クラス転移で俺だけ勇者、クラスメイトは『外れ』で『無能』の『役立たず』?! ~絶対に復讐されたくないかませ勇者の悪役回避~
最近
第一話 悪役令嬢ものを読んでいなかったら即死だった
おおむね、世の中はいつだって上手くいかないことばかりだ。
それでも問わずにはいられない。
どうしてこうなってしまったのだろう。
直視するには現実は過酷で。
全てを呑み込むような大きな理不尽は、前触れもなくやってくる。
壊れたバスも。物言わぬ運転手も。どこかに消え失せた担任教師も。
期待と希望に満ちた、三十九人のクラスメイトたちからの視線も。
「おめでとうございます。あなたの天職は『勇者』です」
避けようのない破滅と、望みもしない恵まれた環境。
嫌なモノほど向こうからやってくる。得てして現実なんてそんなもの。
よりにもよって、
状況は良くない。既に三人の女子生徒が悪役令嬢として婚約破棄を言い渡され、八人の男子生徒が外れスキル持ちであることを理由に追放されかけている。
一方で天川勇吾は恵まれていた。
唯一の当たりスキル。
最高の称号。
勇者。それは世界を救う選ばれしヒーロー。
おめでとう、あなたこそが主人公です。
(なんて、そんなはずないだろう)
むしろ、最も主人公から遠いのが『このシチュエーションにおける勇者』だと既に勇吾は理解していた。
というより、理解せざるを得なかったのだ。
(どうしてこんなことになってしまったんだろう)
目の前を通り過ぎていく光景は見慣れたものだ。
『外れスキル』『無能』『最弱』『役立たず』『戦力外通告』『顔がおっさん』『モブ』『陰湿ないじめを扇動した腹黒悪女』『聖女を騙る偽者』『身代わりで評判最悪な辺境伯と強制婚約』『友人に罪を擦り付けられてクビ』
クラスメイトたちが次々と最悪のシチュエーションに叩き落されている。
だが、多くの物語は穴に落ちて這い上がるところから始まるという。
ある意味で、逆境に追い込まれた彼らは主人公に相応しいと言えるだろう。
何の文句もつけられない、完璧な滑り出し。ひどい境遇の主人公はこれからどうやってピンチから脱出するのだろう? 安全圏から眺めていられるのであれば、きっととてもワクワクする物語になるに違いない。
その過程で自分が死んでいなければ、勇吾もそう思えただろう。
(現実は違う)
よりにもよって、
しかも流れが最悪だ。
広々とした石造りの神殿の中央部、祭壇の上に置かれているのはファンタジー映画に出て来るような大きな三角帽子。
帽子に埋め込まれた紫の宝石飾りは不思議な光を放っている。
どのような仕組みなのだろうか。その宝石から電子音のような女性の声が響き、勇吾にこう告げたのである。
「天職はただひとりのみに許された固有職『勇者』。そして与えられたスキルは『フラッシュフォワード』。閃光のように敵陣に切り込む前衛としての資質です」
周囲からの反応は驚き、期待、安堵、不安からの解放、その他諸々のどよめき。
「つよそう」
「さすが」
「天川のポジションもそんなんじゃなかったっけ?」
「それパワーフォワードな」
「ゆうしゃってなに?」
「昔のゲームで『オーガクエスト』ってのがあって、鬼退治のために旅立つ主人公の桃太郎を勇者って呼んでたんだよ。要するに主役のこと」
「ねえ私が何も知らないと思ってバカにしてるでしょ」
「わかりやすい説明しただけだよ」
これまでの経緯が経緯だ。
バスごと放り出された見知らぬ異邦の地、極限状態でのサバイバル、襲い来る怪物、放棄されたキャンプ地と遺体から手に入れた武器や物資でかろうじて命を繋ぐ日々。その果てにようやく見つけた希望らしい希望がこれだった。
召命の神殿。その場所に安置されている『喋る帽子』を使った儀式によって異邦人たちは特別な力を手にすることができる。この『異世界』に迷い込んだ者はみな、その力を得ることで『異世界の出口』を目指す資格を得るのだとか。
そう記されていたのは遺体が握りしめていた日本語の手記。勇吾たちにとって、それだけがたったひとつの希望だった。
