幕間回想:今井北斗




 その日、今井北斗いまいほくとは世界の全てを失った。


 予兆らしき予兆は何もなかった。

 今季のクエストはこれまで通りに順調で、北斗の前に敵はない。

 第四階層の統一は間近に迫っていた。

 広大な草原で隊列を組む兵士たちは、他国の主要種族である『人型』、いわゆる『霊長類型』ではない。

 北斗が重用したのはそうした『標準種族』のコミュニティから排斥された『亜人』たちで、魔族や邪教徒と呼ばれていた者たちまで己の手勢としていた。

 『悪しき竜神』を崇めるリザードマンやドラゴニュートたち。爬虫類、あるいは竜のような形態が混ざった種族たちはそれぞれが武器を手に北斗への忠誠を誓う。そうして、敵対する転移者国家に果敢に攻め入るのだ。


「『暗黒の主』の名を恐れよ!」


「進め! 我らには最強の転移者ホクト様と七星将がついている!」


「偉大なる『竜王』ホクト様に栄光あれ!」


 基本職、上級職の更に上。

 転職の頂点は九種類存在している。そのうちのひとつ『竜王』は、『勇者』の対となる最強の天職だ。北斗はこの世界槍内に一万人いる最上級天職の到達者の中でも、三十人足らずしかいない『竜王』のランキング一位の座に君臨している。

 最強の転移者にして無敵の竜王。

 それがこの世界槍イスート・シュロードにおける今井北斗の評価だった。


「ホクト様万歳!」「最強の廃人竜王様万歳!」「強すぎワロタ」「誰よりもイシュロってる」「イシュロ過ぎ」「あ~国別対抗戦勝ちまくりで気持ちい~」


 軍勢の士気は高い。北斗に従う転移者たちの大半は『最強』や『無双』といった価値観に馴染めず、また闘争のための修練や生存競争のためのシステムハックなどといった発想がそもそもない、穏やかな気質の者が多かった。

 そういった戦いに向かない者は必ずいる。ある意味ではこの異世界における『不適合者』たちを北斗は進んで見つけ出し、集団として運用し、戦闘に対する恐怖心を緩和させる策を実行した。


「現人神の加護ぞある!」「竜神の代行者よ!」「ホクト様、お導き下さい!」「北斗様ー!」「推しのためなら死ねる」「あと戦功ポイント二百で親衛隊入り!」「首だ、大物転移者の首を寄こせ! 戦功稼いで北斗様の限定グッズと個別握手会券をゲットするんだ!」「まずは稼ぐ。そして積む。それだけでいい」


 宗教というシステムは洗脳と搾取と兵士の育成のためには非常に効率が良かった。

 持ち前の顔を駆使して少し気合を入れたら簡単にトップアイドル兼現人神になれたため、北斗は正直なところ『この世界ちょろいなー』とナメていた。そしてそういうクソガキ感は見透かされており、それに気づいていないあたりが人気の秘訣だった。


「王よ。戦況を報告させていただきます」


 耳に入ってくる部下からの知らせもいつもどおりだ。

 『青波』と『龍河の帝国』はもはや脅威とは呼べず、『珊瑚礁』や『四群九刃』、『精霊の五王国』は第三階層で手一杯。来シーズンの信仰戦準備で忙しいようだ。

 その信仰戦でさえ北斗の統べる『七星連合』に及ぶ国家は存在しない。

 技術、宗教、軍事、文化、全ての面において彼の国家はこの世界槍における最大勢力と言える。


「たいっくつだなー」


 だらだらと怠けながらあくびをする。

 このところ、北斗の日常にはとにかく刺激が少ない。

 それはある程度までの『レベル』に到達した強豪転移者が陥りがちな『マンネリ』というやつだった。やることが無くなって飽きてくるのだ。

 ひたすら強くなるとか勢力を拡大するとか対人戦で読み合いを鍛えるとか、それ以外にも内政に力を入れたり文化的なことをしてみたり、田舎で陶芸やら鍛冶やら農業やらをやってみたりするのだが、とにかくなんとなく停滞する。

 最深部手前の第四階層。

 ここは最強格の転移者たちが覇を競い合う魔境であると同時に、どん詰まりの減速地帯でもあった。


「裏ボスも倒して実績も埋めたからな。キルディールの玩具ラスボスと遊ぶのも飽きちゃったし、ダンジョンマスタークエストとかラスボス当番もダルいだけだし。もう二週目っての解禁しちゃうか?」


