第二十八話 クラス転移の破滅フラグしかないイケメン優等生ですが、何か?




 津田守梨つだまもりは小学生の頃、両親に自分の名の由来を訊ねたことがある。


「ねえ、なんでまもりの名前はまもりなの?」


「それはね、まもりが沢山の人から『守りたい』って思われるような、素敵な子に育って欲しいって思ったからなんだよ」


 過保護なくらいに愛娘を大切にしていた親らしい言葉。

 その時は素直に受け止めて嬉しくなったものだが、少し時間が経つと守梨はその由来に対して苦手意識を持つようになっていた。


「守梨ちゃんはかわいいねえ」「ちょっと男子、守梨ちゃんをからかうのやめなよ」「お姉さんが守ってあげるからねー」「いや同い年でしょ」


 小さくて一生懸命で可愛い。

 だから応援したいし守ってあげたい。

 誰かを庇護したいという感情は自然なものだし、守梨にも理解はできる。

 けれどずっとそういう扱いを受け続けるのは居心地が悪かった。


(私、もっとしっかりしないと)


 守られる自分。愛される自分。甘やかされる自分。

 ぬるま湯から飛び出して、誰かを守れる自分でありたいと思った。

 だから自分を守ろうとする『強い人』は少し苦手だったし、逆に自分が助けてあげられる『弱い人』には積極的に近づいていった。

 我ながら歪だった、と守梨は思う。


「ぷくちゃんは強いからさ、つい頼っちゃうんだよな」


 そんな守梨がはじめて付き合った人が、見上げるほど大きな男子だったのは正直なところ意外という他はない。周囲は驚いていたが、自分はもっと驚いている。

 他愛ない、二人きりの時間。積み重ねた思い出は淡くて甘い。

 

「もっと頼ってくれていいんだよ? 大ちゃん、まだ車いすに慣れてないんだし。あとそのぷくちゃんって呼び方はやめない?」


「二人の時はいいって言ったじゃん」


 守梨の恋人である大門大地だいもんだいちは彼女を子ども扱いしたり庇護対象のように見なしたりしないが、変なあだ名で呼びたがるのが悪い癖だった。

 苗字も名前も体格も大きいわりに、小さなことほどこだわりが強い。

 『ほっぺがぷくぷくしてやわっこいからぷくちゃん』なんて、周りに知られたら恥ずかしくて死にそうになる呼び方を平然としてくる。正直に言えば照れくさいが、特別感を出してくれるのは嬉しいからぎりぎり許容範囲ではあった。


「ねえ、昼間、天川となに話してたの?」


「近況報告? バスケ部の様子とか。いやー、俺という次世代の主役が失われてあいつらがこれからどうやっていくのか、マジで心配でさ」


「大ちゃん」


 冗談めかして言う、明らかに無理をした笑顔。

 たまらなくなって大きな手を握る。

 その感触を確かめるように握り返されて、気持ちが伝わっていることに安堵した。

 もう動かない下半身に目をやりながら、恋人は遠い目をして続ける。


「心配ないよ。俺はもう心の整理はついてるから。村上とかには『トラックに突っ込まれて異世界に転生してないのが奇跡だよ』って言われたし、こうやって生きてるだけでもラッキーみたいな。ぷくちゃんもいてくれるし」


「異世界ってなにそれ、意味わかんない」


「そういう系の話があるんだってさ。なんか違う世界に生まれ変わったりとか? クラス丸ごとみたいなのもあるとか言ってた」

 

「ふーん、十五少年漂流記みたいなノリなのかな」


 あいにくと二人ともそういったフィクションとは無縁な生活を送っていたが、二人は共にある思考実験を連想した。しばらく前に、『無人島にひとつだけ持って行くなら?』という話をしたことがあったのだ。その時はお互いに相手を名指しするという恥ずかしいお約束をこなしてから甘ったるい雰囲気に持って行ったのだが。


「実際に無人島とかで生活すんのは嫌だな~、俺とかお荷物になるし」


「そしたら私がちゃんとお世話するから大丈夫」


「クラス単位だったら別々じゃん?」


「えー、一緒がいい」


 彼氏の部屋で二人きりという状況であっても、すぐ近くには彼の母親がいる。

 甘い雰囲気になることはなるが、お互いにわきまえているのでせいぜい身を寄せ合うくらいの『いちゃいちゃ』で止まる。

 守梨は恋人の住む家に足繫く通って世話を焼いており、半ば親公認の関係性になっているためかなり心証が良い。母親とも既に仲良しだし、少しだけ顔を合わせた父親からはお姫様もかくや、という扱いを受けていた。このまま外堀を埋めて盤石な関係を築くつもりだったので、余計な失敗をするつもりは一切なかった。