断片的な情報を頼りに辿り着いた先で、勇吾たち『二年一組』の生徒たちはようやくこの異常な世界で生き残るために必要な力を手に入れる。
そのはずだった。
(俺は勇者に選ばれた。俺だけが、よりにもよって)
クラスメイトたちの抱いた感想は安心感や頼もしさに寄っていて、おおむね好意的だった。順番に『召命の儀式』を受けるということになったから、天川という苗字ゆえに最初の方に選ばれたというのも大きい。
問題はその後。
勇吾以外のクラスメイトたちの扱いが、彼とは雲泥の差だったのだ。
「はずれ! 無能! 役立たず! Fランク!」
全ては『クエスト』とかいう奇妙な仕組みのせいだ。
天職と共に与えられる『自分だけの物語群』。
設定された運命をなぞり、課題をこなすことで成長し、強くなることができるとかいう仕組み。説明された限りではメリットしかないようにも思えるが、勇吾にとってはひどい詐術でしかなかった。
「非道な悪女! 陰湿ないじめを主導! 婚約破棄! 追放! 左遷!」
よく喋る不思議な帽子に与えられる特別な力は、架空の設定と役柄に紐づけられている。それはひとつの物語であり、その『初期設定』によってクラスメイトたちの今後の運命は大きく左右されてしまう。
そして、大半のクラスメイトたちは『無能』だの『邪悪』だのとこき下ろされた挙句に追放されてしまうのだという。
「天川勇吾くんは勇者なので王城で特別な待遇が受けられます。冒険の準備をしっかりと整えて、万全の態勢でこの世界を救う使命を果たしてくださいね。他のみなさんはもうざっくり全員追放ってことで」
とうとう変なとんがり帽子はなんだか投げやりな対応になってしまった。
というか、自分以外のクラスメイトがみんな追放されてしまったら実質的には勇吾が一人だけ追放されているのと同じなのではないだろうか。実態がどうあれ、心情的にはクラスから自分だけが疎外されている気分になりそうだ。
もちろん構図は異なる。
悠々自適な暮らしを保証されているのは勇吾だけ。
ほぼクラス丸ごと追放されたみんなは冷遇されながらも結束を深めていくかもしれない。勇吾の知らない所で、苦境を乗り越えようと奮起するかもしれない。
(これは最悪の状況だ)
瞬間、勇吾の瞳に映り込んでいく膨大な光景の数々。
閃光のような
それは彼にとって知らないはずの体験だが、馴染み深い知識でもあった。
勇吾は知っている。それが、これから起こり得る最悪の未来なのだと。
(死ぬ)
見知らぬその場所で、勇吾は強大な力を持つ怪物に敗北し窮地に陥る。そこに現れたのは死んだはずのクラスメイト。彼は圧倒的な力で怪物を粉砕し、いつしか『二年一組』の中心に立つ生徒は入れ替わっていた。
(俺は死ぬ、何度でも)
そことはまた違うどこか。黒曜の如き硬質な美貌の騎士に守られた女子生徒に追い縋ろうとする勇吾は、冷ややかな目に射すくめられて凍りつく。「悪いけど、あなたに興味無いの。さようなら、勘違い勇者さん」去って行く二人、取り残された男のなんと惨めなことか。
(すぐに死ななくても同じだ。死ぬまで囚われて心が擦り切れる)
あるいは今ではない少し先の未来。取るに足りないはずのクラスメイトに力を見せつけられて勇者の座から転落した後、復讐の念に駆られて闇討ちを仕掛けるも見張りに立っていた忠実な奴隷にあっさりと返り討ちにされる、そんな結末。
(どうあがいても、どんな道を選んでも、絶対に殺される)
運命はひとつでは無い。
大罪人として断頭台の露と消え。
八つ裂きにされて無惨な肉塊と化し。
強引に女子生徒に迫った挙げ句、恋人との決闘に敗れて腰を抜かし、衆目の中で盛大に脱糞して嘲笑され。
首が落ちる、逆にクラスから追放される、身の程を理解できないまま圧倒的な強者を見下す、死、終焉、破滅、どこにも行けない袋小路。
その全ての結末が生々しい実感を伴って勇吾の心中を通り過ぎていく。
確たるリアリティは恐怖をもたらし、消えていくビジョンは予感を残した。
知っている。
自分は『この数々の破滅』を知っている。