 うんうん唸りながらああでもないこうでもないと頭を捻る。

 いずれにせよ、今は実行できない。

 北斗個人のクエストはもうほぼやることがない状態だが、クラス単位では違っている。そして世界槍単位、すなわち『ワールドクエスト』と呼ばれる、戴冠神殿が主催する大規模イベントの時期が近づいてきていた。


「『夏の祝祭』まであとちょっとか。その頃にはあいつらのクエストが終わってるといいんだけど。反乱軍とかの横槍も警戒しないと」


 北斗に制圧された国々を離れ、野に下った有力な転移者たちは確かに油断できない。しかし幸いなことに、百万英雄同盟や裏魔王ボス連合、モブキャラ互助組合などの手強い転移者勢力は前回の『夏の祝祭』で収穫あがりを迎えている。残っているのは大手喫茶店チェーン『昼行燈』などの『怠惰』スキルをあえて『八止め』している連中くらいだろう。

 目下の問題はクラスメイトたちのクエストをどう片付けるか。そしてどのようにして次の『夏の祝祭』を切り抜けるのか、という二点だ。

 浮遊する移動要塞の一室から眼下に築かれた虚構の世界をぼんやりと見下ろしていた北斗は、自分の影の中から呼びかける声に気付いた。


「最も強く偉大なるお方。我らが救い手にして尊き主よ。『例の無礼者』から連絡が入っております。お繋ぎしますか?」


 か細い女の声は過剰にへりくだりつつも湿った執着と媚びを感じさせる。

 北斗は鬱陶しそうに端正な顔を歪め、小さく息を吐いた。


「繋いで。あとその言い方、失礼だからやめなよ。僕の先生なんだから」


「失礼いたしました。おのれあの男妬ましい妬ましい妬ましい私の主の時間を」


 こういうところが嫌なんだよなあ、と配下の面倒くささにうんざりしつつ、北斗はデスクの上に置いてあった通信用の水晶玉に触れた。即座に空中に展開される半透明の『立体幻像』には、見慣れた顔があった。

 北斗の顔がたちまち明るく華やいだ。 


「お、じゃない先生! 久しぶり!」


「何だ北斗。いま先生のことお母さんって言いかけたんじゃないか~?」


「変なからかい方はやめてよ。違うってわかってるだろ」


 気安い間柄ゆえのやりとりが心地よくて、北斗は久しぶりに肩の力が抜けていくのを感じていた。

 四角い窓の向こうに、すらりとした長身の成人男性が立っている。

 清潔感と逞しさを両立させた容姿。快活な笑顔。穏やかなまなざし。

 異境にあっても程よく鍛えられた肢体。強靭な体躯の内側には、太陽の如き情熱と優しさが秘められているのだと知っている。

 なにより彼は、北斗にとって何よりも大切な存在だった。

 彼は北斗のクラスの担任教師だ。

 この異世界に集団で転移してからずっと、生徒たち全員を強烈なリーダーシップでまとめ上げ、適切な指導で成長を促し、結束を促して数々の苦難を退けてきた『誰よりも頼りになる大人』である。北斗でなくとも二年一組の生徒なら彼を慕うのは当たり前と言えた。もちろん、ごくわずかな例外はあるにせよ。


「そっちはどうかな、順調?」


 簡素な問いかけ。北斗は意を汲んで答えた。

 少しだけ得意そうに、褒めて欲しい、というニュアンスを込めて。


「舞台は整えたよ。おおまかな脚本は渡辺さんに任せてあるから、あとは旗野さんが覚悟決めてクエストを完遂できるかどうかじゃない? 黒曜伯が思ったより上手い動きをしてくれてるし、時間の問題かなって思うよ」


「それなら良かった。北斗、舞台や人の手配を任せきりですまないな。いつも助かってる。お前がいなかったら、クエストをここまで進めることはできなかった」


「まあね。敬ってくれていいよ? 何なら僕の騎士になる?」


「はは、それもいいかもな。にしても、もう第四階層の統一間近とは恐れ入るよ。大勢の魔王や隠れた実力者たちと競い合って、いまやEランクやFランクを抜いてZランクの最下位だろ? 本当に、先生の自慢のお」