「ぷくちゃんは漂流してもクラスまとめたりしてそう」


「ええ? 私は向いてないよ。そういう時に頼れるのは身体大きくて頭いいタイプ、ってか天川でしょ。村上とかかなめだっているし、私にできることないと思う」


 二人の会話には共通の友人である天川勇吾の話がたびたび出てくる。

 大地と同じ部活動の友人同士だったという事情以上に、事故の後に誰よりも守梨の恋人を気にかけていた人物だということが大きい。

 なにより、三人は同じ事故現場に居合わせていた。

 不幸にも運転手が意識を喪失し、歩道に突っ込んできたトラックに轢かれそうになった守梨。彼女を咄嗟に突き飛ばした大地は重傷を負い、呆然とへたりこむ守梨の近くで顔面蒼白になった天川勇吾が救急車を呼んで、血まみれの友人に駆け寄っていったのをよく覚えている。


(私は、きっと天川には勝てない。大ちゃんだって、本当に頼りにしてるのは)


 思えば、天川勇吾に対する苦手意識はあそこからだ。

 背が高くて、冷静で、見目も麗しく、咄嗟に誰かを守るための行動ができる。

 どんなに取り繕っても結局は守られるだけの弱い自分とは違う。

 本当は、ずっと嫉妬していた。天川勇吾が嫌いだった。憎かった。

 絶対に、負けたくなかった。


「どうかな。天川ってわりと繊細じゃん? 試合前とか周りを励まして自分が落ち着こうとしてる感じあるし」


「そうなの?」


 大門大地と天川勇吾はバスケ部では期待の一年生という扱いで、早々に控え選手として試合に出してもらっていたそうだ。ゴール下でプレイするセンターとパワーフォワード。来年は共に部の中心になっていくという自負を持って努力を積み重ねていた。そこには相応の信頼関係があったはずだ。


「俺が強すぎて自信喪失させちゃったかもしれん。すまん天川」


「あーはいはい。大ちゃんは強いコでちゅねー」


「強いでちゅよ。そして俺より強いぷくちゃんはリーダー向きでちゅ」


 自分には手が届かないもの。

 小さな嫉妬心がばれないようにおどけてみせると、相手はそれにしっかりと応えてくれる。全部わかっているのかも、と思うこともあった。

 悪い気はしない。

 理解されていること。認めてもらうこと。褒めてくれること。


(私は、大ちゃんにふさわしい人間なのかな)


 けれどふとした時、不安で心がざわつき出す。

 結局は、『大きくて力強い恋人の弱さを支えられる自分』に酔っているだけではないのか。怪我で障害を負った屈強な男性を、献身的に助けるというあり方そのものが気持ちいいだけなんじゃないのか。

 醜い自分。みっともないエゴ。偽善で塗り固められた人間性。


『うっわ点数稼ぎ必死~』『津田、優しいアピールしすぎ』『井波とか滝沢とかに対してもそうだよね』『善意の押し売りやばいよあいつ』『人助けごっこで気持ちよくなってんじゃないの?』


 弱った心に忍び寄る、暗くてドロドロした影。

 けれど、それを晴らしてくれるのはいつだって大地の言葉だった。


「もし本当に異世界とか無人島とかに行ったらさ」


「ありえないでしょ」


「もしもの話だって。したらさ、みんなを守ってやってくれよ。天川とかいっぱいいっぱいになるかもだし? そういう時に頼りになるのはやっぱぷくちゃんだから」


「そう?」


「そうだよ。ぷくちゃんが頑張ってた生徒会の仕事はさ、俺だけじゃなくて学校全体とか、俺たちの後に入ってくる後輩のためにもなるだろ?」


 恋人の大地はいつだって守梨をべた褒めしてくれる。

 『かっこいい』『かわいい』『ほっぺが柔らかい』『頭がいい』『謙虚な所もいい』『頼りになる』『友達思い』『責任感が強い』『皆を守れる強い人だ』。

 全て、守梨が欲しい言葉だ。

 自分を助けてくれるから、ではない。

 皆を助けられる立派な守梨が好きだと彼は言ってくれた。

 守梨には彼が必要だった。


「うん。じゃあそうする。クラスでサバイバルしなきゃいけない状況で、天川がなんかダメになってたらって状況に限るけど。私がリーダーになってみんなをまとめて、大ちゃんのかわりに天川をフォローしておくよ」