(確信だ。理屈じゃない、論理じゃない。未来の確信が先にある)
今や勇吾は完全に理解していた。
ここには悪意しか無い。
落ちこぼれ扱いされてしまったクラスのみんなに対する悪意。
そしてなにより勇吾に対する巨大な悪意。
(いま、一番悪意が集中しやすくて、一番ピンチなのは、俺だ)
合計で三十九通りの破滅。
勇吾を除いたクラスメイトとぴったり同数。
思い出すのも忌まわしい記憶の数々が脳裏を過ぎる。
薄暗い牢獄に十数年も幽閉されて病に倒れた記憶。奴隷として鉱山労働に従事する中、落盤事故で圧し潰された記憶。石を投げられ、逃げ込んだ森の中で飢えた記憶。
腹部に突き刺さる刃。首のない自分の胴体を見上げる最期。全身を焼く炎。
怪物に噛み砕かれる。肉体が内部から破裂する。毒を盛られて倒れる。
全てに共通しているのはひとつ。
勇者の敗北。『外れスキル』とされていた異能に秘められていた真の力が、勇者をゴミのように蹴散らしていく光景。
(理由はわからないけど、俺はその未来をもう知っている)
タイムスリップ。タイムループ。パラレルワールド。未来予知。SFに詳しいわけではないけれど、物語が氾濫する現代に生きていればそうした概念を知る機会は幾らでもある。勇吾は即座に幻視した破滅を事実として受け止め、何もしなければそれらが必ず発生するのだということを理解した。
(死にたくない)
恐怖に突き動かされるが、どうすればいいのかわからない。
あまりにも唐突に大量の情報が脳内を錯綜したため、思考が完全に麻痺していた。何しろ勇吾は一瞬のうちに三十九通りの人生を経験したのだ。眼球付近の激痛とめまいのするような感覚は、悪夢よりもずっと精神を摩耗させていた。
どっと圧し掛かる疲労感。
三十九度の試行を経ても破滅を回避できないという絶望感。
そして、周囲の全てが潜在的な敵であるという孤立感。
友達だと思っていた。
あまり関わりのない相手であっても、クラスという大きな括りの中で仲間同士という意識を共有できていると思っていた。
もちろん、誰とでも上手くやれるなんて自惚れていたわけではない。
それでも、殺したいほど嫌われているなんて考えたこともなかった。
(あの辺見が俺を? 須田と太田と瀬川に限ってそんなことあるか? 今井、俺のこと虫みたいに潰してた。津田さんに冬馬さん、村上委員長、旗野さんやアトリまで)
よく話す相手。友人。クラスメイト。
それが『殺されない』という理由になるかと言えば、そんなことは全くない。
普段なら意識しなくてもいい事実を突きつけられて、勇吾は錯乱しかけていた。
(嘘だと思いたい。全部俺の妄想だって。いくら何でも、竜太だけはありえない)
中学からの友人に殺されるなんて、実際に体験してもまだ信じられない。
厳密に言えば全員に殺されるわけではなく『見捨てられる』とか『断罪される』とか『山林や荒野に追放される』というパターンも数多くあったのだが、全ての未来に共通していたのは『誰も助けてくれない』ということだった。
あると思っていたもの。信じていたものが、全て色褪せていく。
忙しなく、それでいて色づいていた思い出の数々。
勇吾にとってそれは、輝かしい青春のすべてを塗り潰す激痛だった。
学校生活の全ては無価値だったと断言されたに等しい。
(何か、ないのか)
周囲を見回す。状況を打開する手段は。これまで繰り返した破滅ルートの外側。
見落としているものがあれば、それが希望に続いているのではないか。
広々とした空間には勇吾たち以外には誰もいない。
喋る帽子の置かれた祭壇を中心に空間が開けており、西洋風ともアジア風ともアラビア風とも似ていない、それでいてどことなくありふれた感じのする曲線模様に彩られた柱が並ぶ。壁面には古びた装飾と絵画。ふと見上げれば、かまぼこ型のアーチ天井には精緻な絵画が描かれていた。このような状況でなければ感嘆の声を漏らしていたかもしれない。
(何の絵だろう。この神殿みたいな広間に人が並んで、空を飛んでる女性の前に跪いて、頭に触れてもらってる?)