 そこで一瞬だけ言い淀み、こほんと咳払いしてから言い直す。


「じゃなくて、自慢の生徒だよ」


「いま、僕のことお母さんって言いかけたんじゃない?」


 にやにやと笑いながらからかうと、相手は恥ずかしそうに笑ってくれた。


「あはは、やり返されちゃったな。でも料理に関しては正しいだろ? 僕にとってのおふくろの味は北斗の料理だからね」


「そういやしばらく作ってないか。今度うち来たら作ろうか?」


「いいね、楽しみにしてる」


 くだらない異世界、くだらないお遊戯クエスト、くだらないクラスメイト。

 最悪な日々の中、北斗にとってはこの時間だけが価値のあるものだった。

 輝ける安らぎ。たったひとつだけ、大切なもの。他にはなにもいらないし、クエストに協力するのも彼が教師としてそれを望んでいるから。その願いを邪魔する奴はみんな死ねばいいし、その役に立てないなら自分は死ぬべきだとさえ思う。

 先生と生徒の時間。引かれた一線は公平さの証で、それさえ相手の心の美しさとして受け入れることができた。

 楽しい、嬉しい、こんな時間がいつまでも続けばいい。

 気分がいいと、うっかり口を滑らせることもある。


「今回は『指標インジケータ』の処理が徹底しててさ、『あれ』の性格がひっどいから、旗野さんの幻滅が早くて楽なんだ。そもそもあいつ、『傲慢』スキルを全然使いこなせてなくて笑っちゃうよね。いったん暴走したらかませ犬まっしぐらで、『指標専用スキル』ってのもあながち間違いじゃないかも」


「北斗、そのことは」


 明るかった表情が見る見るうちに曇っていく。違う、そんな顔をして欲しかったらわけじゃない。もどかしい感情は苛立ちに繋がり、それは八つ当たりじみた怒りへと変わった。それもこれも、全部『あれ』のせいだ。


「はいはい可哀想可哀想。いいじゃんもうそういう辛気臭い話は。投票はしちゃったわけだし、津田さんの工作にも加担したよね? 今さらでしょ。それとも今から別の誰かを選ぶわけ? 渡辺さんとか津田さんあたりが妥当かな。それとも、本気出したとこがみんなにバレてる僕がふさわしいってわけ?」


「いや、それは」


 欲しい反応を強引に引き出して、得られたのはささやかな満足と自己嫌悪。

 試し行為のような真似をせずにはいられない、北斗の悪癖。

 彼が誰を切り捨てて誰を選んだのか、そのことは誰よりも良く知っている。それでも不意に不安に駆られる。失いたくない。ただそれだけなのに。


「それよりそっちの話だよ。薬師寺さんまだグズってんの? 次だよね、これで全員達成できるの? このままだと吉田くんとか須田さんの時みたいにカヅェルに洗脳してもらうことになるけど」


 強引に話題を逸らしてみたが、どうも相手の様子がおかしい。

 怪訝に思っていると、とんでもない発言が飛び出した。


「そのことなんだが、北斗、落ち着いて聞いてくれ。薬師寺が脱走した」


「はぁ?! 何やってんの?!」


 さすがに声を荒らげてしまう。

 あってはならないことだった。

 もともと薬師寺花鶏やくしじあとりはコントロールが難しい性格をしている。そして彼女はなぜか『指標インジケータ』絡みになると決まって『とてつもなく』手に負えなくなってしまうのだ。


「あの女、ほんとめんどくさいな。記憶再処理か、阿部くんリセットコースじゃん」


 教師である目の前の彼が下した決断、それを支持する最強の転移者北斗の圧力、津田守梨を筆頭とした『聖女組』の人心掌握術、更に多田心という戴冠神殿の監視役によって、クラスは一枚岩のような結束で『そうする』と決めたはずだ。

 共有した全体方針はたったひとつ。


「『クラス四十人で生きて帰る』のが最善だって、なんでわかんないかな」


 最も多くの命が助かる選択肢があるのなら、そちらを選ぶのが当然だ。

 あの薬師寺花鶏バカは、ほぼすべての回で『みんなで助かる道を探せ、できないならみんなで死ね』と叫ぶか『あたしが死んでやる』などと宣言して、それを実行に移す迷惑極まりない女だ。

 全員のクエスト完遂を阻害する最大の壁であり、最後まで『指標インジケータ』の担当を延期され続けていた。

 赤の他人の死に憤るなんて完全に理解不能だ。北斗とは完全に異質な思考回路の人種。自分と友達が無事なら、そこで満足しておけばいいのに。

 軽率な行動が災いしてほぼ毎回のように旗野詩織しんゆうと決裂しているくらいだから、本物の馬鹿なのだろう。旗野詩織のクエストを進めている今回だけは、不確定要素を減らせる分だけ好都合かもしれない、と思っていた矢先にこれだ。


