幕間回想:『天川勇吾』
『いつだって、逆境に立ち向かう者こそが物語の主役だ』
高校二年生になる
『困難を前に苦しんだ経験は、必ずみんなの宝物になるんだ』
けれど、その教師の言葉は勇吾の心に強く刻まれた。
傷つけられた、と言ってもいいのかもしれない。
胸の奥にずっと残っている、棘のような不快感。
(俺、小学校ではずっと、楽しいことばっかりだった)
勇吾の身長は中学一年生の段階で既に百七十センチメートルあり、二年生に上がる頃には百八十センチメートルに達しようとしていた。運動は得意だったから、『バレー部よりモテるぞ』という先輩の誘い文句になんとなく釣られてバスケットボール部へ。そのまま最初の練習試合に出してもらってそこそこ活躍してベンチ入り。
そのまま順調に進み、二年に入った途端スターティングメンバーに選ばれた。
『期待してるぞ、天川!』
ミニバスからやっていたという同級生を差し置いての厚遇ぶり。中学という狭い世界でのこと、同学年で勇吾より体格に優れた者はいなかったから当然と言えば当然だろう。間違っても、そこに逆境はなかった。
恵まれていた。成績だって良かったし、友達とはうまくやれていた。両親は少し厳しかったがそれは子供の未来を思えばこそだ。少なくとも、勇吾の身長が両親を超えた最大の理由は食生活と睡眠時間に関して厳しく躾けられていたことにあるだろう。
逆境らしい逆境を経験しなくても、大抵のことは上手くできた。苦しい状況に追い込まれなくても、クラスの中心で輝いているのが自分だと感覚的に理解ができた。
『文化祭の劇ですが、多数決の結果、天川君が王子様の役に決まりました』
物語の主役は逆境に立ち向かい、必ずそれに打ち勝つ。
勝利することは同じなのに、どうして自分はそうじゃないんだろうと勇吾は常々不思議に思っていた。
多くのフィクションでは、勇吾のように『出来る奴』は主役の前に立ちはだかるライバルとかだったりすることが多いように思う。別に悪役として描かれているわけではないにせよ、最終的には負けてしまうポジションだ。
なぜそうなるのかが理解できるから、なおのこと胸の中がすっきりしない。
(俺はきっと主役じゃない)
勇吾がそれを確信したのは、中学最後の試合でのことだ。
中総体、県大会の大一番。誰にとっても負けられないその試合で、主役は当然のように三年生だった。スターティングメンバーに選ばれた勇吾の隣には小学生の頃から懸命に努力を積み重ねてきた同級生がいて、彼の身長は百六十五センチメートルに満たなかった。
『身長を言い訳にしたくないんだ』
それは間違いなく逆境で、誰が見たって主役は彼だ。
部内の誰よりも努力し、技術を磨き、懸命に競技に取り組む姿を見て、それを否定することなど勇吾にはできなかった。勇吾がどれだけシュートを決めようがゴール下で歯を食いしばろうが、彼の物語の中では勇吾は端役に過ぎない。
それだけなら、まだ救いがあった。
バカみたいなパスの失敗だった。
『お前はいつも力が有り余り過ぎてるんだよな』
昔から注意されてきたのに。
幼稚園の頃に泣かせたあいつだってそうだった。
後悔は常に遅すぎた。
結論から言えば、勇吾のパスしたボールは『主役』の利き手に試合続行が困難なほどの怪我を負わせていた。
主力を欠いたチームはそのまま敗退し、中学最後の試合はそこで幕切れとなった。
『受け止め損ねた俺が悪いよ。気にするなって』
負傷した当人が言って、顧問が両者の肩を叩いてとりなす。
それで終わったから勇吾が責められることはなかった。
責められた方がマシだったとは思わない。
ただひとつ、痛感したことがある。
(ああ、俺が台無しにしたんだ)
自分は主役ではない、というくらいの現実はまだマシなのだということ。
もっと苦しくて、どうしようもなく嫌なことは。
主役の物語を邪魔する障害物になることだ。
遠い言葉が、今も胸に刺さっている。
自分が傷つけてしまった友達の顔が、ずっと記憶に焼き付いている。
『ごめん、みんな。大事な試合で、足手まといになって、本当にごめん』
彼が謝る必要なんて、どこにもなかったのに。
勇吾の胸に沸き上がったのは、強烈な後悔と切迫した欲求。
邪魔者になりたくない。悪役になりたくない。誰かを傷つけたくない。
そうならないための行動をしよう、と強く思った。
(逆境が欲しい)
それがあれば、自分は邪魔する側に回らなくて済むはずだ。それが逃避に近くても、同じことを繰り返さないためならなんだってできると思えた。
主役でありたい。物語の中心であれば、少なくとも悪役や障害になることはないだろうから。消去法みたいな不純な動機でも、勇吾は切実に自分の物語を欲していた。
(何かになりたい。どこかにいきたい)
一歩を踏み出してみれば、その過酷さは心が折れそうになるほどだった。Bリーグのクラブに所属する『本物』たち。ユースチームで切磋琢磨する選手たちの中で勇吾の体格はそこそこ止まりで、技術に関しては全くの弱者でしかなかった。
生まれて初めての挫折。
中学校という狭い世界を抜け出せばすぐにでも思い知らされる。
高校では勇吾の身長は平凡の域を出ず、全国には二メートルに届くような高身長の選手さえ存在していた。
(乗り越えるべき逆境はあった。俺は、ちゃんと特別じゃなかったんだ)
ああ、けれど。現実に直面してはじめて、勇吾はジレンマに直面した。
この広い世界に『本物』や『主役』がひしめいていて、ちっぽけな『お山の大将』でしかなかった勇吾では太刀打ちできないのなら。
あんなになりたいと思っていた主役は、やはり遠すぎるのかもしれない。
逆境が欲しい。
けれど逆境はつらく苦しい。できれば避けて通りたい。
(どうしようもないわがままだ)
その願いは、はじめから破綻した無理難題だったのだろうか。
どうあがいても、手に入らないものだったのだろうか。
いくらもがいても、答えが与えられることはなかった。
少なくとも、平凡な高校生でしかなかった勇吾の運命には。
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