古びた宗教画のようなその光景が、何故か強烈に意識に焼き付いた。
それは無数の破滅を見てきた勇吾にとって、はじめて目にする景色だった。
天から降り注ぐ陽光のように、一筋のきらめきが降りてくる。
絵の中から。描かれていた女性が二次元からそのまま抜け出して三次元に立体化した。ゆっくりと降りてきたその姿はさながら天使、あるいは女神。
(いや、ていうかむしろ女王様、みたいな)
すっと胸を張って顎を引いた姿勢はとても絵になっていたが、同時にどこか居丈高な印象も振り撒いていた。ひとことで言えば『なんか偉そう』なのだった。
彼女が天井から現れる瞬間を目撃していたのは勇吾だけだったらしい。
それでも謎めいた人物の登場に、周囲がざわつき始める。
年のころはおそらく勇吾たちと同じで十代後半。妙なのはその服装だ。クラスの女子と同じようにブレザーにチェックスカートの制服に身を包んではいるのだが、勇吾の知る限りこんな女子がクラスにいたことはない。
(それに胸元のワッペン、なんかデザインが違う。校章じゃなくて、王冠っぽい紋章になってる。王冠の回りには、長い腕と、羽と、目玉?)
異様な図像に、勇吾は薄ら寒いものを感じた。
騒然とする生徒たちを意に介さず、謎の少女はゆっくりと辺りを見渡した。
くっきりとした目鼻立ちと東洋人ばなれした容姿は美しいと言ってさしつかえないのだろうが、この状況下ではむしろ異質さが際立つ。
ハーフアップのロングヘアはくすんだダークブロンドだが生え際は黒で、きれいなグラデーションを描くようにヘアカラーで染めているのがわかる。
校則で染髪が禁止されている勇吾たちにとって、髪を染めた女子生徒などというのはありえない存在だった。
(なんだっけ、バレイヤージュ? ってアトリが言ってたやつだ)
少女の髪の表面にはハケで掃いたようなナチュラルなハイライトが入っていて、前髪は水平に切り揃えられて大きな瞳がはっきりと強調されている。碧玉のまなざしに、勇吾は惹き付けられた。
西洋人のような容貌は勇吾にとって見慣れないものだ。
その上で精緻な彫像のように整っているとなれば神秘性を感じずにはいられない。
だがそこに『異世界人が髪を染めている』とか『異世界人が高校の制服を着ている』という変なアクセントが加わっているせいで、なんとも言い難い印象に仕上がっているのだった。
更に言えば、少女には『人では無い』と思わせる特徴があった。
(浮いてる)
悪目立ちして周囲から浮いている、という意味では無い。
革靴に包まれた少女の両足は地面に触れていなかった。
つまり、物理的に浮遊しているのだ。
そのせいか小柄であるにもかかわらず身長百八十センチメートルの勇吾よりも目の位置が高い。少女はその場の誰よりも高い位置から生徒たちを見下ろしている。
そのとき、はっきりと目が合った。
「すべてのルートが破滅に続いているように見える。そういう時代がわたくしにもありました。破滅フラグの折り方を教えてくれる家庭教師なんていませんでしたもの」
「え? は?」
自分に話しかけているのか? 日本語で?