 『みんなを助けられる守梨』でいられたら、好きな人との関係性にきちんと胸を張れる気がした。傷ついた人の弱みに付け込んで、自分が優しくて頼れる人間なんだと自己満足に浸っているわけじゃないのだと証明したい。

 どんな相手でも守れる、本当の意味で優しい人なのだと。


(ぜんぶ、嘘だ。もう私、大ちゃんに合わせる顔が無い)


 他愛のない空想と、仮定の約束。

 その『もしも』が訪れた時、守梨はその約束を守ることができなかった。

 津田守梨は許されない罪を犯している。

 だから、誰も守れなかった弱い女の子の話はこれでおしまいだ。

 



 その、はずだったのに。

 どうして彼は、悪が裁かれる結末を許してくれないのだろう。

 絶対的な強者であるカヅェルは、精一杯の力で飛び上がったマスコットのような天川勇吾を片手で叩き落とした。


「お前が何をしようと俺には勝てねえ。テイマースキルの加護とクエストから生じる『主人公補正』を共有してっから死なねえってだけだ」


 もこもこしたかわいらしい小動物は、土で汚れて擦り傷を作りながらも懸命に運命に立ち向かおうとしている。守梨にはわかる。自分よりずっと大きな相手と向かい合うのはとても怖い。人となりを知るまでは、恋人や天川勇吾に対してさえふとした動作にびくびくさせられたものだ。

 小さな身体に宿る勇気。その存在を感じて、忘れていた熱が蘇る。

 負けたくない。自分だって強くありたい、という強い意思が燃え上がる。


「だいたい、勝算の見積もりが甘いんだよ。その聖女サマを味方に引き入れる? そいつがお前に何してきたか、わかってんだろうが! お嬢の甘さに毒されたか? お前は素直にそいつを憎んでりゃいいんだよ!」


 守梨は胸が締め付けられるような思いがした。

 カヅェルの言葉はどこまでも正しい。

 彼女自身、それを望んでいたはずだ。

 それなのに。今さらになって、違う自分に未練があると気付いてしまった。


「この世界は『ざまぁ』された連中の犠牲で成り立ってんだ。後戻りなんてできねえんだよ。あいつもそれは重々承知さ。『悪役令嬢になって破滅を回避しましょう』だと? 今さら甘っちょろい夢を見させようなんて、そっちの方が残酷だぜ」


 守梨はそんな現実を前に、一度は折れてしまった。

 『少しでも大勢を助ける』という合理性を言い訳にして、天川勇吾を見捨てた。

 今さら。本当に今さらだ。

 それでも。天川勇吾は諦めずに立ち上がり、前進を繰り返す。


「津田さんは、確かに『悪役』だったのかもしれないユシャ」


 弱く、小さく、惨めで、格好の付かない姿でも。


「裁かれて、罰されて、『ざまぁ』されるべきなのかもしれないユシャ」


 希望のない暗闇の中でも。


「それでも俺は、みんなが生きてる世界がいいユシャ!!」


 そんな、子供じみた理想を口にできたらどんなにいいだろう。

  

(私だって、私だって!)


 思わず一歩だけ足が前に出る。

 その時、ヴィラネスロイヤルが巨大な『職分け帽子ザマミロー』に拳を叩きつけられて吹き飛んできた。カヅェルに蹴り飛ばされた天川勇吾とまとまって倒れてしまい、ダメージで身動きが取れない状況だ。

 絶体絶命のピンチ。もはや時間の猶予はない。

 躊躇。迷い。罪悪感。混乱。恐怖。

 身体が竦んで動かない。あの事故の時のように、咄嗟の状況で守梨は無力だ。

 悔しい、情けない、またこうなってしまうのか。

 そのとき、後ろから声が響いた。


「守梨ちゃん! 行ってあげて!」


 親友の井波要いなみかなめがナイフで指を切り、滴る血をザマミローに見せびらかした。『供物適性』のスキルによって血から匂い立つ芳香が怪物を引き寄せているのだ。危険な囮を買って出る少女の顔には揺るぎない決意。