「例の『悪役令嬢ヴィラネス』の手引きだ。僕も今回はさすがに諦めたと思っていたから油断してしまった。おそらくそちらに向かっていると思う。警戒してほしい」


 画面の向こうから更に悪い情報が追加された。

 北斗は舌打ちを我慢しつつ、険しい表情で足裏で影の中に合図を送る。

 彼の魂と繋がった直属の配下たちが、主の意を受けて動き出した。


「わかった。七星を全員動かして警戒させる。全く、この局面で『指標』の状態をめちゃくちゃにされたらクエストが台無しだよ」


「すまない。ただ、こちらは『悪役令嬢』が足止めに放った『万翼軍勢』のおかげで次元回廊が使えない状況なんだ。『フラッシュフォワード』の組み合わせで処理できるとは思うから、終わり次第すぐ深層に向かう。しばらく待っていてくれ」


「ああ、あのデカい鳥軍団か。結構減らしたと思ったけど、まだ残ってたんだ。なるべく早くしてね。そっちは最強スキルなんだから、ぱぱっとやっちゃってよ」


 楽しい時間はあっという間に終わってしまった。

 通信が終わり、北斗は早足に執務室を出る。

 目指すのは浮遊城砦を訪れている客人の居室だ。

 北斗が統治する巨大な王国、その中心地ではひとつの『クエスト』が進行中だった。それは現在起きている戦争を巡る物語であり、戦火と宿命からの逃避行を望む一対の男女と、それを引き留めようとする愚かな男の愁嘆場である。

 早い話が旗野詩織とその運命の恋人役が、勘違い勇者との決別を通して人間的に成長していい感じの仲になるためのイベントだった。


「女転移者のクエストって恋愛ばっかだよな。きもちわる」


 闘争に明け暮れている北斗が言えたことではないのだが、彼は基本的に自分を顧みることも恥じることもない。北斗は女はみな馬鹿だと思っていた。実際、彼は己の魔性とも言える魅力で他者を支配することも、思考のできない麻薬中毒者のような状態に陥れることもできる。彼の世界の中では『女は馬鹿』が真実なのだ。


「気持ち悪いからしないけど」


 生理的に無理だ。

 猿の交尾をデコレートしたがる恋愛脳の女などと関わりたくはない。

 めんどくせー、と愚痴をこぼしつつ台本を確認する。

 北斗の立ち位置は『旗野詩織の亡命を受け入れた大国の王』。

 『指標インジケータ』は旗野詩織の恋人に始末させる手筈になっているが、北斗としては女のほうが血を嫌うようなら自分が手を下してもいいと思っていた。 


「薬師寺だけなら空飛んでくることはないと高をくくってたけど、あの変な女は空の民だからな。次はもっといい対策を考えないと」


 呟きながら、早足で移動する北斗。

 そんな時だった。

 上空に浮かぶ巨大な要塞が、凄まじい轟音と共に激しく揺れ始めたのは。

 地震ではあり得ない。ならば襲撃か。

 北斗は即座に意識を切り替えた。

 別の転移者勢力による攻撃であると仮定した上で、想定される能力と作戦をピックアップ。時空改変、文脈干渉、環境リセットなどの大規模干渉スキルに対する警戒策を部下たちに命じた上で対抗用の能力を起動。

 

「『大罪七竜』、起きろ」


 召命の神殿で北斗に与えられたスキルは『怠惰』である。

 適性のある転移者に一定の割合で割り振られる『超レア』という設定の『実際はそこそこレアなスキル』で、北斗としてはさほど価値を見出していない。

 というか七種類いる隠しボス『大罪七竜』の撃破で後から獲得可能なスキルであり、北斗は全種コンプリートした後で不要なので部下に与えてしまった。

 北斗が真に頼みとする力は別にある。


『北斗よ。お前には天賦の才がある。私の弟子たちの中でも、オリヴィアに比肩する邪視を持つのはお前だけだ。そして、お前には理性と誇りに縛られた彼女には持つことができなかった資質がある』