理解が追いつかない。だが間違いなく、謎の少女は勇吾に言葉を投げかけていた。
「これからお手本を見せて差し上げます。目に焼き付けなさい」
明確な意思。一方的な通告。
質問する余裕も与えられないまま、彼女は遥かな高みから手を差し伸べてきた。
それが希望か、それとも更なる破滅への道なのか。
判断する猶予は既にない。
始まってしまったからだ。
「
浮遊する少女の身体が跳躍するようにふわりと更に上昇した。
はっきりと聴きとれたのは意味のわからない言葉。
魔法の呪文。何かの暗号。もしくは切っ掛け。
言葉が大気を震わせるや否や、何もない虚空から突如としてじゃらじゃらと音を立てて鎖が出現した。鎖には先端に環が取り付けられており、それらは瞬時に口を開いて少女の両手と片足を拘束する。痛みを堪えるように端正な美貌を歪め、呻き声を漏らす。強引な束縛に抗うように、少女は続けて叫んだ。
「
瞬く間のことだった。
閃光のように、鎖が繋がった虚空に三種類の映像が浮かぶ。
連続的な映像に差し込まれるかのごとき、サブリミナル映像のような断片。
だが勇吾の目はそれを明確に捉えていた。
地下牢。断頭台。誰かの刃による断罪。
破滅の未来。勇吾が幾度となく目にした、確定した絶望の結末。
目の前の現実は全てが意味不明だ。
だが勇吾は感覚的に理解していた。
いま、少女は最悪の運命に呪縛されたのだ。
だというのに。
「この重さなら、ざっと一週間ってところかしらね」
なぜこの少女は、こんなにも余裕に満ちた表情をしているのだろう。
勇吾はこんなにも絶望し、悲嘆に暮れているというのに。
彼女は恐くないのだろうか。避けがたい破滅の未来が。
「何を」
「これがわたくしのおまじないです。しばらく見ていなさい」
おまじない、という言葉の使い方が妙にその場から浮いていて、勇吾はどんな顔をしていいのかわからなくなった。
いつのまにか鎖と破滅の風景は消えている。あれは幻だったのだろうか?
理解が追いつかないまま状況が推移する。
すう、と謎めいた少女は息を吸い込む。何かの準備を整えるように、意識を集中させているのがわかった。次の瞬間、少女の振る舞いが切り替わる。
勇吾はふと演劇部の知り合いを連想した。
役に入った時の役者の顔が、少女と重なる。
何かが始まる。この絶望的な状況を覆す、運命的な舞台が。
知らず、期待のようなものを胸に抱いて少女を見守っていた勇吾は、次の瞬間に梯子を外されて大口を開きそうになってしまった。
「マジカルヘアアイロン、ブリリアントチェンジ!」
いきなり出てきた変な女が何かやりだした。
浮遊少女が取り出したのは謎のスティック。
女児の玩具なんだかヘアアイロンなんだかわからない棒状のものがカラフルに発光し、よくわからない音を響かせている。更にその光が周囲に展開され、光にあふれる謎の空間で少女の全身が輝きに包まれていく。
「かがやけキューティクル、ホット、カール、ジャンプ!!」
マジカルヘアアイロンなる謎のアイテムを手にした少女は筒状のプレートに髪の毛を巻きつけて、カールスタイルをつくろうとしていた。普通に考えればスティック状のアイロンで髪型をセットするなら相応の時間がかかるはずだが、この謎めいた空間は外界と切り離されており全ての工程を終えても一瞬で変身したように見えるのだ。
訊いてもいないのによくわからない情報が脳内に流し込まれた勇吾は頭がどうにかなりそうだったがどうにか耐えた。
耐えている間にも少女の変身は続く。制服が変容し、ふわりとした袖、きらめくブローチ、ウエストから裾にかけてボリューム感のある広がりを見せながら、次々と豪奢な形状へと置き換わっていく。
ドレスだ。普通の高校生である勇吾にとっては映像の中でしか見たことのないような、きらびやかな世界の衣装。
変身を遂げた少女はくるくるとセットされた縦ロールの髪型を揺らし、胸を張って名乗りを上げた。
「ふわりと見下ろす気高き悪女! ヴィラネスロイヤル!!」
大仰な身振り。堂々とした声の張り方。遠くにいる相手にまで自分の存在感を届けるための動きと位置の調整。
光が弾けると同時に名乗り口上が響き渡り、その威容が誰の目にも明らかになる。
変身。そう、変身だ。それは変身としか言いようのない何かだった。
少女は豪奢なドレスを身に纏った縦ロールの令嬢に、一瞬で変身したのだ。
(なんで?)