「やりたいんだよね。だったら私たち、全力でサポートするから!」


 野田恵麻のだえまがどこからか取り出した大きな布をひらひらとはためかせ、ばさりとザマミローにかぶせて視界を覆う。その隙に針と糸を手にした彼女は、手が霞むほどの速さで『職分け帽子』に複雑な刺繍を施していった。スキル『裁縫上手』がもたらす神秘の力がザマミローの全身を羽のような軽さに変える。


「今度は私たちが守梨ちゃんを助ける番だよっ」


 滝沢花音たきざわかのんの花が咲くような愛らしさと細く可憐な声に引き寄せられて、少女の影からこの世のものとは思えないほどに美しい、陰気な気配の男が出現する。スキル『病弱』の根幹たる『穢れの魔王』がザマミローを軽々と持ち上げて投げ飛ばした。怪物と同質の闇に属する住人ゆえに、相手を倒すことはできない。だが攻撃を防ぎ、足止めをすることには長けていた。


「迷うな守梨! ずっとみんなを守ってきたんだから、最後までやり通してよ! 天川くんも、守梨も含めてクラス全員でしょ!」


 『完全記憶』のスキルを応用して前世の記憶を思い出した佐々木美記ささきみきは、その魂に刻まれた十二の聖剣を使いこなしてカヅェルと激しく切り結ぶ。

 誰よりも信頼できる四人の友人たちが、守梨の心が揺れていることを察して一斉に動き出してくれていた。


(あんなに突き放して、ひどいことを言ったのに)


 結局、全員に見透かされていた。

 『お前たちなんて利用していただけ』とか、『友達だなんて思ってない』とか、わかりやすいアピールにも程がある。バレバレだったのだ。天川勇吾の憎しみが、グループ全体に向かわないための演技でしかないのだと。

 

(やっぱり私、守られてるんだ)


 親の愛情に対する子供っぽい反発が、今の自分を形作った。

 けれどやっぱり思うようにはいかなくて。そのままでは満足できなくて。

 望まない在り方を心地良く思う自分。

 そこから抜け出したいと願う自分。

 守り、守られる自分。

 罪を犯した弱い自分。

 それでも未来が欲しいと願う自分。

 全てが守梨だ。

 

「今さらだって、わかってるけど。もし、天川がそれを許してくれるなら」


 震える声を絞り出す。

 心からの願い。傷だらけで戦おうとする小さな勇者に、守梨は呼びかけた。

 陥れた者と陥れられた者。

 その構図を乗り越えて、違う形を望んでもいいのなら。

 守梨は、目の前の破滅を乗り越えたい。


「私も戦う。偽の聖女としてでもいい。私は、誰かを守れる自分でありたい!」


 守梨の背後で、血と呪いで汚れたタイトルが変質していく。


『偽聖女に捧ぐ鎮魂曲レクイエム~罪深き悪女は民のためにその身を捧げる~』


 死を呼ぶ破滅の運命。自ら望んで変えたはずのその形に亀裂が走る。

 ぱきり、ぱきりと文字列の輪郭が剥がれていく。

 内側から新たな輝きが溢れようとしていた。


「その言葉を待ってたユシャ! 良心ちゃん!」


「お待たせ! 新しいマジカルヘアアイロンだよ!」


 投げつけられたのはどう見ても子供の玩具。

 幼稚園で卒業したはずの、遠い記憶が微かに蘇る。

 恥ずかしい。気まずい。今さらだけどこれ正気?

 数々の感情は、もう些細なことに過ぎなかった。

 胸の奥から沸き上がった衝動を、形にせずにはいられない。


「マジカルヘアアイロン、ブリリアントチェンジ!」


 光が弾ける。世界が煌めく。守梨の全身が輝きに包まれる。

 変容した未知なる空間に一歩を踏み出す。

 たん、たん、たん、とステップを踏む足はいつもよりずっと軽やかだ。

 恥ずかしさや『高校生にもなって』などという内心の感情はどこへやら、勝手に動く身体と口はかつてないほど乗り気だった。

 弾けるような笑顔が自然と浮かび、小首を傾げて可愛くウィンク。

 

「かがやけキューティクル、ホット、カール、ジャンプ!!」


 魔法の力が込められたヘアアイロンは、ひと撫でしただけで瞬時に髪型のセットを可能としていた。それだけではない。本来なら肩までしかなかった守梨の髪の毛が背中まで伸びていき、毛先はくるりとカールしている。

