗は戦いで彼を打ち負かすことはできなかった。彼のことだから死んではいないのだろうが、転移者の中でも限りなく頂点に近い存在でさえ戴冠神殿には傷ひとつつけることはできない。この事実は重い。

 その絶望と、守梨はずっと向き合い続けてきた。今もなお。


「考えた結果、満場一致で却下だボケ。てめえ俺らの覚悟舐めてんのか?」


 背後で膨らむ不安と悲嘆。同調しそうになる心を必死に抑え込み、守梨は息を整える。予想できたことだ。子供の浅知恵が通じる相手ではない。少し要領がいいだけの自分が増長し続ければ、こうなることは分かり切っていた。

 『相手の気持ちになって考えてみましょう』なんて子供の頃から言われてきた。

 いい子として振る舞い、そうあり続けるために時には恨まれ役だってやってきた。

 それでも完璧に辿り着けたことなんてない。

 津田守梨は弱者だ。たまたまその自己評価を間違えずに行動できたから、ここまでなんとかやってこれただけ。

 だから、彼女に何かを成し遂げる力はない。


「お嬢は特別な存在だ。俺らエジーメの血族の正統後継者に対する忠誠は安い情だの命惜しさだので揺らぐようなやわなもんじゃねえ。この世界槍には時間も余裕も残っちゃいねえんだ。今さら不確かなプランでちんたらやってられるか」


「そう。やっぱりそういう状況なんだね。ここまでの規模に育った国家規模の社会を、随分とあっさり放棄するんだなって思ってたんだ」


 守梨はこれまでずっと従順な態度を見せながら、戴冠神殿側の情報を探り続けてきた。『裏社会系クエスト』というルートに自ら潜っていくことで、同じようなことを考えている転移者の隠れたコミュニティで情報交換を行ってきたのだ。

 だからわかる。この世界槍は一億規模の巨大な社会だ。これだけの規模に膨れ上がるまで外部から魂を集め続けるしかできなかった戴冠神殿の研究は、どうしようもなく行き止まりにぶつかっている。

 そして、閉鎖した環境でずっと停滞を続けられるわけがないのだ。


「じゃあ、次の話ができるね」


 守梨は、既に覚悟を決めた者として冷静に話を続ける。

 そもそも、天川勇吾を生贄にした異世界からの召喚などはったりのようなもの。

 それを実行してみんなが救えるなら守梨はやるだろう。

 だが実行後、確実に制御できなくなって破滅する。


(複雑すぎる。このクラスだけで手一杯なのに。もっとたくさんのクラスを召喚して、コントロールして、『指標インジケータ』からエネルギーを絞り出す? 絶対にどこかで破綻する。天川ひとりでこれだもん。反乱されて終わりだよ)


 津田守梨はちょっとだけ他人の感情を動かすことに長けている、とたまたま錯覚できるだけの成功体験を積み重ねてしまった子供に過ぎない。

 口先八丁だけで人間は動かない。

 権力。財力。暴力。魅力。情報。実績。

 守梨には何もかもが不足していた。

 それでもこれまでの積み重ねからある程度の信用があったのだろう。

 カヅェルは冷ややかな視線を向けながらも話を聞く姿勢は見せてくれていた。


「言ってみろ」


 守梨にとって、それは幸運であり、不運でもある。

 妙案など、彼女には最初から無かったから。


「ザマミローは『ざまぁの墓場』を通じて、全体で破滅の記憶を共有している。今までも天川は破滅に関する記憶がフラッシュバックすることがよくあった。先生の影響か、今回はとりわけ強烈だったみたいだけど。つまり、知識や認識も共有してるってことでいいんだよね?」