あまりにも意味がわからなくて、勇吾の思考は完全にフリーズしていた。
それは多分、この場の全員が同じだっただろう。
理解不能が連続する。ヴィラネスロイヤルと名乗った変な女が高笑いを始めたからだ。高笑いを現実で聞いた経験が勇吾にはなかった。クラスの誰にもないと思う。
「オーッホッホッホッホッホ! 下賤な平民が群れていますわね~? なんて滑稽なのかしら~!」
というかこんな笑い方する人、実在するのか?
勇吾が知るどんなフィクションの中にもこんな大仰な声で笑う人はいなかった。広い世界の中にはあるのかもしれないが、一般的なものではないことだけは確かだ。
異様。というか、ものすごく馬鹿みたいだ。
だが、なぜか奇妙に『しっくりくる』。
「身の程知らずに喚き立てて、ここがどこだかご存じない? いつから神聖な『召命の神殿』は動物園になったのかしらぁ?」
意味不明の言動。意図不明の敵意。理解不能の挑発。
だが、状況は動いた。
勇吾の目の前で、視界にちらついていた破滅の未来が歪む。
遥か未来に続いていた道のひとつに、別の道が横から差し込まれていた。
それは、ヴィラネスロイヤルとかいう意味不明女の手首から繋がった鎖と破滅の光景と繋がっていた。すぐに半透明になったそれが見えているのは、どうやら勇吾と謎の女のふたりだけのようだ。
「
悪役令嬢とはなにか。『悪役』というからには、それは芝居や演劇、あるいはより広い意味での『物語の登場人物』を指し示す用語に他ならない。
「知らなかったけどそのせいで痛い目を見たから知ってる」
厳密にはクラスに詳しい者が何人かいて、そこから得た『未来の知識』だった。
変な女は話が早いと頷いてから続けた。
「ざまぁ死か断罪死か自業自得で破滅したのね。かわいそうに。身をもって体験したのなら話は早い。今から運命の変え方を教えます。覚えて実践なさい」
わけがわからない。破滅の未来に怯えて絶望していたら天井から変な女が降ってきて変身して何か意味不明なことを言い始めた。
だが、こんな未来を勇吾は知らない。
閃光のように過ぎった破滅の中に、彼女の存在は全くなかった。
逆に怪しいとか、危険かもしれないという警戒心はもちろんある。
だがそれ以上に、今の勇吾にとっては良く知っているクラスメイトよりも赤の他人の方がずっと安心できる存在だった。
どうせ八方塞がりだ。一度くらい、破滅的な賭けに出てみるのもいいだろう。
勇吾はそうして、彼女の手を取ることを決めた。
「天川勇吾。なんか勇者ってことになってる」
「わたくしはオリヴィア・エジーメ・クロウサー。あまねく断罪と破滅の因果を呑み込む、参照世界ゼオーティア最強の悪役令嬢ですわ」
「悪役令嬢に最強とかってあるんだ」
「基本的に悪役令嬢は最強なのです。覚えておきなさい」
よくわからない自己紹介を経て、物語が始まる。
これは、『かませ勇者』と『悪役令嬢』が破滅を回避する物語。
主人公が挑むのは、三十九人のクラスメイトとその運命。
この場にいる勇吾以外のクラスメイトは全員が『
よりにもよって、
なるほど、と勇吾は思った。つまりは逆説なのだ。
よくあるパターンだな、これ。
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