 飛躍。飛び上がる身体と共に髪の毛もふわりと浮き上がり、全身の衣服もまた光に包まれて全くの別物に変わっていく。

 白を基調としたドレスは高貴さよりも慎ましさと淑やかさを強調し、全体としては修道女のようなモチーフを取り入れた独特のデザイン。

 頭の上には首を覆わず頭に乗っているだけに見える謎の白頭巾ウィンプル

 前は短く後ろは長い、フィッシュテールのスカートがふわりと風に揺れる。

 新たな自分の輪郭を確かめるようにほっぺを両手で包み込む。

 軽やかに、運命の落とし穴から飛び立つように。

 生まれ変わった少女はそうして名乗りを上げた。

 

「みんなを守る優しい聖女! ヴィラネスセイント!!」


 変身が完了すると同時に、守梨は手を掲げた。

 しつこい妨害に業を煮やしたカヅェルとザマミローの猛攻に晒されていた友人たちを守るため、その身に宿る力を解放する。


「セイントウォール!」


 悪役令嬢となったことで強化されたスキル『障壁』はかつてないほどの強固さで悪意を防いでいた。友人たちが口々に守梨の名を呼ぶ。

 その背に新たなタイトル浮かび、古い形は完全に崩れ去った。


『偽聖女の頌歌キャロル~罪を背負った聖女はこの世の闇路を照らし出す~』

 

 輝くオーラを放ち、迫り来る闇を散らして走る。

 態勢を立て直したオリヴィアの隣に立ち、守梨は傷だらけの彼女に手をかざした。


「すぐに傷を癒すね、ロイヤル」


「ありがとう、セイント。心強いですわ」


「ヴィラネスが二人になったユシャ! これで怖いものなしユシャ~!」


 正直、このノリについていく自信はない。

 それでも、守梨は決意したのだ。

 彼女はずっと一人じゃなかった。

 いままでも、これからも。


「くそが! ザマミロー! 一気に終わらせるぞ!」


 だが、流れが悪いことを悟ったカヅェルの判断は迅速だった。

 己の持つ武器を全てザマミローに融合させたのだ。大量の武具を取り込んだ闇の化身は更に巨大化し、凶暴さを増していく。圧倒的な力で暴れまわるザマミローに、二人揃ったヴィラネスは吹き飛ばされてしまう。


「戦闘シーンなげえな」「これまだ続くの?」「津田ちゃんの変身シーン見たからもういいや」「てかこれは何の茶番なわけ?」


 ピンチは続く。活劇シーンに見入るタイプの生徒とそうでないタイプの生徒が存在していたのだ。人によって好みはそれぞれ。そもそも、ヴィラネスたちが活躍することそれ自体を真正面から受け入れられない者だっていた。