「大まかにはな。何が言いたい?」


「ザマミローに襲わせる復讐対象を、クラス全体じゃなくて私ひとりにして」


 感情の無い嘆願。

 守梨は絶望した自殺志願者のように、暗い目でカヅェルを見つめる。


「お前、そんな都合のいい話が通ると思ってんのか? あいつは全員にぶち殺されたり嵌められたりしてんだぞ」


「通ると思ってるよ。だってそうなるように仕向けた黒幕は私なんだから」


 底意地の悪そうな笑み。

 上手くできているはずだ。

 悪女のような、ではなく。

 実際に守梨は悪女なのだから。


「『指標インジケータ』の話を聞いたとき、私はまず『次』のことを考えた。天川を犠牲にした後、次の『指標』が必要になったら。その役目の担い手は犠牲を強いた首謀者がふさわしいと思わない?」


 守梨は集団をコントロールしたいという欲求があるわけではない。

 村上誠司のように立候補して学級委員長になるほどの積極性はない。

 井波要のように周囲からの期待に応えて努力ができるほど人がいいわけでもない。

 生徒会執行部の活動だって、大層な理由でやっていたわけじゃない。

 

(国と自治体のバリアフリー施策にただ乗りしただけだ。弱者の味方アピールと大人受けのいい振る舞いで、予算の問題で止まっていたトイレとエレベーターの計画をちょっと後押ししたように自己演出した。単に好きな人にいい所を見せたかったなんて不純な動機な上に、そもそも今の世代には無関係。ぜんぜん間に合ってないのに)


 結局、生徒会長になったのは守梨よりずっと背が高くて言葉に力がある男子生徒だった。彼は守梨の言葉に感動したと言って、彼女の薄っぺらい理想を共に実現しようと誘ってくれたけど。アピールしたかった車椅子の男子生徒は感激して守梨に好きだと言ってくれたけど。実のところ、守梨は『話す』以外のことを一切していない。

 守梨はずっとそうだ。小さくて力も弱くて頭もそんなに良くないから、人と話すことくらいしか彼女にはできない。


「投票を行ったのは、あとから異を唱える者が出ないようにクラス全体で共犯者になるため。けどさ、何かが失敗した時って『言い出しっぺ』の責任が追及されがちじゃない? まして暗躍や工作でクラスの方向性を決めていた黒幕がいたのなら、そいつは次に『ざまぁ』されるべきだと思うの」


 守梨がクラスを掌握した理由は、必要だったからでしかない。

 いいや、それさえ嘘だ。

 守梨にそんな先のことまで予測する能力はない。

 あれはその場しのぎだった。


「ルールによって誰かに犠牲を強いるのなら、自分の順番が来た時にきちんと犠牲にならないとね。そうしなければ集団の秩序は保てない」


 『悪いこと』をするのなら責任を取る者は絶対に必要で、先生がいなくなった場合に備えてその次を用意しておく必要がある。

 咄嗟に思ってしまった。委員長の井波要よりも先に、自分が動くべきだと。


「お前は、自分のグループさえ無事ならいいと思ってるように見えたがな」


 意外そうにこちらを見るカヅェルは、きっとまだ守梨を誤解している。

 そう見えるように振る舞っていた。大人の目から見て『大した子供だ』と思われやすい子供というのは存在する。守梨は、実年齢以上に小さい。

 視覚情報というのは、実感よりも大きく認識に作用するものだ。


「それは腐敗。誰も彼もが独善的に行動し、互助的な社会にただ乗りする者が増え続ければ、結果として集団は崩壊して機能不全に陥る。集団のルールを守らないということは、集団の構成員すべての安全を脅かすということ」


「道理だな。ガキのわりにしっかりして、いや真面目なガキだからこそか?」


「そうだね。子供と違って大人の世界は広いもの。所属する社会が大きくなれば、『下』や『外』に問題を押し付けながら安全に腐敗できる」


「おーおー、血気盛んな年ごろだけあるな。お前さ、社会に出たら自分はまともに生きてやるって鼻息荒く決意してたタイプだろ。真面目ちゃんかよおい。こんなクソ異世界で大嫌いなカスになるしかなかった気分はどんなだ?」