 どこか不吉な響きがする師の言葉を思い出しながら、北斗は己の内面深くにある『光』に触れた。

 アストラル体と呼ばれる精神の輪郭を自在に操作し、対転移者戦闘のための形態に切り替える。精神の変容に応じて、北斗の肉体は新たな相に移り変わる。

 並行して、精神体を分割して探査のために触手のようにして広げた瞬間、北斗は己の間違いに気付いた。

 襲撃者は、彼が競い合っている他の勢力ではない。


「ザマミロォォォォ!!!!」


 地獄の底から響くような、おどろおどろしい声が要塞のあちこちから響いてくる。

 黒い靄、不定形の闇、器物と同化して暴れるその姿には見覚えがある。

 例のふざけた『悪役令嬢ヴィラネス』がカヅェルたちと戦う時、決まって戴冠神殿側の使い魔として出現するモンスター。


「たしか『ザマミロー』とかいう変な名前の怪物、だよね」


 亡者アンデッド系のモンスターだと思っていたが、どうも様子がおかしい。

 なぜこんな所に現れているのか。

 戴冠神殿が襲撃してきたとでも言うのか?

 ありえない。いまの時点で『収穫』をするメリットがない。

 そもそも。


「あんなに強力なモンスターだったっけ?」


 明らかに強すぎる。

 北斗が作り上げた空中要塞の守りを突破し、彼が世界槍のあちこちを回って集めてきた優秀な兵隊ユニットたちがあっけなく闇に呑み込まれていく。

 この拠点には戦いの中で北斗に与すると決めた英雄や魔王たちも数多くいるのだ。

 だというのに、鍛え上げた『外れスキル』の数々はザマミローなる黒い怪物に吸い込まれ、完全に通用していないようだった。


「全員、俺から離れろ! 北斗の城でこれ以上好き勝手はさせん!」


 遂には北斗の配下の中でも最強の転移者、『スキル狩り』の異名を持つシリアルキラーが怪物に挑んだ。万単位の転移者を殺害し、天職とスキルを奪うという凶行に及んだ最低の人格と最強の実力を併せ持った転移者。北斗が倒して服従させるまではこの世界で最強最悪とされた魔王のひとりだった。


「そんな、俺が集めたスキルが、ひとつも通じないなんて」


 その魔王が震えながら叩き潰される光景を見ながら、北斗は険しい表情になる。

 この世界における最強格のひとりが全力で放ったスキルをあのザマミローはものともしなかった。つまり、あれはこの世界槍の基本的なルールの外側に位置する何かだ。天職、スキル、クエストの三つの要素だけで戦っていても勝つことはできない。


「嘘だろ」


 北斗にとっての最悪は、せっかくの人材を失ったことだけではなかった。

 目的地に辿り着いた時、全ては手遅れだった。

 黒曜石の剣が砕けて散らばっている。黒い鎧は胴体ごとねじ切られ、冷たい美貌はもうひとりの女を庇うような姿勢で沈黙していた。

 

「黒曜伯が死んでる。鉄願の無効化能力は? まさか、こいつには通じないのか?」


 恋人と共に引き裂かれた旗野詩織の遺体の傍で、黒い何かが低い声で呻き続けていた。もはや事態は決定的な破局を迎えてしまったのだと北斗は理解する。

 クエストは失敗したのだ。

 即座に戦闘態勢に移行。

 北斗の全身が光に包まれ、その頭部を中心に劇的な変化を遂げる。

 亜竜人。ドラゴニュート。竜神の代行者。

 伝承に語られるドラゴンの特徴と英雄の資質を兼ね備えた超人。

 北斗は万物を引き裂く爪と牙、全てを破壊する七種のブレス、そして人知を超えた神秘を行使し、最後には象以上のサイズに変身する巨竜化の奥義まで解禁した。

 しかし。


「くそ、これもダメか」


 幾つかの攻撃を試みた後、北斗は戦闘の放棄を決断。その場を離脱した。

 これ以上の切り札がないわけではない。

 北斗はスキルという与えられたシステムの根本的な原理に対しての知識を有している。戴冠神殿の神官たちが用いるオカルトじみた術と、その背後に存在する膨大な知識、それらによって駆動する世界槍という環境の構造。