 守梨は自分のやっていることが『茶番だ』と突きつけられて、急に恥ずかしさがこみあげてきた。途端に竦む足。焦り始める心。


「ユーゴさん、見に来てくれたお友達が飽き始めています! このままでは彼らが帰ってしまいますわ!」


 オリヴィアが叫ぶ。

 このままでは勝てない。全てが終わってしまう。

 けれど、そうはならないと否定する声があった。

 力強い、天川勇吾の声が響く。


「こんなこともあろうかと! 良心ちゃん、お願いユシャ!」


「良心ちゃんのお助けアイテム! いい子にしてるクラスのみんなにペンライトをプレゼントするよ~便利だから使ってみてね~!」


 兜を抱えた少女がペンライトをクラスメイトに配っていく。須田美咲を始めとした友人たちも協力して全員に謎のアイテムが行き渡った。


「なにこの、なに?」


 困惑が広がる中、マスコットの声が響いた。


「みんな! ヴィラネスライトを振って、ヴィラネスを応援して欲しいユシャ!」


 ざわざわと広がる『え、正気?』という感じの反応。

 誰も何も言わない。彼らは高校生である。

 女子の中には幼い頃に似たようなことをした経験のある者も混じっていた。

 だが、『今やれ』と言われて素直にうなずける者は皆無である。


「ヴィラネスに力をー!」


 天川勇吾が先陣を切った。

 続いて楽しそうな良心ちゃんが。更には意外なことに今井北斗が。

 吉田竜太、辺見颯、須田美咲、太田結愛、瀬川莉子といった面々が次々と続く。

 すると、彼らの掲げたペンライトから光が立ち上り、小さなマスコットの頭上に収束していく。徐々に大きさを増していく光の玉。

 それはどんどん輝きを強くしながら、弾けるような稲光を発していた。

 はっとなって叫んだのは委員長の村上誠司だった。


「そうか、勇者の力! そういうことか!」


「どしたん委員長」「またオタクが何か言ってる」「ねえこれどこまでマジでやってんの?」「クエストで必要な感じ?」「そんなことある?」


 クラスメイトたちを振り返った委員長は興奮した様子で言った。


「天川に協力しよう! 俺たちの力をあの光の中にっ」


 彼はマスコットの頭上に浮かぶ光を指さしながら、力強く叫ぶ。

 あたかも、漫画などに登場する技名か何かのように。


みなでインするんだ!」


 多くの生徒がぽかんとする中、数人の男子が噴き出した。


「ごめ、ちょっと笑った」「ウケたからやったるわ」「がんばえ~」


 何人かの男子が続き、『なら俺も』と流れが生まれていく。

 更に委員長の隣に彼と仲がいい女子、立川七海たちかわななみが近付いて声をかけた。


「これは勇者を知らなかった私でも知ってるよ。『元気玉』でしょ?」


 村上誠司は一瞬だけ何とも言えない表情になったあと、ぐっと何らかの言葉を呑み込んでからにっこり笑った。


「うーん、おおむね正解! ありがとう鳥山明先生!」


 協力する流れが次第に広がる。

 掲げられたペンライトが増え、クラスの心が一つにまとまっていった。


「ヴィラネスに力をー!」


 光が集う。それは心のきらめき。その場のノリでしかないとしても、そこにはクラスという不確かな場を繋げるための一体感が確かに存在していた。

 クラスメイトの力。

 マスコットの力。

 全ての輝きを受け取って、二人のヴィラネスが圧倒的な闇を打ち払う。


「みなさん、ありがとうございます!」


 オリヴィアは叫び、力を合わせるべく隣にいる守梨の手を握った。

 戸惑いながらも伝わる意思を信じ、その身を委ねる守梨。

 オリヴィアは空いた方の手を前に突き出し、叫んだ。


「メロンソーダ!」


 守梨は『は?』とか『何?』みたいな顔をするしかなかったが、手のひらから伝わってくる心やイメージが彼女の口を勝手に動かしていた。


「アイスティー!」


 いやほんとに何それ。

 きょとんとしながら空に向かって手を翳す守梨は、しかしその直後に凄まじい衝撃に身を震わせる。

 天川勇吾が頭上に集めていたエネルギーを稲妻に変えて、二人のヴィラネスに向かって投げ放ったのだ。


「ヴィラネスの、気高き魂が!」


「理不尽な運命を打ち砕く!」


 まあこの口上はわかる。

 わかるだけに、直前のメロンソーダとアイスティーの意味不明さが際立つのだ。


「すっげえ、恐れ知らずかよ」


 村上誠司が戦慄しながら呟いているが、本当に何もかもわからない。

 守梨は胸から湧き上がってくる熱い闘志と果てしない困惑の狭間で、現実感のない戦いに終止符を打つべく高らかに技名を叫んだ。


「「ヴィラネス・マーブル・スクリュー!!」」


 二人の手から迸る心の輝き。

 それは未来を切り開くための意思そのものだ。

 閃光が前へと進む。

 光がカヅェルとザマミローを呑み込み、あらゆる苦難と闇を照らしていった。


「ほわほわ~ん」


 呪いと怨念の塊が浄化されていく。

 クラスメイトたちによってもたらされた絶望。

 それを晴らしたのは、全員が手を取り合うという希望だった。


「くそったれ!」


 怪物が消え、残されたカヅェルは必死に光の奔流を受け止めていた。

 そんな彼の前に知らない幻影が過ぎる。

 メロンソーダとアイスティーが混ざり合う冗談のような技が見せるそのヴィジョンは、二人の少女の他愛ないやりとりだった。