「死んだ方がいいよ、こんな奴。当たり前でしょ」


 吐き捨てるように、守梨は己を呪った。

 ずっと考えていた。天川勇吾を地獄に突き落とし続けながら、こんな悪趣味な世界で自分に何ができるのかを。

 何もできやしない。構造からして閉塞しきっているこの世界槍に出口などなかった。だから守梨は口では生き残りたいと言いながら内心では逆の願いを抱いた。

 まともに生きることもできないのなら、死んでいた方がずっといい。

 それさえ許してくれないこの世界は、その在り方が既に罪深い。

 

(反抗してやる)

 

 ここでは『生き返るため』という絶対正義の名の下に醜悪ないじめが正当化され続けている。だれも死の恐怖には抗えない。どんな善人だって罪人に堕ちてしまう。

 人の心を穢していくこの世界が、守梨は大嫌いだ。


「『ざまぁ』ってさ、悪い奴とか罪もない人を貶めた悪役に対して言い放つからスカッとするわけでしょ? 悪い奴に誘導されたり、洗脳されてやりたくないことをした生徒たちを襲っても、ザマミローは大した『ざまぁエネルギー』を生み出せない。私の言っていることは間違ってる?」


「さあな。試してみねえとわかんねえが、そうだな。最悪のクソ元凶をぶっ殺して『ざまぁ』すんのが一番いいってのは確かに正解だ」


「じゃあ決まりだ。天川は優しいんだよ。ずっとやってきたポジションをとられても相手を恨んだりできないし、仲良くなれるくらい。闘争心はあるけど、敵の美点を見つけてライバルとして認められるタイプ。わかる? 仲のいい友達が私に誘導されて仕方なく自分を殺したってわかれば、あいつは相手を許せるお人よしなの」


 守梨は話すことが得意だった。彼女にできる唯一のことがそれだったから。

 得意なことはいつの間にか好きな事になっていた。

 クラスのみんなと話すのが好き。友達とおしゃべりするのが好き。クラスの外や学年をまたいで色々な人と話すと、色々な考え方に圧倒される。

 嫌な奴だっているし好きになれない相手もたくさんいるけれど、守梨は自分の学校がおおむね好きだ。自分にできないことができる人たち。自分を助けようとしてくれる、少し押し付けがましくてうんざりだけど、温かい優しさが好きだ。


(私のクラスから、誰一人として『悪いやつ』なんて出してやらない)


 単純な話だ。

 小学校の頃にさんざん自分をからかって、髪の毛を引っ張ったり持ち物を隠したりするような奴を守梨は許せない。

 このクラスにいじめなんて不要だ。

 加担する者も、被害に遭う者も、いていいはずがなかった。

 だけど、そうなることがどうしても避けられないというのなら。


(私が全部やる。絶対に、お前たちには負けない)


 それが、無力な守梨にできるちっぽけな反抗。

 大人が作った残酷な構造を覆すことなんてできない。

 世界は変えられない。悪意を跳ねのける力はない。

 だからせめて、広がろうとする罪を少しでも押しとどめたかった。


「私があいつの『指標』になるよ。ずっと私の掌の上で苦しみ続けた天川は、私に復讐して『ざまぁ』って言う資格がある。そうやってクラス全員分の復讐を私が引き受ければ、少なくともみんなは苦しまずに済むよね?」