 北斗の姉弟子にあたる人物は、それを『おまじない』と呼んでいた。

 転移者の中でも『気付き』を得た上位層はその知識に触れているし、修練を積んでいる。北斗を含めたクラスメイトのうち何人かはかなりのレベルに達していた。

 やろうと思えばできる。

 だが、北斗には不安があった。


『お前の才は素晴らしい。本当の意味で私のものにしたいくらいに』


 恐れているのは、自分の力だ。

 北斗は全力で戦おうとするたびに、師の言葉を思い出す。

 自分は、精神に嵌められている拘束具を剥ぎ取ることができる。そういう実感が北斗にはあり、それをやれば誰も自分には勝てなくなるだろう、という確信があった。

 『最強』『無双』『チート』『不敗』。

 それらの称号を冠した超越者が乱立する、ある意味で矛盾した世界において、真にその称号が自分に相応しいと確信しようとするならば。

 純粋な意味での逸脱と他者の排除が必須であるはずだ。


「殺せる。こいつが無敵であっても、僕は更に無敵になれる」


 できるはずだ。だが、その力を振るうと『取り返しがつかなくなる気がする』。

 本能的、ではなく理性的な直感。

 もっと感覚的なことを言えば。

 天職、スキル、クエストといった『共有されているルール』を無視し、常識から逸脱した凶悪さを発揮しているこのザマミローたちは、『既に取り返しがつかなくなったもの』なのではないだろうか?


「もし、僕がリミッターを外してこいつらを殺したら。もしかして僕も」


 ぞっとして黒い怪物から飛び退る。

 それは北斗が初めて抱いた『最強であることへの忌避感』だった。

 彼は、自分自身の在り方を恐れたのだ。

 逃げた。敵からではない。自分からでもない。

 この異世界の、根本的な邪悪さからだ。


「今井くん。手遅れだったみたいだね」


 生存者を集めて幾つかの区画を閉鎖、切り離して安全な区画に退避する。

 そこで再会したひとりの少女は、開口一番にそう言った。

 

「渡辺さん。これも『原作通り』なわけ?」


「まさか。むしろ本来の流れから完全に逸れて、物語が破綻しちゃってる」


 クラスメイトの渡辺麗華わたなべれいかはクエストの進行役として、北斗や津田守梨、それから少し立ち位置が異なるが多田心と並んで主導的な役割を果たしている生徒だった。顔がいいと評判だが特に興味はない。正直、少し苦手だ。

 ある意味では大人である担任教師よりもクエストの管理と進行に長けている、得体の知れない女だ。その立ち位置は『物語の流れ』を読んで調整する脚本家。『強烈な我』で問題を粉砕する北斗や、『人の和』を整える津田守梨、そして『再現可能な物』を用意できる多田心とは別種の才能だった。


「私たちの自業自得かな。投票の件も、そのための工作も含めて」


「なにそれ。てか、あのザマミローってのは何なの?」


「基本的には『指標』の成れの果て。本来はあんなに強くないけど、今回は特別」


「特別?」


「あれ、天川くんだよ。前回までの全部。旗野さんをやったのは今回のだけど」


 驚愕の事実というには意外性がなさ過ぎた。

 言われてみればそうだろうな、という程度の真相だ。

 だって『あれら』にはそうする動機があり、北斗たちにはそうされる理由がある。


「くそ、キルディールはこうなるって最初からわかってたんだな」


 思い当たる節は幾つもあった。

 どんなにうまくやっているつもりでも、自分たちが駒に過ぎないことを完全に自覚するのは難しい。ゲームの参加者がゲームの作り手に勝つことができるのか? このような問いかけはナンセンスだが、だからこそ真剣に向き合う必要があった。

 それなのに。後悔は既に遅すぎる。

 麗華は期待した様子もなくとりあえずという感じで問いかけた。


「あなたの浄界と七星の軍勢でなんとかできそう?」


「負けるつもりはないけど、やりたくない。そっちは?」


「同じく。『虚飾』スキルでの封印はちょっと無理そう。私が知ってるゼオーティア式の呪術が通用するかどうか試してみたいけど、その前に先生と合流して作戦会議するのが先かな。守梨ちゃんたちの力も借りたいし」


 麗華は目を閉じて、何かを諦めるように首を振る。

 それはどこか、肩の荷が下りたような安堵にも似ていた。

 破滅的な事態が進行しているにもかかわらず、麗華はとても重い荷物から解放されたように微笑む。理解できない。北斗はその表情に激しい苛立ちを覚えたが、それを指摘することはできなかった。何故なら、彼女に役目を強要したのは北斗だから。


「確かなことは、ひとつ」


 麗華は窓から眼下に広がる世界を見た。

 転移者たちが覇を競い合う閉じられた箱庭。

 神と魔、英雄と巨悪、勝者と踏み台が繰り広げる舞台の上。

 栄華の下に追いやられた墓の底から、それは密やかに、それでいて急速に侵攻を開始した。世界の全てが、端から闇に染まっていく。

 『ざまあみろ』と、かつて告げられた言葉を投げ返すために。

 少女は、口の端を皮肉そうに歪めた。


「この世界は、終わるってこと。私たちは、選択を間違えたんだ」





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