『まあ、これがドリンクバーですのね?!』

『色々混ぜたりするよ』

『やってみます!』

『ハズレだと変な味になるから私はやらないけど』

『あら? あの、マモリさん? こういう時はノリというものがあるのでは』


 勇吾の瞳が輝き、『フラッシュフォワード』が『有り得るかもしれない未来の光景』を映し出す。彼女たちのこれからを見守っていくマスコットに許された特権。

 彼は、オリヴィアと守梨の未来を幻視していた。

 それはカヅェルが否定した未来。

 オリヴィアが孤独にならずに済むハッピーエンド。


『このハンバーガーはどうやって食べればいいのでしょう。ナイフとフォークは?』

『かぶりつくんだよ』

『わかりました、チャレンジしてみます!』

『まあ私にはおっきすぎるから切り分けるけども』

『マモリさん? ちょっと意地悪では?』


 大した意味はない。

 こんなもので説得されたりはしない。

 大切な一族の主を守るためなら、どんな汚いことだってできるはずだった。

 なのに、いつの間にかカヅェルの目からはあり得ないものが零れ落ちていた。


『これが焼きそばパン! 生まれて初めて食べました!』

『私、パスタ食べたい気分だから。お昼ご飯は別々でいいよね?』

『さっきから冷たくないですか?!』

『しかたないなあ。じゃあ次の庶民体験は駄菓子屋ね。私も行ったことないけど』


 存在しない記憶だ。現時点ではあるはずのないエピソードだ。

 それは二人のヴィラネスの友情。

 まだ何の積み重ねもない嘘に過ぎない。それでも。


「うおおお! 『お友達の皆さんがわたくしを怖がるんですの』と泣いていたあのお嬢に、気安く接することができる本当の『友達ダチ』がっ!」


 カヅェルは感極まって号泣していた。

 ある意味では守梨の分析は正しかったのだ。

 悪役たちにも大切なものがあり、情によって動かされる心がある。

 心を叩きつけるヴィラネスたちの合体技は、カヅェルの心を打ち負かしていた。


「わたくしから奪ったその力、返していただきます!」


 抵抗する力を失って吹き飛ばされたカヅェルの胸から、光の奔流が立ち上っていく。それは本来の持ち主であるオリヴィアの手のひらに吸い込まれていった。

 奪われた力をオリヴィアが取り戻したのだ。


「帰ってキルディールたちに伝えなさい! わたくしは全てを救います。誰も犠牲にはさせません!」


「ぐうっ、お嬢。すっかり立派になって。じゃねえ! おぼえてやがれ!!」


 どちらかと言えば悔しさよりも嬉しさが優っている感じだったが、捨て台詞を口にして飛び去っていくカヅェル。

 怪物は浄化され、カヅェルは逃げていった。

 ヴィラネスたちの完全勝利だ。


「やったユシャ~」


「やりましたわ! セイントも、本当にありがとうございます!」


 手のひらに乗せたマスコットと大喜びするオリヴィアの前で、『私も天川に触っていいかな?』と言い出せずにもじもじする守梨。

 そうしていると、神殿の裏手の方から今まで姿を見せていなかった二人が現れた。

 何故か猫耳を付けた柳野九郎と肌を露にした能見ならぬナオミである。


「暗殺者は撃退、というか逃げられちゃったわ。まさか実体のある分身とはね」


 ほぼ半裸のナオミは素肌からいい匂いのする汗を滴らせていた。

 近くの男子が軒並み前かがみになったりうずくまったりしており、おそらくは何らかのフェロモンを垂れ流しにしているのだと思われる。

 特にずっと近くにいた柳野は顔が真っ赤だ。


「あら、あの男には効果覿面だったのに。九郎おじさまはこういうのお嫌い?」

「にゃにゃっ! やめるにゃあ! 若い娘がそんなに肌を露にしてはいけないにゃ! 慎みをもたにゃいと駄目、にゃあにゃあにゃあ、服を着るにゃん!」

「良心ちゃんいっぱい頑張ったよ~MVPちょうだい!」 

「ふふ、天川。面白い力の使い方だね。僕が殺すのに相応しい勇者になってくれよ」

「勇吾! お前がずっとそのままでも、俺が責任をもって飼うからな!」

「そっちの方がモテるかもな。やっさんといい、カワイイの流れが来てるか?」


 次々と集まってわちゃわちゃし始めるクラスメイトたち。

 その中で、守梨はひとり深刻な表情で小さなマスコットに向き合う。


「ごめんね。今までのこともだけど、そんなに重い決断を」


「自分で選んだことユシャ。大丈夫ユシャ。それに、色々とスキルを鍛えていけば人の姿に戻れるかもしれないユシャ!」


 守梨の罪悪感を減らそうと気丈に振る舞う勇吾。

 内心の不安を気取らせまいとする健気な姿に、守梨は思わず胸を押さえた。

 天川勇吾だとわかっていても、胸が『きゅん』としてしまったのだ。


「王子様の魔法を解く方法は、昔から決まっておりますわ」


 そんな時だった。

 優雅に、颯爽と、自信に満ちた足取りで地面の上をスライドしていくオリヴィアが、地面の上からマスコットを拾った。

 そうするのが当然だとでも言わんばかりの振る舞い。

 顔を近づけ、無防備な天川勇吾にそっと触れる。


「ああーっ!」


 以前は須田美咲などが悲鳴を上げていたが、今度は無反応だ。

 その代わり、何故か守梨が叫んだ。

 始まりと同じ、オリヴィアからの口づけ。

 突然のことに目をぱちぱちとさせる小動物。

 