「どの道、最後の天川勇吾が陥落してキングザマミローが完全体になれば、この世界槍は崩壊するぞ。お前のクラスも全滅だ」


「うん。それでも苦しみは少ないほうがいい。不当な『ざまぁ』なんて最低だ。天川が、そうだったんだから」


 カヅェルの指摘はもっともだ。

 守梨の行動は自己満足に近いし、詭弁に過ぎない。

 原因が何であれ、行動は行動だ。

 罪と罰は天川勇吾に破滅を与えたそれぞれが向き合うべきものだろう。

 それでも、守梨はそうしたいと思った。


「それにさ、今回の天川はもうちょっと持ちそうじゃない? 私が呑み込まれた後もあいつとオリヴィアが頑張ってくれたら、何かいい方法が見つかるかも」


 鼻で笑われた。それはそうだろう。

 守梨にそんな希望を語る資格はない。

 一歩踏み出す。背後で見守る四人には既に覚悟を語ってある。彼女たちが自分を止めることはもうない。止めて欲しいという泣き言を自分が言わなくていいように、ちゃんと念を押したからだ。理解は得られたと思う。

 守梨は背の高い男を見上げることに慣れていた。

 だから恐れずに言い切ることができた。震えながら、そうだと信じる。


「この最悪な茶番に加担したのはあなたも同じ。一緒に地獄に落ちてよ、カヅェル」


 逆境の中、天川勇吾しゅじんこうは憎むべき敵を見定めたはずだ。

 あとは悪役が退場するだけ。

 この物語の中で、ご丁寧にも彼の前に姿を現し、露悪的な言動を繰り返し、わかりやすく敵としての振る舞いを徹底していた男は獰猛に笑う。


「は、悪くねえプロポーズだ。ガキにしちゃあそれなりだな」


「やめて。私、彼氏いるから」


 心底から不快だが、意図は伝わったらしい。

 当然だ。この男は、ずっとそういう動きをしてきた。全部わかっているはず。

 だからこれでいい。甚だ不本意ではあるけれど、それしかないならやってやる。

 強く握りしめた錫杖が、心配するような思念を送ってくる。付き合いの長いカヅェルと守梨、双方を労わる優しい言葉。ほんのわずかな慰め。この世界のことは嫌いだし、戴冠神殿に関わる全てが憎い。

 それでも、守梨は接した『人』を嫌いになるのが不得意だった。

 悪い奴をやっつけられない。それは主人公には不似合いな性格だ。


(だから天川。ちゃんと私を憎んでね)


 覚悟は済んだ。あとは無様に死ぬだけだ。

 そうして津田守梨はザマミローの闇に呑まれ、これまでの悪事の報いを受ける。

 『ざまぁ』と言われて墓場の底に引きずり込まれ、終わらない死の罰がクラスひとつぶんの呪いを生み出していくだろう。

 その、はずだったのに。


「己を悪と定めた上での行いに八点目。罪を引き受けようとする覚悟に九点目を」 


 ぱちぱちぱち、と手を叩く音がした。

 守梨とカヅェルは視線を巡らせ、そして目撃する。

 朝日を背に、誰かが近づいてきていた。

 ひどく場違いな雰囲気。

 誰の目から見てもその場から浮いているとしか言いようのない奇人。

 オリヴィア・エジーメ・クロウサーがそこにいた。


「お嬢、今さら何を」


「ていうか、泣いてる?」


 二人が驚いたのは彼女がただ登場したから、というだけではない。

 意味のよくわからない拍手をしながら、美しい令嬢ははらはらと涙を流していた。悲しみによるものではない。感激して泣いているのだ。

 守梨は理解不能な不気味さに思わず後退りしてしまう。


「更に胸に秘めた善を、悪と謗られようと貫こうとする姿勢に十点目。そしてオリヴィア審査員長による特別評価が加点されます。これにより津田守梨さんの総獲得点数は、ドゥルルルルルルルルルルルルルルルル、ジャーン!!」


 なんだこいつ。

 カヅェルまで似たような顔をしていた。後ろの四人もたぶん同じ。

 口でドラムロールを再現しようと必死なオリヴィアは呆れた視線をものともせずに、己の信じる道を邁進していく。

 涙をぬぐい、決意を胸に、喜びを瞳に宿しながら。

 オリヴィアは高らかに叫ぶ。


「百万悪役令嬢ヴィラネスポイント!!!」


 だから何だよそれは。



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