「なんもおきないね」


 良心ちゃんが小首を傾げる。

 童話などでは定番だが、そう簡単にはいかないということだろうか。

 太田結愛が「それなら」と提案する。こちらも天川勇吾に対する未練は皆無だ。


「マスコットなんだし、他のメンバーの愛とか気持ちとかが必要なんじゃないの? 津田ちゃんもしてみたら?」


「ええっ、いや私、彼氏がいるから」


「マスコットはノーカンじゃない?」


「でも天川だよ?! うう、でもこのまま戻れないのは流石に、うーん」


 言いながらも目の前の可愛いさに抗えず、いつの間にかマスコットを手に乗せている守梨。慌てたのはオリヴィアの方だ。 


「ちょっと待って下さい、今からわたくしが何かアイデアを考えますからっ」


 先ほどまでの自信に満ちた態度はどこに行ったのか、わたわたとしながら守梨からマスコットを奪い返そうとする。が、力が弱すぎて取り戻せない。

 ぐいぐいと片手だけでオリヴィアを押しのけつつ、やや鼻息を荒くして小動物に顔を近づけていく守梨。


「ユ、ユシャ? どうしたユシャ? こわいユシャ」


「かっ、かわっ、きゃわっ」


 これはアリなのか?

 しかし罪を償うため、誰かを救うためならいいのでは?

 理性で迷いつつ、可愛いものが大好きな心は正直だった。

 守梨の唇がマスコットに接近していく。


「って、やっぱりこんなことできるかーっ!」


 直後、天川勇吾の身体が『びたーん!』と地面に叩きつけられた。

 

「むきゅ~ユシャ~」


 ぐるぐると目を回して呻くマスコット。

 動揺して慌てる守梨と悲鳴を上げてへたりこむオリヴィア。


「ああっ、ごめんなさい天川! 恥ずかしくてつい! あああどうしよう、やっちゃったよ。こんな可愛いコになんてこと、ってあれ?」


 しかし、驚くべきことに倒れていたのはマスコットではない。ぼふん、と白煙が上がったかと思うと、天川勇吾は元の男子高校生の姿に戻っていた。


「あー、カエルの王子さまみたいな感じで元に戻ったのか」


 村上誠司が言ったが、それを否定する声が上がった。


「いや、これは逆だな。ショックで演じ方を思い出したんだろう」


 いつの間にか男に戻っていた能見鷹雄はシャツのボタンを閉めながら分析する。

 鋭い観察眼で天川勇吾の全身を見てから、確信を得たように頷いた。


「演技時の緊張がある。意思に応じて人間体に変身できるようになっただけだ」


「つまり?」


「平常時がマスコット体ということだ。気を抜くと」


 能見鷹雄がどこからか取り出した鳥の羽で天川勇吾の鼻先をくすぐる。


「はっくしょん!」


 くしゃみの衝撃と共に白煙が上がった。

 あっという間に天川勇吾の身体は消え失せ、そこには小さなマスコットが。


「元の姿に戻ってしまう。おそらく人間時の方が心身の消耗が激しいんだろうな。俺たち向けの闇堕ち演技をしていた時と同様の緊張が見られた」


「ユシャ?」


 小首を傾げるマスコットを、彼を囲んだクラスメイトたちが見下ろす。

 哀れみ、興味、慈愛、疑心、さまざまな感情の込められた視線。

 彼らはずっと、天川勇吾を『できる奴』だと見なしていた。

 かつては破滅に繋がるはずだった運命の数々。

 いつか『ざまぁ』を求めるようになるかもしれない友人たちの目は、今では全く別のものに変わっている。それは必ずしも好意とは限らず、しかし悪意とも言い切れない。不確定な未来を変えられるのは、天川勇吾の選択のみだ。

 だから彼は、少しでも良い未来に繋がるように、新しい姿で笑顔を作る。

 いつものように。いつもとは少しだけ違う形で。


「ユシャ! みんな、助けてくれてありがとうユシャ!!」



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